第39話(リーンハルト視点)

 僕は、レイラに惹かれている。それを認めてしまったのならもう、次に気にかかるのはレイラの気持ちだった。 


 レイラは、なかなか過酷な環境で育った令嬢のようだったから、家や両親に深い思い入れがある様子は見受けられない。しかし、故郷が恋しくなることもあるだろう。もしもレイラが帰りたいと言ったときには、その望みを叶えるつもりでいた。レイラを、幻の王都に縛りつけたくはない。会いたければ、僕から会いに行けばいいのだから。


 正直、その発想には自分自身驚いたものだ。レイラが好きなのだから、手元に置いて大切に大切に守り抜きたいと思う気持ちも確かにあるはずなのに、それ以上にレイラの幸せを願う気持ちが強かった。自由を求めて逃げ出した彼女が、僕に囚われていてはあまりに可哀想だと思ったのだ。


 それに、僕にとってレイラが唯一の人でも、レイラにとってそうだとは限らない。レイラを愛していると自覚したからと言って、これ以上レイラを傷つけてまで彼女の愛を得るのは、多分、身勝手だ。


 レイラはもう充分、傷つきながら生きているのだ。そんなレイラの心を踏みにじってしまった一か月間のことは呪わずにはいられないが、この先はきっと彼女の心を守り抜こう。そう、心に決めていた。


 だからこそ、レイラと王国の王都へ出掛けたときに、レイラの元婚約者とレイラの妹君の肖像画を見てしまったときは、失敗したと思った。


 人混みの中で、真っ直ぐな瞳で肖像画を見上げるレイラが心配で仕方がない。詳しい話を聞いたわけではないが、王太子と妹君の婚約にショックを受けたということは、レイラは王太子のことを好ましく思っていたのだろう。レイラにとって、初恋の人と言ってもいい相手だ。そんな初恋の人が自身の妹と結婚したという知らせは、以前から知っていたこととはいえ、やはり酷なのではないだろうか。


「……ごめん、レイラ。早く離れよう」


 レイラが悲しむ顔は見たくない。酷な現実をわざわざ見せつける必要はないのだ。王太子の結婚式が行われただなんて、少し調べればすぐにわかることだったのに。僕は、情報収集してこなかった自分の準備不足を心の中で激しく後悔した。


「お気遣いなく、私は大丈夫ですから」


「でも……」


 レイラはくすりと笑いながら僕を見つめる。可憐な笑顔は大好きだが、本当に心から笑っているのかと不安になるのも事実だった。


 無理を、させてはいないだろうか。あんな不誠実な求婚をした僕を前に、妙に気を遣っていたりしないだろうか。


「強がりでも何でもなく……今はローゼと殿下が結ばれて、二人とも幸せならばこれで良かったと思えるのです。それに、ローゼはもうすぐ殿下の御子を産むのですよ。王国アルタイルの一国民として、何だかとても楽しみです」


 そう言って笑ったレイラの表情に嘘があるとは思えなくて、僕はまじまじとレイラを見つめてしまった。


「レイラは……本当に強い人だ」


 本当に、可憐で儚げな見た目に反してとても芯の強い人だ。過酷な環境で強くなることを余儀なくされたのかもしれないが、その精神力は見事としか言いようがない。よくここまで真っ直ぐに、歪みなく成長したものだ。


 王家は惜しい人を逃したな、などと思わず皮肉気なことを思ってしまう。何事もなくレイラが王太子に嫁いでいれば、さぞ優秀で人気のある王太子妃になっただろうに。


「そんなことありませんわ。半ば自棄になって家出を試みたくらいですし。……でも、今思えば公爵家を出るという決断は、私の人生で最良の選択だったのかもしれません。こうして、リーンハルトさんにお会いできたのですから」


 レイラは可憐な笑みでさらりと言ってのけたかと思えば、言葉の意味に気づいたのか一気に頬を赤く染めた。その反応に、こちらまで脈が速くなる。


 僕に会えたから、家を出てよかったと思えるなんて。レイラがそんな可愛らしいことを思ってくれていると知って、舞い上がってしまいそうだ。僕の心を奪った張本人にそんなことを言われて、嬉しくないはずが無い。


