第27話

 リーンハルトさんからしてみれば、私がここにいるのが予想外だったのだろう。紫紺の目を見開いて、こちらを見つめている。


「……レイラ?」


 リーンハルトさんの周りには先ほどまで訓練をされていた魔術師団の方々がいて、書類を落として驚きに目を見開く師団長を気遣うような声が聞こえてくる。


 私はその場で軽く礼をし微笑みかけようと思ったのだが、駆け寄ってきたリーンハルトさんにいつの間にか抱きしめられていた。お屋敷での出迎えではすっかり恒例になった抱擁だけれど、まさか大勢の目があるところでもなさるとは思わなくて、途端に頬に熱が帯びる。現に、すぐ傍にいるであろうガブリエラさんの視線が気にかかって仕方が無かった。


「レイラ、どうしてここに?」


 ひどく焦ったような声音だった。過保護なくらいに心配性のリーンハルトさんだから仕方がないのかもしれない。


「お仕事のお邪魔をして申し訳ありません。実は、シャルロッテさんからお使いを頼まれましたので、お店の使いとして魔法具をお届けに上がったんです」


「シャルロッテが……? レイラを使いに出すなんて……」


「グレーテさんが熱を出されてしまったので、私から申し出たことなのです」


 私はそっとリーンハルトさんの肩に手を当て、少しだけ体を離すように力を込める。


「あ、あの、それより……こんな大勢の方の前で抱きしめられるのは恥ずかしいですわ」


 私から体を離したせいで、一瞬絶望のような表情を浮かべていたリーンハルトさんだったが、ここが職場だったことを思い出したのか、誤魔化すような笑みを浮かべた。


「そ、それもそうだね……僕としたことが、レイラに何かあったかと思ってつい……」


 リーンハルトさんは私から腕を離すと、代わりに私の頬にかかっていた亜麻色の髪を耳にかけた。そんな何気ない仕草にもリーンハルトさんの愛情を感じて、脈が早まってしまう。


「ちょうど訓練も終わったんだ。一緒に帰ろうか」


「大丈夫なのですか?」


「うん、今日は本当にこれで終わりだったからね」


 リーンハルトさんは何気なく私の髪を手で梳きながら、ちょっと待っててね、と私に言い聞かせる。リーンハルトさんは職場でもこんな調子なのだろうか。


「師団長、ではレイラ殿を出口付近までご案内しておきます」


 ガブリエラさんが敬礼をしてから凛とした声で告げた。


「ああ、それがいいかな。じゃあ、お願いするよ。ありがとう、ガブリエラ」


「お任せください」


 リーンハルトさんは再び私の頭を撫でると、踵を返して訓練をしていた魔術師団の皆さんの方へ戻っていった。

 

「あの師団長が……」

「師団長が女の子を抱きしめるとか、あるんだな……」


 リーンハルトさんが遠ざかっていくと、他の魔術師団の皆さんの声が聞こえてきて何だかいたたまれない気持ちになる。職場でのリーンハルトさんがどんな調子なのか分からないが、気軽に女性を抱きしめるような人でないことは確かなのだろう。


 ふと、視線を感じて見上げれば、ガブリエラさんはどこか気の毒そうな目で私を見下ろしていた。






 

「……師団長はいつもあんな感じなのか?」


 私とガブリエラさんは、建物の影になる部分でリーンハルトさんを待っていた。先ほどの私とリーンハルトさんの抱擁を見て以来、ガブリエラさんはずっと私を憐れんでいるような気がする。


「え、ええ……近頃はそうですね」


「師団長に愛されるなんて……その、大変そうだな。あの調子じゃもう逃げられないぞ」


「に、逃げるだなんてそんな……」


 リーンハルトさんに大切にされている私が憐れまれるほどの何かが、リーンハルトさんにあるとは思えないのだが。もしかして、職場ではものすごく厳しかったりするのだろうか。


「魔術師団でのリーンハルトさんは、どのような様子なのですか?」


 純粋に気になってしまう。恋焦がれる人の新たな一面に興味があった。


「そうだな……。基本的には優しい人だ。口調も穏やかだし、紳士的だしな。ただ……訓練はかなり厳しい。あの人は自分の魔力が強すぎるせいか、私たちに要求するレベルがどうにも高くてな。まあ、おかげで日々上達はしているんだが……」


