第9話

「一体、どこから話せばいいのかしらね」


 グレーテさんを子供部屋でお昼寝させ、割れたティーカップを片付けたシャルロッテさんは、新しく淹れ直したお茶を一口口に含んで小さな息をついた。私の目の前にもティーカップが置かれているが、何だか今は飲む気になれない。


「……結論から言うとね、グレーテの言ったことは全部本当なの。私も兄さんも、もう何百年も生きてる。……私たちだけじゃない、この街で暮らすルウェイン一族はほとんどそう」


「何、百年……ですか」


 どういう訳なのか、まるで見当もつかない。あまりの衝撃に、ただ、シャルロッテさんの言葉を繰り返すしか出来なかった。


「すぐには信じられないでしょう? でも、本当なのよ。私たち、ルウェインの末裔にはある呪いが掛けられているの。御伽噺のあの時代、ルウェイン一族がある魔物を滅ぼしたときに受けて、今も血と共に脈々と受け継がれている忌まわしき呪いがね」


 シャルロッテさんは真剣そのものの目で私を見ていた。息をするのも忘れる勢いで、シャルロッテさんの言葉に耳を傾ける。


「……私たちにかけられているのはね、『運命の人』と結ばれなければ、死ねない呪いよ。ふふっ、言葉だけ聞けば随分ロマンチックでしょう? 私も初めて聞いたときは、何て素敵な呪いなのかしらって思ったわ」


 敢えて明るく話し続けるシャルロッテさんの姿が、何だか痛々しくてならなかった。彼女はそのままの勢いで話し続ける。


「20歳までに『運命の人』と結ばれていなければ、その時点で私たちの時は止まるの。20歳の姿のまま、ただ時間だけが過ぎて行くのよ。初めは良かったわ。いつまでも若々しいままでいられるし、好きなことに思う存分打ち込んで有意義に過ごしたの」


 そこまで話して僅かにシャルロッテさんの瞳が翳る。その瞳に宿った闇の深さに、ぞわりと寒気が走った。


「でも、何十年か経ったときに気づくの。あとどれだけこの生活が続いていくのかしらって。……終わりが見えないっていうのは、想像以上に心を病ませるものなのよ。延々と続いていく時間の中で、気が狂いそうになったこともあったわ。……そうね、正直に言えば自死を試みたこともあるくらい」


 いつもあんなに明るく笑うシャルロッテさんが? 人の心の内は分からないものだけれど、でも、とても自死を考えたことのある人には見えなかった。彼女の快活さにいつも救われているだけに、その衝撃は計り知れない。


「死にたくても死ねない。いつまで経っても『運命の人』とやらは現れない。本当に……本当に心が壊れるかと思った。でも、流石同じ呪いを持つルウェインの一族とでもいうのかしら。私よりも更に何百年も生きていた友人や街の人たちに言われたの」

 

 シャルロッテさんの瞳に宿った影が薄れ、彼女はどこか儚げな笑みを浮かべた。


「……私たちの運命の人は、少し御寝坊さんなだけだよって。永遠なんて無いのだから、いつか必ず出会えるはずだって……。私はもう、その言葉に縋るしかなかった」


 シャルロッテさんは今も椅子に座ったままのクマのぬいぐるみを眺めてふっと笑うと、そのふわふわとした毛並みを撫でる。


「それから間もなくして、私はラルフに出会ったの。不思議なことにね、私たちルウェインの一族は、『運命の人』に出会ったら一目見ただけで分かってしまうのよ。私、ラルフを見つけた瞬間、初対面なのに胸倉を掴んで言ってやったわ。『本当に御寝坊さんね』って。……そうしたら、今までの苦しみがどうでもいいくらいに満ち足りた気持ちになったの。今までずっと死にたかったくせに、ラルフに会った瞬間、この人といつまでも一緒にいたいって思ったんだから笑っちゃうわよね」