「……っ、レイラの方がよっぽどずるいじゃないか。そんな不意打ちは反則だよ」


 思わず、そっとレイラを抱きしめてしまう。半ば強引にレイラを連れてきたという背景がある以上、無闇にレイラに触れるのは躊躇われたのだが、今は我慢できなかった。ふわりと漂ったレイラの甘い香りに酔ってしまいそうだ。


 レイラはどこまでも魅力的だ。一緒に過ごせば過ごすほど、愛おしくなってたまらない。このまま際限なく、レイラにのめり込んでしまいそうだ。


 恋って怖いな、本当に。人を狂わせるには充分だ。僕はかつてない幸福を味わいながら、レイラへの想いをまた一つ募らせていったのだった。


 



 それから2週間ほどが経ったある日、レイラが倒れた。それも、僕の目の前で。


 完全に意識を失うほどではなかったが、明らかに青白いレイラの顔色を見ただけでぞっとする。


 怖い。ただ、その一言に尽きた。人は存外あっけなく死ぬのだ。こんなに可憐なレイラならば、目を離せばあっという間に死神に連れ去られてしまうに違いない。そう思うと怖くて怖くてたまらなかった。


 レイラが、レイラが死んでしまったらどうしよう。倒れたレイラの細い体を抱きしめながら、ただただその恐怖に耐えた。


 一度は、アメリアのために殺してしまいたいと思った相手でもあるのに、今はその殺意の欠片も思い出せない。本当に身勝手な心だ、でも、それくらい、レイラは僕にとってかけがえのない人になっていた。


 もしもレイラが、死んでしまったら。そんなの、想像しただけで無理だ。今度こそ僕は壊れる。いくら魂は巡るのだとしても、レイラはもう二度と現れないのだ。今の僕には、レイラの後を追うことさえも許されない。それを僕がどれだけ恐れているか、レイラは分かっていないんだろう。


「お願いだ、いなくならないでくれ。僕を置いて行かないでくれ……」


 思わず涙ぐんでレイラに縋りつく。レイラは戸惑ったように僕を見ていたが、それでもレイラから離れられなかった。駄目だ、レイラの温もりに触れていないと安心できない。レイラに鬱陶しいと思われるかもしれないと思ったが、それでもレイラを抱きしめる手を緩めることは出来なかった。


 その出来事を受けて、僕はレイラに魔力を込めたペンダントを贈ることにした。ペンダントに使用したのは、本来は結婚相手に贈る伝統的な石で、10日間月光に当てることで輝きを増す幻想的な代物だ。魔法を付与しておくにはうってつけの石なので、これが一番適切だろう。レイラが倒れたり、命の危機に晒されたときにはすぐにわかるように魔法を仕掛けておく。


 本当は四六時中見守っていれば安心なのだが、レイラの自由を奪いたいわけではない。自分の安心のために、レイラを傷つけるなんて真似はもう二度としたくなかった。だからこそ、ペンダントを贈ることにしたのだ。


 レイラは、愛くるしい笑顔でペンダントを受け取ってくれた。その笑顔の可憐さと言ったら言葉に表しようがない。この笑顔を守るためならば、僕は本当に何でもできてしまいそうな気がした。





 それからというもの、自惚れているだけかもしれないが、僕らは実に上手くやっていたと思う。レイラも少しずつ僕に心を許してくれるようになったし、関係性を言葉に表していないだけで、恋人同士と言っても過言ではないような甘い日々を送っていた。


 そんな毎日があまりにも楽しくて、僕は無意識の内にルウェインの呪いのことやアメリアのことを話すのを避けていた。いつかは話さなければならないことだと分かっていたのだが、レイラがどんな反応をするかと思うとなかなか言い出せないのが本音だった。


