早咲きの桜/episode95

 *interlude*


 賢者の石は偽物だった。そんなことなんていざ知らず九条愛梨彩を憎み、敵対した。なんて愚かな行動だ。

 私は八神教会内でうなだれていた。真実を知った途端、愛梨彩と顔を合わせるのが怖くなってしまったのだ。学園を一緒に脱出はしたが、野良の拠点に居座らなかったのはそのためだ。

 言いわけはできない。最初から騙されていたとしても、私が憎しみを抱いていた事実は変わらないから。


「こんなことって……こんなことってないよ!!」


 今ならわかる。どうしてが私を止めることに必死だったのか。

 彼女は全部知っていて、気づかせるために諭し続けたんだ。過去の自分が「賢者の石は偽物だ」と真実を告げたところで鵜呑みにしないことを知っていたから、私の気持ちを正しく誘導しようとしたんだ。


「咲久来」


 聞き馴染みのある男の声がした。振り向くとそこには袂を分かった主人がいた。


「賢者の石の正体については私も聞いた。願いを叶えるような代物ではなかったと」

「アインさんは……このまま教会に残るつもりですか」


 自然と口からそんな疑問が零れた。彼も教会に騙されていた側の人間の一人だ。きっとサラサも睦月も同じく騙された側。知っていたのはあの二人だけだったのだろう。


 ——だとしたら私たちが教会につき従う理由はもうないのではないか。


 そう思った。しかしアインさんの答えは違った。


「教会が今まで通り魔女を庇護し続けるならそれでいい。騙されていたという事実は私にとっては些末ごとだ。もとより叶える願いがないからな」


 彼は出会った時と寸分変わらなかった。願いはない。ただ身の安全を保証してもらうために教会に所属し、命令に従う。

 男の魔女ワーロックという異端な存在ゆえなのだろう。もし教会に所属していなければ同族から狩られる側の人間なのだ。それくらいワーロックは忌み嫌われる。

 私はなにも言葉を返せなかった。この人はこの人なりに必死に生きているということは充分理解していたから。彼が教会に残る結論に至るのも驚きはしなかった。


「じゃあ裏切り者わたしの処罰をしにきたんですか?」


 あのチャペルの戦いで教会も気づいたはずだ。私とブルームの関係を。そして……私が教会から離反することを。

 その尖兵が彼でもおかしくはなかった。


「違う。私が今まで通り教会に恭順することはまだやつらに伝えていない。その前にお前に話しておくのが筋だと感じたのだ」

「敵対する覚悟を決めさせるため……ですか?」

「そうかもしれんな」


 律儀な人だと改めて思った。冷酷で冷めているようで、どこか人間臭い。命令をそつなくこなしているようで、柔軟な対応もする。私が見てきたアイン・アルペンハイムはそういう男だった。

 一番印象的だったのは彼が動物好きだったということだ。使った魔獣の中にはアインさん自らが飼いならした動物を基にしたものも多かった。

 戦うたびに彼は多くの友を失った。自身の生まれや育ちなど関係なく、分け隔てなく接してくれる友を。

 だから教会にいる時は冥福を祈るように彼らの墓前に立っていることが多かった。そんな主人の姿を見て、「不器用なだけで根は優しい人なのだろう」と私は思うようになった。

 現に今も私を気遣ってくれている。きっと迫害された過去がなければ、アインさんは魔導教会に固執することもなかったのだろう。彼の頑なな意思が抱えている闇の奥深さを物語っていた。


「前にも言った通りだ。お前には選べる道がある。私と同じになる必要はない……お前はお前の意思を選べ。それが私との敵対だとしても」


 彼の言葉を簡単には頷けなかった。私自身が決断を迷っていたからだ。

 教会にはもういられない。けどアインさんと戦いたいわけじゃない。スレイヴに取り立ててもらった恩もある。なにより……どんな顔をして野良の魔女と合流したらいいのかわからなかった。私は俯くことしかできない。


