第14話
それから一時間ほど後のこと。
リーンハルトさんはベッドサイドの椅子に座ったまま、ベッドに上半身を伏せるようにして眠っていた。その傍でシャルロッテさんが腕を組んで、ふう、と溜息をつく。
「どうやら効き目が表れたみたいね」
「……リーンハルトさんに何かなさったのですか?」
先ほどシャルロッテさんが私にスープとお茶を運んできてくれた際に、リーンハルトさんはシャルロッテさんに言われて紅茶を飲んでいた。それまで眠そうな素振りなど一切見せなかったリーンハルトさんが、意識を失うようにして眠ってしまったのはその直後だ。
「ちょっと紅茶に催眠作用をね……。あの様子の兄さんに纏わりつかれていたら、レイラが全然休めないでしょう?」
実の兄の紅茶にさりげなく魔法をかけるとは、シャルロッテさんもなかなか強かな女性だ。感謝してよいのか分からず、私は曖昧な笑みを浮かべてシャルロッテさんを見上げる形になる。
「……リーンハルトさんは、かなりの心配性なのですね。日頃から気づいてはおりましたが、ここまでとは考えが及んでおりませんでした」
「普通そうよ。寝不足で倒れたくらいでこの世の終わりみたいな顔をされていたら、鬱陶しくてかなわないでしょう」
シャルロッテさんはリーンハルトさんと反対側のベッドサイドに椅子を運ぶと、再び溜息をつきながら腰を下ろした。
「ふふ、シャルロッテさんが体調を崩されたときなんかも大変そうですね。それとも、もう慣れてしまわれているでしょうか?」
「まさか、兄さんは私が熱を出してもこんな風にはならないわよ。……まあ、今もそうか分からないけれど、少なくともここ数百年は死ぬ心配なんて無かったわけだもの」
リーンハルトさんの過剰な心配は、私が呪いを受けていない普通の人間だからということにも由来するのだろうか。
……それとも、私があの姫君に似ているからこその心配なのかしら。
「……リーンハルトさんは、どなたか大切な方を亡くされておられるのですか?」
直球な質問だったが、この流れではそう不自然ではないだろう。姫君のことにまで触れる勇気はなかったが、もしも答えが是ならばそれはきっとあの姫君のことだ。
「……そうね、遠い昔にね」
シャルロッテさんは視線を泳がせながら、誤魔化すような笑みを浮かべた。
「ルウェインの血を受ける者は皆どこかのタイミングで精神を病むものだけれど……兄さんは長かったわ。あまり詳しいことは言えないけれど、ある大切な人を亡くした後はそれはもう酷かった……。下手に魔力が強いから、周りも苦労したのよ? 本当、困った兄さんだわ……」
そう言いながらも、リーンハルトさんを見つめるシャルロッテさんの目には憐れみと慈愛の色が満ちていた。なんだかんだ言っているが、兄妹仲は良いのだろう。
眠るリーンハルトさんの表情はどこか苦しそうで、眠っていてもなお私の手を離そうとはしなかった。無理矢理引き剥がすのも気が引けるのでこのままにしているが、本当はこうやって縋りたい相手は私ではなくあの姫君なのではないかとも思う。
「レイラには申し訳ないけれど、2、3日はこんな調子かもしれないわね。私もなるべく顔を出すようにするけれど、身の危険を感じたら殴るなり刺すなり好きにしていいからね」
「そ、そんな乱暴なことは……」
リーンハルトさんに拳や刃を向けることなんてとても考えられない。そもそも私にそんな技術は無かった。
「いいのよ。どうせまだどうしたって死ねないんだもの。レイラに迷惑をかけているのだからそのくらい問題ないわ」
シャルロッテさんは何でもないことのように言ってのけたが、どうにも悲しい響きのある言葉だった。死ねなくても、痛くないわけではないだろうに。それすらも厭わないような諦めがシャルロッテさんから感じられた。ラルフさんに出会い、呪いが解けたシャルロッテさんでさえそんな雰囲気を醸し出すのだから、リーンハルトさんも似たような考えを抱いているのだろう。
私は繋がれていない方の手で、リーンハルトさんの頭をそっと撫でた。思ったよりもずっと柔らかい黒髪が心地よくて、何度も指を絡めるように撫でてしまう。
「……兄さんが起きているときにそれやったら、きっと放してくれなくなるから気を付けて頂戴ね」
「それは大変ですね。心に留めておきます」
「……レイラが心の広い女の子で良かったわ。さっきのアレで嫌われていてもおかしくないのに」
シャルロッテさんは苦笑交じりに、本日何度目か分からない溜息をついた。さっきのあれ、とは私を毛布で包んで手ずから食事を与えていたあのことだろうか。確かに思い出すだけでかあっと顔が熱くなるのを感じるが、あれでリーンハルトさんを嫌いになどなるはずがない。
「……あんな風に私を心配してくださった方は、リーンハルトさんが初めてですから」
その心配が、私だけに向けられていたものだったならどんなに嬉しいだろう。ロケットを見つける前の私だったら、舞い上がるほどに喜んでいたかもしれない。
「レイラのご両親は厳しい方だったのね……」
「ええ、少なくとも私には。体調を崩したときには叱られこそすれ、心配されたことなどありませんでした」
馬に蹴られて2年間の眠りから醒めたあのとき以外は。
あのときの両親は、普段よりずっと優しく感じた。流石の両親も娘が死にかけていればあのくらい心配はするということなのだろうか。もしも馬に蹴られたのがローゼだったなら、この世の終わりというくらいに絶望するのだろうけれど。
「だから、確かに恥ずかしかったのですが、それ以上に嬉しかったのです。リーンハルトさんがあんなにも私を心配してくださったことが」
「ふーん? なかなかいい感じじゃない。レイラのことを義姉さんと呼ぶ日も近いかしら?」
にやり、と笑うシャルロッテさんに、私は弱々しく微笑んだ。
「それは……どうでしょう。私は、もしかすると――」
――リーンハルトさんの「運命の人」ではないかもしれませんから。
その言葉は、言えなかった。代わりに曖昧な笑みを浮かべて、改めてシャルロッテさんを見つめる。
「……スープ、ありがとうございました。とても美味しかったです」
「…… え、ええ。まだたくさんあるから、温めなおして食べてね」
突然の話題変換に戸惑った様子のシャルロッテさんだったが、それ以上の追及はしてこなかった。私は再び、眠るリーンハルトさんの髪を撫でながら、ぼんやりと、この複雑な想いの鎮め方を模索するのだった。
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