第26話
シャルロッテさんのお店で魔法具を回収し、私は魔術師団の本部を目指していた。木箱に入った魔法具は、中でカチャカチャと音を立てているので、恐らく壊れ物だろう。間違えて転んでしまっては大変だ。
木箱自体はものすごく重たいというわけではないけれど、ずっと持っていると腕が痺れそうなくらいの重さはあった。少なくとも、公爵令嬢だったときには持ったことが無い。
こんな光景、お父様やお母様が見たら失神しそうね。
慎重に魔法具を運びながら、くすり、と笑ってしまいそうになる。あの両親には、私は今の方がずっと幸せなのだと言っても通じないのだろう。今この瞬間も大切な友人の役に立っているというこの充足感は、公爵家にいたときには知らなかったものだ。
魔術師団の本部までは、お店からお屋敷の方向とは反対側に歩いて10分ほどであり、そう遠い距離ではなかった。あまり訪れたことのない地区だが、リーンハルトさんが羽織っている外套と同じものを身に纏った方々が大勢いて、どうやら道は正しかったらしいと一人安心する。
「お嬢さん、大丈夫? 持とうか?」
不意に、魔術師団の外套を纏った男性に話しかけられ、僅かに肩を震わせてしまった。完全に気が抜けていたせいだが、相手に不快な思いをさせてはいないかと恐る恐る顔を見上げる。
男性はやはり20歳くらいの見目の青年で、爽やかな笑みを浮かべている。魔術師団の外套を羽織っていることからしても、リーンハルトさんの同僚の方だろう。
持っていただくのは忍びないけれど、この荷物を運ぶ場所を教えていただければスムーズかもしれない。そう思い、口を開きかけたとき、青年の頬を強めに引っ張る女性が現れた。
「ハンス、お前なあ……こんなところで女性を口説くな。ここは仕事場だぞ」
凛々しい話し方をされるその女性もまた、20歳くらいの見目のレディだ。彼女も魔術師団の外套を纏っている。魔術師団の男女比がどんなものかは分からないが、女性の魔術師もいるのか、と興味深く思った。
「申し訳ないな、お嬢さん。ルウェイン魔術師団に何か御用かい?」
女性はハンスと呼ばれた青年を私から引き離しながら、にこりと微笑んだ。女性につねられ続けている青年の頬が痛そうで、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「……私は、シャルロッテ・ベスターさんのお使いで参りました、レイラと申します。本日はこれを魔術師団の皆さんにお渡しするよう申し付けられましたので、お届けに上がった次第です」
「シャルロッテ……? ああ、師団長の妹君のお店か! いつからこんな可愛らしい店員さんが増えたんだ?」
頬をつねられながらも、ハンスさんは目を輝かせて私を見つめる。見ていてかなり痛そうだが、それよりも、さらりと流された「師団長」という言葉が気にかかってならなかった。
「……リーンハルトさんは、師団長をされているのですか?」
「妹君のお店に勤めているのに知らなかったのか。師団長はルウェインの直系子孫だからな。代々ルウェイン家が師団長を務めているんだよ」
女性はそう言いながら、私の手からひょい、と木箱を持ち上げた。思わず女性を見上げると、軽くウインクをされる。
「受取状がいるんだろ? ついておいでよ」
ありがとうございます、という前に歩き出した女性を見て慌てて追いかける。頬をつねられていたハンスさんはいつの間にか解放されていて、やはり痛かったらしく一部分だけ妙に赤くなった頬を摩っていた。
あんまり可哀想で足を止めかけたが、ハンスさんは「ガブリエラについていきなよ」と、助言をくれた。私はぺこり、と一礼して凛々しい魔術師の女性ことガブリエラさんの後姿を追ったのだった。
「これでよし、と。じゃあ、これを師団長の妹君に。いつも助かっていると伝えてくれるかい」
受取状を書くために私は室内に案内されていた。調度品や家具は、手入れが行き届いているのだけれども古めかしい感じで、いかにも魔術師の使う部屋という気がして妙に気分が高揚してしまう。シャルロッテさんのお店を初めて見たときに近い感動を覚えていた。だが、今はお使い中だ。私はなるべく穏やかに微笑んで、書いてもらったばかりの受取状を受け取る。
「承知いたしました。お伝えしておきますね」
私は受取状を小さくたたんで大切に鞄の中に仕舞い込み、目の前のガブリエラさんを見つめた。長い茶髪をひとまとめにして高く結い上げる髪型が、活動的で素敵だ。私も真似してみようかしら、と眺めていると、不意にガブリエラさんが私に笑いかける。
「その細腕であんな荷物を運んで疲れただろう。待っていてくれ、今、何か飲物を用意するよ」
そう言ったか否かといううちに部屋から出て行くガブリエラさんの後姿に、私は慌てて告げた。
