第4話
「レイラさん、おはよう」
「おはようございます、シェードレさん」
「おはようレイラさん、後でシャルロッテのお店に行くわ!」
「アイスラーさん、お待ちしておりますね。新作の刺繍作品も出来ましたから、是非お手に取ってみてください」
澄んだ空気に満ちた朝、私はすっかり日課になった朝の買い物を済ませ、道行く住民たちとの会話を楽しんでいた。早いもので、ここに来てからもう一か月が経とうとしている。
始めこそ、慣れないことばかりで買い物一つできなかった私だが、リーンハルトさんやシャルロッテさんが親切にしてくれるおかげですっかりこの幻の王都での生活に馴染んできた。
体調も公爵家にいたころよりずっとよく、今ではシャルロッテさんが経営している街の魔法具店に、私が作った刺繍のハンカチや、レースの小物を置いてもらっている。売れ行きはなかなか好調で、数が少ないせいもあるが大体置いたその日か翌日には完売していた。気に入って貰えているようで何よりだ。
リーンハルトさんはシャルロッテさんが経営する魔法具店の商品となる魔法具を作るのが主な仕事のようだ。週に一度ほど、所属している魔術師団の方へ赴いて訓練やミーティングを行っているようだが、平和そのもののこの街では滅多に血を見ることもないので、魔術師の方々は皆他にお仕事を持っているのが主流だという。
そう、魔法。一か月前まで御伽噺としか思っていなかった力が、この街ではごく普通に使われているのだ。
例えば照明なんかも火の魔法で操っているようだし、子どもたちは学校へ遅れそうなときには箒に乗って空を飛んでいく。大人になるともっとスマートな転移が出来るようで、リーンハルトさんなんかは魔法具の材料を買いそろえるために時折、王国アルタイルの王都へ転移している。術者と手を繋げば私もともに転移できるらしいが、なかなか機会が無くまだ試していない次第だ。
この街は、私の目には新鮮なものばかりで、それでいてとても穏やかな場所なのでまるで楽園のようだ。王国アルタイルの王都よりずっと小さいが、暮らしていくのに何ら不便はない。
それに、ここに暮らす人々は、皆ルウェイン一族の血を引いているだけあって、お互いを蔑ろにするようなこともなかった。その中でも、ルウェインの姓を持つリーンハルトさんやシャルロッテさんは、どうやら御伽噺に姫君と護衛騎士の直系子孫のようで、街の人々から一目置かれているようだった。それに付随して、私も何かと街の人々に気にかけてもらっている。
ただ、一つだけ気にかかるのは。
私は今歩いてきた道を振り返り、店が集まる街の中心部の方を眺めた。
この街には、若者と子どもが異様に多いのだ。時折、私の両親と同じくらいの歳の人やご老人も見かけるには見かけるのだが、あまりにも少ない。ご老人はどこか別の街で余生をゆっくりと過ごしていると言われればそうなのかもしれないと思うが、働き盛りの年頃の三十代や四十代の住民が少ないのはどうしても不思議だった。
何か理由があるのだろうと思っているが、どうしても躊躇ってしまう。私はかつてルウェイン一族と戦争をしていた王家に従っていた娘だ。何か繊細な理由があって気分を害してしまったらどうしようかと思うと、言葉が出て来なかった。
「おはようレイラ。何か面白いものでもあった?」
ぼんやりと考え事をしていると、屋敷からリーンハルトさんが出てきた。まだ朝早いというのに、濃紺に金の刺繍が入った魔術師団の外套を羽織っている。
「おはようございます、リーンハルトさん。景色に見惚れていただけです」
「見惚れるほど美しいものがこの街にあったかなあ」
リーンハルトさんは穏やかな笑みを浮かべながら、私のすぐ傍にやってきた。リーンハルトさんは私より頭一つ分背が高いので、軽く見上げなければお顔を見れない。今日も今日とて、恐ろしいほど整った顔立ちをしている。だが、穏やかなお人柄がにじみ出ていて、今ではリーンハルトさんを見るとどこか安心してしまう私がいた。
「こんなに朝早くからお出かけですか?」
「うん、王都の東側の結界の点検でね。昼には戻るよ」
「お忙しいのですね……。ご朝食は如何なされますか?」
ルウェイン家の朝食は、離れに住んでいるシャルロッテさんが前の日に作り置きしてくれたものをいただく。シャルロッテさんには旦那様ともうすぐ4歳になる可愛らしいお嬢様がいるので、基本的に生活は別々だ。
つまり、このお屋敷に住んでいるのは実質、リーンハルトさんと私だけなのだ。使用人もいないので、本当に二人きりだ。始めこそ婚約者でもない男性と同じ屋敷に住まうことに抵抗はあったけれど、今では時間が許す限り二人で本を読んだり、他愛のないお喋りをしたりして過ごすことが多くなっていた。
「キッチンにあった林檎を一つ貰ったよ。レイラは僕の分まで食べて、元気になってくれ」
「二人分も食べられませんよ」
くすくすと笑えば、リーンハルトさんは慈しむように私を見つめる。彼はよく、私にこの表情をするのだ。自惚れるつもりはないが、とても大切にされているような気がして心の穴が日々塞がっていく。未だにリーンハルトさんが私に求婚した理由は分からないままだが、徐々に知っていけたらいい。こうやって温かな関係を築いていれば、きっと分かる日も来るはずだ。
「じゃあ、行ってくるよ。今日も店に行くつもりなんだろうけど、無理はしないようにね」
「分かりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
数歩歩き出したところでリーンハルトさんはこちらを振りかえって手を振ってくれた。それに応えるように私もそっと手を振り返す。嬉しそうなリーンハルトさん笑顔を見ていると、心が温まっていく。
まるで、妻が旦那様のお見送りをしているみたいね。
不意にそんなことを考えて、自分で思った事なのに頬が熱くなってしまった。きっとほんのりと赤く染まっているに違いない。そう思うと途端に恥ずかしくなって、私は買い物の荷物を抱えなおし、屋敷の中へ逃げるように入った。
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