第二章 魔女は己が欲《エゴ》のために踊る

Fを探せ〜相棒はラーメン探偵/episode17

 

「ラーメン屋にいきましょう」


 外に出た途端、愛梨彩がそう言った。彼女が冗談を言うなんて珍しい。夏の日差しに頭でもやられたのだろうか。


「なによ。ラーメン嫌いなの?」

「いや、そこじゃないよ! なんでラーメン!?」


 不貞腐れたように頰を膨らませてもこっちが困る。わかるように説明して欲しい。なんでいきなりラーメンが出てくるのかてんでわからない。


「フィーラのいそうなところが……そこだからよ」

「は?」

「だ・か・ら! フィーラはラーメンを食べ歩くのが趣味なのよ!」

「は?……え、なんで?」

「昔、フィーラが唐突に『日本のソウルフードが食べたい!』って言い出したのよ。それで仕方なくラーメン屋に連れていったの。そしたら珍しかったのか、妙にハマってしまってね」


 僕はあんぐりと口が開き、目をしばたたかせる。

 愛梨彩がフィーラと仲良くラーメンを食べていた……なんて全然想像できない。そもそも彼女が焼いた肉以外を食べてるのが驚きだ。愛梨彩の好物と言えばステーキだろ。


「いや、でも……そんな簡単に見つかる? ラーメン屋だけ探して」


 ラーメンが好きだからという理由は安直過ぎる。ほかに好きなものだってあるだろうし、手がかりとしては弱い。


「あの子、いき詰まった時とかなにか大きなできごとがあった後は必ずラーメンを食べるのよ」

「ご褒美とか好きなもの食べて気を紛らわせようってこと?」

「そういうこと。私の推理だと今、フィーラはスランプに陥っているはず。なにせ私たちに二回も黒星をつけられたんだから、発散したくもなるでしょ?」


 二回の黒星。しかもただ負けただけじゃない。負けたことがなかった相手、見下していた相手に土をつけられたのだ。プライドの高いフィーラが気落ちする理由としては充分だろう。


「それはまあ。でも昨日食べた可能性とかもあるわけで」

「もしそうだとしても、今日食べない理由にはならないわ」愛梨彩がおもむろに人差し指を上げる。「なにせ本場日本のラーメンは秋葉にいる今しか食べられないんだから」


 名探偵九条愛梨彩は誇るように推理を述べる。

 そういえばフィーラは北欧出身だった。ラーメンが好きだけど、母国ではなかなか食べられない。ならば日本にいるうちに食べ尽くせばいいという考えか。確かにその理屈なら納得がいく。


「いなかったとしても店主や店員に尋ねれば手がかりが掴めるかもしれない。銀髪のスウェーデン人なんて彼女くらしかいないから」

「なるほどな」


 流石は旧知の仲だ。少ない手がかりから最もらしい推理をしてみせる。となるとラーメン屋に聴きこみ調査となるわけだが——


「ところで太刀川くん、お腹は減ってる?」

「へ?」


 昼はまだ食べてなかったから腹は減っているが……なんだろう、すごく嫌な予感がする。常軌を逸したエキセントリックな提案が彼女の口から出てきそうな気がする。


「ラーメン屋に入って食べずに出ていくわけにもいかないでしょ。さ、いくわよ?」

「え、ちょっと!? 見つけるまで食べ歩くつもりか!? おい!!」


 愛梨彩が僕の手首をぎっちりと掴み、先を歩いていく。反論虚しく、彼女はノリノリでラーメン屋へと連行していく。


 ——この魔女、ひょっとしてラーメン大好きなんじゃないだろうか?