 特に、アメリアのことについては余計に言いづらい。今現在、僕の恋人のような立場にあるレイラに、以前の恋人の話を持ち出すのは気が引けてしまう。加えて、レイラと出会って初めの一か月間は、レイラにアメリアの面影を押し付けていたなんて尚更言いづらい。裏を返せば、それくらい最初から、僕の中でレイラとアメリアは別の人間であったということなのだが、どう説明しても言い訳にしかならない気がしてならなかった。


 だが、結果として、その躊躇は事態を悪化させただけだった。レイラは、ハイノからアメリアのことを聞いてしまったのだ。油断していた僕も悪かったと思う。

 

 ハイノがレイラを見て、アメリアの名を口に出さない訳が無かったのだ。何せレイラとアメリアは、髪と瞳の色こそ違えど見た目は本当にそっくりなのだから。僕が禁術を使うことをあれだけ必死に止めたハイノだから、僕がアメリアの墓を暴いて禁術を使う、最悪の事態を予想したのかもしれない。


 アメリアのことを聞いたレイラは、いつになく気が昂っていた。なるべく慎重に言葉を選んで話を進めて行けば、どうやらレイラはルウェインの呪いのことは知っていたようで、レイラが呪いのことを受け入れた上で僕の傍にいてくれたことにほっとした。


 だが、レイラがアメリアの生まれ変わりだと告げると、それまで整然と進んでいた話の流れが一変する。


 レイラは、大粒の涙を流しながら、綺麗な心を持つ彼女には似合わぬ自嘲気味な笑みを浮かべたのだ。


「そうだったんですね……今までの優しさも、愛も、何もかも全部……私がアメリア姫の生まれ変わりだから……」


 一瞬、何を言われているのか分からなかった。僕は、レイラをアメリアの生まれ変わりとしてではなく、レイラとして見てしまったから、あれ程苦しんでいたというのに。アメリアへの罪悪感に身を焼かれながらも、それでもなおレイラに惹かれ続けたから、今こうしてレイラに愛を囁いているというのに。


 もっとも、レイラがそんな僕の醜い感情を知るはずもない。レイラがショックを受けるのも無理はなかった。多分、僕の言葉の選び方も悪かったのだろう。そう思い、僕はすぐさま口を開いた。


「っレイラ! それは違う、確かに言葉が悪かったかもしれないけど――」


「――何が違うのです? 私は……所詮、あなたの『運命の人』の魂の繰り返しの一部に過ぎない。私が死ねば、また次を待てばいいのでしょう? リーンハルトさんにとって、私が私でなければならぬ理由など、どこにも無いではありませんか!」


 何を、言っているのだ。僕はもうレイラがいないと生きていけないくらいに、レイラに夢中になっているのに。僕にとってはレイラでなければいけないのに。


 レイラの顔立ちは確かに好きだけれど、それはアメリアと似ているからじゃない。レイラの顔だと思うから好きだった。その鈴を転がすような声も、可憐な仕草も、照れた微笑みも全部全部、レイラのものだと思うから愛おしかった。僕にとっては、レイラがレイラでなければならない理由だらけだ。


 共に過ごしているうちに、それは少しでもレイラに伝わっているものだと思っていた。だが、どうやら僕の思い違いだったようだ。レイラがこんなにも取り乱す姿は初めて見る。


 きっと、言葉が足りなかったのだ。もっとちゃんと、レイラへの愛を伝えるべきだった。アメリアのことを話しただけで、こんなにもレイラを不安定にしてしまった自分の不甲斐なさに嫌気が差す。


「レイラ、それは違う、違うよ……」


 何から、話すべきだろう。その迷いのせいか、上手い否定の言葉が出て来ない。案の定、レイラは納得しなかったようで、睨むような鋭い眼差しで僕を見下ろしてきた。当然の反応だ。


「では、私に求婚したあのときに白百合を渡したのは? きっと、アメリア姫が白百合を好んでいらっしゃったからでしょう? 私に初めて用意してくださった紅茶のお砂糖の数も、アップルパイがお好きなのも、全部アメリア姫を思い出してのことではないのですか? それは結局、リーンハルトさんが私をアメリア姫の生まれ変わりとしてしか見ていない何よりの証でしょう」