「私が伝えたかったのは……それだけだ」


 足音がどんどん遠ざかっていく。音だけが虚しく響き、別れが訪れる。私は……彼になにも言えなかった。

 不意に静寂が訪れた。礼拝堂の扉が閉まった音はなかった。顔を見上げてみるとアインさんと対峙するように仮面の魔女が立っている。

 二人の会話が堂内に反響する。


「やっと貴様の正体がわかった。このタイミングで現れるのは道理だな」

「気づくのが随分と遅かったですね。私はずっとあなたのそばにいましたのに」

「すまない。私は察しが悪いようでな」

「よく知っていますよ。あなたの意思が変わらないこともね」


 険悪な雰囲気は一切なく、ブルームの方は笑っているようにすら聞こえた。

 短いやり取りを終えると、二人は入れ違えるように歩みを進めた。仮面の魔女……もう一人の私がやってくる。


「やあ、咲久来……という挨拶はいささかおかしいかな?」

「取り繕わなくていいよ。私だってあなたの正体は気づいてる」

「それもそうか。あの魔札スペルカードは八神咲久来しか創れないものだからね」

「あなたは未来の私……そうなんでしょう?」

「そうだよ。厳密に言えば君の未来の可能性の一つだけど」


 ブルームが仮面を脱ぐ。現れたのは名前と同じ桜色の髪をした私。

 同じ人間のはずなのに、表情は今の私とはとても似つかない。柔和で朗らか。歳を取って、考え方を丸くしたおばあちゃんのようにすら見えた。


「詳しく聞かせて」


 それから私は未来の自分から全てを聞いた。騙されたと知ったブルームわたしが教会に反旗を翻したこと、時間魔法の魔女になったこと、お兄ちゃんを助けるためにこの時間に帰ってきたこと。そして……愛梨彩とお兄ちゃんに未来を託すと決めたこと。


