第2話

「アレンったら、またあのメイドと会ってたの?」


 モニカと会ったその日の午後、母上の予想通り、王城に押し掛けてきたシェリルと中庭でお茶をしていると、不意に彼女はそんな事を呟いた。


 綺麗に巻かれた輝くようなブロンドの髪に、碧色の瞳を持つシェリルは、今日も誰の目に見ても美しい姿をしている。贅沢なことに、僕は彼女の美しさにすっかり慣れてしまっているのだけれども、使用人たちが目を奪われている様を見ると改めてシェリルは綺麗な子なのだと思う。


「誰に聞いたんだい、シェリル」


 モニカと会っていたのは、こうしてシェリルと会う数時間前だ。僕を避けている使用人がわざわざシェリルに告げ口するだろうか。


「聞かなくても分かるわよ! あのメイドと会ったときのアレンは、とっても嬉しそうだもの」


「……そうかな」


 知らぬ間に、頬が緩んでいたりするのだろうか。思わずそっと顔に触れながら、ぼんやりと考える。僕の婚約者は僕のことをよく見ているようだ。


「些細な表情の変化にまで気付いてくれるなんて、嬉しいよ。シェリル」


「相変わらずの模範解答ね」


「駄目だった?」


「文句のつけようが無くて、却って苛々するわ」


 一応は一国の王太子である僕に向かってこんな物言いをするのはシェリルくらいなものだ。そんな彼女の気の強いところはとても好ましく思っていたし、時折言葉がきついだけで心優しい女の子だということもよく分かっている。


「君は、王太子妃になったらきっとみんなから好かれるだろうね」


 何気なくそう呟きながら、用意された紅茶に口をつける。今日も今日とて温度から茶葉の濃さまで完璧な一流の味だ。


「っ……そうかしら」


 シェリルは満更でもない様子で僕に向き直ると、用意されていた小さなクッキーを摘まんで口に入れた。


「モニカのことを気にしているのなら謝るよ。今日は、今度発表する論文の確認をしてもらっていたんだ」


「論文……?」


「そう、前に話した、声の代わりに使う手の合図のね。シェリルも読む?」


 ごく自然に聞いたつもりだが、シェリルは微妙な表情をしていた。彼女は勉強が苦手というわけではないはずなのだが、思えば好き好んで小難しい本を読んだりしているところは見たことが無い。


「いえ、遠慮しておくわ。読んだところで、私にはわからないもの」


「そうか、残念だな」


「……疑って悪かったわよ、そうね。あなたはそういう人よね……」


 シェリルは小さく溜息をついて、「ほんと、生真面目な人」と呟いた。言葉としては褒められているのだろうが、それにしては退屈そうな響きだ。


「ごめんごめん、シェリルの好きな話をしよう」


 僕だって、無闇に婚約者の機嫌を損ねたいわけではない。それに、婚約者である以前に彼女は大事な幼馴染なのだ。なるべく仲良くしていたい。

 

「……別に、いいわよ。あなたが楽しそうに論文の話をするの、嫌いじゃないわ」


「そう? でも退屈そうだったよ、シェリル」


「自分の心の狭さを反省してたのよ。私の感情にさえ疎いあなたが、婚約者以外に恋人を作るような器用な真似、出来るはずないもの」


「シェリルの感情には気づいているよ。僕のことが大好きだよね?」


「っ……別に、そんなことないわよ!」


 シェリルはほんの少し頬を赤らめると、それを隠すようにティーカップの紅茶を煽った。見ようによっては令嬢らしからぬ仕草だが、それだけシェリルが動揺している証かと思えば悪い気分ではない。


 早く、「僕もシェリルが好きだよ」と返せるようになればいいのだが。


 適当な言葉を繕ったところで、鋭いシェリルは勘付いてしまうだろう。彼女は、お世辞を望んでいるわけではないのだ。それは僕にも分かっていた。


 友情が恋に変わる瞬間はどんなものだろう。聞いてみようにも相応しい相手が思い浮かばない。そもそも友情も恋情もなさそうな両親に訊くのはあまりにも野暮だ。


 ……モニカならば、相談に乗ってくれるだろうか。


 不意に思いついたにしては名案な気がして、思わず僕は頬を緩めた。


 モニカは年上とは言ってもまだ若いので、酸いも甘いも嚙み分けた年というわけではないだろうが、少なくとも僕よりは色々な経験があるはずだ。あれだけ優しく純真な雰囲気を纏った彼女ならば、言い寄られた数も多いだろう。


 真面目なモニカのことだ。きっとこんな相談にも親身になって乗ってくれるに違いない。


 そう思い、僕はこのお茶会の後にもう一度モニカに会いに行く決心をしたのだった。





 シェリルが公爵家の馬車に乗り込むところまでしっかりと見届けて、遠ざかっていく彼女に小さく手を振る。三日と空けずにこうして顔を合わせているのに、別れ際のシェリルはいつだって少し寂しそうだ。僕と結婚すれば、彼女があんな表情をすることは無くなるのだろうか。


 そのあたりも聞いてみようか、などと考えながら僕はひとまず図書室に向かった。


 もう何年も一緒に読書をしているモニカだが、実は彼女のことについては知らないことの方が多い。服装からしてメイドだということがわかるくらいで、持ち場がどこなのかもよく分かっていない。


