第20話(ルイス視点)

 結婚式を挙げた。


 ずっと好きだった女性ひとの妹と。


 



 

 神に愛され、御伽噺の魔術師たちが作り上げた王国アルタイルの第一王子として僕、ルイス・アルタイルは生まれた。アルタイル王家の象徴である銀色の髪と蒼色の瞳という形質を色濃く表した厳格な父と、正妃である美しい母から生まれた僕の生まれには一点の汚点もなかった。


 そして「王家の直系子孫は必ず銀髪蒼瞳を持つ」という迷信じみた、それでいて一度の例外も無い法則から外れることなく、僕もまた銀髪で蒼色の目を持っていた。顔立ちこそは母に似ていると言われることが多いが、髪の色や蒼色の瞳は父にそっくりで、自らに流れる王家の血を実感したものだ。


 そう、僕は誰がどう見たって正当な王の子だった。兄弟もいないため、次の国王となることは生まれたときから決まっていたと言ってもいい。


 そのため、大きな権力争いに巻き込まれることもなく、次代の国王として実に穏やかな暮らしをしていたと思う。質の良い衣服、一流の料理、高度で不足の無い教育、どれをとっても何一つ不満はなかった。自分の将来が既に決められていることに、子どもらしく反発したような覚えすらもない。


 国王夫妻という国内最高峰の肩書を持つ両親である以上、両親と交流できる機会は少なかったが、それでも大切にされていることは分かっていた。それに、両親に会えない物寂しさは高貴な家柄の友人たちや、気の置けない使用人たちが埋めてくれていたし、僕は精神面でも満たされていた。


 一見すれば華やかで、それでいて波一つたたぬ静まり返った水面のような日々を、僕はとても好ましく思っていた。



 だが、完璧に整えられ、満ち足りていた僕の心を乱す少女が現れることを、このときの僕はまだ知らない。




 異変が起こったのは、僕が12歳の誕生日を迎えた日のことだった。


 王城では盛大な舞踏会が開かれ、国中の貴族や近隣諸国から招かれた使者たちが華やかな光の下でくるくると踊り続けている。もう見慣れた光景だったが、退屈を感じるわけでもなく、むしろ今日も静寂を保った自分の心に満足していた。


 12歳になったということで、遂に僕にも婚約者があてがわれることになったようだ。聞けば相手は、創国以来王の右腕として忠誠を誓い続けて来た名門アシュベリー公爵家の令嬢らしい。王家からも度々王女などが嫁いでいるから、王家と親戚関係にあると言っても過言ではないほどの家柄だ。これまた誰にも文句のつけようのない肩書の令嬢を選んできたものだと、僕は内心ほくそ笑んだ。


 全て順調だ。僕は正当な王の後継者、高貴な家柄の令嬢を婚約者に迎えて、明日からも穏やかで満ち足りた日々が続いていく。そう、思っていたのに。


「ルイス、こちらがアシュベリー公爵家のご令嬢、レイラ・アシュベリー嬢だ」


 父に紹介された先で、まだ9歳だというのに完璧な礼を見せる小さな少女に、僕は一瞬で心を乱された。それは、殆ど衝撃と表現しても良かったと思う。

 

 この世界に、こんなにも美しいものがあったのか。


 亜麻色というのは、派手な容姿の多い貴族社会の中では地味に思われがちだが、静かな知性と凛とした意思を携えた少女の瞳は、思わず息を呑むほどに綺麗だった。瞳と同じ亜麻色の髪には艶があり、真っ直ぐな毛先が品の良さを醸し出している。何よりすっと通った目鼻立ちと、形の良い小さな唇で構成された顔は誰が見たって人形のように美しかった。

 

「お初にお目にかかります。アシュベリー公爵家の長女、レイラ・アシュベリーと申します」


 ああ、声までも美しいのか。

 

 社交界では、艶やかな声の女性の方がもてはやされているものだが、僕にとってはこの少女の声の方がずっと心地良かった。小鳥のさえずりを思わせる慎ましやかな、静かな美しさのある声だ。鈴の音に例えるのも申し訳なくなるほどに可憐だった。


 そんな中で、不意に大人たちの視線を感じて、彼らが僕の言葉を待っているのを察した。


 だが、この時の僕はまともじゃなかった。無理もない。平穏を保ち続けていた、波一つない穏やかな水面のような心に、突然白鳥が舞い降りたくらいの衝撃があったのだから。


「……ルイス・アルタイルだ。どうぞよろしく、レイラ嬢」


 自分でも驚くほどの無愛想な声に、失敗したという思いだけが募る。しくじったと思ったのはこれが初めてだ。普段はもう少し人当たりの良い話し方をするだけに、両親も僅かに驚いたような顔をして僕を見ている。


