死の淵から/episode0.9

 家に着いたのは五時半過ぎだった。緋色と駅で別れる前に改札近くで二人で駄弁っていたらいつの間にか時間が過ぎて、遅い時間となっていた。

 家の門を開ける前に空を見上げた。日が落ちる時間はすっかり延び、五月の夕焼けは穏やかだった。

 不意に教会に目がいった。教会の入り口に人が立っている。


「こんな時間に……誰だろ?」


 参拝客だろうか? 八神のおじさんの知り合いという可能性もあるだろう。

 しかし、僕にはそのどちらも違うような気がした。どことなくその人を知っているような気がしたのだ。


「まさか」


 ある人物が脳裏を過ぎった。――九条愛梨彩だ。

 この時間に人影が黒く見えるのは当たり前だ。それだけで彼女と判断するのはいかがなものか。だが、それでも僕は九条愛梨彩だと認識してしまった。完全にただの勘でしかないのだけれど。

 あれこれ考えているうちに人影はそのまま中へと入っていく。どうするべきかしばし悩む。


 ――「この退屈な日常に革命を起こしてくれるのは彼女かもしれない」


 コンビニの前で呆然としていた自分がフラッシュバックする。自分の退屈を吹き飛ばす風が欲しかった。

 誰も関わろうとしない九条さんと関われば……僕は特別な人間になるのではないか? 九条愛梨彩の唯一の友達として。

 そう思ったらいても立ってもいられなくなった。僕は人影の後を追って教会へと向かった。


 教会の奥へと進み、礼拝堂の扉を開ける。天井近くの窓からかすかに夕日が入り、中を仄暗く照らす。

 普段は白を基調とした造りがありありと見えるのに、夕方の礼拝堂は怪しく、酷く不気味に思えた。堂内にびっしりと並んでいる長椅子には幽霊が腰掛けているのではないかと思うほどだ。


 中を見やると礼拝堂のちょうど真ん中に彼女がいた。


 セーラー服――ではなくローブのようなものを纏っていた。だがあの黒く、鮮やかな後ろ髪は間違いなく九条愛梨彩のものだ。なにやら奥にある祭壇に向かっているようだった。

 彼女だとわかった途端、頭が真っ白になった。彼女に「なにか」話そうと専念していたばかりに肝心な「なにか」を考えていなかったのだ。それでも僕は声を振り絞り、話しかける。ここで話しかけなかったら一生喋れずに終わる気がした。

 一歩。ゼロからイチへ。自分を変革する大きな一歩を踏み出す。


「九条さん……だよね?」すると彼女は殺気でも感じたかのように転身し、身構えた。「お、驚かせてごめん! 実は僕の家この教会の隣で……あ、隣と言っても近くって意味ね! その、つい見知った顔を見たか――」


