第37話(リーンハルト視点)

「ちょっと兄さん! 自死を考えるなら屋敷を壊さない方法でお願いするわ!」


 階下から、シャルロッテの声が響き渡ってくる。たった今、小さな竜巻を起こして首を掻き斬ろうとしていたところだった。


 アメリアの死から、僕はあれ程馬鹿馬鹿しいと考えていた自死を試みる毎日を繰り返していた。いろいろ試してみたが、腕や足を完全に切断することは出来ないらしい。必ず一部分がくっついて、すぐに修復されるようになっているようだ。


 ばらばらになれば流石に死ねると思ったのだが、僕らに呪いをかけた魔物はそれすらお見通しらしい。やはり死なせてくれるはずが無かった。


「兄さん! 聞いてるの!!」


「……煩いな。そんなに言うならシャルロッテが殺してくれよ」


「無茶言わないで。誰が師団長候補の兄さんに魔法で勝てるのよ」


「抵抗しないから」


「嫌よ。どうせ死ねないんだからさっさと片付けてくれるかしら?」


 あれだけ病むに病んでいた妹は、僕と入れ替わるようにすっかり元気になってしまった。僕が屋敷をよく壊すから、仕方なく正気を保つことになったのかもしれないが、元気になればなったで煩いのが妹の悪いところだ。


「どうせまた壊すんだから別にいいよ」


「またそんなこと言って! お茶を淹れる練習しなくていいのかしら? 明日にでも、『運命の人』に出会えるかもしれないのに」


「そんなに早く生まれ変わらないよ、どうせ」


 あれから色々と調べてまわったが、アメリアの死の真相は、はっきりと分からなかった。アメリアは他の兄弟と唯一母親が違うと言っていたから、何かしらの醜い思惑があったことは否めない。出会ったあの日も、もしかするとアメリアは殺されかけていたのかもしれないと思うと、その危険性に気づけなかった自分の視野の狭さを呪うしかなかった。


 アメリアの死は、表向きには病死とされているようだった。一部の民の間では、王家の血が無闇に広がることを恐れた王家の手の者に殺されたという説が有力のようだが、多分、それも理由の一つに過ぎないのだろう。王家の思惑とアメリアの出自が絡んだ複雑な事情が彼女を殺したのだ。


 僕が甘かった。いざとなれば王国の人間くらいどうとでもなると高を括っていたのが悪かったのだ。僕の甘さがアメリアを殺したと言ってもいい。 


 僕は外套から金色のロケットを取り出して、中に埋め込まれたアメリアの肖像画を見つめた。これは王国アルタイルの王都をふらついていた時にたまたま見つけたもので、迷うことなく購入してしまった。美しいアメリアは民からも人気のある姫君だったようで、こういった肖像画が出回っているらしい。


 未練がましいと思われるかもしれないが、このくらいは許してほしかった。アメリアの顔を忘れることなんてありえないとは言っても、こういったものを一つくらい持っているほうが感傷に浸りやすい。

 

「ああ、もう、また絨毯に血が飛び散ってる!」


 シャルロッテは僕の足元にべったりとこびり付いて血染みを見て、大袈裟なくらいに嘆いた。この妹は、だんだん遠い記憶の中の母に似てきているような気がしてならない。


「お前の部屋じゃないんだからいいだろう」


「あのねえ、兄さん。もし明日運命の人に出会えるとして、そんな無気力な状態の兄さんと恋に落ちるかしら? 今の兄さんで魅力的なのは顔だけよ、顔だけ!」

 

