第11話

「っ痛」


 刺繍針を指先に刺してしまった。真夜中を知らせる置時計の鐘の音に驚いたせいだ。急いで指先を作品から遠ざけながら、テーブルの上に置いてあった適当な白い布で指先を拭う。


王都へ赴いてから2週間ほど経った真夜中、私は黙々と刺繍に打ち込んでいた。


 随分、熱中してしまった。刺繍を始めると時間を忘れてしまう癖があるのだが、日付が変わるまで没頭したのは初めてのことだ。


 普段は、あまり遅くまで灯りがついているとリーンハルトさんが心配して私の部屋を覗きに来てくれるのだが、今夜は魔術師団のご友人の結婚祝いらしく、リーンハルトさんはまだ帰っておられない。遅くなるから待っていなくてもよいと言われたが、「お帰りなさい」を言えるものならば言いたいと思い、刺繍を始めたところこんな時間になってしまった。もしかすると、リーンハルトさんは私が刺繍に集中している間にもう帰ってきて、お部屋で休まれているかもしれない。


 ルウェインの呪いを知った今、ご友人が結婚するという言葉の重みは計り知れなかった。ようやく、ご友人が数百年の孤独から解き放たれるのだ。さぞ盛大にお祝いをなさるに違いない。一日ではとても足りないくらいだ。


 立ち上がり、軽く伸びをすると、ずっと座っていたせいか肩や背中が少し痛む。それに、喉もひどく乾いていた。


 こうして少し離れたところからついさっきまで作っていた刺繍作品を見下ろすと、全体像が把握できた。私の刺繍作品の中でも五本の指に入る出来ではないだろうかと頬を緩める。

 

 このところずっと、私はリーンハルトさんとシャルロッテさんへの贈り物を製作していた。使う糸はもちろん、この間王都で買った紫紺の糸だ。シャルロッテさんのお店に出す刺繍小物も合間に作っているのだが、ここ2週間ほどの主役は贈り物の方だ。


 シャルロッテさんにはレースで編んだコースターに紫色の紫陽花を刺繍したものを、リーンハルトさんにはルウェインの家紋を刺繍した小さな飾り布をを贈ろうと考えているのだが、これがなかなか曲者だった。今回はデザインにこそ悩まなかったが、紫陽花もルウェインの家紋もなかなかに複雑で、刺繍するのにかなりの時間がかかっている。その分、見栄えはかなり良いものが出来つつあると自負しているのだが。


 喜んで下さったら嬉しいのだけれど。


 二つとも、あと一息で完成といったところだろうか。お二人に同じ日に渡したかったので、二つともほぼ9割方完成している。指先を刺してしまったので、今夜はもう中断することにするが、もしかすると明日中には完成するかもしれない。


 完成させるのが自分でも楽しみだ。丁寧に頑張った作業なだけにそう思えるのだろう。私は心地よい疲労を感じながら、喉の渇きを潤すためにキッチンへと向かった。





 キッチンでガラスのコップに冷たい水を汲み、一気に飲み干す。公爵令嬢としては褒められた飲み方ではないが、喉の渇きを潤すにはちょうど良かった。


 ホットミルクでも淹れて、リビングで気分を落ち着けてから寝ようかしら。


そう考え、トレーの上に温かいミルクの入った容器と蜂蜜の瓶、それからティーカップとスプーンを乗せると、零さないよう細心の注意を払いながらリビングに向かった。


 薄暗いリビングには、人影はない。リーンハルトさんはまだ帰っていないのかしらと思ったが、ソファーに置き去られた魔術師団の外套を見てリーンハルトさんの帰宅を知った。疲れていたのだろう。いつもはお部屋まで持っていく外套を忘れて行ってしまったようだ。


 私はテーブルの上にトレーを置くと、ソファーの前へ歩み寄り、リーンハルトさんの外套を手に取った。紺色の生地に金の糸で刺繍されたこの外套を見ると、いつからか安心感を覚えるようになっていた。滑らかな生地をそっと撫で、一人頬を緩めてしまう。


 王国アルタイルの王都に出かけてからというもの、私とリーンハルトさんとの距離は一層近くなっていた。はっきり言ってしまえば、まるで恋人同士のような関係に近い。実際、言葉で関係を表していないだけで、私たちの心の距離と親密度は恋人同士のそれだと言っていいのかもしれない。相変わらずリーンハルトさんに触れられるのは気恥ずかしくて、週に一回ぎゅっと抱きしめられるので精一杯だけれど、私はかつてないほどの幸福に包まれていた。


 こんな幸せをくれたリーンハルトさんの気持ちに早く応えたいのだが、私からどう切り出せばよいのか分からない。もしも今、出会った時のようにプロポーズされたら、きっと私は喜んで受け入れてしまうのに。