「なんで気づいたの」


 僕が言葉を選びながら話していると彼女は遮るように質問をかぶせてきた。それは僕が全く想像していない言葉だった。


「え? なんでって……言われても。見知った顔だったから」


 知っている人なら気づくのは当たり前だ。それ以上の理由などなかった。つけ加えるとしたら、彼女と話してみたかったんだと思う。

 彼女は腑に落ちない顔を見せ、一人でなにかを呟き始めた。まるで僕がここにいる理由を考えているかのようだった。


「九条さん……?」

「なにも聞かずにここから立ち去りなさい」


 恐る恐る尋ねる僕を突き放すように彼女が言った。

 正直ショックと言えばショックだ。勇気を出して初めて九条さんと喋ろうと思った。しかしそれは叶うことはなく、ただ突き放された。 

 理由さえ教えてくれない。彼女はやはり不可侵の存在なのだと思い知らされた。


「太刀川くん? 聞こえてるの? わかったら早――」

「九条愛梨彩だな」


 会話を遮るように見知らぬ声が礼拝堂にこだました。見ると祭壇近くの扉から何者かが現れた。

 先ほどと同じように彼女は身を翻し、身構える。彼女の視線の先にはドーベルマンを連れた恰幅のよい白人男性が立っていた。

 男の短く逆立ったブロンドの髪と無精髭にはただならぬ風格が漂っていた。ドーベルマンも主人同様こちらに睨みを効かせ、呻き声を上げて威圧しているようだった。


「なるほど。先回りして狩りにきたってことね。そういうあなたは教会直属の魔女かしら?」


 彼女が威勢よく返答する。睨まれただけでも背筋が凍りそうな男たちに勇敢に立ち向かっている。


 魔女――? なにを言っているんだ。


 目の前の人物はローブを着てはいるが、誰がどう見ても男だ。ステレオタイプな魔女のイメージとは生まれた時点からかけ離れている。


「アイン・アルペンハイム。教会のワーロックだ。お初にお目にかかる」

「あら随分と紳士的なのね」

「そっちの男はスレイヴか? それにしては随分と軟弱そうだな」

「彼はただの迷える子羊よ。魔女とは関係ない一般市民。そう言うあなたはその犬がスレイヴかしら?」


 僕の疑問をよそに彼女たちの会話は進んでいく。尋常じゃない気配を感じ、九条さんへ近づこうと歩み出す。――あの男は普通じゃない。彼女が危ない。


「立ち去れと言ったはずよ!」


 九条さんは振り向かず、言葉だけで僕を制止した。足を止め、その場で立ち尽くすしかなくなった。


「いい? 今すぐ立ち去りなさい。あなたは今日、この教会にこなかった。私にも会わなかった。私とは口も聞かない他人のままだった。安穏と過ごしたければこのことは一生黙って生きなさい」


 僕の心配などお構いなしに再度突き放した物言いをする。いや、突き放したというより……まるで僕の身を案じているかのようだ。


「九条愛梨彩の言う通りだ。立ち去る猶予をやる。今この場を去れば見逃してやろう」


 彼らの言葉を聞いて、僕は得体の知れないできごとに足を踏みこんでいるのを理解した。このままここにいれば危ないのは僕だということもわかっている。


 ……それでも僕は立ち去れない。


 このまま立ち去れば彼女の言う通り平穏無事に毎日が過ぎていくのだろう。でも、そうすれば一番大事ななにかを失う気がした。男として大事ななにかがなくなる気がした。


 なにより――「口も聞かない他人のままだった」――なんてごめんだ。


 僕は敢然と彼女たちの間に立ちはだかった。ここで女の子一人置いて逃げたら、男が廃る。特別な存在になんか一生なれない。


「そうか……ならば魔女共々――死ね」


 男はローブから手のひら大のカードのようなものを取り出し、たちまちそれを宙に放った。カードが消えてなくなると、空中から白い骨がぼろぼろと落ちてくる。手の骨、足の骨、肋骨……そして頭蓋。人体の骨格だった。


「――合成」


 男は呟くと同時に両手を合わせる。まるで呪文を唱えるかのように。

 ドーベルマンと骨は呼応し肉塊となる。やがてそこから手が出て、足が生え……見るもおぞましいおよそこの世のものとは思えない獣人となった。

 獣人は鋭い牙を立て、呻き声を上げている。全身が毛皮で覆われており、その姿はまるでファンタジーゲームに出てくる狼男のようだった。

 自分がなにに首を突っこんでいたのか……ようやく理解した。


「魔女狩りを開始する。やれ」


 狼男は跳躍し僕らに迫る。


 ――普通じゃない。これは僕がどうにかできる問題ではない。


 頭でそう思っていても足は動かない。言葉を失って呆然と立ち尽くすしかなかった。


「危ない!」


 やっとの思いで飛び出したのはその一言。僕はすんでのところで九条さんを突き飛ばし、並んでいる長椅子の陰へと押しやっていた。


 攻撃は……かわせない。


 その刹那――狼男の爪は僕の心臓部を的確に抉った。身が悶えそうになるほどの苦痛が襲う。


「うぐぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 言葉にならない声が漏れる。熱い。どくどくと溢れた血で身が焼ける。


「よくも関係ない民間人を! 魔札展開カード・オープン!」


 九条さんの声が聞こえた。叫びに呼応するように彼女の目の前に五枚のカードが現れる。


「『乱れ狂う嵐の棘ソーン・テンペスト』!!」


 浮遊したカードの中の一つがたちまち数多の水の棘となり、狼男を襲う。

 だが、狼男は全身がバネでできていると言わんばかりの鮮やかなステップで避けていく……ように見えた。

 僕はそのまま地に伏した。段々と視界がおぼろげになっていく。その最中で感じるのは――死の恐怖。


 死ぬのか? こんなところで僕は死ぬのか? 一方的に殺されるのか?


