第5話 当然、天秤はそっちに傾く。

「さっすが、オヤッさん。ああいうヤクザ者にも顔が利くんですね」などと、嬉しそうに口を開くイルの頭に、ボードワンは無言で拳骨を落とした。


「アダッ!」


「顔が利くんですねじゃねぇよ、馬鹿野郎。てめえも衛士の端くれだろうが! ビビって隠れるたあ、どういう了見だ」


 ボードワンは頭を押さえてしゃがみ込むイルをその場に放置して、女たちの方へと歩み寄っていく。


「一応聞いとくが、怪我はねえな?」


「一応ってなによ、一応って! あんた、こっちがしがない踊り子だと思って、馬鹿にしてんじゃないでしょうね」


「何にでも噛みつくんじゃねえよ。狂犬かおめえは」


 そう言われて、自分が頭に血を昇らせている事に気付いたのだろう。女はバツの悪そうな態度で口を尖らせる。


「わ、悪かったわよ。大丈夫、二人とも指一本触れられてないわ」


「そいつは良かった」


「一応お礼を言っとく。アタシは流しで踊り子やってるリムリム、こっちの娘は……」


 おどおどと女の背後から少女が顔を出すと、ボードワンは思わず目を見開いた。


「なんだ、ウォードんとこの娘じゃねえか!」


「なんだい、あんたたち知り合いだったのかい?」


「ああ」


 ボードワンはそう小さく頷いたが、一方の少女の方はふるふると首を振る。


「まあそうか、わからなくて当然だな。この娘の親父は鍛冶屋でな。ウチの詰所に出入りしてたんだ。この娘も時々親父さんに連れられて来てたんだが、この娘にとっちゃあ俺も沢山いる衛士の内の一人だろうからな」


 ボードワンはそう言うと、未だにうずくまって頭をさすっているイルを呼びつける。


「おい、イル! てめえいつまで痛がってやがる。こっちにきて挨拶の一つもしねえか!」


「痛てて……おやっさん、ヒドいですよ。まったくこれ以上バカになったらどうしてくれるんです」


「これ以上ってことは、一応バカだって自覚はあるんだな」


「ええ、残念ながら」


「……残念なのは、こっちだよ」


 二人の冗談めいたやり取りに、少女が思わず表情をほころばせる。警戒心も解けたのだろう、彼女はボードワンとイルの二人に向かって深々と頭を下げた。


「助けていただいてありがとうございました。シアと言います」


「いやまあ、気にすんな」


 イルがふんぞり返って鷹揚にそう応えるとボードワンが空を仰ぐ様にして「オマエ良い性格してんなあ」と呆れかえった。しかしシアが顔を上げた瞬間、イルはその場で硬直する。


 少し垂れ目がちではあるが、優しげな瞳。編み込まれた美しい金色の長い髪と筆でスッと一本線を引いたような鼻梁と瑞々しい唇。着ているものこそ粗末な安物ではあったが、その程度で損なわれるような美しさでは無かった。


 思わず見とれるイルの視界に、リムリムが割り込んで、「ちょっとぉ! アンタ、やらしい目で見ないでくれる」と、睨み付けてくる。


「お、俺は、そんなつもりは……」と、しどろもどろになって慌てるイルを、リムリムが更に目に力を籠めて威嚇すると、ボードワンは情けなさそうに肩を落とし、シアはクスクスと笑った。


「で、シア。アンタ、あんな連中が出張ってくるような借金をこさえたのかい?」


 ボードワンが話題を変えた。もちろん、イルに助け舟を出したわけではない。さすがにこれが自分の部下だと思うといたたまれなくなってきたのだ。


 ボードワンの質問に、それまで笑顔を浮かべていたシアの表情がさっとかげり、少し逡巡しゅんじゅんするような間をおいて、蚊の鳴くような声で話し始めた。


「全く覚えが無いんです。あの人たちが今日突然お店にやって来て、お父さんが生前にこしらえた借金を返せと言ってきて……」


「お店?」


「父が亡くなってからは、歓楽街の酒場で給仕として働かせてもらっているんです」


「いかがわしい店じゃないわよ。おっさん相手の一杯飲み屋だからね。アタシもそこで場所借りて踊らせて貰ってんのよ」


 リムリムが庇うようにそう補足する。


「とにかくお父さんからは、そんな話全く聞いていませんし、突然そんな事を言われても、お金なんてどこにもありません」


「まあ、そりゃそうでしょうね」


 イルが深く頷く。


 イル自身、父親が死んだ時にはだとは言え、母と妹をどうやって食わせていけばいいのか頭を抱えたものだ。ましてや若い女の身には相当に厳しい出来事だろう。


「あの方たちはお父さんが研究していた物を鍛冶師ギルドに売れば、それぐらいの金はすぐに出来るだろうと仰るのですが……」


「暗緑鋼のことだな」


 ボードワンが眉をひspめながらそう言うと、シアは小さく頷く。


「ご存じなんですね。でも、暗緑鋼と言われたって、父は家族にも作り方を一切、秘密にしていましたし、せいぜい弟が今の私より大きくなったら教えると、冗談めかして言っていたぐらいで……」


「いずれにせよ、今日は退いてくれたが、あいつは蛇のサーペントヒルルクっつう、しつこさで名の通ったヤクザ者だ。簡単にはあきらめちゃくれねぇぞ」


 ボードワンが腕組みをして目をつぶる。そして、しばらく思案するような素振りを見せた後、イルをじっと見つめて口を開いた。


「しゃあねぇな。イル、お前、明日からしばらくこのお嬢ちゃんを護衛してやれ」


「ええっ!?」


 イルは可愛い女の子と一緒に過ごせるというメリットと、蛇のサーペントヒルルクなんていう、ヤバそうなヤツに襲われるかもしれないというデメリットを瞬時に天秤にかける。いや、考えるまでも無い。命あっての物種。一瞬にして「お断り」へと天秤が傾いた。


「大丈夫なの? こんな奴で」


 リムリムが怪訝けげんそうに眉根を寄せる。


 YES! 大丈夫じゃねぇ! いいぞビッチ!


「もっと腕利きのヤツを寄こした方が良いですって。それにほら、オレ、訓練とかありますし」


「訓練ったって、どうせ逃げ回るばっかりだろうが。実戦で死にそうになるぐらいじゃないとオメエのそのひん曲がった根性は治らねえ。どういう形であれ、片がつくまで詰所には来なくていいぞ」


 死にそうになること前提の話に、イルは顔色を失って騒ぎ立てる。


「横暴だ! 職権乱用だ!」


「馬鹿野郎、何が職権乱用だよ。善良な市民を守るのが俺らの務めだろうが」

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