 レイラ嬢がこれで気分を悪くしたらどうしよう。そう思い横目でちらりと彼女の様子を窺ったが、レイラ嬢は不機嫌な素振り一つ見せず、にこりと可愛らしい笑みを浮かべていた。


 その笑みに、僕は殺された。


 完全敗北だ。抗いようもないほど完璧に、僕はこの可憐な少女に心を奪われてしまった。


 この日、僕は平穏を保ち続けていた心に別れを告げたのだ。





 それからというもの、僕の心はレイラに乱されてばかりだった。


 レイラはとにかく完璧だった。成長するにつれてますます美しくなっていく容姿に驕ることなく、教養もマナーも大人たちを唸らせるほどに身に着けて行く。そのひたむきさを、とても好ましく思った。努力を怠らない健気な姿を見ると、ますます惹かれていった。


 そんなレイラに相応しい人間になるために、僕も必死に勉学に打ち込んだものだ。義務としてこなしていた勉学も、レイラのことを思えば楽しくなった。淡々とした生活が、レイラの登場によって途端に刺激的で新鮮なものに変わっていったのだ。


 何よりレイラは人当たりもよく、大勢の人に慕われていた。もっとも、名門公爵家の令嬢であり王太子の婚約者というレイラの肩書に畏怖を抱いているのか、無闇に彼女に近付く者はいなかったが、レイラは貴族令嬢たちの憧れの的だったといってもいい。レイラが微笑めば、まるで女神様のようだと皆称賛したものだし、それはなかなか的確な言葉だと思った。レイラが王太子妃になった暁には、さぞかし人気者になることだろう。


 もちろん、そんな女神のようなレイラに邪な感情を抱く貴族子息たちも当然出てきて、僕は初めて苛立ちという感情を知ったものだ。多くの子息たちの間では、社交界の華と呼ばれるレイラの母君によく似た、レイラの妹君の方がもてはやされているようだったが、少し見る目のあるものは皆レイラを称賛していた。僕の友人たちも例外ではない。


「今日もレイラ様はお美しいな。ルイスが羨ましいよ」


 ある舞踏会の夜、父親に付き添われているレイラを見て、友人のアーロンが呟いた。


「あまりじろじろとレイラを見るな。不快だ」


 アーロンは、かなり本気でレイラに恋い焦がれているようだった。彼はエイムズ公爵家の名を背負っている事もあり、王太子である僕の婚約者を奪うような真似はしない賢明な男であったが、その瞳は確かにレイラに釘付けになっていた。


 僕が手を離せば、レイラはあっという間に他の男に奪われるのだろう。その予感が、ますますレイラへの想いを募らせていく。絶対に、僕から手を離すことなんてするものか。


 以前は何とも思わなかった舞踏会も、いつからか気に食わないと思う瞬間が増えていた。嫌でも、レイラが他の男と話をする場面を見せつけられるからだ。貞淑なレイラだから、会話の内容も挨拶の域を出ないあっさりとしたものだと分かっているのだが、それでも気に食わないものは気に食わない。


「いっそ閉じ込めておけば、安心するんだがな……」


 だが、レイラは王太子妃になる令嬢だ。僕以外の誰にも会わせないなんて不可能だろう。それに、レイラを閉じ込めるなんて非道な行いをして、彼女に嫌われるのは何よりも嫌だった。


 僕の独り言のような呟きを聞いていたのか、アーロンが若干引いたような目で僕を見てくる。王太子である僕にこんな真似をするのは、アーロンくらいだ。


「……相変わらずの執着ぶりだな、ルイス。その割にレイラ様の前では無愛想なんだから、可愛い奴だよ」


「煩いな……」


「なんでなんだ? レイラ様の前では冷静沈着な王子様も緊張して話せなくなるのか?」


「……限られた時間しか会えないのなら、レイラの声を聴いていた方がいい」


 そう、レイラと会える貴重な時間を、わざわざ聞き飽きた僕の声ばかりを発して潰す必要はない。それならば、レイラの小鳥のさえずりのような声を聞いていた方がずっとよかった。


