番外編3 少し先の未来の話と卵料理
全編
「それじゃあ、ジェシカ。お願いするわね」
「私がレイラお嬢様にお教えするなんて……恐れ多いです!」
「そんなこと気にしないで、厳しく教えてほしいわ。リーンハルトさんのためにも、美味しいお料理が作れるようになりたいの」
シンプルな紺色のワンピース姿にエプロンを着けたジェシカを前に、本日何度目か分からない問答を繰り返す。
リーンハルトさんと結婚して半年が経とうかというこのところ、練習の甲斐あって、殆ど私一人で料理を作ることが出来るようになっていた。それでも週に一度ほど、シャルロッテさんに定期的に指導していただいているのだが、今日は彼女の代わりにジェシカに来て貰っている。
そのわけは、昨日の朝、突然に打ち明けられたシャルロッテさんの告白にあった。
「うん、なかなかいい感じよ。レイラもすっかり料理が出来るようになったわね」
兄さんは壊滅的だったからありがたいわ、と呟きながらシャルロッテさんはスープを味見するために使用したスプーンを置く。家事全般に置いて師と呼ぶべきシャルロッテさんに褒めていただけるととても嬉しい。
「ひどいな、シャルロッテ。僕だって真剣に挑んだんだよ」
休日らしくラフな白いシャツ姿で私たちのやり取りを見守っていたリーンハルトさんが、どこか不服そうに反論する。どうやらリーンハルトさんにもお茶を淹れる練習がてら料理に挑戦した時期もあったそうなのだが、シャルロッテさん曰く「センスが壊滅的」だったそうだ。それ以来、シャルロッテさんからお料理をすることを禁じられているらしい。
「最早、あれは新種の魔法薬というべきよ……。妙なところに魔法が作用して、大変なことになっていたわ……」
処理するのに苦労したのよ、と嘆くシャルロッテさんを、リーンハルトさんはやっぱり不満げな顔で見つめていた。何だかんだ言って仲の良い兄妹だ。
「とにかく、レイラもここまで上達したならスープはもう問題ないわね」
シャルロッテさんはスープ鍋に蓋をして、軽くウインクをする。どうやら合格点を貰えたようで一安心だ。
「ありがとうございます、シャルロッテさん。この調子で精進して参りますね」
「レイラはいいお嫁さんね。本当、兄さんには勿体ないくらい」
シャルロッテさんは手際よくエプロンをまとめると、不意に思い出したように私たちを見つめた。
「ああ、そうそう。二人に話があるの」
「何でしょうか?」
さりげなくシャルロッテさんに椅子を勧めながら、私も彼女の隣に着席する。シャルロッテさんは、そのままさらりと衝撃的な告白をした。
「実は、私、お腹に赤ちゃんがいるの」
「……え?」
「生まれるのはまだ半年以上先ね。そういう訳で出産の前後は魔法具店をお休みしようと思っているのだけれど――」
「――おめでとうございます! シャルロッテさん!」
思わず、シャルロッテさんの言葉を遮るようにして彼女の手を握りしめる。前々から第二子を望んでいることは察していただけに、思わず自分の事のように喜んでしまった。
「ありがとう、レイラ」
シャルロッテさんはどこか気恥ずかしそうな、それでいて満ち足りた微笑みを見せてそっとお腹を撫でた。
「全然知らなかった。おめでとう、シャルロッテ。早速祝賀会の準備でも――」
「兄さんはグレーテのときもそうだったけど、大袈裟なのよ!」
「いけません、シャルロッテさん。そんなに大きな声を出しては……」
「そうだよ、シャルロッテ。今すぐ横になったほうがいいんじゃ……」
とりあえず、体を冷やしてはいけないだろうと思い、私は慌てて自分の分の膝掛けをシャルロッテさんの膝掛けの上に重ねた。リーンハルトさんはリーンハルトさんで、大真面目にソファーに横になることを勧めている。
「何なの、この過保護な夫婦……」
シャルロッテさんが若干引いたような目で私たちを見ていることに気づき、はたと我に返る。ベスター一家に新たな命が仲間入りすることが嬉しくて、つい大仰になってしまった。シャルロッテさんも病人のように扱われては気分が悪いだろう。
「あの、申し訳ありません。つい、嬉しくて……」
思えばお腹に子どもがいる女性を前にするのは、ローゼの件を除けば、殆ど初めてと言ってもいい。どのように対応するのが正しいのか分からないのが本音だった。
