運命の交差点/episode18

 *interlude*


 私、フィーラ・ユグド・オーデンバリは悩んでいた。


「醤油か……塩か……トンコツか……どれも選べないのだわ!!」


 日本にきたら食べなくてはいけないものがある。それは——ラーメンである。

 初めて来日して食べて以来、私はその衝撃が忘れられなかった。醤油、味噌などの日本固有の味のスープで中華麺を味わう。私はその時、全く異なった食文化——未知との遭遇をしたのだ。

 ルーツこそは中国だが、ラーメンは今やジャパンのソウルフードだ。一つの文化と言っても過言ではないだろう。スウェーデンでも即席麺や自作して食べることはできたが、やはり本場日本の味にはほど遠かった。


 ——あれから二五年である。


 アリサに会うことも楽しみではあったが、なによりラーメンを食べるのが楽しみで日本にきた。

 そして、今は食すのに最高のタイミングだ。

 教会との大規模戦闘を終えて、スランプ気味の私は身も心もボロボロ。そんな時にラーメンを食べれば、体の芯にまで味が染み渡るはずだ。これぞ、至高の一杯。

 この日のために、事前に秋葉にあるラーメン屋はリストアップした。最近はスマートフォンやパソコンなどの端末の発達のおかげで情報収集が楽でいい。


「お金ならいくらでもある……ここで後悔はしたくない」


 次に日本のラーメンにありつけるのは五年後か一〇年後か……。秋葉にいる間は食べられるだろうが、できるなら色々な味を食べたい。大丈夫、お腹はぺこぺこだ。

「醤油、塩、トンコツ! 全部ちょうだい!」


 そう! 迷ったら全部! 欲張れるなら欲張る! これが強者の鉄則である。


「お嬢ちゃん、そんなに頼んで平気かい?」

「このくらい余裕で食べられるのだわ! それにお金の心配もいらないし」


 そう言って店主に手の甲を見せつける。店主にその意味が通じなかったのか、微妙な笑顔で「じゃあちょっと待っててな」と言われてしまった。


 ラーメンがくるまでの間、おもむろに店内を見渡す。

 今回選んだラーメン屋は駅前近くの店だ。店内は小洒落た感じのない、厨房をカウンター席で囲ったオーソドックスな内装だ。黒くてかって光る床なんかはいかにもな感じがする。午後というお昼時を避けたからか、店内はそこまで混雑していない。いるのは高校生と昼飯を食べ逃したサラリーマンくらいだ。

 所在なく、出されたお冷を口にする。それでもやることがないので自然と争奪戦のことを考えてしまう。


 ——今の私じゃアリサに勝てない。


 魔導教会のことなんてどうだってよかった。どうせ倒す相手だ。そいつらがどんな野望を抱いていようと関係ない。

 私が一番気にしていたのは友達の急成長っぷりだった。最強の魔女という名誉を欲して参加した争奪戦で、見下していた友達に黒星をつけられた。


 ——「オーデンバリの魔女に負けは許されない。負かされた相手には必ずリベンジして勝ちなさい」


 そんな脅迫観念が押し迫ってくる。亡き母が生前よく口にしていた言葉だ。初めて負けて、これは呪詛なんだと気づかされた。私はなんとしてもアリサに勝たなければならない。


「会わないうちにあんなに強くなってたなんて……」


 私は独りでに敗因を考え始めていた。

 氷魔法への覚醒。それが誤算だった。水魔法は特性上形態変化を有するものだ。この二〇数年の間に水蒸気、氷魔法を扱えるようになってもおかしくはなかった。つまり私の驕りが招いたミスだ。

 そしてもう一つの誤算があのスレイヴだ。レイという少年はスペックこそ凡庸だが、ポテンシャルの高い人材だった。魔法ウィッチクラフトが格落ちした魔法——武器魔法を得意としていることからそれが伺える。あれが本当に一般人なのだろうか?