「レイラっ!」


そうだ、砂糖の数も白百合もアップルパイも、全部全部僕が身勝手にアメリアの面影を押し付けた結果だ。それはもう覆しようがないし、レイラには申し訳ないことをしたとしか言えない。どれだけ謝っても許されないことだとわかってる。


 でも、その不誠実は全て、僕がレイラ自身を愛してしまったことに由来するのだ。レイラをアメリアの生まれ変わりとしてしか見ていないなんて、冗談じゃない。君をただの「運命の人」として、アメリアの生まれ変わりとして見られたら、どんなに楽だったか。


 それが出来なかったから、僕はこんなにも苦しんでいるというのに。


 そんなこと、レイラに伝わるわけもないというのに、レイラを愛することで生まれた葛藤を踏みにじられた苛立ちと、レイラへの想いを否定されることの辛さに、思わず声を荒げてしまった。そのまま椅子から立ち上がり、レイラの細い肩を掴む。何とかして、この誤解を解かなければ。


 レイラは僕に肩を掴まれたことで一瞬怯んだようだったが、睨むような眼差しを止めなかった。その間にも、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちて行く。


「私が倒れたときにあれ程気遣ってくださったのも……結局のところ、アメリア姫の魂の入れ物である私の体が壊れてしまったら、また次を待たなければならないからに過ぎないんですね」


 君が、アメリアの魂の入れ物に過ぎないなんて。


 そんな侮辱的な捉え方を僕がしていると、君は本気で思ったのか。


 そんなにも、僕のこの想いは君に届いていなかったのか。


 少しは心を通わせられていると、この愛が伝わっていると思っていたのは、僕一人だけだったのか。それがただただ悲しくて、腹立たしくて、久しぶりに心の中が黒い感情で満たされるのを感じた。


「冗談じゃない……そんなに僕が信じられないのか、レイラ。君と過ごした時間が全部嘘だったと、全て君の魂だけを見て起こした行動だと……本気で思っているのか?」


 ふつふつと湧き上がるこの感情が怒りなのか、不甲斐ない自分への失望なのか分からない。思わずレイラの肩を強く握ってしまう。


 ああ、簡単に折れてしまいそうなくらい細い肩だ。


 でも、こうして触れることでさえ、君を壊してしまうんじゃないかと恐れていた僕のこの臆病が、君を不安にさせていたというのなら。


「そうか、僕が我慢しすぎたのが裏目に出たのかな……。もっとちゃんと、君を、君自身を愛しているのだと、行動で伝えるべきだった」


 右手をレイラの肩から離し、彼女の顎に添え上を向かせる。怯えたような表情も可愛くて、そのまま強引に口付けた。


 本当は、プロポーズに対するレイラの答えを聞いてからするつもりだったけど、もういい。こうして無理矢理求めれば、この愛のひとかけらくらいは君にも伝わるだろう。


 だが、腕の中でレイラが懸命に抵抗しているのを感じ、彼女が離れるのを許した。レイラは頬を赤く染めながらも、ぼろぼろと涙を零していた。その透明な涙の一滴が僕の手の甲に落ちて、はっと我に返る。


 ああ、まずい。やってしまった。僕の身勝手で、レイラを泣かせてしまった。


 何か、何か言わなければ、すぐに、謝らなければ。


「っ……」


 だが、僕が口を開く前にレイラは逃げるように屋敷から出て行ってしまった。その後ろ姿を追いかけたかったが、今、僕が行っても逆効果だろう。余計に怯えさせるだけだ。


 テーブルに軽く寄りかかり、前髪をぐしゃっと握りつぶす。自然と深い溜息が漏れた。

 

「……何やってるんだ、本当に」


 レイラは何も悪くない。自分自身が、僕の元恋人の生まれ変わりで、それも顔も瓜二つだと知ったら、レイラがあんな反応を示すのも無理はない。むしろ、僕に裏切られたような気分にさえなっただろう。僕はレイラを傷つけたのだ。


