第34話
「そう、これはこのように書くのですよ」
早いものでこの部屋に来てから数日が経とうとしている。陽の光が存分に差し込む部屋の中で、私はソファーに座ってメイドの少女に読み書きを教えていた。
幽閉生活を懸命に支えてくれるこの少女に、何かしてあげられることは無いかと考えた結果がこれだった。それに、少女に文字を教えるという生産性のある時間は、この鬱屈とした幽閉生活の中で私の心を確かに軽くしてくれていた。
少女がこちらを見上げたのを見て、私は小さな微笑みを向ける。書きつけた単語の綴りがあっているか、視線で問いかけているようだ。
「ええ、それであっていますよ。お上手です」
そう答えれば、少女は安心したように再び羊皮紙に向かった。名前も分からないままだけれども、この赤毛の少女は私にとてもよくしてくれている。お喋りが出来ないのは寂しいが、こちらの言葉には笑顔で反応してくれるので、この幽閉生活の確かな慰みになっていた。
私は窓越しの陽の光に軽く目を細めながら、小さく息をつく。
殿下の訪れを待ち望むようになったら終わりだと思うが、この生活ではそれも時間の問題な気がしていた。何せ、私が会えるのは殿下とこの少女しかいないのだ。時間だけがゆっくりと流れて行くようなこの部屋にいると、正直、油断すれば気がおかしくなりそうだった。
私の趣味に合わせた調度品も、私の好みを知り尽くしたドレスも、ありがたいとは思うけれど、どうしても真綿で首を絞められているような感覚を覚えてしまう。この部屋にはこんなにも陽の光が差しているのに、息苦しくてならない。
それに、この部屋の場所もよくわからないままだった。恐らく王城の敷地内だと思うのだが、このような広い部屋があるなんて聞いたことが無い。下手をすれば、王太子妃の部屋よりも広いかもしれない。高貴な家柄の罪人を収容する牢獄にしては環境が整いすぎている気もする。
だとすれば、私のような人々がこっそりと幽閉されてきた部屋なのだろうか。公には言えない妾や恋人を、誰にもばれないように囲うための、部屋。
それならば、この息苦しさにも納得がいく気がした。ここは鉄格子がついていないだけで牢獄と大差ない。
思わず、胸元に触れる。ここに来る前には、リーンハルトさんから頂いたペンダントの石の部分があった場所だ。何もないはずのその部分を両手で包むようにすれば、少しだけ寂しさが和らぐ気がした。
リーンハルトさんは、今頃どうしていらっしゃるかしら。
自分勝手にリーンハルトさんを傷つけた私がいなくなって清々しているだろうか。こんな面倒な女は諦めて、この魂が生まれ変わるそのときまで待つことにしただろうか。
想像するだけで、ずきんと胸が痛んだ。リーンハルトさんはそんな薄情な方ではないと分かっているけれど、嫌な想像ばかりが過ってしまう。
ふと、少女の視線を感じて彼女の方を振り向けば、少女は何とも言えない悲しそうな顔をしていた。
この少女には、既にペンダントの行方を尋ねているのだ。もし、私がここへ連れて来られたときに没収されて、今もどこかで保管されているのであれば、何とか返してくれないだろうかと頼んだのだが、少女は申し訳なさそうに首を横に振るだけだった。
無理もない。彼女は雇われの身だ。たとえ行方を知っていても持ってくることなど出来なかったのだろう。それに、下手なことをして殿下の機嫌を損ねれば、職を失うだけでは済まないかもしれない。
「……いいのですよ、仕方がありませんわ」
自分のことのように悲し気な表情をする少女の頭をそっと撫で、私は少女が書いていた羊皮紙に視線を落とす。まだ不格好だが、記憶力が良いようでこの数日間で既に大体の文字を書けるようになっていた。あとは単語のスペルを練習していけば、すぐに簡単な文章も書けるようになるだろう。
そう思いながら少女の練習の成果を眺めていたとき、ふと、意味もなく書きつけられた単語の中に、名前らしき響きのあるまとまりを見つける。
「……モニカ?」
拙い字を何とか読み解くと、少女は私を見上げて目を輝かせて頷いた。
「あなたは、モニカという名前なのですか?」
少女は再び頷いて見せる。ここに来て、ようやく少女の名前が分かったことに、私も小さな感動を覚えた。
