後編
「まあ、素敵です!」
ガブリエラさんに案内された先は、小さな雑貨店だった。仕立て屋の隣にあるだけあって、布地やリボンを使った小物が多く置かれている。恐らく、余った布地やリボンを利用して製作したものなのだろう。どれも温かみのある素敵な小物ばかりだった。
「レイラ嬢は刺繍が好きだから、こういったものも気に入るかと思ってな」
もちろんこの店のことも気に入ったが、何より私がいないときにも私のことを思い浮かべてくれたことが嬉しい。ガブリエラさんとはまだ出会って半年ほどしか経っていないが、こんなにも親しくなれるなんて思ってもみなかった。
「こちらのリボンなんて、とても素敵ですわ」
深い上品な赤の布地に、金糸で刺繍が入ったそのリボンは今日のガブリエラさんの服装にもぴったりだ。あまり派手ではないので、日常的にも使いやすいだろう。きっと、魔術師団の外套を羽織るときにもいいアクセントになるはずだ。
しかも、同じ作りのリボンが二つある。少し気恥ずかしいが、私はある決意をしてそのリボンの購入を決めた。
「二つも買うなんて、よほど気に入ったんだな」
店から出るなり、ガブリエラさんは満足そうに微笑んだ。友人の何気ない笑みを前に何だか緊張してしまうが、私は思い切って買ったばかりのリボンの一つをガブリエラさんに差し出す。
「あ、あの……小さいものですが、これ、今朝の茶葉のお礼に受け取ってくださいませんか。その、私とお揃いという形になってしまうのですけれど……」
人に直接贈り物を渡すという行為には、未だ慣れない。王国でもご令嬢たちとちょっとした物を贈り合うことはあったが、どれも使用人の手を介して行われたものであったからこれほどの緊張感は伴わなかった。
「これを、私に?」
ガブリエラさんはこの展開は予想していなかったようで、深い青色の瞳を見開いてしばし私を見つめていたが、やがて私の手からリボンを受け取ると不敵に笑ってみせる。
「ありがとう、とても嬉しいよ」
「……良かったです」
ほっと一安心してガブリエラさんを見上げてみれば、彼女は早速一つにまとめた髪にリボンを括りつけているようだった。鏡を見ることなく綺麗に結べるのだから、とても器用な人だ。
「どうだ?」
ガブリエラさんは長い髪をなびかせながら、つけたばかりのリボンを見せてくれた。予想通り、今日のガブリエラさんの服装にはぴったりだ。
「よくお似合いです、ガブリエラさん」
「ありがとう。レイラ嬢からこんなに素敵な贈り物をもらえるとはな」
そう言うなり、ガブリエラさんは私の背後に回り、私の手からもう一つのリボンを回収した。
「折角だから、レイラ嬢も結んでみてくれ。私と同じ髪型でいいか?」
「よ、宜しいのですか?」
「もちろん。痛かったらすぐに言ってくれよ」
そう言うなり、ガブリエラさんは手櫛で手早く私の髪をまとめると、高い位置で一つに束ね始めた。首元に夕暮れの風が吹きこんで何だかくすぐったい。
ガブリエラさんの髪型を真似してみたいとは常々思っていたのだが、十数年間自分で身支度を整える習慣が無かっただけに、未だに髪型に関しては上手く整えられないのだ。加えてリーンハルトさんが何気なく私の髪を梳く癖があることも踏まえると、無理に工夫しなくてもよいだろうと妥協してしまっていた。
とはいえ、一つに結い上げるこの結び方は家事をするときなどにも便利そうだ。今日ガブリエラさんに教わって、これから自分で結べるようになればいい。
「よし、出来た。とてもよく似合っているぞ」
ガブリエラさんの声に顔を上げれば、一束になった髪が揺れる気配がした。何だか新鮮で面白い。ゆっくりと顔を横に振ってみれば、視界の端に亜麻色の髪の毛先がちらつく。
「ありがとうございます、ガブリエラさん。私、この髪型に憧れていたのです」
「私に言ってくれれば、いつでも結んでやるぞ」
