第38話(リーンハルト視点)

「あら、おかえりなさい、兄さん」 


 たまたま屋敷の方に顔を出していたらしいシャルロッテは、僕が抱えている少女を見るなり顔色を変えた。何やら調理していたらしい手を止めて、慌てて僕の許へ駆け寄ってくる。


「っ兄さん、その子は……?」


「……運命の人だ」


 そう、運命の人。ルウェインの呪いで定められた「運命の人」であると同時に、心を惹かれてやまない不思議な人。


「まあ! やっと会えたのね!! 良かった、本当に良かった!!」


 目に涙を浮かべる勢いで感動している様子のシャルロッテは、ずい、と僕に詰め寄った。このぐちゃぐちゃな感情を、妹にどう説明すればよいのだろう。


「……好きになってしまいそうだ」


 この少女は、アメリアじゃないのに。


「え? 良かったじゃない! あ、でもまさか誘拐なんてしてないでしょうね……」


 訝し気に詰め寄ってくるシャルロッテに適当な笑みを浮かべる。誘拐どころか殺そうとしていたなんて言えるわけがない。


「……行き倒れているところを助けただけだ。着替えさせてあげてくれ」


「確かにずぶ濡れね……可哀想に」


 シャルロッテは少女の外套をそっと捲って、様子を窺っていた。


「そういうことなら私に任せて頂戴。すぐに着替えを用意するわ」



 

 その後、少女はシャルロッテの手によって着替えさせられ、ベッドに横になっていた。僕はベッドサイドにそっと腰を下ろし、眠る少女を見つめる。すやすやと眠る少女の顔は、憎々しいほど愛らしかった。長い睫毛までもが亜麻色なのには苛立ちを覚えてしまったが、目を瞑っていれば、まだアメリアを思い起こさせてくれる分、いくらか心は落ち着いている。


 アメリアの生まれ変わりに出会えたら、きっとアメリアへの恋心の延長で「運命の人」を愛せると思っていた。生まれ変わりなのだから、記憶こそなくてもアメリアにそっくりだろうと、勝手にそう思い込んでいた。


 でも、この少女は違う。顔立ちこそアメリアに似ているが、髪の色も眼差しも纏っている雰囲気も声も笑い方も話し方も香りも何もかもが違う。それなのに、どうしてこんなに僕の心を惹きつけるんだ。こんなの、アメリアに申し訳が立たない。


「……殺したいなあ」


 アメリアへの想いが霞むくらいなら、いらない。たとえ呪いを解いてくれる「運命の人」であったとしても。


 憎々しい亜麻色の髪を一房すくいながら、何も知らずすやすやと眠り続ける少女を見下ろす。


 僕のアメリアへの想いは、絶対だと思っていた。誰に出会おうが揺らがないと、たとえ神様とやらでも変えられないと、そう信じていた。


 それなのに、たった一瞬でこの少女に惑わされるなんて。


 認めたくない。僕は、この少女にアメリアを見たから惹かれているのだと思いたい。その方がずっと誠実じゃないか。二百年もアメリアを想ってきたのだから、これはきっと何かの間違いだ。


 そう、この子は、アメリアの生まれ変わりだから。


 だからこんなにも鮮やかなんだ。


 そう、殆ど暗示のようにして言い聞かせることで、少女の首に伸ばしかけた手を何とか抑える。


 この子は、アメリアの生まれ変わりに過ぎない。そう思い込めば、安心しきって眠る少女のこの顔も、純粋に可愛らしいと思える気がした。





 そのままぼんやりと少女の寝顔を眺めていると、シャルロッテが少女の着ていた外套の刺繍から少女の名前を教えてくれた。この鮮烈な少女の名前は、レイラというらしい。アメリアとは似ても似つかない響きだというのに、美しいと感じてしまう自分が嫌になった。


 それから一日ほどして、レイラは目を覚ました。目を覚ますと綺麗な亜麻色が嫌でも目に入って、余計に苦しくなる。いっそ、魔法で蒼い瞳に変えてしまいたい。僕の心の安寧のためだけに、そんな自分勝手な願いすら抱いた。


