第7話
その夜、私はリーンハルトさんの魔法で美しい姿を保ったままのアネモネや白百合、向日葵、薔薇などのお花をテーブルに並べていた。様々な図案が思い浮かぶのだが、それを紙に描いては何だか違うような気がして頭を悩ませる。
そう、今から作る作品は妥協できない代物なのだ。何を隠そう、グレーテさんの4歳のお誕生日プレゼントなのだから。
花畑から帰る途中で、リーンハルトさんがグレーテさんの誕生日が近いことを教えてくれたから助かった。どうやら一週間後の今日、グレーテさんは4歳になられるらしい。
本当はお洋服などをプレゼントしたかったが、生憎私に服を仕立てるまでの技術はない。お人形の服を作るにしても然りだ。私に作ることのできる、贈り物に相応しい刺繍作品といったら、ブローチくらいしか思い浮かばなかった。これは公爵家にいるときにも作ったことがあるので、大きな失敗はしないだろうと思ったのだ。
作品形態で妥協した分、図案はとびきりの物を作ろうと思ったのだが、これがなかなか難しい。何より、やせ細った腕では図案の線を綺麗に描くことが出来ないのももどかしかった。今までお店に出していた作品は、もう何度も刺したことのあるモチーフだったのでこんな苦労は味わわなかったのに。
「随分悩んでいるんだね、紅茶でも飲む?」
夕食を終え、お部屋で仕事をなさっていたはずのリーンハルトさんがリビングに顔を出した。時計を見上げれば夕食が終わってからもう2時間も経ってしまっている。普段ならば湯あみをしているくらいの時間だ。
「あ……私が準備いたします」
「レイラは作業をしているんだろう? 僕に任せてよ」
「……ありがとうございます」
私はおとなしくリーンハルトさんの言葉に甘えることにした。リーンハルトさんは料理こそ作れないが、彼の淹れる紅茶は格別なのだ。公爵家で常に一流のメイドたちの給仕を受けていた私が目を見開いたほどなのだから、よっぽど上手いのだと思う。私も少しずつ練習しているのだが、料理もお茶もまだまだだった。
少しして、リーンハルトさんが揃いのティーセットを持って私の向かいに座る。無駄のない動きでティーカップに紅茶を注ぐと、そっと私の前に差し出した。ふわり、と紅茶の良い香りが漂ってくる。
「レイラは角砂糖一つだったよね」
「ええ、覚えていてくださったんですね」
「それはもちろん」
リーンハルトさんは角砂糖の入った小瓶を差し出してくれた。それを受け取りながら、リーンハルトさんはストレートでお飲みになるのだな、と記憶する。思えばこのお屋敷で暮らし始めたころは角砂糖なんて無かったから、もしかしなくてもこれは私のために用意されたものなのだろう。リーンハルトさんは甘いものが苦手なのだと思う。
そのせいか初めのうちは加減が分からなかったようで、私のティーカップに3つも角砂糖を入れようとしていたけれど、今はどうやら1つで充分だということが伝わったらしい。
それがまた一つ、彼と仲良くなった証のような気がして、何だか嬉しくなった。思わず笑みが零れてしまう。今日は特に楽しくて、怖くなってしまうほどだ。
「いただきます」
程よい温度と甘さが口の中に広がって、ほうっと息をつく。やはり、リーンハルトさんの淹れてくれるお茶は格別だ。もうこれ以外飲めなくなってしまいそうだ。
「本当に、美味しいです。今度私にも教えてくださいませんか?」
「教えるのは一向に構わないけど、何もレイラが覚えなくても、僕がいつでも淹れてあげるよ」
「ふふ、相変わらず、私を甘やかすのがお上手ですね」
「これでも制御しているほうなんだけどなあ……」
リーンハルトさんの視線に、言葉に含まれている温もりに、やはり深い愛を感じてしまう。私はこの人に大切にされているのだと確信が持てるほどに、リーンハルトさんの温かな愛情に包まれていた。
そして、それに応えたい、と思っている自分がいることにも薄々気づき始めている。つい二か月ほど前は、殿下との恋の終わりをあんなにも悲しんでいたというのに我ながら薄情な女だと思うが、それでも、リーンハルトさんに惹かれ始めている自分を止めることは出来なかった。