「人間のスレイヴか……」


 獣型のスレイヴが劣っているとは思わない。彼らには彼らの長所がある。

 だが、人間の意思というものは時として侮れないものがある。逆境に打ち勝つだけの確固たる信念。忠誠だけではない、複雑に入り混じった想いの強さ。アリサがレイスの自我を残したのも納得できる。

 私のスレイヴ二体はこの前の戦闘で損傷が激しかった。特にコロウに関してはレイにやられた時の傷が完治していなかったため、深刻な状態だ。常に主人と直接パスで繋がってるレイと違って、彼らに魔力の加護があるのは昇華時のみ。すぐに回復はできない。このまま戦闘に出すわけにはいかなかった。

 となると自ずと三体目のスレイヴが欲しくなる。コロウとオロチが戦線離脱している間を保たせてくれるスレイヴが。できるなら人間がいい。魔札スペルカードの補充に専念できるし、人間のスレイヴが調達できればレイに使った術式を応用できる。

 しかし問題は——


「そんな逸材どこにいるのかしら……探すにも骨が折れるのだわ」


 肝心なベースとなる人間の当てがなかった。健全な肉体を持つ人間は山ほどいるだろうけど、私のスレイヴにする以上崇高な精神の持ち主でなくてはならない。こんな異国の地でそんな人間をスカウトできるか? 無理にもほどがある。


「そんなシケた顔すんなよ、お嬢ちゃん。ほれ、できたぞ」

「ありがとう。いただきます」


 こうなればヤケだ。ヤケ食いだ。ラーメンを食べて幸せを噛み締めれば妙案が浮かぶかもしれない。今だけは悩みも家名のプレッシャーも忘れよう。

 私は箸入れから割り箸を取り出し、醤油ラーメンに手をつける。日本人ほどではないが箸使いには自信がある。ラーメンをフォークで食べるなんてナンセンスなのだわ。


 一口麺をずずっと啜る。刹那、口の中に鰹出汁の効いた味が広がっていく。ここのラーメンは魚介系のスープだったか。脂の量も程よく、なかなかコクのある味だ。箸は止まることを知らず勝手に進んでいく。

 醤油味と言ってもその味は出汁の違いにより、多岐に渡る。動物系か、魚介系か、はたまた野菜出汁か。これだから色々な店でラーメンを味わいたくなってしまう。

 チャーシューは弾力がありつつも、脂はトロトロと口の中で溶けていく。載っているほうれん草はスープがしっかり染みこんでおり、これだけで白米が食べれそうな勢いだ。

 惜しむらくは麺の太さか。太すぎもせず、細すぎもしない。私は愛梨彩と違って、どちらかと言えば太麺のしっかりとした食感を味わいたい派の人間だ。だがスープとの相性も加味して、この太さなら文句は言えない。


 と、脳内で感想を述べているうちに醤油ラーメンを完食してしまった。勢いそのまま塩、豚骨のラーメンを食していく。

 塩味はやはりあっさりとしている。ネギ、メンマ、チャーシューと薬味はシンプルだが、悪い気はしない。特にネギとの相性が抜群だ。けれど塩味だからか、不思議とインパクトに欠ける感じがする。これは好みの問題だろう。


 そして最後は豚骨ラーメン。太麺好きの私だが、豚骨ラーメンはやはり細麺に限る。胃に流れていく、脂、脂、脂。醤油ラーメンと同様の厚いチャーシューが濃厚な味わいにさらに脂を加えていく。このこってりとした味わいは日本の豚骨ラーメンでしか味わえない。いかにも脂を飲んでいるという感じだが、体に悪そうだなんて気にする必要はない。私は魔女なのだから。

 そんなこんなでラーメン三杯を平らげてしまった。足りなかったら餃子をつまむのもいいかなと思ったが、充分満腹だ。空腹を満たしたからか、自然と鬱屈とした感情はなりを潜めていた。


「店長、お会計お願い」

「はいよ」


 ドア口付近にあるレジまで足を運ぶ。だいぶ奮発したと思うが、払えない額ではない。


「お会計は二五二七円ね」

「チップの読み取り機はどこかしら」

「はあ? チップ?」

「チップはチップなのだわ!」


 私は再び店主に手を見せる。支払いと言えば手に埋めこまれたマイクロチップで行うのが普通だろう。だが、店長は首を傾げたままだった。嫌な予感が背筋を駆け巡る。


「じゃあ、スマートフォンでの決済は!? クレジットカードは!?」

「うちは現金のみ。キャッシュオンリーだよ、お嬢ちゃん」

「な……なんですって!?」


 キャッシュ。キャッシュなんて言葉久しぶりに聞いた。まさかとは思ったけど、日本はまだ紙幣や硬貨に頼っているって言うの!?