「そう、モニカ。素敵なお名前ですね」
少女改めモニカは、何度も何度も頷いて見せた。私よりも4,5歳年下なだけだと思うのだが、その無邪気な瞳の輝きにこちらまで嬉しくなってしまう。澱んだこの部屋で、モニカの純粋さは本当に救いになっていた。
「ふふ、ようやくお名前を知ることが出来て嬉しいですわ。次は何を書きましょう――」
刹那、輝いていたモニカの瞳が、私の後ろを見て怯えるような色に変わる。その視線を辿るように振り返れば、そこには公務に赴くようなフォーマルな格好をした殿下のお姿があった。確か、今日は隣国の使者との会食があるとか言っていたはずだ。
「……ルイス、公務はどうなさったのです?」
名前呼びを強要されるようになってからたったの数日だというのに、随分抵抗感が薄れてしまった。慣れとは恐ろしい。この息苦しさでさえも、いずれ気にかからないようになってしまうのではないかと思うと怖くてならなかった。
「少し時間が空いたから、君の様子を見に来たんだ」
「……わざわざ足を運ばれずとも、私はどこにも行けませんのに」
思わず皮肉気に返せば、殿下はふっと私を嘲笑うような笑みを浮かべて、私の左隣に腰を下ろした。恋人でもない男女が座るにしては近い距離に、僅かに身構えてしまう。私が答えを出していない以上、殿下は無闇に私に触れてくることは無いのだが、それでも怖いものは怖い。
私の右隣に座っていたモニカは、可哀想なくらい怯えてしまって、慌てて立ち上がると逃げるように部屋の隅へ引っ込んでしまった。やはり、第三者から見ても今の殿下は怖いのだ。蒼色の瞳に宿る執着も、些細な一言で機嫌を損ねるその張り詰めた精神状態も。
殿下は無言でモニカが文字を練習していた羊皮紙を拾い上げると、少しの間それを見つめていた。
失敗した、と思った。殿下がいらっしゃると知っていれば、こんなことはしなかったのに。この部屋で私が勝手なことをして、殿下が気分を良くしたことなど一度だって無いのだから。
「あのメイドに文字を教えていたのか」
「……その、勝手な真似して申し訳ありません」
「レイラは優しいな。読み書きも出来ぬ民を憐れに思ったのか? それとも――」
不意に、殿下は何の前触れもなく私をソファーに押し倒した。肩に添えられた殿下の手に痛いほど力がこもる。
「――声を出せぬメイドに文字を教えて、誰かに助けを求めるつもりだったのか? こんな状況でレイラが縋る相手は誰だ? 公爵家か? 友人のご令嬢方か? 君に惚れ込んでいた貴族子息どもか? ああ、それとも……恋人か?」
恋人。その言葉で思い浮かぶのは、おこがましいとは思いつつもリーンハルトさんだった。リーンハルトさんに手紙の一つでも出せれば、確かに助けに来てくれるかもしれないが、どこにあるかもわからない幻の王都にどうして手紙を届けられようか。
「ああ、そうか、僕には言えないような相手がいるんだな……」
リーンハルトさんのことを考えて返答に間があったことが気に入らなかったのか、不意に殿下の手が私の首に伸びる。その仕草の意味するところを考える間もなく、殿下の手に力が込められた。
「っ……」
首の圧迫感と耳鳴りに、すぐに涙目になってしまう。咄嗟に殿下の手を掴み、必死に足をばたつかせて抵抗するけれど、力勝負で勝てる訳が無かった。殿下の蒼い瞳を縋るように見上げてしまう。
「ああ、こうすれば、ようやくレイラは――――」
殿下の口の動きで何か呟いていらっしゃるのだということは分かったけれども、耳鳴りに掻き消されて最後まで聞き取ることは出来なかった。それよりも、意識を失いそうな圧迫感に耐えることで精一杯だ。
苦しい、苦しい苦しい痛い。
目尻に溜まった涙が、横顔を滑り落ちて行く。こんなにも私が苦しんでいても、殿下は愉悦の混じった端整な微笑みを浮かべておられて、ますます殿下が怖くなってしまう。
この方は、そんなにも私が憎いのね。
それも当たり前だろう。私たちアシュベリー公爵家が殿下にしたことを思えば、こんな苦しみはまだ甘いくらいなのだろう。
私たちは、冷静沈着だった殿下にこんなにも強い憎悪を抱かせてしまったのだ。ただただそれが、悲しくてならなかった。