「謝ることなんて無いわ。ありがとう、二人とも。そんなに喜んでくれて嬉しいわ」
そう言いながらも、シャルロッテさんはリーンハルトさんから軽く視線を逸らしていた。恐らく、リーンハルトさんに過保護なくらいに心配されるのが気恥ずかしいのだろう。私も体調を崩したときには同じ感情を味わうので、シャルロッテさんの気持ちはよく分かった。
「グレーテも大喜びなんじゃないかい?」
何とか落ち着いたリーンハルトさんは椅子に座り直しながら、穏やかな笑みを零す。新たな甥か姪の誕生が本当に楽しみなのだろう。
「そうね。毎日ラルフと一緒に私のお腹に話しかけているわ」
何とも温かく幸せな家族像だ。想像しただけで頬が緩んでしまう。
「さっきの話に戻るけれど、そういう訳だから出産前後は魔法具店をお休みしようかと思っているの」
「そうするといい。何なら明日から休んだって構わないよ」
「本当に兄さんは過保護よね……」
本当ならばここで「私がお店をお預かりします」と言えたらいいのだが、何分魔法具のことは魔力の無い私には扱いきれないのだ。同じ見た目の道具でも、かけられている魔法が異なっていたりするため、私がシャルロッテさんの代わりに店主を務めるのはどうしたって無理がある。
「シャルロッテさん、私に出来ることがあれば何でも言ってくださいませ。シャルロッテさんには遠く及びませんが、簡単な料理も作れるようになったことですし……」
「ありがとう、レイラ。甘えることもあるかもしれないわ」
シャルロッテさんのためにも、より料理の練習に励むことにしよう。そう、心に決めた瞬間だった。
そういう訳で、料理の指導はシャルロッテさんではなくジェシカにお願いしている次第なのだが、当のジェシカは私に物事を教えるということに抵抗があるらしく、恐縮してばかりいる。私が公爵家を出てかれこれ一年半が経とうとしているのだから、そろそろ「お嬢様」扱いも抜けてきたかと思っていたのだが、考えが甘かったようだ。
「シャルロッテさんのためにも、栄養たっぷりなお料理を作りたいわ。教えてくれないかしら、ジェシカ」
ジェシカの目をまっすぐに見つめて頼み込めば、彼女はついに折れたようで小さく頷いてくれた。
「分かりました。あくまでも、庶民の料理になってしまいますが……」
「温かくて、とっても美味しいわよね。ジェシカに教えてもらえるなんて、光栄だわ」
「私には、勿体ないお言葉です。レイラお嬢様」
二人で並んで、キッチンへ向かう。公爵家にいたころには考えられなかった光景だが、これが当たり前になっていけばいい。そう、密かに願うのだった。
「素晴らしいわ、ジェシカ。ジェシカは、お料理の才能もあるのね」
まずは得意料理から、とジェシカが教えてくれたのは卵料理だった。公爵家では十数年間を共にした仲とはいえ、ジェシカの手料理を見るのは初めてのことだ。綺麗に包まれたオムレツを見て、改めて彼女の器用さに感嘆する。
「大袈裟ですよ、お嬢様。このところ、実家で少し手伝いをしているだけです」
「ご実家ではジェシカもお料理をするの?」
ジェシカは平民とはいえ、名の知れた商家の娘なのだ。下手な貴族の家よりは裕福な暮らしをしていると言ってもいい。当然、彼女の実家ではジェシカこそが「お嬢様」であり、彼女に仕える使用人だっているはずだ。
「あまり使用人は多くありませんし、何よりメイドとして働いていた頃の癖が抜けなくて、じっとしているのが嫌いなんです」
ジェシカはどこか気の抜けたような笑い方をして、ナイフとフォークを用意した。彼女の目の前には、私が作った不格好なオムレツが置かれている。
「こちら、味見させていただきますね。お嬢様はよろしければ私の作ったものをお召し上がりください」
「いざジェシカに食べてもらうとなると緊張するわ……。あまり上手くいかなかったもの」
「お嬢様がお作りになったものなら何でもおいしいですよ」
「それでは困るのよ、ジェシカ……」
本当に、ジェシカは何でもおいしいと言いそうな気がしてならない。公爵家にいたころは甘やかされるなんて経験が無かったが、近頃はその十数年分の甘さがまとめて私に降りかかっているような気がしてならない。