 なにもできなかった。なにも変えられなかった。

 九条さんを庇っただけで救えたとは言えなかった。どこまでいっても太刀川黎は情けない太刀川黎のままだった。


「『渦巻く水球の守護スフィア・オブ・アクア』!」


 わずかな視覚で愛梨彩を探す。彼女は僕の前に立ち、水のバリアを張っていた。バリアが二人を包みこむ。

 けど、もう遅い。アインが放った狼男の一撃は確実に僕を殺すものだった。今から治療したところで無意味だろう。


 結局、僕――太刀川黎は特別な人間にはなれなかったのだ。ゼロのまま、からっぽのまま死んでいく。いや、それもそうか。


 僕はただの一般人で。

 魔女とは関係なくて。

 人生の路頭に迷った子羊だ。

 そんな僕がしゃしゃり出たのがいけないのだ。 


 普通な自分が嫌だった。それを変えようとして足掻いて、魔女なんて得体の知れないものに足を突っこんだ。

 けど、その結果死んだのでは意味がない。特別な人間は生きていてこそ価値がある。死んでしまったら返事をしないただの屍だ。本当になにも残らない。普通の人間も特別な人間も死は一様なのだ。


 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!! ――こんな死に方をしたかったわけじゃない!


「死にたくない……こんなところじゃまだ死ねない……」


 呪詛のように「死にたくない」という言葉を繰り返すが、声は掠れて言葉にならない。

 最後の藻掻きも虚しく、ついに胸の鼓動は止まった。視界がブラックアウトする。

 僕――平凡な太刀川黎は死んだのだ。



 *interlude*


「自分がどんな選択をしたかわかってるの!」


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 この教会に潜入するために纏った視覚遮断のローブは完璧に機能していたはずだった。魔力のない一般人には見つからないはずだった。


 それなのにこの男――太刀川黎には私の姿が見えていた。


 今、この男は瀕死の重傷を負っている。いや、もう死んでいるかもしれない。瞳孔は開いたままで、心臓部には風穴が空いている。これが死体でなければなんなのか。

 正直、自業自得と言えば自業自得なのだ。この男が勝手に首を突っこんできて、勝手に死んだ。ただそれだけ。

 あの場で庇われなくても私には反撃する手段があった。彼はいらない犠牲に違いなかった。


 だからといってこのまま放置するのか?


 それは違う。いらない犠牲だったことに違いはない。こんなふうに犠牲者を出さないために私は人との関わりを避けてきた。遠ざけようとしてきた。

 それでも彼は……彼だけは私から遠ざかることを拒んだ。なら、私が彼にしてあげられることはただ一つしかない。


「どうした? 防戦一方か?」


 眼前の男が私を煽る。ワーウルフの攻撃の勢いは止まらない。加えてアインの魔札スペルカードによる炎魔法の援護射撃。

 自身の手札を確認する。バリア魔法が二枚、射出系魔法が二枚、掃討魔法が一枚。どれも水属性だ。腰にマウントしているカードケースの中にはこの状況を打破する魔札はあるが、この戦いで切ってしまうのはいかがなものか……

 加えて二対一の状況。このまま手をこまねいていれば不利になるのは私の方だ。乗り切るには「駒」が足りない。


 ――まずは態勢を立て直さないと。


 水のバリアスフィア・オブ・アクアを移動させ、教会の壁へと打ちつける。壁は崩れ、私たちを保護している水球は教会の外へと飛び出す。その場しのぎにしかならないが距離を取るしかなかった。


「あなたがいなければこんなことにはなってなかったのよ」


 「太刀川黎だったもの」に愚痴をこぼす。もちろん聞こえてはおらず、返事の一つもしない。


「あなたは逃げなかった。だからもし恨むなら自分を恨みなさい。自分の選択を恨みなさい」


 それはきっと自分の覚悟を決めるための言葉だった。魔札スペルカードに頼らない、自分の中の魔法を使うための覚悟。そうでも言わないと他人を巻きこんだ業を背負えないと思った。 

