新世界より/episode94
翌日の朝、僕らは地下室へと集まっていた。これが最後の作戦会議だ。
「さて、作戦を考えましょうか」
黒板の前に立つ愛梨彩の顔に特に変わった様子はない。会議のため、真剣な面持ちではあるが、思いつめた様子はない。本当に彼女は決意してしまったんだ。
「まずは現状の整理からなのだわ。コロウが偵察に出た成果を話してもいいかしら?」
「ええ。お願い」
僕の気持ちなんてお構いなしに会議は進んでいく。とはいえこの葛藤はすぐにどうにかできるものではない。今は作戦会議に集中するしかない。
「って言っても……実質成果ゼロなんだけどね。わかったのは学園が変容していて、魔力の靄がかかっているってことくらい。改変魔法の影響でなにが起きるかわからない。深く入りこむにはそれなりに準備をしないといけないのだわ」
「街の連中にはどうやらあの学園だけ空洞のように見えてるらしいんだわ。最初からそこにはなにもなかったって感じにな」
「多分教会のやつらが最終段階に入った時に記憶操作を施したんでしょうね。その上、魔力の霧に包んで一般人の目から隠す。全く……最後まで計画に抜かりないのだわ」
緋色とフィーラ曰く、状況は最悪らしい。
僕たち魔力の影響を受けている者には見えているが、ほかの人たちはみんな気づいちゃいない。隣町とはいえ、どうりで遊園地に普通に人がいたわけだ。
「ということは予断を許さないわね。学園への突入は今夜にするわ」
愛梨彩の言葉にそれぞれが頷く。決戦は……今夜だ。今日で全ての決着をつける。
「残ってるのはアザレアとアインと……ソーマのみか」
もう一人教会側に残っているが、あえて口には出さなかった。アザレアの情報をわざわざリークしてきた父を敵戦力として認識していいのか不明瞭だったからだ。
「となるとアインが必ずゆく手を阻みにくるわね。けど……彼に構っている暇はないわ」
「んじゃまあ、アインは俺らに任せろ」
「そうね。速攻で魔獣を掃討して、アインをぶっ倒せばいけるのだわ!」
フィーラと緋色にアインを任せれば、数で不利になることはない。僕たちはアザレアとソーマに専念できる。
「問題は私たちがアザレアとソーマを倒せるかどうかね……」
愛梨彩が弱々しく呟いた。戦績を鑑みれば、弱気になってしまうのも無理はない。僕たちはあの二人に一度も勝てたことがない。
「同じ手が二度通じる相手……なわけもないか。あの白髪男だったら、こっちの策にわざと乗ってくるかもしれないけど」
フィーラが言いたいことはよくわかる。ソーマは戦うことを求めている節がある。まるでなにかの答えを探しているかのように。
だが、その「わざと乗ってくる」は前回行った行動だ。同じ行動を二回連続でするとは思えない。
なにより、教会の計画は佳境に入っているんだ。あの男がなにを考えているかはわからないが、慢心するのは余裕がある時のみなのは間違いない。
「ブルーム——咲久来がいてくれれば……」
「連絡が取れない以上、期待はできないのだわ。残った私たちだけでなんとかしないと」
二人の魔女の会話が痛く胸に刺さる。ブルームは……未来の咲久来はもういない。僕たちを庇護し続けた仮面のヒーローはもういないんだ。
「僕に策がある。新作の
「太刀川くん……あなたいつの間に」
それだけ言うと僕はしばらく黙ってしまう。
帰ってきてすぐ自分の気持ちを具現化させるように
彼女はどんな想いで新しい
——今はまだ言えない。
「ともかく! 僕に任せてくれ! 必ずソーマと一対一の状況に持ちこむ。そして……勝ってみせるから」
真っ直ぐ彼女の目の奥底を見る。瞳の中に影は見えないが、どこか暗い感じがする。やはり君の望みは変わらないんだな。あの悪夢の中の魔女と同じなんだ。
「わかった。そこまで言うならあなたに任せるわ」
「ありがとう、愛梨彩」
「それじゃあ各々夜まで英気を養っておいてちょうだい」
泣いても笑ってもこれで教会との戦いは終わりだ。愛梨彩と交わした約束を果たせるかはわからないけど、その時まで僕は彼女を守る。
それが僕の初心。この力はそのための力だから。
*
「まさか改変の影響がこんなに現れているなんて……流石に想定外だったのだわ」
決戦の地、成石学園の様相は変わり果てていた。校舎とチャペルは見る影もない。暗雲立ちこむ敷地に屹立していたのはアザレアの居城であった。
西洋風の作りであり、左右には尖塔がそびえ立っている。かつて校門であった部分は城門と化しているが、守る兵力がないからか塞がれてはいない。
「手はず通りにいくわよ」
愛梨彩の掛け声に応じ、俺たちは全速力で駆けていく。
準備は万全。しかしアザレアが生み落としたこの空間ではなにが起こるかわからない。
「ドラゴン!? どうして幻獣が現世にいるの!?」
城門を抜けた途端、フィーラが驚きの声を上げる。
内庭で待ち受けていたのはこの世には存在しえない生物たちだった。翼竜に一角獣に不死鳥。両手では数え切れないほどの数だ。