 私の母国スウェーデンは今やキャッシュレス経済となっている。支払いはほとんど電子決済。紙幣や硬貨を使っている方が珍しく、店によってはキャッシュお断りだったりする。

 最後に日本にきたのは二五年前。あの時と全く変わっていない。思えば日本にきてから今まで買い物らしい買い物はしてこなかったし、クレジットカードや電子決済に対応しているところしか利用していなかった。


「困ったなぁ。お嬢ちゃんだいぶ食べてたから払ってもらわないと困るんだよなぁ」


 店長の言葉は嫌味でもなんでもなく、困惑しながらもお金を立て替える方法を思案しているようだった。

 ラーメン屋とはいえ大衆食堂だ。電子決済に対応してないなんて夢にも思わなかった。全身の血の気が引いていく。こういう時、日本のマンガやアニメだと皿洗いでお代を払っていた。私もそれをしなきゃいけないのだろうか?


「あ、おじさん。代わりに俺が立て替えますよ。この子、金持ってないわけじゃなさそうだし、現金で払えればいいんだろ?」


 私の真横から男の声が聞こえ、びくりとする。頭が真っ白になっていたから気配すらわからなかった。


「ま、まあ。でもいいのかい?」

「この子外国人みたいだし、仕方ないよ。困った時はお互い様。じゃあ、俺の分と合わせて三三六九円」


 赤髪の青年は臆面もなく、紙幣と硬貨を店主に手渡した。彼の背丈は私よりもはるかに高くて、大きな存在に感じる。


「はい、三三六九円ちょうどね。いやー助かったよ。お嬢ちゃんに悪気があったわけじゃなかったしね」

「え、ええ。迷惑かけてしまったのだわ」

「んじゃ、ごちそうさまでした」


 そう言うと男はラケットバッグを背負い、そそくさと出ていこうとする。


「おう、ヒイロ君いつもありがとう。またきてな」

「ヒイロ……」


 ヒイロ。さながらその響きはヒーローのように聞こえた。私の窮地を助けてくれた思いやりに溢れた英雄。この人ならもしかしたら。——なかなか見つからなかったパズルのピースが見つかった時のあの感覚を思い出す。


「ごちそうさま!」


 勢いよく店を飛びててヒイロと呼ばれた青年の後を追う。食後に走るのは苦しいが、少しの辛抱だ。そう遠くにはいっていないはず。


「待つのだわ!」


 店を飛び出して数メートル。私は歩き去ろうとする背中に向けて叫んだ。私はあなたに言わなければいけないことがある。


「あ、さっきの。お代ならいいよ別に」


 この男……店主の前では「立て替え」と言ったが、最初から払うだけ払って退散する気だったか。


「それはダメ。お金の貸し借りはしっかりしないと」

「んじゃ二五〇〇円分のなにか買ってもらおうかな?」


 男は笑みを浮かべて答える。それはあまりにも幸せに満ちたもので、彼が争いとは無縁の世界の人間なのだと物語っていた。でも、それでも——私の直感は告げている。私のスレイヴはあなただと。


「それはいいけど……私はあなたに別の取引を持ちかけにきたの」

「別の取引? 俺、しがない高校生だぜ?」

「ええ、しがない高校生でも充分よ」


 私が必要としているのは健全な肉体と精神を持った崇高な人間。それ以外はなにもいらない。魔力だって必要ない。


「取引ってなんだ?」

「あなた、ヒーローになる気はない?」


 この時私は思った。私たちの出会いは必然だったと。あなたは私を助けるためにここにいたのだと。ならば私があなたをスカウトしない理由はない。


「私の名前はフィーラ・ユグド・オーデンバリ。あなたの名前は?」


 *interlude out*

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