第35話(リーンハルト視点)
「運命の人」が死んだ。
結婚の約束をした、一週間後に。
御伽噺の時代から数百年、呪われた血を持つルウェイン一族本家の長男として、僕は生まれた。御伽噺の姫君と護衛騎士の直系子孫というだけあってか、僕の魔力は他の魔術師よりもかなり強く、魔術師団でもそれなりに注目を浴びていた気がする。
「流石は未来の師団長だな、やるじゃないか」
奇遇にも僕と同じ時期に生まれたハイノとは腐れ縁とでもいうべき仲で、ハイノの特徴的な白髪と僕の黒髪から「白黒の双璧」とか恥ずかしいにも程があるような異名で呼ばれていたこともあった。もっとも僕の魔法と対等に渡り合えるのがハイノくらいなものだったからそういう名前がついたんだろうけど、至ってどうでもいいというのが僕の感想だった。
生まれてから百年も過ぎれば、もう生きることに飽きてくる。代り映えのしない穏やかな街、同じような過ちを繰り返してばかりいる王国アルタイル、何もかも退屈で退屈で仕方が無かった。
「……『運命の人』と結ばれたら、もうその日に死にたいな」
殆ど口癖になったようなその言葉をぽつりと呟けば、ハイノが隣で引き気味に僕を見つめた。
「お前……そんな穏やかな顔で物騒なこと言うなよ」
「そういうハイノだってもう飽きてるよね、生きるのに」
「お前と一緒にするなよ。少なくとも俺は『運命の人』が現れたらそれはもう大切にするぜ」
「……ハイノは意外とロマンチストだなあ」
ハイノとともに、王国と幻の王都の境界線を歩きながらぶつぶつと呟く。今は、魔術師団の見回りとは名ばかりの、退屈しのぎの魔物退治の時間だった。御伽噺の時代に主要な魔物はすべて消え去ったとはいえ、まれに小物が残っていたりするのだ。使い道のない魔力を発散するにはちょうどいい場だった。
退屈で、死にたくて、仕方がない。無彩色の日々だ。いっそ戦争でも起きれば面白いかもしれないのに。
平和至上主義を謳う魔術師団の次期師団長としてはおよそ相応しくないようなことを思い描きながら、僕は当てもなく歩いていた。
そんなある日、僕に大きな転機が訪れる。
何の前触れもなく、突然に、その人は白百合の香りとともに僕の目の前に現れたのだ。
その日は、月明かりがやけに明るい夜だった。周りの星が掻き消えるくらいの明るさで、魔法でランプを灯す必要もない。
いつも通りハイノと共に幻の王都の境界線を歩いていると、ふと夜風に血の匂いが混じっていることに気が付いた。
「気づいたか?」
ハイノは辺りを軽く警戒しながら僕に問う。
「ああ、何だろう。動物でも死んでるのかな」
この辺りは小さな崖もあるので、たまに不幸にも落下した動物たちが死んでいることもあった。だが、それにしては違和感がある。
「崖下か?」
ハイノは道を逸れて崖の下を覗き込む。仕方なく、僕もハイノに続いて月明かりに照らされた崖下を眺めてみた。
そこには、横転した馬車と御者や使用人らしき人間の遺体がいくつか転がっていた。隣国から帰ってくるときにはこの道を使わなければ大きく迂回することになるため、馬車が通ること自体はそう珍しくもなかった。何事もなければ充分に広い道なのだが、何かの拍子であの馬車はこの崖の上から落ちたのだろう。原形を留めないような無惨な遺体も中にはある。
「うわー、これはひでえな。しかも王家の馬車だぞ」
「ふうん」
「ふうん、って、お前……本当に顔に似合わず冷たいよな……」
「死体なんて腐るほど見てきたじゃないか。毎回毎回新鮮な気持ちで憐れむことのできるハイノが羨ましいよ」
そう、人の死体なんて腐るほど見てきたのだ。このような不運な事故であったり、魔物に食い殺された後であったり、散々な状態の死体は山ほど見てきた。
「うーん、弔ってやるか。王国に運んだっていいけど、俺たちが現れたら面倒だろうしな……」
「勝手にすればいいよ。僕は先に行くね」
「冷たい次期師団長様だなあ……」
興味を無くしてさっさと見回りの続きをしようとしたそのとき、ふと、崖下に動くものがあって目を留めてしまった。
それは淡い水色のドレスを纏った銀髪の少女だった。少女は両手にいくつかの白百合を抱えている。事故に巻き込まれたせいかとても薄汚れていたが、どうしてか僕はその少女から目を離せなかった。その理由を考えて、ああ、と僕は納得した。
「お、生き残りがいるじゃないか。しかも銀髪……うわあ、王家のお姫様かよ。どうする? リーンハルト。送り届けてやるか?」