 それなのに、この愛が届いていないことに一人で焦って、その苛立ちをあんな最低な方法でレイラにぶつけるなんて。


 我ながらあまりの屑っぷりに嫌気が差す。こんな自分勝手な想い、レイラに届いていなくて当然だ。


「ごめん……ごめん、レイラ……」


 恋とは、こんなにも苦しいものなのか。


 僕はこの日、数百年の生で初めて恋の痛みを知った。





 それからしばらくすると、外はすっかり夜に染まってしまった。いつレイラが戻ってきても良いように、と紅茶を淹れる準備を整え、簡単な菓子を取り出したりしていたのだが、一向に屋敷の扉が開かれる気配がない。


 まさか、あのまま出て行って戻ってこないつもりだろうか。


 そう思うと、怖くて仕方が無かった。頼むから、僕に弁明のチャンスをくれ。何をしてでも、僕がレイラ自身を愛しているのだということを、きっと証明してみせるから。朝までレイラへの想いを語ったっていい。苛立ちと不安を心行くまで僕にぶつけてくれていい。だから、頼むから戻ってきてくれ。


 それから更に30分間ほど、扉が開かれないかどうかじっと観察していたのだが、もう待っているのは限界だった。もしかすると、シャルロッテたちがいる離れの方へ行っているのかもしれない。また怯えられてしまうかもしれないが、こちらから迎えに行こう。 


 屋敷の庭を横切って、数分としないうちに離れに辿り着く。ドアをノックすれば、エプロン姿のシャルロッテが姿を現した。夕食準備でもしていたのだろう。


「あら、兄さん。こんな時間にどうしたの? グレーテならもう大丈夫よ?」


 ああ、そう言えばグレーテが体調を崩したとか言っていたな。可愛い姪のことなのに、すっかり忘れてしまっていた。


「……レイラが、こっちに来ていないか」


「レイラが? 昼間には来たけど、今はいないわよ?」


「……そうか」


 では一体どこにいるのだろう。まだ暖かい季節とは言え、夜は冷えるのだ。現に、外はそろそろ肌寒くなってきている。どこかで寒さに震えたりしていないだろうか。


「……レイラがいないの?」


 シャルロッテの顔に、不安の色が浮かび上がる。日が暮れてからレイラが一人で外に入ることなんて今まで無かったから、心配するのも当然だろう。


「レイラと何かあったの?」


 追い打ちをかけるようにシャルロッテが問い詰めてくる。どこか僕を責めるような眼差しが、今ばかりは妙に辛かった。


「……レイラを傷つけてしまった」


「一体何したのよ! レイラに無理矢理何かしてないわよね?」


「……お前は恐ろしいほどに勘がいいな」


「最低……兄さんは紳士的な人だと思ってたのに……」


 心底引いたような目で見てくるシャルロッテの言葉が、どうにも痛いところに刺さる。分かっている。無理に口付けるなんて、我ながら最低だったと思う。


「……とにかく、ここにはいないんだな」


 今は後悔している場合ではない。レイラを捜し出さないことには、話が始まらないのだ。


「ええ、いないわ。私も捜したいところだけれど……」


 シャルロッテは家の中を振り返り、躊躇うような素振りを見せる。体調を崩しているグレーテが心配なのだろう。


「いい。シャルロッテはグレーテについていてあげるんだ」


「……そうさせてもらうわ。見つかったら、すぐに教えてね」


「分かった」


 会話を切り上げて離れに背を向けると、シャルロッテは付け加えるように言った。


「レイラはお店の鍵を持っていたから、そっちの方も探してみた方がいいと思うわ」


 それは確かに可能性が高そうだ。歩いていける距離だったが、一刻も早くレイラを見つけ出したくて、転移魔法を発動させて店に向かった。





 その後、店の隅々まで捜したが、レイラは店にいなかった。魔術師団の本部や、いつか二人で見に行った花畑、レイラがいつも買い物をする店にも立ち寄ってみたが、やはり彼女の姿は無い。