「さっきも言った通り、君は私だけど私じゃない。君が歩んだ過程と私が歩んだ過程は違うからね」

「私の邪魔をして、説得を続けたのは同じ道を歩ませたくなかったから……敵対して愛梨彩を殺さないようにするため?」

「ああ、そうだよ」


 屈託のない笑顔を見せる自分が目の前にいた。全ての苦悩を乗り越えてきたブルームわたしはあまりに眩しく、同一人物とは思えないほど遠い存在だった。

 将来、彼女のようになれるのだろうか。罪も罰も背負って、それでもよりよい未来を築こうと努力できるだろうか。

 考えただけで気が遠くなる。私はたまらず黙りこくってしまう。


「悩んでいるところ悪いけど、私には時間がなくてね。君に言わなきゃいけないことがあるんだ」

「え?」

「私は君に想いを託したい。私の想いを引き継いで戦って欲しいんだ」

「それは……!!」


 未来の自分と今の自分。互いの目線が一直線に交わった。刹那、彼女が言わんとしていることを理解する。それは——魔術式の継承だ。

 見ると彼女の体は形が朧げになりつつあった。それはさながら、包装の中で磨耗したチョコレートがポロポロと零れていくようだった。


「今の君と私はきっと同じ想いを抱いている。あの二人を認めている。だからこそ君を野良の魔女に加えたい」

「今さらどんな顔をしてあの人たちに会えばいいの!? 騙されてた、利用されてたっていうのは言いわけでしかない! 無知な私が彼女をずっと傷つけていたんだ!!」


 彼女の言いたいことはよくわかる。私もお兄ちゃんと愛梨彩の関係を認めている。お兄ちゃんが許したのなら私も許すし、お兄ちゃんの決断を尊重すると決めた。

 だけどそれとこれとは別だ。私にはあの二人の仲間になる資格がない。特に愛梨彩に合わせる顔がない。

 なにも知らないで、勝手に仇だと思って憎んで……「和解したから仲間です」なんて言えるわけがなかった。


「愛梨彩は許してるよ……っていうよりも自分の気持ちの問題か。自分で自分が許せないか。まあ整理するのは時間がかかるだろうね」

「やっぱり……よくわかってるんだね」

「当たり前でしょ。私は君だよ? 同じ経験くらいしてるし。私も最初、どんな顔をして愛梨彩と一緒に戦えばいいかわからなかった」


 「愛梨彩を一方的に傷つけたから」。それすらも言いわけだったのか。騙されていた無知な自分を私が許せないだけか。

 お兄ちゃんの力になりたい。けど愛梨彩に対する罪悪感がその気持ちを抑圧する。自分の罪を注がない限り、私は彼女と向き合えない。

 そんなことを考えている折だった。彼女がおもむろに仮面を差し出してきたのは。


「そんなに気になるならこれをつければいいよ。八神咲久来として合流するのに抵抗があるならブルームとして会いにいけばいい。今までブルーム・ブロッサムは勇敢な野良の魔女を演じてきたからね。信用はそれなりにあるはずだよ?」


 彼女は得意げに笑って見せた。彼女なりのジョークのつもりなのだろうけど、「どの口が言ってるのよ」と呆れたくもなる。胡散臭さ満点だったじゃない。

 けれどその言葉を聞いて肩の力が緩んだのも確かだ。八神咲久来として会いにいけなくてもブルーム・ブロッサムとしてなら会いにいけるかもしれない。未来の私が積み重ねてきた絆があれば、仲間として戦えるかもしれない。


「君が私なら、自分の罪の清算の仕方を理解しているはずだよ。この時間の八神咲久来はまだ最悪なシナリオに踏みこんではいない。今からでも自分が正しいと思った道を選択できる」

「私が思う……正しい道」


 仮面を受け取り、そっと呟いた。

 この仮面を被るということはブルームになることだ。今の八神咲久来としてだけじゃなく、未来の八神咲久来の想いも背負うことだ。

 二人分の覚悟。そう考えると、自然と一歩踏み出す勇気が湧き出てくるような気がした。敵としての咲久来も味方としてのブルームもここにいる。罪も正義も同居している。それなら……怖いものなんてあるもんか。


「覚悟……決まったね?」

「うん。私があなたの意思を継ぐ」


 私の返答を聞いて、ブルームは満足げに頷いた。そして私の胸へとそっと手をかざす。


「八神咲久来から八神咲久来へ魔術式を譲渡する。これは本来なら起こりえない継承だ。正統な継承じゃない。きっと私たちが予想できない弊害も起こるだろう」

「わかってる。それも覚悟の上だよ」

「そっか……その覚悟、確かに受け取ったよ」


 胸の内側が熱くざわめく。魔力とともに刻まれるのは彼女の記憶。体験していない、起こりえなかったはずの争奪戦の情報が我がことのように積み重なっていく。


 ——ああ、あなたはこんなにも長い時間を。


 語られた事実と垣間見た真実は思った以上に乖離していた。百聞は一見にしかず。つらくないと言えば嘘になる。


 ——それでも私たちの想いは一つだから!


 自分の中にブルームを受け入れる。記憶と人格は溶け合い……私と彼女は一体化を果たした。


「ブルーム!?」


 刻印が終わり、もう一人の自分が力なく倒れる。私は抱きかかえるように彼女を受け止めた。


「それは……もう君の名前だ。未来と現在を内包したのね」


 異様なほど軽かった。体はすでに半透明になっており、今にも消え入る幽霊のよう。時間の異物である彼女が排斥される時がきたんだ。


「ここからは選手交代だ。あとは……任せたよ、私」


 伸ばされた手をしっかり掴んだ。感触はない。ただそれでも満足している私がそこにいた。

 そうして先代のブルームはこの時間から姿を消した。最後の最後まで笑いを絶やさなかった彼女を私は誇りに思う。

 ハーフアップに結った髪を解き、再び結び直す。彼女ブルームと同じポニーテール。そして静かに仮面を被った。


「二人の未来を影から守るよ……あなたと同じように。だから力を貸してね」


 私は自分の胸に手を当てる。ブルームはここにいる。だから私は私に宣誓しよう。

 争奪戦が終わるその日まで、私はこの仮面をつけて戦う。あなたの想いを受け継いだブルームとして戦うと。

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