 ただ、薄々察しつつはあった。城に暮らしている僕と一度も鉢合わせない職場なんて、思いつく限りでは二つしかない。


 「月影の塔」と呼ばれる、城の西側にそびえたつ塔の管理をしているか、地下牢にまつわる仕事をしているかのどちらかだ。


 月影の塔。それは、表向きには王族が息抜きのために使う私室とされているが、その実は高貴な身分の罪人などを幽閉するための塔だった。時には、国王の愛人などが囲われることもあるという。


 近付いてはいけないと言われて育ってきたし、僕としても好きこのんで覗いてみたい場所ではなかった。誰かがいるのかどうかも知らされないのだから、なんだか不気味な塔だ。


 もっとも、父上が愛人を囲うなんていう俗っぽいことをしていたら、却って親近感が湧く話ではあるのだが。


 ……父上にも、囲いたいほど愛する誰かがいれば、あの冷たい表情の下の人間味を感じられるかもしれないのに。


 我ながら、あまりに非現実じみた想像をしてしまった。あの父上が、幽閉するほどに誰かを愛するなんて。天地がひっくり返ってもあり得そうにない冗談だ。


 図書室に足を踏み入れながら、僕は午前と同じように真っ直ぐに小さな閲覧室を目指した。日も傾き始めているせいか、図書室にはほとんど人影が無い。静かな空間に自身の足音が響き渡るのを聞きながら、そっと閲覧室を覗いてみた。


 モニカがどのくらいこの場所で読書をしているのかは知らなかったが、やはり、もうここにはいないようだ。残念だが、次に会ったときにでも聞いてみようか。そう思い、踵を返そうとしたとき、ふと、モニカが座っていた場所に古びた革の手帳が残されているのが目についた。


 思わず近寄って観察してみれば、モニカが筆談用に持ち歩いている手帳だとすぐにわかった。いくら仕事仲間と手の合図を使い始めたとはいえ、これが無ければ不便だろう。


 そっと手を伸ばして手帳に触れるも、思ったよりも滑らかな革のせいで手を滑らせてしまった。鈍い音を立てて、手帳が床に落ちて行く。


 モニカの大切な手帳なのに、申し訳ないことをしてしまった。慌てて屈みこみながら手帳に手を伸ばし、なるべく中身を見ないように閉じようとする。だが、手帳からはみ出したあるものに目を奪われて、思わず手を止めてしまった。


 それは、女性が髪に着けるような、繊細なレースがあしらわれた一本のリボンだった。それだけなら、モニカもこういうものをつけることもあるのか、という感想で済んだかもしれない。


 だが、僕の心を惑わせたのはその色だった。


 そう、それはこの城の禁忌の一つ、菫色のリボンだったのだ。いや、身に着けているわけではないのだから、正確に言えば禁忌に触れているとは言えないのだろうが、普通の使用人ならば菫色は持つのも嫌がる。上の者に見つかれば間違いなく叱責されるはずであるから、わざわざ持ち歩くような使用人はいないはずだった。


 菫色は、父上に近い立場にあれば貴族でさえも避ける色だ。特に、シェリルの生家であるエイムズ公爵家はそれが顕著だ。公爵でさえもその理由は教えてくれず、とにかく父上の目に着くところに菫色を持ち出してはいけないと繰り返されただけだった。


 そんな菫色を、どうしてモニカが持ち歩いているのだろう。しかも大切にしている手帳にわざわざ挟んで保管するなんて。真面目なモニカが中途半端な動機でこのような真似をするとはどうしても思えなかった。


 ひとまず菫色のリボンを手帳に収めようと革表紙を開くと、今度は紫色の押し花の栞が挟められていて再び手を止めてしまう。他人の私物をまじまじと見つめるのは気が引けるが、どうしても目を離せなかった。


 この花は、アネモネの花じゃないのか。この城の禁忌とされている花だから、僕は実物を見たことがないのだけれども、図鑑で確認したことはある。丸い花弁が可愛らしい、可憐な花だった。


 当然、この栞だって菫色のリボンと同じく禁忌だ。持っていて褒められるような代物じゃない。


「……どうしてなんだ、モニカ」


 そっと栞とリボンをなぞり、彼女の陽だまりのような笑顔を思い返した。真面目な彼女は進んで規則を破るような人ではないのに。


 それほどに、彼女にとって思い入れのある品なのだろうか。この城の禁忌に触れることを厭わないほどに、大切にしたい宝物なのだろうか。


 知りたい、と思ってしまった。モニカに関わることだからというのはもちろんのこと、僕がこの十五年間探っていたこの城の禁忌にまつわる秘密が少なからず関わっていると直感したからだ。


 アネモネの花、菫色、亜麻色の髪と瞳。僕はこの3つを全く関連の無いものとして捉えていたが、モニカが菫色のリボンとアネモネの栞を持っていることからしても、この3つの事項には何か関わりがあるのかもしれない。


 持ち前の好奇心が疼いて、いてもたってもいられなかった。僕はモニカの手帳にきっちりとリボンと栞を挟み込むと、手帳を片手に閲覧室を後にした。


 本来の目的であったはずの恋愛相談のことは、もうすっかり忘れていた。今はただ、このリボンと栞が気にかかって仕方がない。


 モニカは、教えてくれるだろうか。この城の禁忌にまつわる秘密を、モニカの抱いている想いを。


 少しだけ、緊張するな。モニカの手帳を握りしめ、一人小さく笑いを零すと、僕は図書室の管理人の元へモニカの行方を尋ねに行ったのだった。

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