 レイラにここが幻の王都だと告げると、戸惑ったような表情で僕の顔を見上げていた。少し困っている顔もとても可愛くて、嫌いだ。どことなく弱々しさを感じさせる笑い方もまた、アメリアには無かったものだ。


 駄目だ、アメリアとの違いにばかり目を奪われていたら、本当に僕はこの少女に毒される。


 もっと、もっとちゃんと思い込まなければ。僕がこんなにもこの少女に惹かれているのは、少女にアメリアの面影を見ているからにすぎないのだと。この想いは、あくまでも、アメリアへの恋の延長線上にあるものなのだと。


 だから、アメリアに接するようにこの少女に接すればいい。もう既に、僕からこの少女の手を離すことが出来ないのは分かっていたから、心の安寧を保つにはそれしか手段が無かった。


「僕は、魔術師のリーンハルト・ルウェイン。レイラ嬢、僕はずっとあなたを探していた」


 僕は魔法で白百合の花束を取り出すと、レイラにそっと握らせる。レイラが白百合が好きかなんてどうでもいい。


 この子はアメリアの生まれ変わり、それに過ぎないのだから。愛しいアメリアとの恋の続きを、今から始めるのだ。そう、自分の心に言い聞かせるようにして、心憂い想いを搔き消すことに必死だった。


「レイラ嬢、どうか、僕の花嫁になっては頂けませんか」


 アメリアにはプロポーズらしいプロポーズなんてしたことが無かったから、次に会った時には真っ先にしようと決めていた。それなのに、どうして胸の奥がこんなにも痛んで締め付けるのだ。仄暗い感情が積み重なっていくばかりで、少しも幸福な気分ではなかった。


 レイラはただでさえ戸惑っていたというのに、一層困ったような表情で僕を見ていた。その表情を見て、余計に胸が苦しくなる。レイラにアメリアを見て行動することに決めたのは僕自身だというのに、僕を惹きつけてやまないレイラの困惑した表情に鋭い痛みを覚えてしまった。


 その後、シャルロッテがやってきてくれたことで、かなり救われたと思う。心優しいレイラは、レイラに対する僕の不誠実を笑って許してくれた。


 そう、それでいい。この先も、アメリアに対して誠実であろうとする僕のために、僕のレイラへの不誠実を許してくれ。レイラに最低な男だと思われてもいい。僕はそれでもアメリアへの想いを守り抜きたかった。



 そうしてその日から、僕にとっては苦しい、レイラとの共同生活が始まったのだ。



 名門公爵家の生粋の令嬢であるレイラは、当然、家事などには関わったことが無い。自分の身のまわりのことさえも、使用人の手を借りていたのだ、無理もない。


 そんな事情を察していただけに、僕もシャルロッテもレイラの世話をするつもりでいたのだが、レイラは「屋敷に置いていただいている以上、何かさせてくださいませんか」と言って家事を覚え始めた。とても真面目な性格なのだろう。一生懸命に洗濯や掃除に挑戦するレイラの姿に、僕は目を奪われてばかりいた。


 料理もしてみたいとのことだったので、キッチンを魔法が無くとも使えるような仕組みに改築した。お茶一つ自分の手で淹れたことのないレイラは、まずはシャルロッテのアドバイスをよく聞いて、調理工程を必死に覚えることにしたようだ。


 その健気な姿を見る度に、レイラを好ましく思う気持ちが強くなっていることを認めるわけにはいかなかった。アメリアを思わせない彼女の行動や性格を好きになってはいけないのだ。僕は、レイラにアメリアを見ることでようやく心の安寧を保てているのだから。


 我ながら、実に押しつけがましいこともした。レイラはアメリアの生まれ変わりなのだから、アメリアと同じように振舞って僕を安心させてほしい、と、そう言わんばかりに、僕はアメリアの好みをレイラに押し付けた。


 でも、それなのに、君は。


 ――分かってないわね、リーンハルト。このくらい甘いのと香り高い紅茶の組み合わせは最高なのよ!


「ふふ、折角ですが、私はいつもお砂糖は一つにしているのです。この方が、紅茶の香りを楽しめますから。お気遣いありがとうございます」


 違う。


 ――私、白百合が一番好き!


「白百合……ですか? ええ、華やかで綺麗なお花ですね」


 違う。


 ――リーンハルト!


