番外編4 三年目の贈り物

全編

「先生、さようなら」


「はい、さようなら」


「次回までにこの部分の刺繍、終わらせてきます!」


「ご無理はなさらないでくださいね」


 幻の王都の教会の片隅で、二日に一度の教室が今日も幕を閉じる。数人の生徒が使った教本や刺繍の木枠を片付けながら、窓から差し込む夕焼けに目を細めた。


 リーンハルトさんと結婚してから3年が経とうかという頃、22歳になった私は、シャルロッテさんのお店を手伝う傍ら、こうして二日に一度、簡単な「教室」を開いていた。内容は生徒の望むものなら何でも、だ。文豪作品の解釈から刺繍の方法まで、生徒の数だけ教える内容がある。


 現在は生徒は十数名くらいで、年齢も子供から大人まで様々だ。特に、刺繍は大人の女性に人気があり、幻の王都の一部ではちょっとした話題になっているらしい。


「今日も大盛況だな、レイラ先生」


 教会の一室を貸してくださっているのは、リーンハルトさんのご友人であるハイノさんだ。彼の家は代々教会の管理人を務めているらしい。魔術師団のお仕事もあるというのに、なかなか多忙な方だ。


「本日もありがとうございます、ハイノさん」


「いや、賑やかになっていいことだ。数年に一度の結婚式で使われるだけじゃ、この建物も報われないからな」


「ふふ、そろそろ挙式の依頼が来るといいですね」


「本当にな。……ああ、リーンハルトはもうすぐ来るはずだ。君たちは相変わらず仲がいいよな。いつまで経っても新婚夫婦みたいだ」


 「教室」として使わせていただいているこの教会は、魔術師団の本部と近いこともあって、リーンハルトさんと待ち合わせて帰るのが常だった。そのまま屋敷へ向かうこともあるし、ちょっとした寄り道をして帰ることもある。夕暮れから夜にかけてのこの時間が、私は大好きだった。


 それに、今日はリーンハルトさんにお知らせしなければならないこともある。彼はどんな表情をするだろうかと考えて、思わず頬が緩んでしまった。


「リーンハルトに会えるだけでそんな風に微笑むんだから、レイラ嬢は可愛いよな。あいつが溺愛するのも納得せざるを得ないな」


「友人の妻を口説くなんて、いい度胸してるね、ハイノ」


 教会の入口から響いたその声に、ハイノさんはあからさまにしまったという表情を見せる。振り返れば、そこには魔術師団の外套を羽織って意味ありげに微笑むリーンハルトさんがいた。


「お前、もう来たのか……。どれだけレイラ嬢に会いたいんだよ……」


「本部から、レイラの生徒たちが帰っていく様子が見えたからね。レイラを待たせるわけにはいかないだろう」


 そう言いながら颯爽と私の隣を陣取ったリーンハルトさんは、そっと私の頬に口付けながら甘く微笑んだ。


「ただいま、レイラ。今日もお疲れ様」


「お帰りなさいませ、リーンハルトさん」


「ここはお前の家じゃないだろ……リーンハルト」


 ハイノさんはげんなりしたようにリーンハルトさんを見つめていたが、その視線を受けてリーンハルトさんは私の肩を抱いてふっと笑う。


「馬鹿だな、レイラのいる場所が僕の帰るところなんだよ」


「ああ、ああ、聞いた俺が悪かったよ。邪魔者はさっさと退散しますよ、っと」


 それじゃあな、レイラ嬢、と私に小さく手を振って、ハイノさんは教会の奥へと消えていった。似たようなやり取りはもう何度も繰り返しているだけに、ハイノさんの気持ちを思うとつい苦笑いが零れてしまう。

 

「今日も無事に教室は終わった?」


 リーンハルトさんはさりげなく私の亜麻色の髪を梳きながら、穏やかに微笑んでくださる。私は手に持っていた教本をぎゅっと握りしめて頷いた。


「ええ、刺繍を習っているある方の腕が、だんだんと上達してきてとても嬉しく思っているところです。それに、今日は私の好きな文豪作品を読んでみたいと言ってくださった子もいたのですよ」


「ああ、レイラの好きな作品って、今抱えてるその本だよね? 面白いよね、僕も何度も読み返したよ」


 リーンハルトさんは何気なく生徒さんが座る椅子に腰かけると、机に軽く肘をついてこちらを見上げてきた。夕暮れの光も相まって、たったこれだけでも一枚の絵のように印象的な光景になってしまうのだからリーンハルトさんには敵わない。


「レイラはいつもそこに立ってみんなに教えてるの?」


「そういう場合もありますが、殆どは個人の机を巡回する形でお教えしています」


 内容が各々違うこともあって、その方法が一番教えやすいのだ。作業の内容によっても場所を分けているので、それなりに学びやすい環境になっていると思う。


「じゃあ、、一つ質問いいですか」


「ふふ、何でしょう、リーンハルトさん」


 こつり、と靴音を響かせてリーンハルトさんの机の前に歩み寄れば、彼は私の目を見上げるようにして笑みを深める。彼に見上げられるなんてことは滅多にないので何だか新鮮な気分だ。


「僕の奥さんが、結婚3年目のお祝いに何が欲しいのか教えてほしいな」


 リーンハルトさんとの結婚記念日は、毎年贈り物を贈りあいながら二人でささやかなお祝いをするのが習わしだった。今年の結婚記念日も近付いているので、用意周到なリーンハルトさんはそろそろ贈り物を準備し始める頃だろう。