 幸いにも、僕が時折相槌を打てばレイラは話を続けてくれる。彼女の可憐な声で紡がれる話は、どんなに他愛のない内容でも、まるで一冊の詩集のように味わい深く感じるのだ。


「ああ、はいはい。聞いた俺が悪かったよ……惚気やがって」


 アーロンは大げさに溜息をつきながら、羨ましいだの、お前には勿体ないだのと、公の場では不敬罪になりそうなことばかりぶつぶつと呟いていた。これもいつものことだ。


「でもなあ、そんな様子じゃ、レイラ様はお前の気持ちになんか気づかないぞ」


「時間はまだある。結婚してから気づかせていけばいい」


 レイラは必ず僕のものになる。焦る必要はない。彼女の可憐な声も綺麗な瞳も髪も何もかも全部、3年後には僕だけのものだ。その予定調和の甘い未来だけが、僕のこの恋心を制御している気がした。


「きゃっ」


 舞踏会の人混みの中、アーロンと喋りながら歩いていたせいか、左腕が誰かに当たってしまう。謝罪をしようと振り返ったところ、そこにはレイラの妹君のローゼ嬢が大きな目を見開いてこちらを見上げていた。


 ローゼ嬢は、白金の髪と青色の瞳が美しい令嬢だ。その華やかな美しさで貴族子息たちを魅了しているらしく、中には耳を疑うような噂もある。婚約者のいる貴族子息までも誑かしているようで、聞けば貴族令嬢たちの中ではあまり評判が良くないらしい。「あのレイラ様の妹君なのに」と言う台詞はよく聞く言葉だ。


 正直に言えば、僕はこの令嬢が苦手だった。やがて義理の妹になる人なのだから、なるべく親切にしようとは思っているが、出来ることならばあまり関わりたくないのが本音だ。


「すまない、ローゼ嬢。怪我はないか?」


「あ……ルイス殿下。少し、足をくじいてしまったみたいで……」

  

 それほど強くぶつかった記憶はないが、長いドレスの下に隠れている足の様子など分からないから信じるしかない。それに、潤んだ目をしたローゼ嬢をこのまま放っておくのも外聞が悪かった。


「それは大変だ。すまないことをした。アーロン、隣の休憩室まで連れて行ってやってくれないか」


 何で俺が、とでも言いたげな目で見られたが、第三者の目がある以上、大人しく従うことにしたようだ。アーロンもローゼ嬢が苦手なことは知っていたが、婚約者のいる僕が連れて行って妙な噂を立てられるよりは、婚約者のいないアーロンが連れて行った方がいい。


「分かったよ、ルイス……。ローゼ嬢、どうぞお手を」


「あ……いえ、あの、思ったほど痛みませんでしたわ。休まなくとも大丈夫です」


 ではごきげんよう、と逃げるように人混みの中にローゼ嬢は消えていく。アーロンはその後ろ姿を見つめながら、大きな溜息を付いた。


「……あれはお前目当てだな、ルイス。気をつけろよ……。レイラ様の妹君との妙な噂なんかたったら、女神のようなレイラ様だって愛想を尽かすぞ」


「……愛想を尽かしたって、レイラが僕のものであることに変わりはない」


 もちろん、レイラに愛想を尽かされるなんて考えたくもないし、それを回避するためならばなんだってするつもりだ。だが、どう足掻いたってレイラが僕から逃れられるわけがないのも事実なのだ。僕に愛想を尽かしたところで、レイラは僕の隣で生きていくしかない。


 そんなのはレイラがあまりにも憐れだと、この友人は言うのかもしれない。だとしても、その不憫さすらも愛おしいと思う程度には、僕の心の中はレイラで一杯だった。


 こんな幸福で甘い日々が、これからも延々と続いていくのだろう。そう、信じていた。


 信じていたのに。






 レイラが16歳になった初夏、僕はレイラを誘って王都の植物園に行くことになった。例の舞踏会の夜をきっかけに、妙に僕につきまとうようになったローゼ嬢から、レイラが植物園に行きたがっているという話を聞いたからだ。


 普段は鬱陶しい存在でしかないローゼ嬢だが、たまにレイラについての情報を流してくれることだけはありがたかった。やはり、家族でしか分からないこともある。レイラが植物園に行きたいとは思ってもみなかった。


 植物園というと、女性を連れていくには少々味気の無い場所のような気もするが、博識なレイラならば植物を見ているだけでも楽しめるのだろう。あるいは植物を観察して、彼女の好きな刺繍の参考にでもするのかもしれない。