「あの、お気遣いなく」
聞こえていたかどうかも分からないが、用意してくれるならばありがたくいただいておこう。帰り道もあるのだから、水分補給はしておくに越したことは無い。
部屋の窓からは、魔法の訓練をしているらしい魔術師団の皆さんが見受けられた。規模にして数十人ほどだろうか。彼らが何の魔法を使っているのかもわからないのだが、赤やら緑やらの光が飛び交っていて綺麗だ。思わず食い入るように見つめてしまう。時折、光に当たった方が吹き飛ばされたりしていて、何だかハラハラする場面もあった。
ふと、訓練に打ち込む皆さんの前に、見慣れた黒髪の青年が姿を現した。リーンハルトさんだ。訓練をしていた皆さんが一斉に手を止めて、彼らの前に立つリーンハルトさんに敬礼をする。ハンスさんやガブリエラさんの話は本当だったようだ。
リーンハルトさんが師団長だったなんて、知らなかったわ。
3か月も一緒にいたのに、全く知らなかった。もっとも、魔術師としてのリーンハルトさんの姿は殆ど知らないことばかりなのだけれど。
「やあ、ごめん。まともにお茶を淹れられる奴がいなくて作り置きの紅茶に氷入れて持ってきたんだけど、いいかな?」
「氷、ですか?」
氷なんて、冬の寒い時期に作る業者はたまにいるけれど、今のような温かい季節にお目に書かれるようなものではない。手渡されたガラスのコップに浮かぶ透明な塊を、思わず食い入るように見つめてしまった。
「氷が珍しいのか? 魔法ですぐ作れるだろうに」
ガブリエラさんは心底意外という風に私を見ていた。事情を説明してもいいものだろうか、と迷ったが詳細は伏せて話すことにした。
「はい、私は訳あってこちらの街にお邪魔していますが、出身は王国アルタイルなので魔法に馴染みがないのです」
「へえ、ルウェイン一族の者じゃないのか。珍しいな。ルウェインに嫁いだ親戚でも訪ねに来たのか? それとも、誰かの『運命の人』か?」
「ふふ、そのあたりは秘密、ということでもよろしいでしょうか」
「そう言われると益々気になるなあ……。でも、秘密というなら仕方がない。無闇に暴くのも無粋だろう」
ガブリエラさんは氷の入った紅茶を一気に飲み干すと、そのまま氷をばりばりと食べた。冷たくないのかしら、と目を見開けば、ガブリエラさんはくすくすと笑って私を見つめる。
「今日みたいな暑い日には最高だぞ。氷が珍しいなら食べたことも無いんだろう。小さいのを食べてみたらどうだ?」
「そ、そうさせていただきますわ……」
戸惑いながらも、紅茶と一緒に氷の小さなかけらを口にした。硬く冷たいものを歯で噛み砕く感覚は新鮮でなかなか面白い。思わずふっと笑ってしまった。
「面白いですわ、冷たい紅茶も美味しいですし、いい経験をさせていただきました」
「この程度でそんな反応をしてもらえるなら、こっちも何だかにやけてしまうな。氷を作り出す程度なら、師団長の妹君に頼めばすぐにやってくれると思うぞ」
「そうなのですか? では、今度暑い日にお願いしてみようかと思います」
言葉通りにどこかにやにやとするガブリエラさんに私も微笑みかける。そろそろお暇した方がいいだろう。あまりお仕事の邪魔をしてはいけない。
「それでは、私は失礼させていただきますね。お茶と氷、ご馳走さまでした」
「いいんだ。出口まで送ろう。建物の中は結構複雑なんだ」
「何から何まで申し訳ありません」
「気にするな、ハンスに任せるよりずっとマシだからな」
私はガブリエラさんの少し後ろに付き従いながら、廊下を歩き出した。行き交う人々は皆紺色の外套を纏っていて、菫色のワンピース姿の私は少し浮いているような気もした。すれ違う人の視線を受ける度に、当たり障りのない笑みを返す。公爵令嬢時代はよくやっていたことだが、いつの間にか随分ぎこちなくなってしまった。
ずっと沈黙を保っているのも何なので、私からガブリエラさんに話しかける。ガブリエラさんは私の歩調に合わせてくれているのか、随分ゆっくりと歩いてくれていた。
「ガブリエラさんのその髪型、素敵ですね」
「これか? まあ、今日のような暑い日には鬱陶しくなくていいかもな。レイラ殿はストレートで淡い色の髪だから、下ろしていても爽やかで羨ましい」
凛々しい言葉でお話になるけれど、女の子同士の会話もできるらしい。その差が何だか微笑ましくて、ガブリエラさんともっとお話ししたくなってしまった。
だが、再び口を開けようとしたそのとき、背後でばさばさっと書類の落ちる音がして、私もガブリエラさんも思わず振り返ってしまう。
振り返った先には、紺色の外套を纏ったリーンハルトさんがひどく驚いた表情でこちらを見つめていた。
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