「ふふ、ガブリエラさんはお姉様みたいですわね」
「レイラ嬢のような妹がいれば、それは毎日楽しいだろうな」
同じ髪型でお揃いのリボンを揺らして笑い合うのは何だか気恥ずかしかったが、それ以上にガブリエラさんと仲良くなれた嬉しさが大きかった。どちらからともなくくすくすと笑い合う、くすぐったいような温かい感情で胸が満たされていた。
「さて、そろそろ良い時間だろう。魔術師団へ行こうか」
「はい、参りましょう」
ガブリエラさんにエスコートされるようにして、夕暮れの中に足を踏み出す。自分の足で好きな場所に行ける喜びを、存分に味わった一日だった。
魔術師団に到着すると、ちょうど今日の業務を終えた皆さんが本部から出てくるところだった。今日はお休みのはずのガブリエラさんがここにいることに、魔術師団の方々は多少驚いているようだったが、簡単な挨拶をして去って行く方が殆どだった。
「ハンスでも迎えに来たの?」
「馬鹿言え、誰があんな奴にわざわざ会いに来るんだ」
同僚の一人とそんな会話をしている傍で、当のハンスさんが通りかかり、苦々しい顔をする。
「えっと、何で俺、貶されてるの?」
色素の薄い灰色の瞳を細めながら、ハンスさんは私とガブリエラさんの前に姿を現した。私は軽く膝を折ってハンスさんに挨拶をする。
「ご無沙汰しております、ハンスさん」
「レイラ嬢まで! まさか俺に会いに来てくれた?」
冗談めかして私の顔を覗き込むハンスさんの頬をガブリエラさんが容赦なくつねる。つままれた皮膚が白くなっているからかなりの強さだろうと予想されるだけに、思わず私も自分の頬に触れてその痛みを思いやった。
「相変わらずの減らず口だな。レイラ嬢は師団長の婚約者だぞ? 口を慎め」
「わあ、冗談だよ、ガブリエラ。痛いから離してほしいな」
「このまま師団長に告げ口しようかと思っていたんだが……」
「あ、それは本当に怖いからやめて? 俺ら仲良しじゃん、ね? 幼馴染を売るような真似はしないよね? ね、ガブリエラ」
妙に真剣な声音で許しを請い始めたハンスさんと、それでも尚彼の頬をつねり続けるガブリエラさんの関係性がやはり微笑ましくて、失礼とは思いつつもふっと笑ってしまう。ガブリエラさんはそんな私を横目で見ると、小さく溜息をついてハンスさんから手を離した。
「レイラ嬢の前だからこのくらいで許してやろう」
「わあ、ありがとうレイラ嬢、ここにいてくれて」
解放されるなりハンスさんは私に手を差し出し握手を求めてきた。彼の纏う雰囲気はどこか独特で面白い。
「ふふ、ハンスさんのお役に立てたなら何よりです」
小さく笑みを零しながら、彼の握手に応える。ガブリエラさんはそんな私たちを見つめながら、どこか呆れたような溜息をついた。
「魔術師団の本部でレイラ嬢に気軽に触れるその勇気は褒め称えてやってもいいな……」
「え、急に怖いこと言うね? ガブリエラ」
「本部の中で、師団長の目が届いていない場所があると思っているのか?」
「思ってないよ」
「じゃあ話は早い。良かったな、師団長直々に引導を渡されて、もしかすると呪いが解ける前に死ねるかもしれないぞ。今夜は祝杯をあげよう」
ガブリエラさんの淡々とした物言いに、ハンスさんの顔色がさっと青ざめる。彼は慌てて私の手を離すと、代わりに肩を掴んで軽く揺らしてきた。
「ええっと、レイラ嬢、これ、ただの握手だからね? 師団長にそう弁明してくれるよね?」
「え、ええ。もちろんですわ」
ガブリエラさんとハンスさんの会話から察するに、ハンスさんが私と握手をしたことでリーンハルトさんの逆鱗に触れたと思っているようだが、リーンハルトさんがそんな独占欲を発揮するとは思えない。杞憂だと思いつつも、ハンスさんを宥めるようになるべくにこやかに微笑む。
だが、不意に背後から響いた声音の冷たさに、私の認識は間違っていたのかもしれないと思い知らされることになった。