 深く息を吐き、意を決して呪文を唱える。


これは進行の理に逆らう秘術なり。是は死者を生者の似姿にする邪術なり。洗練されし我が九条の魔術式よ。彼の者へ魔力の循環を。我が身体からだから魔力の通い道を。一を零に戻す魔術をもって、薄暮を黎明に戻さん。我――九条愛梨彩の名をもって命ずる。汝、我がしもべになりて敵を討つつわものとなれ! 復元魔法――『魔女に隷属せし死霊騎士スレイヴ・レイス』」


 *interlude out*



 深淵の底で声が聞こえた。

 やがて声は一筋の光になって暗闇の底を照らす。

 僕を現世に呼び戻す女の声。声の主は言う。


「汝、我がしもべになりて敵を討つ兵となれ!」


 有無を言わさぬその言葉は命令に違いなかった。

 僕が敵を討つ兵? 冗談じゃない。

 僕はその辺にいる一般人。エンドクレジットに学生Aとしてキャスティングされた言わばモブだ。いやエンドクレジットにすら名前が残らないモブかもしれない。

 どちらにせよ、モブキャラはおとなしく無言で退場するのだ。死人に口なし。なんの意味もない、返事のないただの屍。その辺の石ころと同じだ。


 でも――


 もし、彼女の言葉の通り兵になれるというのなら……僕は――俺はその言葉にすがりたい!


 俺はここじゃ終われない!

 俺はこんな死に方をする人間じゃない!

 俺の生き様はこれからだ!


 ――深層の俺の意識が自分の死を否定し続ける。


「だって……俺はまだなにも成し遂げちゃいないんだから!!」


 光が徐々に大きくなる。俺の意思に呼応するように。


「結ぶぞ、その契約! なんだって構わない! 生きて……生きて成し遂げられるなら!」


 奥底に沈んでいた生きたいという意識は吸い上げられるように軽くなる。どこかに引き寄せられて帰っていくような……そんな感覚だ。


 気がつくと見慣れた光景が目に入った。教会の敷地だ。

 目の前の教会の壁は丸く大きな穴が空いている。位置関係からして、今いる場所は教会の敷地内にある庭だ。


「太刀川くん、意識はある?」


 横たわっていた体を起こすと眼前には九条愛梨彩がいた。心配するような声音ではなく事務確認をするような淡々とした声。


「愛梨彩……? 俺は一体……」


 そうだ。俺はあいつらから愛梨彩を庇って死んだはずだ。だが、なぜかわからないがちゃんと現世にいる。

 体のあちこちを見て自分に起きたことを確認する。癖でメガネを触る仕草をするが感触はない。だが、視界ははっきりとしている。

 ワイシャツから血が滲んでいたが、損傷はない。貫かれた心臓の穴も塞がっている。

 俺の体は狼男の攻撃を受ける前に「戻っている」ようだ。一つ違うところがあるとしたら、体の感覚が自分のものではないように軽いことだ。活力が漲っている。


「説明は後で。アインたちがくるわ」


 説明なんて後で構わない。それよりやらなくちゃいけないことがある。意味もなく死んだわけではなくなった今、俺がやることはただ一つ。


「わかった。アインから君を守ればいいんだな?」

「ええ、そうよ。話が早くて助かるわ」

「『焼却式——ディガンマ』」


 男の声が静かに響き、突如瓦礫が爆発四散する。アインたちが追いかけてきたのだろう。


「俺はどうしたらいい? どうすればあいつらを倒せる?」

「先手を打ってワーウルフ――狼男を倒すわ。教会から出てきたら距離を詰めて攻撃して。アインが援護の魔法を放つ前に接近戦に持ちこむのが理想だけど、そこは私がカバーするわ」

「わかった」


 それだけ言うと俺の足はすぐさま駆け出そうとしていた。


「待って、これを」


 愛梨彩がケースから一枚のカードを取り出すと、それは二〇センチほどの鉄パイプに変化した。パイプはエングレービングが施されているだけで、とても役に立つ代物には見えない。


「これは?」

「魔刃剣。その名の通り魔力を刃にする武器よ。私の魔力を注ぎ込むから、これでワーウルフを倒して」


 愛梨彩がパイプに手をかざす。パイプの先端からエネルギー状の刃ができ上がり、身の丈の半分ほどの長さの剣が誕生した。彼女が取り出したのは剣の柄だった。


「鬼ごっこは終わりだ。お前の命……頂かせてもらうぞ、九条愛梨彩」


 瓦礫から出てきたアインは突如愛梨彩に向けて業火の球を放った。


 ――今度こそ守ってみせる。


 心で強く思う。

 俺は火球を叩き斬り、消滅させる。身を挺さなくても守れる力が……今の俺にはある。


「おっと、そいつはどうかな? やられっぱなしは終わりだ」

「貴様……なぜ生きている……?」


 目の前のアインは飛び出してきた俺の存在に唖然としている。狼男も先に仕掛けてくる様子はない。狙うなら今しかない!