 一通り話終えたシャルロッテさんは、再びティーカップに口をつける。やはり、私はまだ紅茶を飲む気になれなかった。あまりにも壮大すぎる話に、一応の理解を得ても、シャルロッテさんやリーンハルトさんの数百年の孤独を思うと胸が詰まった。


「グレーテは早いとこ運命の人に出会えたら良いのだけれどね……。私とラルフが生きているうちに、グレーテの花嫁姿を見てみたいものだわ」


 シャルロッテさんの見た目の年齢にはそぐわぬ台詞だったが、今ならその言葉に複雑な思いと祈りが込められていることがわかる。


「……呪いに限りはないのですか? この先も、ルウェインの血が続く限り終わらないのでしょうか?」


「魔法を使うことが出来ないくらいルウェインの血が薄ければ、呪いは発動しない、という説を唱えている人も中にはいるわね。どのみち、グレーテの世代ではまだ血が濃すぎて、この説が正しかったところで呪いからは逃れられないんでしょうけれど……」


 シャルロッテさんは、どこか諦めに近い笑みを浮かべて、私を見つめた。


「この呪いがアルタイル王家に伝わらなかったのだけは不幸中の幸いね。王家の始祖に当たるお伽噺の姫君の孫が、ルウェインの呪いを受けるその前に、王国の平和を願って魔法を捨て、ルウェインと関わりなく生きていたおかげでこの呪いから逃れられたけれど……もしその機転が働いていなければ、最悪王家も呪われていたかもしれないわ」

 

 王家に呪いが掛けられていたら、それはもう目も当てられぬ悲惨な状況になっただろう。一人の王が数百年の間王国を統治するのだ。権力争いなどは無くなるかもしれないが、とんでもない独裁国家になりかねない。


 それにしても、と私はぎゅっと手を握りしめる。話を聞いている間に汗ばんでいたらしい掌が、僅かに震えていた。


 この幻の王都の住民が若者ばかりである理由は、この呪いのせいなのね。


 あまりに残酷な呪いだ。数百年の孤独に耐え、いつ現れるか分からない「運命の人」を待ち続けるなんて。それにもかかわらず、明るく穏やかな街を作り上げた人々の精神力は心からの尊敬に値する。ルウェインの人々は、本当に強い人たちだ。婚約者を妹に奪われたくらいで死にたいと考えていた自分が恥ずかしくてたまらなくなる。


「重い話をしてしまってごめんなさいね。でも、どのみちレイラは知ることになったと思うから……」


「……いいえ、丁寧に話してくださってありがとうございました。シャルロッテさんを始め、この街の方々を本当に尊敬します」


「ふふ、ありがとう。まあ、みんな心が折れ掛けてそれで強くなっているようなものよ。生まれたときは王国の人たちと何も変わらないわ」


 シャルロッテさんは勢いよく紅茶を飲み干すと、私に軽くウインクをした。


「まあ、これで多少は兄さんの奇行をフォロー出来たかしら。一緒に住んでいたら分かると思うけれど、兄さんは初対面の女性に結婚を申し込むようなタイプじゃないでしょう?」

 

 突然のことで話の展開についていけず、私は曖昧な笑みを浮かべてしまう。


「え、ええ……そうですね。リーンハルトさんは軽薄な方ではありません」


「もう、まだわからない? 兄さんはレイラを待っていたのよ、数百年もの間ずっとね。あの日、レイラに会えてよっぽど嬉しかったんでしょうね。……だから、あの無神経なプロポーズのことは大目に見てあげて」


「え……?」


 シャルロッテさんの言葉の意味を数秒間考え、理解した瞬間、顔から火が噴き出そうなほどに熱くなった。


 そんな、そんなことってあるのかしら。


 私はどうしたらよいか分からず、とりあえず目の前の紅茶を一気に煽った。ぐごくごく、と品の無い飲み方をしてしまうが、こうでもしなければこの身体の熱を冷ませない。


 まるで、甘い御伽噺のようだわ。


 私が、リーンハルトさんの「運命の人」かもしれないなんて。

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