「レイラに詰め寄って、何してるのかな? ハンス」
紛れもなく、その声はリーンハルトさんのものだった。思わず半身振り返って、リーンハルトさんの姿を目に収めれば、それだけで頬が緩んでしまう。
「リーンハルトさん!」
すぐさまリーンハルトさんの前に駆け寄れば、彼は相変わらず甘く微笑んで私の頬を軽く撫でた。
「ただいま、レイラ。こんなところで君を見かけることになるとは思ってなかったよ」
「ガブリエラさんと街を見て回ったので、その帰りに立ち寄らせていただいたのです。リーンハルトさんをお迎えに上がりました」
リーンハルトさんとの半日ぶりの再会を喜び合っている傍で、ハンスさんが大袈裟に怯えている姿が目に入る。あまりに可哀想で、ハンスさんの代わりに私が弁明することにした。
「……ハンスさんとは、お話していただけですわ」
「それにしては随分とハンスは鬼気迫った表情をしていたようだけど?」
リーンハルトさんは私越しにハンスさんを見やると、意味ありげに微笑んで見せる。甘いだけではない彼の笑みを見るのは久しぶりで、何だか私まで緊張してしまった。
「師団長、本当に誤解ですよ! レイラ嬢に久しぶりに会ったから少し調子に乗っただけで……」
「嫌だな、誤解も何も、別に怒ってないよ」
「その割には視線が痛いんですが……」
リーンハルトさんとハンスさんのやり取りを聞きながら、思わずくすくすと笑ってしまう。リーンハルトさんは意外に表情に出やすい方なのだろうか。二人きりの時は見られないリーンハルトさんの新たな一面を知ることが出来て、何だか嬉しくなってしまう。
「それはそうと、リーンハルトさん、見てくださいませ! ガブリエラさんに結って頂いたのですよ」
さりげなく話題の転換を試みて、私は結ってもらった亜麻色の髪の束を揺らしてみせた。リーンハルトさんはすぐに二人きりの時に見せる甘い笑みを浮かべると、一つに束ねた私の髪を手に取る。
「気づいてたよ。レイラはどんな髪型も似合うね、可愛い」
そんな甘い台詞を口にしたかと思えば、リーンハルトさんはそのまま私の髪に口付けた。まさかガブリエラさんとハンスさんの前でそこまで甘い行動を見せるとは思っていなかったので、途端に頬が熱くなる。
「……リーンハルトさんは気軽に私を褒めすぎです!」
「僕は事実を言っているまでだよ」
ようやく私の髪から手を離すと、代わりに私の背中に手を回しぐっと距離を縮めた。ガブリエラさんの手前、あまり腑抜けた姿は見せたくないのだが、リーンハルトさんに抵抗するのは力の面でも心理的にも無理がある。
「レイラを街に連れ出してくれてありがとう、ガブリエラ」
「レイラ嬢が楽しんでくれたなら、何よりです」
リーンハルトさんは私の肩を抱くようにしてガブリエラさんとハンスさんに向き合うと、ふっと優し気な笑みを浮かべた。
「これからもレイラをよろしく頼むよ。……ついでに、気軽に人の婚約者に触れる非常識な君の幼馴染を躾直しておいてくれると嬉しいけど」
「あ、やっぱり根に持ってるじゃないですか!! 俺はただレイラ嬢と握手をしただけ――」
「――承りました。私にお任せを」
反論を繰り返そうとするハンスさんの口を覆いながら、ガブリエラさんはにこりと微笑んで見せる。その距離の近さと遠慮のなさが、ガブリエラさんとハンスさんの絆の強さのような気がして、こんな状況下だが何だか微笑ましく思ってしまった。
「さて、帰ろうか、レイラ。あまり遅くなると冷えるからね」
「はい。……それでは、御機嫌よう、ガブリエラさん、ハンスさん」
菫色のワンピースを軽く摘まんで礼をすれば、ガブリエラさんはハンスさんの口を押さえたまま簡単に敬礼を返してくれる。随分長いこと口を押さえられているハンスさんだが、息がつまらないか心配だ。
「ああ、またな、レイラ嬢」