 シャルロッテは、ずいっと距離を縮めると、僕を見上げて追い打ちをかける。


「いいの? 『運命の人』に嫌われちゃっても。そんな状態で『運命の人』の心を奪えるのかしら?」


思わず、アメリアに愛想を尽かされることを想像して顔が歪む。


「……嫌われる、のは辛いな……。死にたくなるじゃないか」


「死ぬためには『運命の人』に好かれなきゃいけないでしょ! はい! 決まり! 本を読んで人の心の動きに触れて、お茶を淹れる練習をして!」


 シャルロッテに引きずられるようにして、僕は部屋の外へ足を踏み出す。かなり鬱陶しい妹だったが、結果的に僕はこの妹の強引さに救われたのだった。







 それから、二百年ほどが過ぎたころ、遂にシャルロッテに「運命の人」が現れた。相手は大柄な商人の男で、シャルロッテによれば見かけによらず繊細な心の持ち主だそうだ。


 結婚式で純白のドレスを纏ったシャルロッテはそれはもう幸せそうで、体中を刺していた時期があったとは思えないほどの晴れやかな笑顔だった。僕もいつか、再び運命の人に出会えたらあんな笑顔で笑えるのだろうか。


 その翌年くらいには、シャルロッテは可愛らしい女の子を産んで、ますます幸福そうな顔をするようになった。呪いを継ぐだけだから、子どもなど要らないと言っていた時期もあったのに、随分な変わりようだ。好きな人との子供ならば、たとえ過酷な運命が待ち受けていると知っていても、育ててみたくなるものらしい。


 僕は、どうだろう。アメリアとの結婚話は急だったから、具体的な家族像を描く間もなく終わってしまった。でも、アメリアと結婚して、アメリアに似た子供に囲まれて暮らすのはきっと幸せだったに違いない。


 僕は魔術を込めたペンダントを作りながら、ぼんやりと叶わなかった過去を想った。いつからか師団長の仕事の傍ら、魔法具を作り出すことを副業にするようになり、魔法具を作っている間はこうして感傷に浸ることが多かった。


魔法具の実際の販売はシャルロッテに任せており、店はそれなりに繁盛していると思う。新しいことを始めるのは、それなりに楽しかった。


 でも、シャルロッテもあと数十年でいなくなってしまうのか。


 そう思うと何だか寂しく感じてしまう。鬱陶しいとばかり思っていた妹なのに、彼女はもう、僕を置いて時を進め始めている。既に歳の差は5歳まで開いていた。


 何万回と練習した紅茶を淹れながら、シャルロッテのいない未来を想像して怖くなってしまった。まったく、僕の方が兄なのに情けない話もあるものだ。


 でも、そう悲観することもないのかもしれない。シャルロッテがいなくなってもグレーテがいるのだから。きっと寂しくない。シャルロッテによく似たグレーテは、きっと鬱陶しいくらいに世話を焼いてくるだろう。


 僕は、取り残されてばかりだな、と紅茶を飲みながら自嘲気味な笑みを零した。こんな笑い方をできるようになったのも、ある意味アメリアのお陰だ。アメリアの死から長い時間が経って、かなり繊細な感情表現も出来るようになったと思う。これならば、再びアメリアの魂と巡り会っても、感情に疎いなどと言われないはずだ。


 紅茶を飲み終えると、僕は不足していたガラス器具を買いに王国アルタイルの王都へ赴くことにした。少し雲行きは怪しかったが、まあ、雨に降られるのも悪くない。


 




 必要なガラス器具を購入し、荷物になるので転移魔法で屋敷に送ってから、僕は久しぶりに街を散策することにした。たまに見ておかないと、店の種類なんかが変わってしまって不便なのだ。


 ぶらぶらと歩いていると、ふと、アメリアが亡くなった修道院の前まで来てしまった。今では観光名所になるくらい人気の修道院のようだ。二百年前にここで起こった悲劇など、微塵も感じさせない立派な外装をしばらくぼんやりと見上げてしまう。


 あのあと、アメリアの遺体はちゃんと埋葬されたのだろうか。身分を捨て修道女になったとはいえ、元王女だ。丁重に葬られたと信じたい。


「……アメリア」


 今も彼女の名前を呟くのは、あまりに未練がましいだろうか。こんなにも、長い長い時間が経っているというのに。



 