 そんな疑念が脳裏を過ぎった。

 かくして僕たちのラーメン屋巡りデート——もといラーメン屋聴きこみ調査がスタートする。



 まずは学園のある駅方面まで歩いて向かう。その道すがらに一軒目の店、『なんだっ亭』というラーメン屋がある。命名は完全に駄洒落で、仏頂面の愛梨彩が言うたびにシュールな笑いに見舞われた。


「それにしても……だいぶ暑くなってきたな」


 歩いていると、コンクリートに反射された太陽の熱気が容赦なく僕たちに襲いかかってくる。

 暦はもう七月である。今回の目的が人探しだからローブは着なくて済んだからよかったが、着ていたら蒸し死んでいたんじゃないだろうか。


「ここよ」


 僕のぼやきは華麗にスルー。目的地を発見すると、づかづかと店内へ進入していく。僕に拒否権はなく、引っ張られてラーメン屋へと拉致される。

 『なんだっ亭』は大通りに面した、大きな店舗だった。駐車場も完備され、敷地ごと借りているようだった。いわゆるチェーン店を展開しているお店なのだろう。

 僕と愛梨彩はテーブル席へと通される。四人がけと思しきテーブルは広く感じ、ソファに座っても妙に落ち着かない。そもそも愛梨彩と外食することになるとは思わなかったのだ。いきなり対面で食事するのは少しドキドキする。


「注文、お決まりですかー?」


 しばらくすると、ちょっとチャラついたお兄さんが注文を聞きにきた。愛梨彩は迷わず味噌ラーメンを頼む。僕は……


「あと、つけ麺一つ。以上で」


 それだけ言うと、チャラついたお兄さんは厨房の方へと帰っていく。帰っていくのだが……なんだろう、目の前から熱い視線を感じる。愛梨彩だ。

 ジト目、と言えばいいのだろうか。僕を見て呆れている。


「あの……なんかダメでしたか?」


 彼女はなにも喋らない。だが、なんとなく顔を見て意訳することはできる。多分、「ないわー。ラーメン食べ歩きデートなのに初っ端からつけ麺とかないわー」と思ってる。多分。

 しばしの間の沈黙が辛い。けど自分からなにか喋る勇気もない。いいじゃないか、つけ麺だって。


「お待たせしましたー。味噌ラーメンのお客様」


 数分して、再びさっきの店員が現れた。店員に応じるように、愛梨彩は静かに手をあげる。


「はい、つけ麺のお客様」

「はい」


 運ばれてきたつけ麺はなんら変なところもない、至って普通のつけ麺だ。麺の皿の端にほうれん草、ネギ、メンマ、チャーシューなどの具材が盛られている。


「ご注文は以上でお揃いですかー?」


 気の抜けた声で店員が尋ねてくる。


「ええ。あと、一つ尋ねたいことがあるんだけどいいかしら?」

「はい。どうぞー」

「今日、この店に銀色の髪をした外国人はこなかったかしら?」


 なんだかんだで僕も浮かれていたが、本題はこれだ。フィーラの行方についてなにか手がかりはないだろうか。


「今日っすか? ずっと注文取ってましたけど見てないっすねー」

「ほかの日もきてなかったかしら?」

「きてないっすねー」

「そう。ならいいわ。ありがとう」

「じゃ、ごゆっくりどうぞー」


 手がかりなし。わかってはいたが、すぐには見つからなさそうだ。


「まあ一軒目だしさ。冷めないうちに食べよう」

「ええ、そうね」


 二人で「いただきます」と斉唱する。

 早速箸で麺を取り、汁につけて食す。うん、やっぱりこのほどよい酸味がたまらない。この酸っぱさが好きでつけ麺を頼んでしまうのだ。あとで蕎麦湯をもらってスープとして飲ませてもらおう。

 と食べ進めるのもいいが、色々と聞いておきたいことがある。


「どうして最初にここに入ったの?」

「フィーラは私と違って太麺派なのよ。ここは太麺で有名だし、訪れるならここだって思ってたんだけど……ハズレのようね」

「ああー。太麺か細麺かで論争になったのか」

「それは、ちが——うとは言えないわね……」


 相手の好みの麺まで把握しているとなると、なにか思い出があったから覚えていたと考える方が自然だ。フィーラと愛梨彩ならこういう些細なことで口喧嘩していてもおかしくない。


「あなた、口喧嘩したってよくわかったわね」

「うーん、まあね。もう一緒に過ごして二ヶ月経つし。それなりに愛梨彩の性格はわかるよ」


 食べ終わった僕は店の窓から空を見る。

 早いものでもう死んでから二ヶ月近くになる。この体に不便はないが、なんというか遠いところにきてしまった気がする。同じ世界にいるはずなのに異世界に放りこまれたかのような感覚。学校で愛梨彩が見ていた風景はこれだったのだろう。