ごめんなさい、殿下、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
声には出せなかったけれど、殿下を欺いたアシュベリー公爵家の者として、心の中でひたすら謝罪した。どれだけ謝ったところで、もうすべて、手遅れであることに変わりはないのだけれど。
次第に抗う手にも力が入らなくなり、いよいよ命の危険を感じ始めたころ、不意に駆け寄ってきた小さな影が殿下の腕にしがみ付いて、私の首から殿下の手を振り払わせた。ようやく息が吸えるようになり、私は咳き込みながら何とか上体を起こす。
「……っモニカ」
可哀想なほどに殿下に怯えていたモニカは、目を瞑りながらも今も殿下の腕にしがみ付いていた。私を、助けてくれたのだろう。自分より何歳も年下の少女の健気さに、胸が熱くなる。
「はっ……メイドに慕われているようで何よりだな、レイラ」
殿下は鬱陶しそうにモニカを振り払うと、自嘲気味な笑みを浮かべたまま彼女を見下ろした。
「殺すわけないだろ、そんなに必死になるなよ」
モニカは目を潤ませながらも殿下を睨みつけていた。普段の気弱な様子とは打って変わって随分と挑戦的な態度だ。これだけで不敬罪として断罪されてもおかしくはないのだが、どうやら殿下にその気は無いようだった。
「……死を覚悟するには充分でしたけれど」
意図せずして言葉に棘が出てしまった。もっとも、殿下はそんなことを気にする素振りすら見せず、何が可笑しいのかくすくすと笑って私の首筋を撫でた。その掠めるような指先の感触に、ぞわり、と寒気が走る。
「ああ、そうだな。とても苦しそうな顔をしていた」
それを分かっていて、あんな愉悦の混じった笑みを浮かべていたのか。また少し、殿下に対する恐怖が増した。アシュベリー公爵家の罪深さを思えば、殿下に手ひどく扱われても文句など言えない立場だと分かっているけれど、怖いものは怖い。返す言葉もなく、ただ殿下の視線から逃れるように俯いた。
「――悪くないな、その顔も。レイラの怯えた顔なんて、婚約者だったころは見られなかったからな」
殿下は恐怖に震える私を嘲笑うように、親指で私の目尻に溜まった涙を拭う。
「……また来る。あまり余計な真似はするなよ」
殿下は私に言い聞かせるように告げると、私の前髪を掻き上げて額に口付けを落とした。人の首を絞めておいてよくも口付けなどする気になれるものだ。信じられない目で殿下を見上げれば、彼はそんな私の反応すら面白がるような笑みを浮かべて立ち去ってしまう。
完全にモニカと二人きりになったのを確認して、私は恐怖と緊張で震える指をぎゅっと握りしめた。殿下に絞められた首元に触れればうっすらと汗ばんでおり、思ったよりも体が危険を訴えていたことに改めて身の毛がよだった。
モニカは床に膝をついたまま私の傍に擦り寄ってくると、私のドレスに縋るようにして声もなく泣き始めた。怖かったのだろう、可哀想なことをしてしまった。
「ごめんなさい、モニカ……。でも、助かりました。モニカが殿下を止めてくれたおかげです」
恐らく、殿下に私の命を奪う気は無かったと思うけれど、それでもあのまま続けられていたら意識を失うくらいの事態にはなっていたかもしれない。
モニカの赤毛をそっと撫でてやれば、彼女は更に涙を流した。出会ってたった数日しか経っていないが、私たちが共に過ごした時間は長い。モニカが私をこんなにも気にかけてくれることだけが、この非現実めいた日々の中では本当に救いだった。
その夜、私は殿下と夕食を取り終えた後、繊細な飾りのついた籠の中の金糸雀に餌をあげていた。モニカは私の手を煩わせると思ったようで私が餌やりをすることを止めようとしていたけれど、このくらいの楽しみが無ければ息が詰まる。
「綺麗な声で鳴くのね」
窓から差し込む月明かりは、妙に私を寂しい気持ちにさせた。金糸雀を自分に置き換えるくらいに、感傷的な気分になってしまう。少しくすみのある黄色い羽根を撫でてやれば、金糸雀は、ぴぃと綺麗な鳴き声を出してくれた。
「レイラの声の方が綺麗だ」
隣で私が金糸雀に餌をあげる様子を観察していた殿下が、あまりに突拍子の無いことを言うものだから思わず笑ってしまった。