 そのままどのくらいの時間が経っただろう。感傷に浸るように修道院を眺めていると、やがて雨が降り始める。


 黒いコートに雨が染みて重たくなる。雨も降ってきたことだし、あと一店舗だけ確認したら帰ることにしよう。


 僕は修道院をもう一度だけ眺め、やがて雨道を歩き始めた。傘を持って来ればよかっただろうか。死ぬことは無くても、寒さは感じるのだから。

  

 小さな水たまりを避けながら歩いていると、ふと、どさりと何かが崩れ落ちる音がした。普段ならば特別気にも留めず通り過ぎるのだが、人気のないこの雨の中で何が落ちたのかと気になってしまう。本来曲がる予定に無かった角を曲がり、何かが崩れ落ちる音のした薄暗い路地に入る。


 そこには、淡いクリーム色の外套を纏った少女が座り込んでいた。三つ編みに編まれた長い亜麻色の髪からは水滴が滴り、何かに絶望したような顔をして地面をじっと見つめている。一見すれば惨めに見えるはずのその姿だが、滲み出る品の良さが彼女を誇り高く保っていた。


 ああ、この子だ。


 僕は瞬時に察してしまう。


 「運命の人」、アメリアの生まれ変わり。誰よりも綺麗な魂を持つ人だ。


 僕は数百年ぶりに胸が高鳴るのを感じて、一度だけ大きく深呼吸をした。


 落ち着け、アメリアのときは最悪に近い出会いをしてしまったのだ。今度こそは、失敗しないようにしなければ。


「死んだ方がマシなんて、ほんとは言いたくなかったわ……」


 独り言だろう。自嘲気味にそう呟いた少女に、そっと歩み寄る。この距離で心臓の高鳴りを悟られるはずなどないのに、何だか緊張してしまった。

 

「――それなら言わないでほしいな。雨に打たれてもこんなに気高い君に、そんな弱音は吐いてほしくない」


 少女はゆっくりと顔を上げる。その顔立ちは髪と瞳の色こそ違えど、アメリアに瓜二つだった。アメリアではないなんて、信じられないほどにそっくりだ。少女が静かに瞬きをしただけで、言いようもない感動を覚える。


 だが、アメリアとはまるで違うその亜麻色の瞳と目が合った瞬間、僕は、戸惑い、絶望、喜び、愛しさ、全ての感情を根こそぎ奪われた。


時が、止まったかのような衝撃だ。


 少女は、あまりに鮮烈だった。


 少女はアメリアの死の証であり、むしろアメリアと異なるその亜麻色を忌むべきなのに、そんなことはどうでもいいというくらいに僕の心は惑わされていた。


 その衝撃は、およそ言葉に表せない。どちらかと言えば生き生きとしたアメリアとは対照的に、儚げで消え入りそうな雰囲気を漂わせる少女なのに、穢れのない亜麻色の瞳には強い意思が宿っている。その妙な不均衡に、興味が湧いて仕方がない。この鮮烈な少女の心に触れてみたい、とそう思ってしまった。


 ああ、僕はきっとこの少女を好きになってしまう。アメリアではない、この少女を。


 それは、恐らく一人の人間としての直感だったのだと思う。一目で恋に落ちたというわけではないのだが、魂だとか見目だとか関係なく、まるで幻のように儚げなこの少女の存在そのものに強く惹かれて、頭がどうにかなりそうだ。


 彼女は、アメリアじゃないのに。たった一目でそれが分かったのになぜ、こんなにも心が動かされているんだ。


「……こんな姿になっても、私は気高く見えますか」


 茫然としている僕に向かって、少女はどこか皮肉めいた笑みを浮かべる。酷く傷ついている様子なのに、それでも惨めさの欠片も感じさせないのは彼女自身が気高い証だろう。何より、少女のそんな些細な表情の変化すら目に焼きついていくようで、直視するのが怖かった。