「そんなこと……俺が知るかッ!」


 駆け出すように前方へ跳躍する。数歩も踏みこまないうちに狼男の前に到達した。それはまるで縮地したかのような感覚だった。

 狙うは月下で雄叫びを上げる人狼。接近した勢いそのまま、手にした剣を鈍器のように狼男に叩きつける。


「硬いか!」


 しかし、毛皮で覆われた獣人の腕を両断するまでには至らない!


「その程度の攻撃で! 『焼却式——ディガンマ』」

「させない! 『渦巻く水球の守護スフィア・オブ・アクア』」


 すかさずカウンターでカードから火球を放つアイン。それを読んでいたかのように射線を水球が阻む。

 俺は狼男の相手に集中する。背中は愛梨彩に任せた。  


「オォォォォオン!!」


 咆哮とともに狼男が猛攻を仕掛けてくる。ラッシュは止まることを知らず、爪がくる箇所を剣で弾く防戦一方の戦いを強いられる。


「クッ……!」


 狼男も埒が明かないと判断したのか、ガードをクラッシュさせる勢いで強打を放ち、吹き飛ばしにかかってきた。

 剣脊による防御でもダメージは軽減できず、飛ばされた勢いが止まらない。

 ここでマウントを取られるわけにはいかない。剣を地面に刺し、勢いを軽減。一〇メートルほどのノックバックで収まった。

 再び両者に距離ができる。接近戦主体のお互いにとって攻めるに攻めにくい間合いだ。

 先に突撃すればカウンターを食らう可能性もある。かと言って相手の攻撃を待って凌げるほどの力が俺にないのは先ほどの猛攻で明らかになった。確実な一撃が欲しい。


「剣に力をこめて!」


 アインと魔法の撃ち合いをしている愛梨彩が叫んだ。


「力……?」

「今のあなたには魔力が流れてる! それは魔力を刃にする剣。あなたの力もダイレクトに伝えることができるのよ!」

「力が……刃になる」


 アインと愛梨彩の戦いは均衡している。戦況を有利にするには狼男をここで仕留めるしかない。つまり……彼女を守れるかは俺にかかっている。

 愛梨彩の言う魔力――というのはわからない。今までの自分にはなかったものだ。もし生まれた時から備わっていたのなら、普通である自分に……からっぽゼロだった自分に悩むことはなかった。

 わからないものはこの逆境の中で理解するしかない。そう考えると自然とこの状況のブレイクスルーがわかる気がした。

 先に動いたのは狼男の方だ。本来の姿である獣のように四つ足で迫ってくる。


 目を瞑る。


 見えるものではなく見えないものを感覚で意識する。自分の体の中の魔力の流れを想像する。血の流れのように循環する魔の力。その全てを拳へと注力する。

 そして……イメージするのは両者の間合いを物ともしない長大な刃!

 見開き、人狼の姿を捉える。突撃姿勢で急ブレーキはかけられまい!


「一閃――!」


 真一文字に剣を振り抜いた。狼男は勢いそのままに俺の横を通り過ぎていく。

 教会の敷地内には愛梨彩とアインの魔法の音だけが響いている。俺と狼男は動きを止めたままだった。

 直後、背後からどさりと重い音が地面を鳴らせた。そこには二枚おろしに裂かれた「狼男だったもの」がある。

 最後まで立っていたのは俺の方だった。……辛くも俺は狼男を倒したのだ。



「まだ動ける?」


 愛梨彩が俺のもとへと飛んできた。褒める言葉一つも出ないのは……なんとなく予想していた。


「もちろ――あ、」


 余裕でまだ動ける。そう思っていたはずだった。

 だが体は意思とは反対に力が入らず、俺はがっくりと足から崩れてしまう。手に持っていた剣からは刃が消えていた。


「やっぱり。さっきの一撃でほとんど使い切ったみたいね」


 俺に話しかけてはいるが、愛梨彩の意識は未だ撃ち合いをしているアインに向けられている。しかし、先ほどとは打って変わって均衡は崩れているようだった。降り注ぐ火弾を水弾で相殺する。防戦一方だ。彼女は苦虫を噛み潰した顔をしていた。