「リーンハルトさん」


 違う。


 違う違う違う、違う。


 君は、何もかもがアメリアと違いすぎる。


 僕が心の安寧を保つためだけにかけた浅はかな暗示を、いとも簡単に解いてしまうくらいに、君はアメリアと違っていた。


 違っているのに、惹かれてやまないのだ。


「っ……アメリア……」


 レイラが屋敷に来て一か月が経ったある夜、僕はレイラが寝静まった後、金色のロケットの中のアメリアの絵に縋りつくようにして嗚咽を漏らした。ロケットを持つ手が震える。レイラにこんなにも心を奪われていることが、アメリアに申し訳なくて、罪悪感で心が壊れそうだ。涙がぽたぽたと床に伝っていく。


 ああ、この涙を教えてくれたのもアメリアなのに。人を好きになることを、愛を教えてくれたのもアメリアなのに。


 僕はそれを今、レイラに向けようとしているなんて。


 あまりに薄情な人間だ。二百年間もアメリアに縋っておきながら、こんなにも簡単にレイラを愛してしまったなんて信じたくない。僕はアメリアに対して誠実でいたい。


 いたい、のに。もう、もう僕は限界だ。


「兄さん、夜遅くに悪いわね。お店の魔法具のことでちょっと聞きたいことがあって――」

 

 部屋のドアを少しだけ開けていたせいか、シャルロッテはノックをすることなく入室してきたようだった。どうやら一目で僕の異変に気付いたらしく、慌てて傍に駆け寄ってくる。


「っ……どうしたのよ、兄さん」


「シャルロッテ……」


 ひどく困惑した様子のシャルロッテを横目で眺め、僕は再びロケットに目を落とした。


「……僕は、自分がこんなに薄情で不誠実な人間だったなんて知りたくなかった」

 

 掌の中のアメリアの絵を見つめながら、自分でも驚くほどの弱々しい声で嘆いた。シャルロッテは軽く息を飲むようにして僕の様子を窺っているようだったが、やがて僕の肩に手を乗せて、言い聞かせるように告げる。


「……兄さん、いいのよ。兄さんは、レイラのことを好きになってもいいの。レイラのことを好きになったら、アメリア姫を忘れなきゃいけないわけじゃないのよ」

 

 シャルロッテの言葉は、妹だとは思えぬほどの包容力に満ちていた。いや、年で言えばシャルロッテの方が既に5歳年上なのだが、それにしても安心感を与える声音だった。これが一児の母になった強さか、と思い知る。


「人の心は、0か1じゃなくていいの。兄さんの心の片隅に、アメリア姫だけの場所を取っておいてあげるのよ。そうやっていろんな人の場所を少しずつ増やしていくことで、きっと沢山の人を愛せるようになるのだわ」


 ぽたり、と涙が一粒零れ落ちた。シャルロッテの手が、僕の背中を軽くさする。


「アメリア姫に誠実であろうとするのは、素敵なことだわ。でも、レイラにアメリア姫を見て、何とか心を落ち着かせようとするのは、アメリア姫に誠実であることとは違う。兄さんも分かっているのでしょう?」


 流石はシャルロッテ。僕のその浅はかな暗示まで、とっくに見抜いていたのだ。


 そう、シャルロッテの言う通りだ。僕は最初から自分勝手だった。レイラを愛してしまった自分を認めたくなくて、アメリアへの想いが霞むのが嫌で逃げ出した結果がこれだ。結局、それは僕の心を余計に苦しめただけに過ぎなかった。