 違う、違う違う違う。こんなにも惹かれているのは、彼女がアメリアの生まれ変わりだからだ。彼女が僕の「運命の人」だからだ。そうでも思わなければ、僕はこの少女の前から逃げ出していたかもしれない。


 それくらい、彼女は衝撃的だった。怖いと思ってしまった。


 この少女は、僕が二百年間縋ってきたものを、きっといとも簡単に塗り替えてしまう。そんな予感が、痛いくらいに胸を締め付けていたのだ。


「それはもう、他のどの魂よりも気高く美しいよ。……ここはあまりにも寒い。こちらにおいで」


 敢えて魂だなんて言葉を持ち出すあたり、我ながらの言い訳がましさに一人笑ってしまう。これで怪しい人物だと思われて、逃げてくれるならその方がずっといい。このまま終わりを迎えずに、アメリアへの想いに縋って生きているほうが僕は幸せなんじゃないだろうか。


 そのくせ、少女に手を差し出してしまったあたり、僕は期待しているのかもしれない。この鮮烈な少女と、新たな日々を積み重ねていくことを、心のどこかで望んでいるのだ。我ながら矛盾だらけの心に、久しぶりに気が触れそうだった。


「ふふ、あなたは死神なのかしらね。喜んでついていくわ……。地獄だって、この世界よりはいくらか良いでしょう……?」


 アメリアとはまるで違う儚げなその笑みが、網膜に、脳に、焼きついて離れない。怖い、怖くて仕方ない。こんな調子では、僕はあっという間にこの少女に毒される。


 本当に僕が死神だったなら、どんなに良かっただろう。死神であれば、この場でこの少女の命を奪って、この戸惑いを無かったことにしてしまえたのだから。そうしたら、何も見なかった振りをして、明日からもアメリアへの想いだけを抱えて生きていけたのに。


 いや、いっそここで殺そうか。これ以上、アメリアへの想いがぶれる前に、脳内がこの少女の笑顔で一杯になる前に、消してしまおうか。終わりが来ないなんてもうどうでもいい。この上なく自分勝手で最低な理由で、彼女をここで殺してしまいたい。


 だが、少女はそんな僕の残虐な考えなど露知らぬ可憐な笑みを浮かべると、僕の手を取った。華奢な体は限界を迎えていたのか、そのまま意識を失ってしまう。


 ちょうどいい。このままここに放置しておくだけでも勝手に死んでくれるだろう。そうすればこの少女のことなどきれいさっぱり忘れて、明日からもアメリアへの想いだけに縋って生きていける。そう思い、そっと少女の手を離そうとした。


 でも、二人の手は離れなかったのだ。意識を失っても尚、僕の手を握るようにして、少女の手が僕に縋りついていたせいで。


 その姿に、先ほどまでは感じていなかった人としての一片の憐れみを覚えて、手が止まってしまう。振りほどくことは簡単なはずなのに、皮肉にも、アメリアが僕にくれた感情が僕を立ち止まらせたのだ。思わず自嘲気味な笑みが零れる。


 本当に厄介な代物だ、人の心というものは。


 自ら生み出した矛盾に、気が触れそうだ。久しぶりに心の中がぐちゃぐちゃになる。


「……アメリア、こんな感情は生まれて初めてだ。心がどうにかなりそうだよ」


 アメリアが亡くなった修道院の方を見つめ、ぽつりと呟く。心とは、こんなにも思い通りにならないのか。こんなにも長い間、君だけを想って生きていたのに、一瞬でこの少女に心を奪われようとしている僕はきっとどうかしている。自分がこんなにも薄情な人間だなんて思いたくない。


 苦々しい思いを噛みしめながら、僕は少女が纏っていた外套で彼女の体を包み込むようにして抱き上げると、葛藤を胸に秘めたまま、転移魔法で屋敷へと彼女を連れ帰ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る