 しかし、代わりにレイラの姿を見たという証言を得ることが出来た。


「レイラさんなら、森の方へ走って行ってたけどね。泣きながら走ってたから、随分苦しそうだったよ」


 レイラとすれ違ったらしい仕立て屋の店主は、魔法で布を裁断しながらふっと微笑んだ。


「痴話喧嘩もほどほどにしなよ、師団長さん」


 まあ、喧嘩できる相手が見つかっただけ羨ましいけどね、とルウェイン一族の例に漏れず若々しい姿のままの店主は言った。僕は店主に小さく礼を述べると、すかさず森の方へ転移する。


 夜の森は足元すら見えないような闇に包まれていた。ランタン代わりに魔法で小さな光を浮かばせて、森を進んでいく。


 こんな暗い場所に、レイラが一人でいるなんて考えたくないが、手掛かりはこれだけなのだ。辺りを注意深く観察しながら、黙々と進んだ。


 結局、森を抜けるまでレイラの姿は無かった。ここまで来ると、幻の王都を王国の目から隠している結界の外になってしまう。アメリアと出会ったとき、ハイノと共に巡回していた境界付近はまさにこのあたりだった。


 まさか、この先には行っていないだろう。別れの言葉もなく、レイラが本当に逃げ出したなんて思いたくない。


 そう思い、踵を返そうとしたとき、ふと足元の土が少し抉れていることに気づいた。ふわふわと浮かぶ光を移動させて照らしてみれば、土に少量の血液が混ざっている。


 何だか嫌な予感がする。僕は森に引き返すのを取りやめ、辺りを調べてみることにした。


 レイラ、君は一体どこにいるんだ。


 不安に駆られ、駆けるようにして周囲を探し回る。そのまま小一時間ほど、あてもなくレイラの姿を求めていると、ふと、芝生の中に転がる小さな革靴を見つけた。


 それは、レイラが幻の王都に来てから彼女のために注文したものだった。


「……レイラ?」


 ここに来て、嫌な予感は確信に染まってしまう。片方だけ無造作に落ちた革靴は、明らかにレイラの身に不測の事態が起こったことを示していた。


「レイラ!」


 僕はレイラの名前を呼びながら辺りを探し回った。気配察知の範囲を魔法で広げ、光もいくつか浮かばせて、それはもう必死に探した。ここまでやると王国の人間に気づかれる可能性があるので普段は避けていたのだが、そんなことに構っている余裕が無かった。


 レイラ、頼むから返事をしてくれ。


「レイラ……!」


 



 幻の王都と王国の境界線から、朝日を見つめる。まるで夕焼けのような鮮やかな朝焼けが広がっていた。


 あれから一晩中探し回ったが、見つかったのは革靴の片方のみだ。レイラの姿などどこにも無かった。


 危険を冒して魔法を使い、これだけ長い間捜したのだ。レイラはもう、この辺りにはいない。だが、公爵家に戻ったというにしてはこの残された革靴に納得がいかなかった。


 そうなれば、考えられる可能性は一つだ。


 誰かが、レイラを攫ったのだ。


「……レイラ」


 レイラは、今どうしているだろうか。今も、泣いているだろうか。痛みや寒さに震えるようなことは無いだろうか。

 

 傷つけたのは僕自身だというのに、心配で心配でおかしくなりそうだった。駄目だ、レイラが、いなくなるなんて。


 レイラが、自分の意思で自らの幸せのために幻の王都から逃げ出したというならそれでいい。レイラが幸せに生きてくれることは、僕の一番の願いでもあるのだから。


 でも、誰かがレイラの意思に反して彼女の自由を奪ったというのなら。


 許さない、絶対に。どんな手段を使ってでも、レイラを縛る全てから解放してみせる。

 

 僕はレイラと約束したのだ。レイラが自分の意思で帰りたいと願わない限り、レイラを誰の手にも渡さない、と。


「レイラ……絶対に、君を不幸なまま終わらせたりしないよ」


 僕は朝焼けの終わりを見届けるなり転移魔法を発動させると、ようやく、その場を後にしたのだった。

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