「ふふ、金糸雀よりも、ですか? 口説き文句にしては気障ですね」
「……事実を述べたまでだ」
月明かりに照らされた殿下の横顔を盗み見れば、その顔は至って真剣な表情で、ますます殿下が分からなくなる。殿下は、私が憎いはずなのに。
「首を絞めれば、より綺麗な声で鳴くとでもお思いになりましたか?」
思ったよりも嫌味っぽくなってしまった自分の言葉に驚いてしまう。だが、殿下は特に動じることなく淡々と答えた。
「そうかもしれないな」
殿下にとっては、きっと私はこの籠の中の金糸雀と同じようなものなのだろう。自由だけを制限して、構いたいときだけ構って、逃げ出そうとすれば痛めつける。そこにある感情は、やはり憎しみなのだろうか。
聞きたいことは沢山あったけれど、些細な言葉が殿下の機嫌を損ねるのかもしれないと思うと怖くて踏み出せない。情けないとは思うけれど、首を絞められたときの苦しみが蘇っては、私の言葉を溶かしていった。
「期限まで、あと一週間ほどだ」
殿下のその言葉に、私は思わず餌やりの手を止めてしまった。金糸雀の美しい声だけが、場違いに響き渡る。
「……ええ、承知しておりますわ」
ローゼは約束通り、まともな食事と衣服を与えられているだろうか。今も、地下牢で殺されるかもしれない自分の運命に怯えているのだろうか。
心配、というには複雑すぎる感情だったけれど、ローゼが気がかりであることは確かだった。
……もしも、私が逃げずにローゼと向き合っていれば、少しは違う結末になっていたのかしら。
今となってはもう、何もかも手遅れだと分かっているのに、どうしても考えてしまう。私たちは、こんなにもどうしようもなくなるまで、本音すら言いあえなかったのか、と。
私に掴みかかってきたローゼのあの憎しみを、私は少しも見抜いてやることが出来なかった。それは恐らくお父様とお母様も同じで、ローゼはずっと周りに人がいても、一人ぼっちのような気がしていたのかもしれない。
「良い返事を期待してる」
殿下はすっかり習慣になりつつある私の額への口付けをすると、私の頬にかかった髪を耳にかけた。この瞬間だけは、まるで殿下が私を大切にしているかのような錯覚に陥ってしまう。
「おやすみ、レイラ」
「……おやすみなさいませ、ルイス」
殿下の後ろ姿を見送ると、私は用意していた残りの餌を金糸雀に与えた。ぴぃぴぃと繰り返し鳴く金糸雀の声すらも、どこか遠い世界のことのように感じてしまう。
殿下との取引のことは、ずっと考えている。私の身一つでローゼの罪を揉み消してくれるのだから、王家からしてみれば甘すぎると言ってもいいほどの寛大な対応だ。危機に晒されたアシュベリー公爵家の長女としては、断る理由の無い取引だった。むしろ寛大な御沙汰に感謝して、喜んで身を捧げ、贖罪すべきなのだと思う。
そう、私の答えはほとんど決まっているのだ。ただ、殿下にお返事をするには覚悟が出来ていないというだけで。
――この取引に応じる、ということは、もう二度とリーンハルトさんに会えないことを意味するのだから。
いや、取引に応じなくとも、殿下は私をこの部屋から出す気などないようだから同じことだろうか。もしかすると、私はもう一生リーンハルトさんに会えないのかもしれない。
そっと、自分の唇に指先を当ててみる。私が自分勝手にリーンハルトさんを傷つけたあの日、少し強引だったけれど、それでも私は彼に口付けてもらえて嬉しかった。こんなことを言ったら、リーンハルトさんはまた耳の端を赤く染めて、照れたように笑うだろうか。
「っ……」
ああ、会いたい。リーンハルトさんに会いたい。
月明かりの差し込む窓に手を当てながら、私は項垂れるようにしてリーンハルトさんを想った。そのまま、ずるずると床にへたり込んでしまう。
こんな動きづらいドレスじゃなくて、菫色のワンピースを着て、歩きやすい革靴でリーンハルトさんの腕の中に飛び込みたい。リーンハルトさんの淹れてくれるお茶が恋しい。私を抱きしめながら、髪を梳いてほしい。
恋しくて、寂しくてたまらない。
私は、ただ、あの優しくて温かい幻の王都に帰りたかった。