どれも『合成』で生み出された紛い物なんかじゃない。比にならないくらいの魔力を感じる。アザレアの改変は敷地だけでなく、生物すら作り変えるのか。
「驚いてる場合じゃねぇ!! ここは俺たちがやるしかねぇ!!」
瞬時に
「早速出鼻くじかれたけど仕方ないのだわ!! アリサとレイはアザレアのところへいって!!」
同様にフィーラも雷の魔弾を発射し、進路を切り開く。
「わかったわ!」
「アインはこっちでなんとかする!」
この場は二人に任せ、俺たちは先を急ぐしかない。世界改変が終わるよりも早くやつを倒さねば。
しかし、「なんとかする」とは言ったものの現状、策はない。全力で相手して圧倒する。本命はアザレアとソーマだ。消耗する前に早期にアインと決着をつけるしかない。
幻獣群を切り抜け、なんとか城内へと入りこむ。すぐ目の前に広がっているのは大広間だ。その先には階段が伸びており、荘厳な扉へと続いている。
広間内にはパイプオルガンの音が漏れ聞こえていた。おそらく扉の先にある王の間で演奏されているのであろう。メロディはどこかで聴いたことがあるメジャーなクラシック音楽だ。
「ドヴォルザーク、交響曲第九番『新世界より』第四楽章……ね。けどあなたたちの『新世界』を許すわけにはいかないのよ」
独り言ちるように愛梨彩が呟いた。
その言葉を聞いて理解する。この世界への感謝や郷愁をこめつつも、新しい世界を祝福している。きたるべき新世界から過ぎゆく旧世界への送辞なんだと。
「やはりきたか」
扉を守る防人が俺たちを睨んでいた。アインだ。不思議なことに周りに魔獣はおらず、彼一人が敢然と立ち塞がっていた。
「どうしてだ! お前も騙されていた側だろ!?」
「違うわ、太刀川くん。彼はワーロックよ。この世界に居場所がなかった人間なのよ」
俺の疑問に答えたのはアインではなく、愛梨彩だった。
「私がソーマやアザレアに味方する理由はそれだけで充分だろう?」
——ワーロックは異端者。
弾圧されるものはより強いものに守られるしかない。組織に所属し、身を守るしかない。だから騙されていたとしても最後まで教会の味方をする。
「この世界になんの未練もないって言うのか……自分の居場所を新世界に求めているってことなのか、あんたは」
「そうだと言っている」
抑揚のない男の声。本心を話しているんだろうが、俺にはあいつの感情が伝わってこない。
「お前なんかに負けるかよ!! 速攻で終わらせる!!」
だからこそ俺は吠える。こんな保身のために戦うような、信念のない相手に負けられないと。
手に取った剣は『
「貴様との因縁、ここで終わらせてやろう。『昇華式——ショー』!!」
目の前の男が紅蓮の
「……『双剣式——ヘータ』」
苦痛混じりの声でアインが二本の剣を生み出す。同じ土俵で勝負しようというのか。
「そんな強化をしたところで……!!」
両手の剣同士で激しい打ち合いを繰り広げる。お互いに剣が体へと届くことはなく、拮抗した戦いが続く。
「太刀川くん、焦らないで! 『
「そうはさせん。『大剣式——ヘータ』」
「クソっ!」
二本の炎の剣が一つとなり、巨大な剣が現れる。アインはそれを目一杯振り抜き、俺を剣ごと吹き飛ばす。
だが、アインの攻撃はそれだけでは終わらない。瞬時に行動を切り替え、
「『連続焼却式——ディガンマ』」
襲いかかる連弾の業火球は水の鏃をことごとく粉砕し、彼女に迫る。
「愛梨彩!!」
吹き飛ばされた状態で急いで戻っても……間に合わない。ここで秘策の
それでも俺は無我夢中で崩れた体勢を戻し、愛梨彩の元へと駆け戻る。
しかし、あと一歩のところで時間が止まったように手が届かない。
——間に合わない。
否、違う。今、この瞬間は永遠に続いている。そう……これは
火球の前に黒い影が飛来する。そして影は薙ぎ払うように剣を一閃。瞬く間に火球は消え去り、時間の流れが元に戻る。
爆煙の中から姿を現したのは仲間の魔女だった。桃色が混ざった茶色の髪、髷のように結われたポニーテール……そして素顔を隠すための大仰な仮面。
「全く……いつもいつも世話が焼けるね、お兄ちゃん」
「そうか。私の最後の相手はお前か」
「久しぶり、二人とも。って……言ってる場合じゃないか」
この口ぶり、この雰囲気。背丈こそ違うが、紛れもなく俺たちがよく知るブルームであった。お前は……彼女から全てを受け継いだのか。覚悟してここに立っているのか。
「二人はアザレアとソーマを。ここは私が引き受ける。先代ブルームの意思を継いだブルーム・ブロッサム・エイトゥスとして」
仮面の下から覗かせる口角が緩かに上がっている。いつもと変わらず、彼女は笑っていた。
「助かった……ブルーム」
そう名乗るなら、今の彼女はブルームなのだろう。他でもない、俺たちと一緒に野良として戦い続けた魔女なんだろう。
ならば信じる以外に選択肢はない。俺と愛梨彩は目を合わせて頷き、駆け出した。
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