「その勘、もっと戦闘で生かして欲しいわ」


 うっ……。黄昏ていたら痛いところを突かれた。話題を変えよう。


「次はどうするの? 同じ太麺系で当たる?」

「そうね……次は——」



 お次は『武将家 竜』というラーメン屋。やはり太麺系を攻めるという方針に変わりはなかった。

 『武将家 竜』は成石学園前の駅ビルの中にある。僕も部活帰りに緋色たちと何回か来店したことがある。駅の中という好立地のためかピーク時を過ぎているにもかかわらず、店前は結構な行列ができている。

 並んでいる間に店員さんからメニューが手渡される。今度の店員さんは愛想のいい女性だった。


「ここまで並んでると流石にいないんじゃないか? 聞くだけ聞いて、行列を理由に帰ることだってできるし……」


 メニューで隠しながら、愛梨彩に耳朶を打つ。


「いやよ。ここまで並んで帰るなんて私のプライドが許さないから。すいません、辛味噌ラーメンを一つ」


 魔女は僕の進言なんてお構いなしに注文をする。このワガママっぷり……やっぱりラーメンが食べたくて浮かれてるんじゃないだろうか。


 「あなたはどうする?」と尋ねられたので「同じものを一つ」とだけ告げた。こうなれば仕方ない。従者としてとことんつき合うさ。

 中に入るとカウンター席しかなく、空いている二つの席に座った。立地とは打って変わって、中のスペースは狭い。客の回転率を上げるのが大変そうだ。


 席に着くとすぐに辛味噌ラーメンが運ばれてくる。さっきもそうだったが、愛梨彩は味噌ラーメンが好きなんだな。

 ひき肉、もやし、キャベツ。具をこれでもかと盛られており、なかなかボリューミーだ。まさに具材のデパート。二杯目のラーメンとしてはパンチがありそうだが、辛味が食欲を刺激してくれるだろう。

 箸入れから箸を取り、愛梨彩に手渡す。そして「いただきます」と声を合わせる。

 麺をメインに食べたいところだが、なかなか具材が減らない。辛い味噌の味をひたすらシャキシャキのもやしとひき肉で味わう。これだけで満足してしまいそうだ。加えて、あまりの辛さに鼻水が出る。


 ふと愛梨彩の進捗が気になり、横目で見る。彼女も辛いと感じているようだ。頰を伝うように雫が一つ、垂れ落ちる。

 なんというか……上気していて妙に色っぽい。急に心臓の鼓動が早くなる。これは間違いなく目に毒だ。あまりジロジロ見てはいけないやつだ。食べることに集中しよう……。


「ごちそうさま。あら、まだ食べてたの?」


 しばらくすると愛梨彩が食べ終わっていた。なにごともなかったかのようにけろりとした表情をしている。全く、思春期男子の気も知らないで。


「もうすぐ食べ終わるから、店員さんに聴きこみしたら?」

「それもそうね」


 それだけ言うと「すみません」と店員に声をかける。一軒目と同じようにフィーラの特徴を伝え、来店したかどうかを確認している。が、店員の顔を見るに結果はここも空振りのようだ。


「ごちそうさまでした。次はどうする?」

「次はそうね……趣きを変えてチャーハンでいくのはどうかしら?」


 ——チャーハン。チャーハンとはあのチャーハンのことだろうか?


 僕の頭の中で一抹の不安が過ぎる。眉間に皺が寄る。

 この魔女目的を見失ってないだろうか? 自分がチャーハンを食べたいだけなんじゃないだろうか?