「っ……リーンハルトさんっ」
あの日、自分勝手にリーンハルトさんを傷つけて、彼の手を離さなければ、こんなことになっていなかったのかしら。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。自業自得だと分かっていても、深い悲しみに溺れてしまいそうだった。
涙目になって嗚咽を漏らしてしまう。このところは、恋の苦しい部分ばかりを味わっていて、心が麻痺してしまいそうだ。
そのまま潤んだ目を擦って何とか涙を拭おうとしていたのだが、不意に、背後に誰かの靴音が響き渡る。どくん、と心臓が跳ねたのを感じた。咄嗟に息を止め、思わず口元に手を当てる。
さっと血の気が引いていくのが分かった。もしも相手が殿下だったら、厳しく咎められかねない。勝手に泣いていることすらも、きっと殿下の機嫌を損ねてしまう。
私は恐る恐る顔を上げ、肩を震わせて気配のする方を見つめた。
「あ……モニカ」
良かった。殿下にリーンハルトさんの名前を聞かれていたら、殿下は何をなさるか分からない。もっとも、リーンハルトさんが魔法を使えぬ王国の人間に追い詰められるようなことは無いと思うけれど、リーンハルトさんの迷惑になりそうなことだけはどうしても避けたかった。
「どうしたのですか? もうお仕事は終わりの時間でしょう?」
モニカの一日の仕事は、私の就寝支度を整えれば終わる。どこに部屋があるのかは知らないが、仕事を終えればこの部屋からは姿を消すのが常だった。
モニカはきょろきょろと辺りを見渡した後、一気に私との距離を詰めた。そしてメイド服のポケットに手を入れると、何かを取り出しそれを私に握らせる。冷たくて、固い感触がした。
「これは……」
そっと渡されたものを覗いてみると、星空を切り取ったような紺色の石が見えた。忘れもしない、これは。
「……っ!」
紛れもなく、それはリーンハルトさんから頂いたペンダントだった。皮ひもは擦り切れ、石はところどころ欠けてしまっているが原形は留めている。まさか、戻ってくるとは思わなかった。
「っ……ありがとう、ありがとうございます、モニカ」
思わず潤んだ目でモニカに礼を述べると、彼女はふと私の右手を取った。そのまま、しばらく考え込むような素振りを見せたかと思えば、私の掌を指先でなぞり始める。少しくすぐったいその感覚に戸惑っていたが、繰り返されるそのパターンに次第に意味のあるまとまりを見出すことが出来た。
『でんか ないしょ』
まだ文字を教えて数日だというのに、目覚ましい成長だ。思わず感動してしまった
「分かりました。殿下には見つからないようにしますね」
モニカは意味が伝わったことが嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべて頷いてみせた。そして、床に座り込む私を立たせるように軽く手を引いてくれる。
モニカは、私を見上げて自身の首元に手を当てた。恐らく、殿下に絞められた私の首を気にしてくれているのだろう。
「大丈夫ですよ、痛みません。心配してくれてありがとう」
かなり強い力だったせいか痣は残っているのだが、特に痛みは無い。モニカは安心したように再び笑みを見せると、退出の合図である慎ましい礼をしてみせた。
「……ありがとう、モニカ、本当に」
改めてお礼を言えば、モニカは首を横に振りながら小さく微笑んで素早く私の部屋から出ていった。人目を忍んでこれを渡しに来てくれたのかもしれない。私がペンダントの行方を気にしていたことを、覚えていてくれたのだ。
私は両手でペンダントを包み込み、祈るように額に当てる。
「……リーンハルトさん」
不思議だ。これがあるだけで、少しだけ強くなれるような気がする。リーンハルトさんの魔力がこもっているからだろうか。
これで何が変わるわけでもないのだが、リーンハルトさんにまつわる品があるだけで心持ちは随分違う。私はペンダントをもう一度握りしめると、青白い三日月を見上げ、リーンハルトさんに再び相見えることを夢見るのだった。
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