「……あの子だ」
「え?」
「僕の、『運命の人』」
「は?」
気がつけば僕は崖を滑り降りるようにして、少女の元を目指していた。魔術師団の紺色の外套が汚れたが、そんなこと気にもかからない。
少女は、蒼色の目を泣き腫らして、涙を浮かべたまま白百合を一人一人の遺体に供えているようだった。見たところ、この少女は王国の王女であるようなのに、使用人や御者の死を悼むなんて変わった姫君だ。
「……もう死んでるのに、気に掛ける必要あるかな」
正直、もっとマシな言葉は無かったのかと、僕はこのあと数百年に渡って後悔することになるのだが、この時の僕にはこんな台詞しか吐けなかった。少女はようやくこちらの存在に気が付いたのか、一瞬怯えたように肩を揺らしこちらを見つめる。
綺麗な、蒼だと思った。まるで宝石のような蒼だ。涙で潤っているせいで、月明かりを反射してきらきらと輝いて見えた。
そうか、この綺麗な人が運命の人か。
この少女が退屈を終わらせてくれる。この無彩色の日々から解放してくれる。その期待に、正直僕は浮かれていたのかもしれない。
「……死神に人の気持ちなんてわからないわ」
睨むようにそう吐き捨てられ、驚いた。死神扱いされた上に、「運命の人」にここまで冷たくされるとは予想外だ。
「死神なんて大層なものじゃないよ。魔法はつかえるけど」
「……この状況が分からない? 冗談に付き合っている場合ではないの。人攫いか何か知らないけれど、私を誘拐したらお父様が黙ってないわよ」
「それは困るなあ、今から『お嬢さんを僕に下さい』って言いに行こうかと思ってたのに」
至って大真面目に言ったつもりだったが、少女は呆れたような眼差しを僕に向けるだけだった。
「大切な使用人が無くなって悲しんでいる女性を前に、よくもそんなことが言えるわね」
「まあ、僕にもいろいろ事情があって。とにかく、送って行くよ。お城でいい?」
「え、ちょっと、きゃっ」
少女を横抱きにすると、白百合の花がぱらぱらと落ちていった。二人の姿が月明かりに照らされて、ここでようやく少女は僕の顔が見えたのではないかと思う。
「怪我が無くてよかったよ、僕の『運命の人』」
少女にそっと微笑みかければ、少女は戸惑いの色をさらに濃くする。僕は少女を抱きかかえたまま、崖上のハイノに向かって叫んだ。
「ちょっとこの子を送ってくるよ。見回りは頼んだ!」
「ちょ、おい、リーンハルト! まさか王城に行く気――」
ハイノの言葉を聞き届けることなく、僕は少女を抱えたまま転移魔法を発動する。行先は、少女の記憶を少しだけ覗かせてもらってすぐにわかった。
王城南側の一室のバルコニーに、転移をして着地する。記憶を覗いた限りでは、ここがこの少女の居住空間だろう。バルコニーからは、丁寧に整えられた調度品が見て取れた。どれも質のいいものばかりだ。
「君、本当にお姫様なんだね」
「……あなたは、一体」
バルコニーに降ろされた少女は、躊躇いがちに僕を見上げてきた。気の強い子かと思ったが、魔法を目にした反応は初々しくて悪い気はしなかった。
「僕は魔術師のリーンハルト・ルウェイン。君を待っていたよ、アメリア」
先ほど覗いた記憶の限りでは、この少女の名前はアメリアというらしかった。アメリアはますます訝し気な顔をして僕を見上げる。
「私を? それに、魔術師って……」
「あ、人が来た」
偶然か分からないが、アメリアの部屋の向こうに人の気配があった。使用人でも来たのだろう。こんな真夜中に姫君が男と密会しているなんて知られたら面倒なはずだ。
「人なんてどこにも……」
振り返って様子を窺っていたアメリアが僕を見上げたのと、僕が転移魔法を発動させたのはほとんど同時だった。
「また来るよ、アメリア」
小さな叫び声のようなものが聞こえたのは、僕が飛び降りたとでも思ったからだろう。残念ながらその驚いた顔は転移をしてしまったから見えなかったけど、これは面白くなりそうだと一人頬を緩ませた。
「シャルロッテ、自死を試みるときは血が出ない方法でやってくれないか」
屋敷に戻れば、絶賛病み期の妹が体中にナイフを刺しているところだった。どうせ死ねないのに、なぜ繰り返すのかと我が妹ながら不思議に思うが、実害が無いので放っておくことにしている。
「煩い煩い煩いっ、早く、早く私を殺してよっ……」