「お言葉に甘えて、私もいただくわね」
ジェシカの作った綺麗なオムレツにそっとナイフを入れる。形が崩れない程度に半熟な中身は、見た目だけでも食欲がそそられる。ここまで綺麗な卵料理が作れるなんて、ジェシカは本当に料理が得意なのだろう。
「っ美味しいわ、ジェシカ。これは絶品よ!」
「お褒めにあずかり光栄です、お嬢様」
ジェシカは慎ましく微笑みながら、続けて私の作ったオムレツを口に運んだ。ゆっくりと味わうような彼女の表情を見ていると、何だかどきどきしてしまう。
「どうかしら?」
ジェシカが一口分のオムレツを飲み込んだのを機に、こらえきれず感想を強請ってしまう。ジェシカはすぐに満面の笑みを浮かべて告げた。
「とても美味しいです、お嬢様」
「本当に? 改善点を教えてもらえると嬉しいのだけれど……」
「本当に美味しいですよ。強いて言うならば、火加減の調節次第でより柔らかくなると思われますので、次回挑戦するときにはそのあたりに注意していただければ完璧です」
「火加減ね、分かったわ」
そう言って、私も自作のオムレツを一口食べてみる。確かにそう悪くない味だが、ジェシカの作ったものに比べるとかなり固い気がする。やはり、火加減に大幅な改善の余地がありそうだ。
「お嬢様ならすぐに上達なされますよ。きっと、シャルロッテ様もリーンハルト様もお喜びになられます」
「ふふ、そうだといいけれど」
シャルロッテさんとリーンハルトさんにお出しできるようになるのは、もう少し先になりそうだ。こればかりは繰り返し練習するしかない。
「それにしても、シャルロッテ様がご懐妊なさったのは本当におめでたいですね。御令息がお生まれになるのか、御令嬢がお生まれになるのか、私も楽しみです」
「そうね。どちらでもとびきり愛らしいに違いないわ」
新たな家族の誕生が、待ち遠しくてならない。ベスター家は一層賑やかになるのだろう。
「お嬢様がお産みになる御子も、きっとそれは天使のように愛らしいはずですよ」
「……ふふ、縁があればいいのだけれどね」
こればかりは、密かに祈り続ける他にどうしようもない。あの事故を機に、一度は途絶えた月のものも、このところは順調に訪れているとはいえ、不安はあった。正直、もう子どもは産めない体だと言われてもおかしくないだけの事故に遭ったのだから。
リーンハルトさんは、もちろんそれを責めたりはしない。彼は私との日常を心から望んでくれているし、私も彼と二人で過ごす時間が何よりも大好きだ。
だから、多少楽観的になってしまうのかもしれないが、この件に関しては深く考えすぎないようにしているのだ。ご縁がありますように、と祈ることに留めている。
「そうですね。……どんな形であれ、お嬢様が心穏やかに暮らしていただければ、私はもうそれ以上を望みません」
「ありがとう、ジェシカ。私はもう充分幸せなのよ。……ジェシカはもう少し自分のことを考えてもいいと思うわ」
ジェシカは会うたびにいつも私の安寧を祈ってくれるが、それと同じくらい私も彼女の幸せを願っていることに気づいているだろうか。ジェシカも好きで私に会ってくれていることだし、私に囚われている、何ていう考えはむしろジェシカに失礼だと分かっているのだが、もう少し自分のために時間を使ってもいいような気がしてしまう。
だが、不意に見せたジェシカの表情が想像以上に生き生きとしていて、それは杞憂だったのかもしれないと思い知らされた。
「実は、実家の手伝いが意外にも性にあっておりまして、充実した毎日を送っております。他の商会との交渉などにも参加していて……その甲斐あって、今度、隣国で大人気の織物を扱うことが決まったのです。お嬢様にもお持ちいたしますね」
「素晴らしいわ。ジェシカは商才もあるのね」
「私も意外でした。ご入用の物があれば、何なりとお申し付けくださいませ」
「ふふ、早速商売上手ね。私も負けていられないわ」
ジェシカに対抗するわけではないが、以前、リーンハルトさんが提案してくださった、「教師」という道を少しだけ現実的に考えてみる。まずは、ジェシカの商会に教本を依頼するところから始めようかしら。
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