 ガブリエラさんは苦笑交じりに小さく嘆いた。御伽噺の姫君の直系子孫であるリーンハルトさんは、やはり魔力が強いらしい。改めて、尊敬の念を深めた。


「あとは……怒らせたら怖いらしいが、まあ、レイラ殿は気にしなくてもよいだろう。あの調子の師団長がレイラ殿を叱りつけることなんてないだろうからな」


「それは……どうでしょう」


 あのロケットを見てしまったことが知られたら、多分、怒られるんじゃないだろうかと思う。そのくらい、あれは大切なものだったはずだ。


「どうしても鬱陶しくなったら、相談してくれ。魔術師団総員で師団長と戦って……勝てはしないだろうが、時間稼ぎにはなるだろう」


 大真面目にガブリエラさんが言うものだから、何だか可笑しかった。私がリーンハルトさんを鬱陶しく思うはずがないのに。


 でも、こんな軽口を叩ける程度なのだから、リーンハルトさんは魔術師団の皆さんに大切に思われているようだ。あんなにも穏やかな性格だから、心配していたわけではないのだが、それでもこうして実際に見てみると安心感が違う。


「ふふ、今日ここに来られてよかったです」


「そうか? まあ、実を言うと私も楽しかった。魔術師団に女性は少ないからな。今度は私が師団長の妹君のお店に伺うとしようか」


「まあ、それは楽しみです! きっといらしてくださいね」


「ああ」


 新たな友人が出来そうな予感に、私は頬が緩むのを抑えきれなかった。にこにこと笑えば、ガブリエラさんもふっと笑ってくれる。なかなかいい調子だ。


 そんな中、不意に聞き慣れぬ青年の声が響く。


「……アメリア姫?」


 何気なく、声のした方へ視線を移すと、紺色の外套を纏った白髪の青年がいた。例に漏れずこの青年も20歳くらいの見た目なのだけれども、真っ白な髪が印象的だ。瞳は血のような赤で、色合いとしては兎を連想してもよさそうなものだけれども、青年から滲み出る厳格な雰囲気がそれを阻んだ。


 それよりも、聞き慣れない名を呟いたその青年の赤い瞳が、確かに私を見つめていることに気づいて妙な胸騒ぎを覚える。


 アメリア姫? 


 一体どなたかしら、と思いながらも、不意に、ロケットの中のあの小さな肖像画が思い浮かんでしまったのは、恐らく間違いではなかったのだろう。白い髪の青年は、一気に私との距離を詰めると、私の両肩を揺らすように問い詰めた。


「アメリア姫? アメリア姫だろ? 何でこんなところに……? まさかリーンハルトの奴、禁術を……」


 ひどく混乱したような青年の様子が怖くて、私は何も言えなかった。代わりにガブリエラさんが私を守るように盾になってくれる。


「ハイノ副師団長、どなたと勘違いなさっていおられるのか存じ上げませんが、この少女は師団長の客人です。あまり無礼な真似は避けた方がよろしいかと」


「客人……? あ、ああ、本当だ……生きてるんだね、君」

  

 嫌な予感が増幅していく。いきなり聞き慣れぬ名を呼ばれ、生きていることを不思議に思われるようなことを言われ、不安で仕方が無かった。思わず縋るように辺りを見渡してしまう。


 その先で、リーンハルトさんと目が合った。


 多分、考え得る限りの最悪のタイミングで。


「ハイノ……レイラに何しているんだ」


「リーンハルト……」


 リーンハルトさんはハイノさんに詰め寄ると、今まで一度も見たことのない冷え切った目で彼を見下ろした。


「ああ、なるほど、レイラに余計なこと言ったんだね」


「悪かった、リーンハルト。わざとじゃない。お前がもし禁術を使っていたら止めなければと思ったんだ」


「僕が禁術を使うような男だと思われていたことが残念でならないよ」


 多分、リーンハルトさんは怒っている。あんなに冷たい瞳は見たことが無いもの。


 そう、普段あれだけ穏やかで優しいリーンハルトさんを怒らせるだけの何かがあるのだ、この話には。


 そしてそれが、私がずっと気になっていたことに繋がるであろうことも察しが付く。


 何が起こっているのか状況がつかめなくて怖かった。油断すれば涙が零れそうなほどに混乱している。


「ごめん……レイラ。怖かっただろう。一緒に帰ろう」


「リーンハルトさん……アメリア姫とは、どなたですか?」


 怖くて仕方がないのに、聞かずにはいられなかった。リーンハルトさんはどこか寂し気に微笑みながら、そっと私の肩を抱く。


「ごめん……全部話すよ。本当はもっと早く、君に言わなければいけなかったんだ」


 その優し気な声の響きが、却って残酷に聞こえてならなかった。ずっと知りたかったことが明かされるはずなのに、ただただ私は逃げ出したいくらいの恐怖に捕らわれて震えていたのだった。

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