 だが、今のこの甘くどこかもどかしい関係も嫌いではなかった。焦る必要はない。せめて、私の体がもう少し元に戻ったら、きっと私から切り出そう。女性からのプロポーズなんて貴族社会では考えられないとお母様は仰っていたけれど、本当に心から愛する人の隣を希うのに性別など関係ないだろう。そんな些細なことはどうでもいいと思えるほどに、私はリーンハルトさんに惹かれていた。


 この外套は、皺にならないようどこかに掛けておいた方が良いだろう。私の部屋に持っていくというのも何だか妙な話であるし、もうお休みになられているであろうリーンハルトさんの部屋まで伺うのも申し訳ない。リビングに、どこか掛けられる場所があればよいのだが。


 そう思い辺りを見渡した瞬間、外套から何かが滑り落ちる感触があった。まずいと思って慌てて外套を抱きしめたときには、かしゃん、と乾いた音を立てて何かが床に落ちた後だった。さっと血の気が引くのが分かる。壊れ物だったらどうしよう。


 外套をいったんソファーに置いて、私は慌てて床に屈みこんだ。どうやら床に落ちたのは、錆びた金色のロケットのようだった。落ちた拍子に蓋が開いてしまったらしく、私は慌ててそれを拾い上げる。

 

 中身が見えてしまったのは、殆ど偶然だった。金の鎖に繋がれたロケットはかなりの年代物のようで、中には小さな姿絵が埋め込まれている。


 それは、銀色の髪をした女性の姿絵だった。多少色褪せているが、特徴をとらえるのには困らない。絵の中の女性は百年、いや、それ以上前に王国で流行ったとされるドレスを身に纏っていた。今の時代に生きる私から見てもそのドレスは贅の凝らされた一級品だと分かる。何より、女性の頭上に輝くティアラが、彼女が王族かそれに準ずるものだということを示していた。


 このティアラには見覚えがあった。確か、王国アルタイルの王女が身に着けるティアラだ。王太子妃教育の成果がこんなところでも発揮されるなんて。


 つまり、この女性は数百年前に存在したアルタイルの王女なのだろう。名前までは分からないが、銀色の髪も蒼色の瞳も、アルタイル王家の特徴をよく表している。


 しかし、何よりも私の気を引いたのは、女性の顔立ちだった。


 絵の中の姫君は、銀髪で蒼い瞳という違いはあれども、顔立ちは私にそっくりだった。それこそ、私が銀の髪に染めて、魔法で蒼い瞳に変えていたら瓜二つだ。


 でも、どうしてリーンハルトさんが昔の王女様の姿絵を持っているのかしら。


 凛とした面持ちをされているお姫様を好ましく思っていらっしゃったのだろうかと思いながらも、どこか違和感を覚える。リーンハルトさんは人を見た目で判断するような方でない上に、そもそも王国アルタイルの王女を崇める立場にもない。


 ということは、リーンハルトさんはこの女性に何か思い入れがあって今も姿絵を持ち歩いているということになるのだろう。リーンハルトさんは数百年を生きるルウェイン一族の末裔なのだから、このお姫様が生きておられる時に交流があっても不思議はないのだけれど、こんなに長い間、姿絵を大切にするような親しい間柄だったのだろうか。


 ふっと、いつかのシャルロッテさんの言葉が蘇るとともに、嫌な予感が過る。


――不思議なことにね、私たちルウェインの一族は、『運命の人』に出会ったら一目見ただけで分かってしまうのよ。


 ロケットを持つ手が震える。このところの舞い上がっていた気分が、一気に、痛いほどに冷え込んでいくのが分かった。全て推測の域を出ないけれど、あまりにも辻褄の合う悪い予感に自然と肩が震えていた。


 私が恋するリーンハルトさんの「運命の人」は、実は私などではなく、この凛とした王女様だったのではなかろうか。


 何らかの事情で結ばれることは叶わず、リーンハルトさんの時は止まったまま、今も生き続けているということは考えられる。何より、この姫君に瓜二つな私を慈しんでくださることが、その推測を裏付けているようでならなかった。シャルロッテさんは何かの誤解で、私をリーンハルトさんの「運命の人」だと思い込んでしまっただけなのではないだろうか。


 リーンハルトさんは、私にこのお姫様の面影を見ているのかしら。


 心臓が、痛いくらいに脈打っている。何とか気分を落ち着かせようと、私は何度も深呼吸を繰り返した。一度悪い方向へ考え始めると、止まらなくなるのは私の悪い癖だ。


 考えても仕方が無いわ、全部、ただの推測じゃない。


 そう自分に言い聞かせ、私はそっとロケットを閉じるとすぐさま外套のポケットにしまい込んだ。嫌な動悸が止まらない。私は蜂蜜を入れることもなく冷めたミルクを飲み干すと、落ち着かない気分のまま自分の部屋へ駆け込み、ベッドへもぐり込んだのだった。

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