 けれど悲しいことに僕はスレイヴ。拒否権はない。主人がいくところについていかねばならぬ運命さだめなのである。

 


 チャーハンを食べに勢いできた三軒目。「ラーメン屋 てつ」。僕らはテーブル席でその瞬間を待っている。


「ここはラーメンも美味しいけれど、チャーハンも有名なのよ」

「フィーラさんはチャーハンも好きなんですか……?」


 恐る恐る愛梨彩にフィーラのことを尋ねると、なぜか一秒フリーズする。今、絶対フィーラのこと忘れてただろ。


「それはもちろんよ。だから彼女がこの地域で一番チャーハンが美味しい店にこないわけがないと思ったのよ」


 周りを見渡してみる。ピークを過ぎたからか客は少ない。無論、フィーラもいない。


「ほんとかなぁ?」


 ここまで二軒空振りだった。ここを外せば空振り三振でアウト。辛味噌ラーメンで食欲をブーストしたとはいえ流石に僕もお腹が膨れてきている。次の店でラーメンを食べれるかはかなり怪しい。

 なんとしてもここで決定的な証拠を握りたいところだ。頼みますよ、ラーメン探偵愛梨彩さん!


「はい、お待ち。チャーハンと餃子二人前ね」


 小太りの店員が頼んでいたチャーハンを運んでくる。それはまるで黄金の宝玉のように輝いていた。この色味……絶対うまいに決まっている。

 チャーハンはシェアするために一人前、それと一緒に食べる餃子は一人前ずつだ。チャーハンを一人前食べずに済むのはありがたかった。


 本日三度目の「いただきます」。ちゃんと二人で斉唱する。

 まずは餃子を一つ賞味する。餃子はいわゆるパリパリのタイプではなく、柔らかい。その分味のインパクトは凄まじく、食べ終わった後の息が少し気になりそうな勢いだ。

 続いてチャーハン。しっかりパラパラとしたご飯に、一口食べただけでもわかる味の濃いチャーシュー。チャーハンはパラパラさだけでなく、チャーシューの味も重要なのだと改めて思い知らされる。このままだとどんどんレンゲが進んでいってしまいそうだ。

 そして、お次は同時に食べる。箸で餃子を口に放った後で、熱々のチャーハンをレンゲですくって流しこむ。パラパラとした食感の中にニンニクのしっかりとした味が包まれ、ハーモニーを奏で始める。この、味が中和されていく感じ……ああ、やっぱりチャーハンと餃子は——


「やっぱりチャーハンと餃子は最強の組み合わせね」


 僕の感想を代弁するように愛梨彩が言葉を漏らした。


「それな。チャーハン食べる時は餃子だよな」


 珍しくてついつい相槌を打ってしまう。


「太刀川くん、あなたなかなかわかってるじゃない」

「褒めてもなにも出ないよ」


 そう言ってお互いに微笑むと、再び箸を進める。ニンニクの力というものは偉大で、さっきまで腹が満たされていたはずなのにチャーハンの山はすっかりなくなっていた。これだったら一人前でも余裕で食べれたかもしれない。


「ごちそうさま。お会計をお願い」


 愛梨彩がレジへと赴く。僕も彼女の後を追う。


「はい。二〇九五円になります」

「あの、この店に銀髪の女の子きませんでしたか? 外国人だからわかりやすいと思うんですけど」


 愛梨彩が支払いをしている間に店員に聴きこみをする。相手はさっき品を運んできた小太りの店員だ。


「いやぁ見てないですねぇ。外人さんなら接客した時のこと覚えているはずだし」

「そうですか」

「ごちそうさま。いくわよ、太刀川くん」


 先に出た愛梨彩を追って暖簾をくぐる。店外には気落ちしたように肩を落とす愛梨彩がいた。


「この感じだとまだラーメンの食べ歩きしてないんじゃないか? 今日は出直した方が……」

「そうね。でも最後に一軒だけ見ていきましょう」

「いや……でももうお腹がパンパン」


 つけ麺、辛味噌ラーメン、チャーハンに餃子。これだけ食べるとちょっときつい。運動部だったとはいえ限界がある。


「わかってる。店内を覗くだけにするから」


 本当にそれで済むのだろうか。今までのノリノリなテンションを見るといささか疑問である。けど、とことんつき合うと決めたのはほかでもない僕だ。


「じゃあ、最後の一軒いきますか」


 終わりなきラーメン屋探索。どうか次のラーメン屋にフィーラがいますように。

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