コミックス3巻発売記念SS

歪んだ初恋

 レイラを閉じこめている塔から私室へ戻れば、ここでも彼女の肖像画が出迎えてくれる。あらゆる画家に描かせ、かき集めたものたちだ。どれもレイラを思わせるには充分だが、やはり、本物には程遠い。


 戸棚に歩み寄り、中からレイラとの文通の束を取り出した。わざわざ手紙を取り出さなくたって一字一句違わずに思い出せるが、レイラの美しい字はいつまででも見ていられるのだ。


 ……メイドに教えているときも、彼女の字は綺麗だった。


 椅子に座り、レイラからもらった手紙を一通一通机に並べる。初めの手紙は、まだ婚約を結んだばかりの幼いころのものだ。まだレイラは九歳、僕は十二歳だった。


 完璧な季節の挨拶に始まり、ちょっとした近況報告が添えられている。幼い頃から、彼女の字は非の打ちどころがないほどに完成されていた。


 ――この間、公爵邸の庭で見事な薔薇が咲きました。ローゼの部屋や廊下に飾って、室内も大変華やかです。せっかくなので、刺繍で薔薇の美しさを縫いとめてみようと思います。


 この手紙でレイラが刺繍を趣味にしていることを知って、隣国から取り寄せた珍しい刺繍糸や刺繍のモチーフ集を次の手紙とともに贈ったものだ。


 レイラに何かを贈るたび、丁寧なお礼の手紙が届いた。文通を重ねるにつれ、レイラが刺した刺繍作品が届いたこともあった。


 ――拙いものですが、殿下からいただいた糸で刺したものです。一針一針、殿下を想って作り上げました。


 婚約者としての社交辞令に過ぎない文言だったとしても、嬉しかった。


 世界中のどこを探したって、レイラからこんな言葉をもらえる男は他にいないのだ。……いない、はずだったのに。


 ……誰かと、くちづけたことがあると言っていた。


 魔術師なんていう幻の存在を持ち出して誤魔化していたが、たとえ夢の中であったとしても僕以外の誰かがレイラに触れただなんて許せない。


 レイラは、僕のもので、僕のものであるべきで、レイラだって僕のものらしく振る舞わなければならないのに。他の人間には、髪一本触れさせてはならない義務があったはずなのに。


 それが叶わないならせめて、僕の目の届くところで幸せになるべきだった。逃げ出したりするから、こんなことになるんだ。


 ……君が今受けている痛苦はすべて、君のせいだろう。レイラ。


 僕に黙って逃げて消えようなんて、許されるはずがない。何があったって君は、僕のそばにいるべきだった。あの可憐な声が、僕に聞こえるような場所にいるべきだった。


 傷つけて、苦しめて苛めばいつかは、逃げ出すことすら諦めるだろうか。そこまでしなければもう君は、僕のそばにいてくれないのだろうか。


 幸せになりたかった、君と。


 他の誰でもなく、君だけが欲しかったのに。


「レイラ……っ」


 肖像画に縋り付くようにして、失われた輝かしい日々に想いを馳せる。あのころの僕らは、相思相愛の甘い恋人同士とは言えずとも、そう悪い関係ではなかったはずだ。


 それとも、それすらも僕の思い違いでしかないのだろうか。レイラは心にもない社交辞令を述べる苦痛に耐えながら、何年間も僕の婚約者を務め上げていたのだろうか。


 ――殿下、今日もお会いできて本当に嬉しいです。


 ――先日の舞踏会では、エスコートしてくださってありがとうございました。今でも夢のように思っております。宝物のような思い出をくださったこと、心から感謝しております。


 控えめに微笑みながら告げられたレイラの言葉は、今も僕にとって宝物だ。いずれは静かに寄り添い合う穏やかな夫婦になるのだと、信じて疑わなかった。

 

 どんな未来を思い描くときも、僕の隣にはレイラがいた。


 玉座で、私室で、庭園で、彼女と並んで過ごす日々をずっと待ち望んでいた。目の届く場所にいつでもレイラがいる幸せを、一日も早く噛み締めたかった。


 ……何もしてくれなくていい。ただそばにいてくれるだけで充分だったのに。


 そんな控えめな願いを抱いていたことを思い出して、自嘲気味な笑みがこぼれる。


 今はもう、そんな慎ましやかな気持ちはどこにもない。もう二度と逃げ出すことがないように、レイラのすべてを僕のものにしなければ気が済まない。


 レイラの細い首を締めていたときの感触がありありと蘇る。苦しげに歪む表情すらも、見惚れるほどに美しかった。


 彼女の心も、苦痛も悪夢も、何もかもすべて僕のものだ。彼女を僕のものにするためならば、どんなことだってできてしまいそうな気がする。


 ぐちゃぐちゃと渦巻く感情に目眩を感じて、壁にかけられた肖像画からゆっくりと体を離す。その拍子に、机の上に並べられた手紙のうちの一枚がひらひらと舞い落ちた。


 かがみこんでそれを拾い上げれば、レイラの美しい字が見える。手紙を綴った彼女の指の熱をたどるように、文字をそっと指先でかすめた。


 窓から差し込んだ月の光が、手紙に指の影を落とす。窓の外には、レイラを閉じ込める高い塔が見えていた。


 ――先日で、私たちが婚約してから七年が経ちました。すでにこんなにも長く殿下のおそばに置いていただけたこと、心から光栄に思います。どうかこの先も、殿下にお仕えすることを許してくださいますように。


 拾い上げた手紙に綴られているのは、捉えようによっては婚約に対する義務感しか読み取れない文面だ。彼女にとってはすこしも特別ではないであろう手紙だが、無下に扱うことなどできるはずもない。彼女の文字を美しいままに読み取れるよう、壊れ物を扱うように丁寧に触れていた。

 

 ……その一方で、僕はレイラをぼろぼろに傷つけているのか。


 我ながらどうかしている。説明しがたい矛盾に気づいてしまって、なんだかおかしくてたまらなかった。


 撫でるように手紙に触れながら、レイラを閉じ込めた塔を見やる。手紙を大切にすることも、彼女を監禁することも、どちらも同じ想いからやっていることなのに、どうしてこんなにもちぐはぐに思えるのだろう。

 

 笑い出したいような衝動が込み上げてきて、くつくつと自嘲気味な笑い声を上げながら、椅子の背もたれに寄りかかった。


 どのくらい、そうして笑っていただろう。ふっと糸が切れたように可笑しさが消えて、俯き気味につぶやいた。


「レイラ……」


 目の前にはいない彼女の名を呼んで、手紙に縋り付く。


 こんな事態になってもなお、眼裏に浮かび上がる彼女の姿は、僕に名前を呼ばれて小さく微笑む可憐な姿のままだった。

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傷心公爵令嬢レイラの逃避行 染井由乃 @Yoshino02

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