第13話

 それから小一時間が経った頃、私は毛布にくるめられて、その上からリーンハルトさんに抱きしめられていた。私が倒れてからというもの、リーンハルトさんは片時も私から離れようとしない。


「ほら、レイラ、口を開けて。栄養を取らなきゃだめだ」

 

 リーンハルトさんは銀色のスプーンに乗せたスープを、私の口元に運ぶ。恥ずかしいことこの上ないが、先ほど断ったところ、リーンハルトさんがこの世の終わりのような絶望の表情を見せたので、恥ずかしさを堪えて過剰なまでのお世話を受けているところだ。子どもでもあるまいし、自分で食べられるというのに。


 リーンハルトさんに手ずから与えられたスープは美味しくて、温かさが体に染み渡っていく。もっとも、毛布にくるめられた上に、リーンハルトさんに抱きしめられているというこの状況は、心境的には暑くて仕方がないのだが。


「偉いね、レイラ。パンも食べられそう?」


 リーンハルトさんは柔らかいパンを一口ちぎって口元に運んでくれる。再び恥を耐え忍んで素直に受け入れると、リーンハルトさんは嬉しそうに私の頭を撫でた。彼が心配性なのは薄々勘付いていたが、ここまでとは思わなかった。


 それとも、性格的な問題ではなく、過去に何かあったのだろうか。例えば、あの姫君に関わることで。


「……浮かない顔をしてる。どこか具合悪い? 痛い? 大丈夫かい、レイラ?」


 リーンハルトさんは食事を運ぶ手を止めて、心配そうに私の顔を覗き込んだ。本当に些細な私の表情の変化も見逃さないのだから、大した人だと思う。彼に心配をかけないよう、私はすぐに曖昧な笑みを浮かべた。


「……おかげさまで、かなり気分は良くなりました。もう、お離し下さっても大丈夫ですわ」


「駄目だ、手を離して、また倒れたりしたらどうするんだ」


「……でも、リーンハルトさんにはお仕事がありますでしょう? 私のせいで時間を割いていただくのは申し訳なくて……」


 今日は魔術師団のミーティングはないが、魔法具を作る予定のはずだ。彼の予定を狂わせるわけにいかない。


「レイラがこんな状態なのに、呑気に魔法具なんて作っていられない。お願いだから、傍にいさせてくれ……」


 再び私の方に顔を埋めるようにしてリーンハルトさんは私を引き寄せる。リーンハルトさんの香りと温もりが間近に感じられて、熱が上がるとすればこの行為のせいだと思った。毛布で腕ごと包められているから抵抗もできない。


 倒れたのは寝不足のせいだと説明したところ、刺繍道具を取り上げられそうな勢いで泣きつかれた。本当は刺繍は言い訳に過ぎなかったのだけれど、ここでロケットの話を持ち出して彼に余計な動揺を与えたくない。リーンハルトさんが私に何を見ているのであれ、今は私の体を労わってくれていることは確かなのだ。その心配は素直に受け入れよう。


 それにしても、ここまでリーンハルトさんが取り乱すのは予想外だ。ただでさえ人に心配されることに不慣れな私は、どんな反応をしてよいのか分からなくなってしまう。


 だが、子どものころ求めた優しさはこういうものだったのかもしれない。どこまでも私を心配して、いつもよりずっと優しく甘やかしてくれることを、幼いころの私は望んでいた。結局それは公爵家では叶わなかったけれど、その分リーンハルトさんが過剰なまでの心配をしてくれている。また一つ、心が満たされていくのを感じた。


 そんなとき、リビングのドアが開き、僅かに焦った様子のシャルロッテさんが姿を現す。リーンハルトさんが連絡でもしていたのだろう。シャルロッテさんは、私を膝の上に乗せて縋りつくように抱きしめるリーンハルトさんを見て、怪訝そうな顔をした。


「……兄さん、レイラを離してあげて。見ていて可哀想だわ」


「駄目だ、離したらレイラはまた倒れてしまう」


「そんな状態で拘束しているほうが倒れるわよ! ベッドに寝かせてあげなくちゃ」


 シャルロッテさんは私たちの前に歩み寄り、リーンハルトさんの手を私から離そうと試みる。だが、男性の腕の力には敵わなかったのか失敗に終わった。


「シャルロッテさん……申し訳ありません。わざわざお越しいただく形になってしまって……」


「いいのよ。……それよりうちの兄がごめんなさいね。苦しいでしょう……。ラルフを連れて来ればよかったわ」


 確かにラルフさんならリーンハルトさんの腕を引き離すことが出来るかもしれないが、そのときのリーンハルトさんの表情を想像するとあまりに可哀想で私は首を横に振った。


「いいのです。倒れたのは私が悪いのですし……これでリーンハルトさんが安心してくださるのなら」


「レイラは優しすぎるのよ。兄さんはその優しさにどこまでもつけこむわよ? 食事を自分の手で摂れなくなってもいいの?」


「……それは少し困りますね」


「そうでしょう? ほら、兄さん。そのままレイラを抱きしめたままでいいから、レイラを寝室に運んで頂戴。私はもっと栄養のあるスープを作るわ」


 シャルロッテさんにきつめに言いつけられ、リーンハルトさんは渋々立ち上がる。私を抱きしめたままだというのに、ふらつく様子も見せないなんて細身の見かけによらず力があるらしい。


「兄さん、言っておくけど、ベッドで一緒に横になるのは駄目よ? 手を握るだけにしてよね」


「……レイラがベッドから落ちるかもしれない」


「あんな広いベッド、どうやって落ちるのよ! レイラは未婚のレディなのよ。あんまり失礼なことして、嫌われても知らないんだから」


「……レイラが傷つくよりはマシだ」


 私が倒れてからというもの、リーンハルトさんはどこかおかしい。いつも穏やかで紳士的なリーンハルトさんの、数百年の生の内に得た闇を垣間見た気がして僅かに身震いした。シャルロッテさんでさえ、自死を考えるほどに病んだ時期があったのだから、リーンハルトさんにも同様の時期があってもおかしくない。


 そしてその闇は、単に乗り越えられたというだけで、今もシャルロッテさんやリーンハルトさんから完全に消えたわけではないのだろう。普段は隠れていて見えないだけだ。


「……レイラ」


「はい」


「レイラ……」


「はい」


 ひたすら私の名前を呼び続けるリーンハルトさんの一言一言に返事を返しながら、私は小さく微笑んで見せた。その表情を見てなのか、リーンハルトさんの瞳に少しだけ光が戻る。


「レイラ、いなくならないでくれ……」


「私はここにおりますわ、リーンハルトさん」


 倒れたのは私の方なのに、いつの間にか私がリーンハルトさんを励ます立場になっていた。だが、不思議と不快ではないのは恋の力のせいなのかもしれない。リーンハルトさんは私の返事に僅かに安堵の色を見せると、ゆっくりと階段を上り始め、私の部屋まで導いてくれたのだった。

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