 ちょうどいい、これを機に打ち明けて見ようか。


 私はリーンハルトさんと机を挟んで向かい合うように椅子に腰かけると、少しだけ早まる脈を悟られぬようにそっと告げた。


「そうですね。……では、小さな愛らしい命が眠るための素敵な揺りかごをひとつ、お願いしたく思います」


 夕暮れが滲む教会の中で、一瞬、時が止まったかのような感覚を覚えた。いつだって余裕綽々なリーンハルトさんが、あからさまに固まっているのが分かる。それが何だか可愛らしくて、思わずくすくすと笑ってしまった。


「えっと……レイラ、それはつまり……」


 椅子から立ち上がって机に身を乗り出したリーンハルトさんは、戸惑いを隠しきれないまま口を開く。私もそっと立ち上がって、彼の両手を握りながら頬を緩めた。


「ええ、実は、リーンハルトさんの御子を授かりましたの。今朝、お医者様に診ていただいたばかりなのですけれど……」


 多分、王国の医療技術ではまだ確定できないような時期なのだが、幻の王都のお医者様は魔法を上手いこと使用なさっているようで、早い段階から分かるのだという。かつては便利な使い道もあるものね、何て他人事に思っていたが、今となってはありがたい話だ。


 命が宿っているであろう下腹部にそっと手を当てると、それだけで温かいような気がしてしまう。3年の結婚生活の内に、事故のことも相まって子どもはもう望めないかもしれないと心のどこかで諦め始めていただけに、この巡り合わせは本当に嬉しかった。


 その瞬間、ふわりと体が浮く。改めて感動している隙に、いつの間にかリーンハルトさんが私を抱き上げていたらしい。驚く間もなく、今にも泣き出しそうなくらいに目を潤ませたリーンハルトさんと目が合った。


「夢みたいだ……ありがとう、レイラ、本当に……」


「ふふ、お礼を言って頂けるようなことはまだ何もしておりませんわ。全てにおいてこれからですのに」


「それもそうだ……ああ、何から準備すればいいかな。今すぐ揺りかごを見に行く?」


「先ほどはあのように申し上げましたが、生まれるのは次の春ですからゆっくりでいいのですよ」


「次の春か……待ち遠しいな。名前を考えないと」


 リーンハルトさんは私を抱き上げたまま、どこか落ち着きなく教会の中を歩きまわった。結婚して3年になろうかというこの時期に、リーンハルトさんの新たな一面がみられると思っていなかったので、何だか新鮮な気持ちだ。


「レイラの亜麻色の髪を受け継いだ子が生まれるかな」


「私としましては、リーンハルトさんの黒髪がとても好きですから、黒髪を持って生まれてくれると嬉しく思っています」


「その可能性の方が高いな……。僕の家はどうも黒髪の形質の方が強いみたいで、代々黒髪の子ばかり産まれるんだ」


 シャルロッテのとこもそうだろう、とリーンハルトさんは笑う。確かに意識してみたことは無かったが、シャルロッテさんのお子様は二人とも黒髪だ。


「ああ、楽しみだな。あの屋敷に新しい家族が増えるのか……」


 リーンハルトさんは未だ夢見心地と言った調子でそんな言葉を呟いた。きっと、想像もできないくらい忙しくなるだろうけれど、新たに宿ったこの小さな命の未来を想うと、それだけで温かな気持ちになる。


「とりあえず、明日にでもシャルロッテから出産までに準備するべきことを聞いてくるよ。レイラは安静にしてるんだ」


「ふふ、何だか出産までリーンハルトさんにずっと心配され続けるような気がして参りました」


 彼の過保護なくらいの愛情が、この上なく発揮される時期なのではないだろうか。呆れたような目でリーンハルトさんを見つめるシャルロッテさんの顔が浮かぶようで、思わずくすくすと笑ってしまう。


「心配しすぎて悪いことは無いだろう? ……まあ、レイラに嫌われたら元も子もないから、嫌だったらすぐに言ってほしいけど」


「リーンハルトさんにされて嫌なことなんて、何も無いといつも申し上げておりますのに」


 この調子だと、リーンハルトさんはお腹の子にも過保護に接しそうだ。それはもう、食べてしまいたいくらいに子どもを可愛がるリーンハルトさんの姿が想像できてしまって、甘すぎるほどの幸福の味に今から顔がにやけてしまう。


「レイラも大概、僕を甘やかしている気がするよ」


 リーンハルトさんはにこりと笑って不意に私の唇を奪うと、教会の扉の方へを歩き始めた。


「今日はこのまま帰ろうか」


「こ、このままですか?」


「身重の奥さんを家まで歩かせるわけにはいかないからね。それに、僕にされて嫌なことは無いんだろう?」


「た、確かにそう申し上げましたが……」


 これは何だかしてやられた気分だ。まさか前言撤回をするわけにもいかないし、何よりこの調子のリーンハルトさんが私を降ろしてくれるとは思わなかった。


「……まさか、この先出産まで移動は常にこの形、というわけではありませんよね?」


「どうだろうね?」


 リーンハルトさんの笑みが深まるときは、大抵嫌な予感が当たるときと相場が決まっている。リーンハルトさんなら本当にやりかねない。


 これは、シャルロッテさんの協力が必要になりそうね、と心の中で覚悟を決めながらも、変わらずに溺れるほどの愛を向けてくれるリーンハルトさんへの想いが、また一つ深まるのを感じたのだった。

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