 鬱陶しいと思われたら困ると思って、僕からはあまりレイラを誘って出かけることはしなかったが、今回ばかりは話が別だ。レイラ自身が植物園に行きたいと言っているのならばきっとレイラも喜んでくれるに違いない。

  

 普段は、王家と公爵家の暗黙の了解のもと用意された席でレイラに会うのだが、それもせいぜい月に一回程度のことだ。物足りないと感じているのが本音だった。


 本当はもっと、いや、毎日のように会いたい。あの可憐な声を、飽きるまで聴いてみたい。そう思い、レイラを誘おうと思ったことは数えきれないほどあったが、何とか理性で抑え込んだ。


 レイラにもレイラの事情があるはずだ。友人と交流を深めたり、読みたい本だってあるだろう。彼女は刺繍も好きだから、何か素晴らしい作品を作ろうとしているかもしれない。


 ただでさえ多忙な彼女は、自分の好きなことをする時間も少ないのだ。それを思いやらず僕の欲望だけを押し付けて会いに行ったら、レイラを困らせてしまうだろう。「女神様」の呼び名に違わず、どこまでも寛容で心優しいレイラならば、きっと可憐な微笑みを浮かべて受け入れてくれることは分かっているが、無理をさせたくなかった。


 それに、結婚式を挙げれば、この先ずっと僕の隣にいることになるのだ。もちろん結婚後も、出来る限り彼女の望みは叶えて行くつもりだが、今のように自由な時間はどうしても減ってしまうだろう。だからこそ、今だけは彼女の好きなように過ごしてほしかった。そう思えば、レイラに会いたい気持ちも、彼女が今日一日を楽しく過ごしてくれればいいという願いに変えて我慢することが出来た。


 実際、このくらいの距離感をレイラも好んでいるような素振りであったし、僕の選んだ道は正解だったのだと、彼女の微笑みを見て思った。この調子ならば、僕はきっとこの先も、レイラの笑顔を隣で見ることが出来るだろう。





 植物園に行くその日は、久しぶりのレイラとの外出が楽しみで、予定より少し早くアシュベリー公爵家についてしまった。馬車を留め、今日の予定を確認するなどして何とか時間をやり過ごし、約束の刻限ぴったりにレイラを迎えに行く。


 その日のレイラは清楚なクリーム色のドレスを着ており、相変わらずの可憐さに眩暈がした。


何より、僕が贈った髪飾りをつけていてくれたことが嬉しかった。レイラは僕が贈ったものを大切にしてくれているようだ。そのままそっと手を引けば、ほんの少し頬を赤らめて握り返してくれる。これらのことを総合して考えると、恐らく僕らの関係は良好な部類に入ると思われた。


 長年婚約者の関係を続けている僕らだが、実のところ恋人らしいことは何一つしたことが無い。こうして手を引くのはエスコートに過ぎないので、実質、手すら繋いだことも無いようなものだ。


欲を言えば、出来ればそろそろ口付けくらいはしたいところだが、もしもレイラが嫌がったら、と思うとどうしてもできない。いや、焦ることは無い。結婚式まであと3年もあるのだし、ゆっくり距離を詰めていけたらいい。


 そんな呑気な計画を立てていたそのとき、突然、馬車に繋がれているはずの白馬が暴れだした。そしてその光景を認識した直後には、暴走した白馬がレイラに迫っていたのだ。全ては、本当に一瞬のことだった。


「っレイラ!!」


 思わず叫んで彼女の手を引いたが、遅かった。馬の蹄が容赦なくレイラの頭に振り下ろされ、華奢な体が地面に投げ出される。


 赤い血が、彼女の額から流れ出していた。


「レイラっ、レイラっ!!」


 彼女の名前を何度も叫びながら、力の抜けた細い体を抱き起す。あれほど焦がれたレイラとの初めての抱擁は、こんなな形で迎えたいわけじゃなかったのに。

 

 見る見るうちにレイラの顔から血の気が失せていく。辛うじて息はしているようだったが、最悪の結末ばかりが頭を過った。暴走した馬に蹴られて命を落としたという使用人の話は何度も聞いたことがある。王都では、それなりに起こることだと。


 でも、まさか、レイラがこんなことになるなんて。

 

 大した信心もないのに、このときばかりは神様というやつに祈った。こんなに美しいレイラだから、神様とやらが傍に置きたがっているのかもしれないがそんなのは許さない。絶対に許さない。


 レイラは、僕の物なのだから。

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