「『水龍の暴風雨レイジ・ドラゴン・レイン』!」


 それでも愛梨彩は諦めていない。ここで決定打を与えると言わんばかりに集中豪雨が叩きこまれていく。煙のように水しぶきが霧散し、アインは見る影もない。


「やったか?」

「いえ……まだよ」


 即座愛梨彩が否定する。霧の中から徐々にその姿が現れていく。そこにあったのはアインの姿ではなく泥の障壁だった。


「あいつ、炎の魔法使いじゃないのかよ!」

「やっぱりあの男……私の水魔法と周囲の土を瞬時に『合成』させてるようね」


 泥の障壁を割るように中からアインが出てくる。

 愛梨彩が防戦一方になった理由がわかった。あの男――アインは水の魔法と庭の土を利用して泥を生み出している。彼女の魔法は届く前に変換されていたのだ。


「あなた、合成の魔術式を持っているようね」

「その通りだ、九条愛梨彩。そう言う貴様の魔術式は死霊魔術か?」

「さあ……どうかしらね? 力尽くで調べてみたらいいんじゃない?」


 愛梨彩の言葉は虚勢だ。明らかに余裕がない。地面をしっかり踏みしめてはいるが、ぜえぜえと肩で息をしている。


「どうする? このままだと二人ともやられる」

「数のアドバンテージもないに等しいものね……相性も地形も不利。ここで魔札のストックを使い切っても倒せるかどうか……」


 愛梨彩の声色から覇気がなくなりつつあった。顔の血色は悪く、急に老けこんだように見える。それだけ切迫した状況だった。

 数の優位を取る作戦は失敗し、愛梨彩がアインを抑えることも叶わない。手詰まりだ。

 だが猶予を与えてはくれない。アインはすでに戦闘態勢に戻っている。


 ――狼男は倒した。ここでアインを抑えれば愛梨彩一人は逃げられる。


 俺が剣を取ったのは彼女を生かすためだ。俺が死の淵から蘇ったのは彼女を救うためだ。

 なら、今の俺が彼女を生かせる方法はただ一つだ。覚悟を決めろ。


 ――彼女さえ生きていてくれればいい。


「君は逃げろ! 俺が抑える!」

「無茶よ!」


 気づいた時には重い足に力をこめ、駆け出していた。魔刃剣は使えない。策はない。アインの魔法をかい潜って肉弾戦を仕掛けにいく。一か八かだ。


「せめて彼女だけは――」


 次の刹那、目の前で爆炎が舞い上がる。黒煙が立ちこみ、視界が遮られていく。

 アインの攻撃? いや、違う。俺を狙うにしては爆破地点が手前過ぎる。まるでアインと俺が接触する前に中間地点を狙撃したかのようだ。


「今のうちに逃げるんだ、黎。今の君たちではアインは倒せない」


 黒煙の中に何者かが佇んでいる。姿ははっきりと見えないが、マントかローブのようなものを羽織っているようだった。

 その声はどこか親しく、馴染みがあるように思えた。どこの誰かはわからないが、自然と敵と思えなかった。


「今よ、太刀川くん! 撤退するわ!」


 何者かに返答するより先に愛梨彩が叫んだ。なにも言えず、彼女の所へと合流する。

 愛梨彩は再度水の球を発生させると俺を中に入れ、浮遊させた。教会が段々と小さくなって見えていく。

 ふと教会の庭に目を遣った。黒煙が晴れ、アインと対峙する何者かの姿が露わになっている。


 そこにいたのはピンク色の長い髪を揺らす仮面の騎士……浮世離れした、見覚えのない姿だった。


 その姿を目に焼きつけると同時に俺の視界は再び暗転し、意識は深層へと沈んでいった。まるで活力全てを使い果たしたように。

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