泣きじゃくりながら胸の辺りにナイフを突き立てる妹を横目に、思いがけないところで実害を被ったことを知る。折角買ってきた林檎を食べようと思っていたのに、どうやらあの愚妹は果物ナイフまで叶えられもしない自死に使用しているようだ。
「……果物ナイフは切れ味が悪くなるから使わないでほしいな」
「っ、本当に何で兄さんはそんなに飄々としてるわけ!? いつ終わるかもわからないこの日々が怖くないの!?」
シャルロッテは血まみれのナイフをこちらに投げて寄こしながら叫んだ。流石に妹の血液が付着したナイフで林檎を剥く気にはなれない。洗ったとしても、何だか気が引ける。仕方なく、林檎は皮ごと食べることにした。
「ああ、それなんだけど、僕はそろそろ終わりそうだ。昨日、『運命の人』に会ったから」
「は!?」
林檎を一口齧りつくも、目の前にいる血まみれの誰かさんのせいで味が台無しだ。
「やっぱり……血が出るような自傷はやめてくれないか。林檎の味が悪くなる」
「いや、いやいやちょっと待って! 『運命の人』? 本気で言ってるの? どこの誰!?」
「王国アルタイルの第三王女、アメリア・アルタイルって子」
「お姫様なの!?」
先ほどまで体中を刺していたときの仄暗い瞳はどこへやら、シャルロッテは瞳を輝かせて僕の下に近付いてきた。我が妹ながら、心配になる精神状態の振り幅だ。それに、あまり近寄ると血の臭いが濃くなるから本当にやめてほしい。
「それは一大事ね! お姫様と結ばれるには、やっぱり駆け落ちかしら?」
「そうだろうね。魔術師が堂々と王女に求婚なんてしたら、面倒なことになりそうだ」
王国アルタイルの王家にもルウェインの血が入っているとはいえ、僕らと王国の人間が相いれない存在であることは明らかだった。やはり、結ばれるためには駆け落ちしかないのだろうと思う。
「ああ……でも、兄さんまで私を置いていなくなるのね……」
再び瞳を翳らせてナイフを持ち出す妹を不気味に思いながら、僕は食べかけの林檎を片手にそっと屋敷から逃げ出したのだった。
そんな妹の話を、城のバルコニーでアメリアにしてみたところ、信じられないことに彼女は涙を流したのだ。アメリアが「白百合が一番好き」と言った日から、毎日欠かさず僕が手土産に持って来ている白百合の花束を抱え、月明かりに照らされながら泣きじゃくるアメリアの姿はなかなかに綺麗だった。あんまり綺麗だから思わず微笑んでアメリアを見守っていると、彼女は僕を憐れむような目で見上げた。
「……リーンハルト、あなたは感情に疎すぎるわ」
「僕が?」
感情に疎い、か。顔に似合わず冷たいだとか、無関心すぎるとかはハイノに腐るほど言われてきたが、感情に疎いと指摘した人は初めてだった。
「妹さんの痛みを、思いやれないのでしょう? あなたは、出会った時もそうだったわね」
アメリアに会いに来るのはこれで7度目くらいだが、ここまで踏み込んだ話をされるのは初めてだった。3度目ほどでようやく魔術師という存在を信じてもらい、5度目でルウェインの血の呪いについて話した。そうして迎えた7度目でこれか。アメリアは、いつも新鮮な反応を示すから面白い。
「考えてみたことは無かったけど、そうかもしれないね」
「……何だか見ていて不安になるわ」
「でも、君に好かれたい、とは考えるんだけどなあ」
「それは私が『運命の人』だからでしょう? 私を愛しているわけじゃないと思うわ」
「それじゃあ、君が僕に感情を教えてよ。愛するってどういうことか、僕に教えられるのは君だけだよ」
「……っ突然口説いてきたわね、吃驚するじゃない」
アメリアは頬を赤く染めて、不意に僕から視線を逸らした。綺麗なその蒼が見られなくなるのが何だか気に食わなくて、アメリアの頬に手を添えてこちらを向かせる。
「こっち向いて、アメリア」
「っ……本当に、無自覚で言ってるんだから恐ろしいわ! 無駄に顔は綺麗なんだから、もう少し自覚を持ってよね!」
「自覚?」
「ああ、もう……! リーンハルトといると調子が狂うわ」
「僕はアメリアと過ごすの楽しいよ」
「ええ、そうね、本当に……。……私も、楽しいわよ」
アメリアはふと僕の顔を見上げると、苦笑するように綺麗な笑みを零した。先ほどまで泣いていたかと思えば、すぐにこんな風に笑うのだから、アメリアは見ていて飽きない。
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