ガブリエラさんの爽やかな笑みとは対照的に、ハンスさんも何やら苦し気に声を上げていたが残念ながら言葉を聞き取ることは出来なかった。その姿に思わず苦笑いを零しながらも、リーンハルトさんに導かれるようにして二人の前から歩き出す。
「ハンスさん、大丈夫でしょうか?」
「問題ないと思うよ。ガブリエラもああ見えて、ハンスには甘いんだ」
「ふふ、幼馴染という関係には憧れてしまいます」
幼馴染に一番近い関係性の相手をあえて挙げるならばジェシカなのかもしれないが、年齢差もあって何だかしっくりこない。
「そうかなあ、幻の王都での幼馴染なんてそういいことばかりじゃないよ」
あの二人は特にね、と呟きながらリーンハルトさんは橙色に染まる空を見上げた。何か思うところがありそうな横顔だ。
「ガブリエラさんとハンスさんの間に何か問題があるのですか?」
「問題と言えば問題なのかもしれないけど……こればかりは僕の口からは言えないな。今度ガブリエラにでも聞いてみるといいよ」
それより、空が綺麗だ、とリーンハルトさんに促されて静かに沈んでいく夕日を見つめた。直に、リーンハルトさんの瞳の色と同じ紫紺の空が広がるだろう。
「……リーンハルトさんとお会いしてから、私、この時間がとっても好きになりました。この空を見ると、リーンハルトさんのことを思い出して安心できますもの」
肌寒い風の中、軽く手を擦り合わせながら何気なくそう呟くと、戸惑ったようなリーンハルトさんの紫紺の瞳と目が合った。だがそれも一瞬のことで、彼はふいと視線を逸らしてしまう。
「……それはとても嬉しいけど、レイラも結構不意打ちが多いよね」
リーンハルトさんの耳の端は確かに赤く染まっていて、この瞬間ばかりは恋の駆け引きに勝ったような気分になってしまう。そのまま私はリーンハルトさんの前の方へ回り込んで、そっとその表情を見上げた。
「ふふ、婚約して一か月が経とうかというのに、照れたお顔はなかなか見せてくださらないのですね」
「……照れてないよ、今更、このくらい……」
「その割には、お耳の端が赤くなっておりますわ」
「……大分冷え込んできたからね」
そう言いながらリーンハルトさんは魔術師団の外套を脱ぐと、そのまま私を包み込むように私の肩に羽織らせた。リーンハルトさんよりずっと背の低い私が着るとどうにも不格好な気がするが、それを気にする間もなく、リーンハルトさんの温もりを感じて思わず頬を緩めてしまう。
「温かいです、リーンハルトさん」
「それは良かった。一番上だけ留めてあげるよ」
そう言うなり、リーンハルトさんは外套に手を伸ばしたかと思うと、そのまま軽く屈みこんでそっと私の唇に口付けた。何の前触れもなく一瞬で唇を奪われ、理解が追い付かない。きっと、情けないくらいに腑抜けた表情をしてしまっているのだろう。
「……婚約して一か月が経つけど、レイラの照れた顔は何度見ても飽きないな」
そう、不敵に笑ってようやく私から離れたリーンハルトさんを前に、何も言い返す言葉が無い。口を開いても、声が出て来なくて結局黙り込んでしまう。
私のその様子を見て、リーンハルトさんは満足げな笑みを深める。夕暮れが照らす彼の表情は、妙に色気があって脈が早まるばかりだ。
やはり、リーンハルトさんには敵わないわ。
甘い敗北を確信しながら、恥ずかしさを誤魔化すようにリーンハルトさんの手を取る。これ以上、リーンハルトさんの笑みを直視していたら心臓に悪そうだ。
「か、帰りましょう! かなり冷え込んで参りましたもの」
「そうだね、帰ろうか」
くすくすと笑うリーンハルトさんの声を聞きながら、彼の手を引いてお屋敷へも道を歩き出す。夕暮れに長く伸びた二人分の影は、確かな幸福の証だった。
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