「それは、グレーテへのプレゼント?」
「ええ、ブローチを差し上げようかと思いまして」
「それは喜ぶだろうな。ただでさえ、君の刺繍作品は今や街中で大人気なのに」
「ふふ、皆さんに気に入って頂けて私も嬉しいです」
私はティーカップを置いて、そっと描きかけの図案に触れた。デザインさえできてしまえば、後は丁寧に刺繍していくだけなのに、と頭を悩ませる。
「……グレーテさんはどんなお花がお好みなのでしょうか? リーンハルトさんはご存知ですか?」
「グレーテの好きな花か……。あの子は何でもかんでも綺麗って言ってるからね……」
リーンハルトさんもティーカップを置いて、軽く考え込むような仕草を見せる。物思いに耽るリーンハルトさんはとても知的な雰囲気を醸し出していて、質問をしている立場だというのに不覚にもときめいてしまった。
「ああ、でも特に向日葵が好きなのかもしれない。……シャルロッテの趣味という線も捨てきれないけど、夏の帽子なんかにはよく向日葵の飾りが飾られていたよ」
「まあ、それは良いことを伺いましたわ。向日葵をメインに考えてみます。ありがとうございます、リーンハルトさん」
にこりと微笑むと、リーンハルトさんはふっと甘い笑みを浮かべた。まるで恋人に向けるような糖度の高さに、たったそれだけで赤面してしまう。それが何とも気恥ずかしくて、私は慌てて次の話題を探した。
「あ……ええと、その、そう、そうです! もうすぐ刺繍糸が無くなってしまいそうなのですが、この街で糸や布を売っているお店はどこにありますか?」
無くなりそう、と言ってもグレーテさんへの贈り物を作る分はまだ十分にあるのだが、咄嗟に見つかった話題がそれしかなかった。リーンハルトさんは私の慌てっぷりさえも愛おしむように見ていたが、すぐに答えを返してくれる。
「仕立て屋なら、シャルロッテの店から5分ほどの場所にあるけど……刺繍糸はそんなに種類が無いかもしれないね。……だから、今度アルタイルの王都へ行ってみようか」
「……王都へ?」
確かに王都へ行けば種類には困らないだろうが、大丈夫だろうか。アシュベリー公爵家からしてみれば、厄介者の長女がいなくなったくらいに過ぎないだろうが、世間の目があるから捜索願くらいは出しているだろう。元王太子妃候補だった私は、殆どの貴族に顔を知られているのだ。もしかすると見つかってしまうかもしれない。
「大丈夫。レイラが帰りたいって思わない限り、絶対に誰の手にも渡さないから」
折角話題を変えたのに、捉えようによっては愛の言葉にも聞こえそうなリーンハルトさんの台詞のせいで、再び頬に熱が帯びた。恐らく、リーンハルトさんは無意識の内に言っているのだろうが、その分尚更質が悪い。
「魔法ってなかなか使えるんだ。一時的に髪の色や目の色を変えることもできるから、心配いらないよ」
「……リーンハルトさんさえ迷惑でないのなら、是非、行ってみたいです」
実は、私は自分の手で刺繍糸を選んだことが無いのだ。公爵家ではいつの間にか、ありとあらゆる種類の糸がいつの間にか補充されていたから、限られたものの中から選ぶ楽しみというものを知らない。またしてもリーンハルトさんにはご迷惑をおかけしてしまうことになるけれど、彼はむしろいつも楽しそうに私についてきてくださるので、ついつい甘えてしまう。リーンハルトさんに愛されていることを信じられるくらいには、私たちの距離は縮まっていた。
「じゃあ決まりだ。グレーテの誕生日会が終わったら、王都へ下りてみようか」
「ええ、よろしくお願いいたします。楽しみにしていますね」
誰かに愛されている、という感覚はこんなにも幸福な気分になるものなのね。
こんな感覚は、リーンハルトさんに出会って初めて知った。公爵令嬢としてのレイラ・アシュベリーではなく、私自身を愛してくれた人なんて、リーンハルトさんが初めてなのだ。まだ、この幸福に慣れないけれど、もう少ししたら、きっと私もリーンハルトさんに伝えられる気がする。
私は、あなたに惹かれているのです、と。
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