 レイラを、好きになってもいい。当然のように導き出されたシャルロッテのその言葉で、僕はもう、限界だった。視界が余計に歪んでいく。


 アメリア、愛している。この先もずっと、ずっと愛している。君を忘れることなんて絶対にない。


 でも、気づいてしまったんだ。レイラに出会ったことで、鮮烈なあの少女に巡り会ったことで、僕は知ってしまった。


 レイラこそが、僕の唯一なのだ、と。


 呪いに導かれたわけではなく、ただ純粋に心が選び出した唯一の人。酷く曖昧な表現だが、レイラは僕にとってそのくらい特別で強く惹かれる存在だった。


「っ……ごめん、アメリア……ごめん……っ」


 錆びた金色のロケットを額に押し当てて、絵の中の彼女に何度も何度も謝罪した。


 君は紛れもなく、僕にとっての初恋の人だった。愛を教えてくれた「運命の人」だった。


 忘れない、忘れないよ。どれだけレイラを愛しても、君のために空けた心の場所は絶対に誰にも譲らない。たとえ相手がレイラでも、絶対にだ。


 そして何より、君には感謝をしなければならない。君が僕に感情を教えてくれたから、僕は、レイラを愛することが出来たんだ。


「……アメリア、どうか……僕を見守っていてくれ」


 弱々しく絵の中のアメリアに微笑みかけ、僕はそっとロケットを閉じた。確かに胸は痛むのに、不思議と先ほどよりずっと心が軽く、そして想いが深くなったような気がする。 


「……ありがとう、シャルロッテ。お前が気付かせてくれたおかげだ」


「別にいいのよ、これくらい。少しはすっきりした?」


「ああ、多分……もう大丈夫だ」


 そう、僕はきっともう大丈夫だ。アメリアへの想いを心の片隅にしまい込み、明日からはきっと誠実にレイラを愛することが出来る。この一か月間の不誠実を挽回できるか分からないが、出来る限りのことをやるしかない。



 そうしてその翌日の午後、僕は初めてレイラ自身を見て、彼女を外出に誘ったのだった。


 数百年の間に飽きるほど訪れた花畑も、レイラと共に歩けば世界が変わったかのようだった。レイラを愛してもいいのだ、と自分の心を許せたことで、息苦しさが無くなったせいもあるのかもしれない。


 レイラは、大袈裟なくらいに花畑に感動していた。生粋の箱入り娘だったせいか、芝生の上に座るのも初めてだという。空を見上げたり花を見つめたりしてはしゃぐレイラを見るのは心が癒された。


 ふと、レイラが軽く身を乗り出して、白百合に触れる。今はレイラと白百合の組み合わせを見ると、自分の行ってきたレイラへの不誠実な行為を思い出してしまうので、正直に言えば複雑な気分だ。


「リーンハルトさん、白百合が咲いていますよ。お好きなのでしょう?」


 にこにこと純粋な笑みを浮かべるレイラが、眩しくて見ていられない。僕がレイラにアメリアの面影を押し付けていた間も、レイラは僕のことをずっと見ていてくれたのだ。僕が白百合ばかり持ち出すから、僕の好きな花だと思って好意で言ってくれているのだろう。思わず、ずきずきと心の底の傷を抉られるような痛みを覚えた。


「僕が……というよりは……」


 言えない。アメリアのことなんて、言えるはずもない。レイラの真っ直ぐな亜麻色の瞳をじっと見つめ返して、小さく微笑みかける。


「……レイラは、白百合は好きかい?」


 あれだけ押しつけてしまったのだ。せめて嫌いでなければいいのだが。


 レイラは僅かに戸惑ったような表情を見せたが、すぐに愛らしい可憐な笑みを浮かべる。


「そうですわね……好き、の部類に入ります。一番は、アネモネの花ですけれど」


 レイラは彼女の傍に咲いていた八重咲のアネモネの花に触れた。その光景は一枚の絵のように、鮮烈に目に焼きついていく。


 思えば、レイラの好きなものを知ったのはこれが初めてかもしれないな。今までアメリアの面影を押し付けていたのは僕なのだから当たり前なのだけれども、レイラの好きなものを知ることが出来てどうしようもなく心が躍った。


「そうか、レイラはアネモネが好きなんだね」


 自然と、笑みが零れる。小さくて可愛らしいアネモネは、確かにレイラにぴったりだ。レイラがアネモネを好むのなら、この花畑中の花をアネモネに変えてしまいたいくらいだ。


 その重いくらいの感動に、心の中で一人笑ってしまう。レイラを好きになってもいいのだ、と思った途端これか。これではレイラに毒されるのも時間の問題だ。あっという間に中毒になってしまいそうだ。


 でも、いい。中毒になってしまってもいい。これからは、レイラにこの想いを伝えるために、僕は全力を尽くそう。レイラの笑顔、鈴を転がすような声、可憐な振舞、照れるとすぐに頬を赤く染める反応、その全部に僕は恋をしているのだから。

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