信念と感情の間で/episode82

「愛梨彩! 咲久来!」


 俺が戻った時にはすでに戦いが終結していた。辺り一面の霧散しかけている死骸を見ると戦闘の激しさは一目瞭然だった。

 戦場の真ん中には氷に閉じこめられた桐生さんがいる。咲久来と愛梨彩は激戦を制し、なんとか彼女を封じこめたようだった。


「みんなは!?」

「大丈夫……全員無事よ」


 傍らにいた愛梨彩が返答する。身に力が入っておらず、肩で息をしているようだった。

 死霊化していた生徒たちは離れた場所に安置されていた。本宮も一乗寺も五体満足の状態だった。


 ——だが大丈夫じゃない人間が一人いる。


 視線を戻すと、愛梨彩が膝から崩れ落ちていくのが見えた。俺は慌てて彼女を抱きとめる。


「色々背負わせちゃってごめん」

「謝るより感謝して欲しいわね」


 愛梨彩が俺の胸でそう呟いた。


「ありがとう」

「どう……いたしまして」


 彼女の顔はやつれ、少し老けこんで見えた。それだけ……それだけ無茶をしたんだ。自分の魔術式に負荷をかけて、必死にみんなを助けようとしたんだ。


「ぬしさんたちは甘いでありんすぇ」


 静まり返った戦地にたおやかな声がありありと響く。その声は俺たちを確かに嘲笑っていた。

 声の方を見やる。氷の檻の近くで……綾芽が不敵に笑っていた。


「アヤメ!? まさかあなた!?」

「そのまさか。わっちの目的は桐生睦月を殺すことでありんす。睦月さん……おさればえ」


 綾芽が手から石の槍を生み出し、氷塊の中心を抉る。先端は的確に、慈悲なく心臓を貫いていた。

 氷の牢獄は砕け散り、桐生さんが無造作に地面へと放られる。なすすべなく、戦場に唯一の死者が生まれてしまう。


「フィーラさん。次会う時は思う存分殺し合いしんしょうね?」

「ええ。あなただけは……あなただけは私が引導を渡してやるのだわ!!」


 外装を纏った貴利江に連れられて綾芽はこの場を去っていった。最後まで怪しい笑みを浮かべたままだった。

 残ったのは野良の魔女と……咲久来。


「桐生さん……」


 なんと言えばいいのかわからなかった。綾芽を恨めばいいのかもわからなかった。ただ自分はどんな結末でも受け入れるしかない。桐生さんとはもうわかり合えないと理解していたから。


「いざ死なれると……悲しいわね」


 愛梨彩がふらりと俺から離れていく。限界の体を引きずるように桐生さんの骸へと歩み寄っていく。

 そうだ、その通りだ。桐生さんには散々な目に遭わされてきた。一度殺されもした。だけど……どうしようもなく悲しいんだ。

 きっとそれは彼女の人間としての優しさも知っていたから。争奪戦に巻きこまれなかったらこんなことにはならなかったはずなんだ。彼女は優しいままで……

 この結末しか迎えられなかったのがたまらなく悔しい。非情な騎士としてではなく、自分の人間としての本心がそう叫んでいた。


「アリサ……なにをするつもり?」

「決まってるでしょ。睦月を元に戻すのよ」


 かつて愛梨彩が言っていたことと今やろうとしていることは矛盾している。そんなことは彼女も充分承知の上だろう。

 それでも足を突き動かすのは心に従っているからだ。人間はマシーンじゃない。ブレない信念があるのと同時に揺れ動く感情があるんだ。それは人間として正しい。二つは同居しているものだ。


「けど君の体はもう! もしものことがあったら!」

「追加の一人や二人くらい大差ないわよ。絶対元に戻す……魔術の世界と関係なかった彼女にね」


 愛梨彩はブルームの制止を振り切り、ひたすらに亡骸の元へと向かう。


「そんなことをしたらムツキは魔女として——」

「幸い……綾芽が一度殺してくれたおかげで魔術式は消えているわ。この状態なら……戻しても魔女にはならない」


 フィーラが再度止めようとしても愛梨彩は聞き入れなかった。

 動きは緩慢だが、彼女の足取りは確かだ。一心不乱に桐生さんの元へと向かっている。彼女の意思がブレることはないのが見て取れた。


「甘いよ、愛梨彩」駆け寄った俺はたまらず愛梨彩に肩を貸した。「けど……俺はその甘さが誇らしく思う」


 愛梨彩は魔女としての信念ではなく、人間としての感情を優先させようとしている。同じ釜の飯を食った人間として、クラスメイトの一人として。桐生さんを救おうとしているんだ。

 なら……それを支えるのは騎士である俺の務めだ。人間としての彼女がそれを望むのなら俺もそう望む。ほかの誰もが否定しても俺は君の人間味を否定したくない。

 移ろう人間の心を誰が咎められるだろうか?


「睦月。あなたに一番つらい罰を与えるわ。自暴自棄になって自分の身を滅ぼして死ぬなんて……そんな終わり方、私は許さない。だからなにもかも忘れて、私たちとは……太刀川くんとは無縁の存在になってもらうわ。あなたの大事なものを私が奪う。それが私たちのためであり、あなたのためになることだから」


 突き放したような物言い。だが声音はとても優しく、慮っているのがわかる。

 同情ではなく、罰として桐生さんを蘇らせる。死ではなく、現実を生きることで罪を償わせる。

 それが愛梨彩なりの筋の通し方なのかもしれない。そうすることで信念と感情の折り合いをつけているんだろう。


「九条愛梨彩の名をもって命じます。あなたは無垢なまま平穏な世界で生き続けなさい。現実と向き合いなさい。『逆転再誕リバース/リ・バース』」


 愛梨彩が骸に手をかざす。短く呻き声を上げながらも必死に魔術を行使する。やっぱり君は生真面目過ぎるよ。

 やがて体の風穴が塞がり、変色した緑の髪色が戻っていく。それは対象の時間を戻すという復元リバースを越えた再誕リ・バースだった。


「う……ん? 太刀川くん……? それに……九条さん?」


 やや間があってから桐生さんはなにごともなかったかのように目を覚ました。


「おはよう、桐生さん。無事でなによりね」

「あれ……? 私……なんで学校にいるの? 確か教会にいこうとして……」

「寝ぼけてる場合じゃないわよ。授業、もうすぐ始まるから」


 想いやりに溢れた優しい嘘。その言葉を聞いた桐生さんは一目散に校舎へと駆け出していった。失って二度と戻らなかったはずの平穏な現実へと彼女は帰っていく。


「さようなら、睦月。あなたはあなたの現実を生きなさい」


 過ぎ去っていく背中に愛梨彩が贈る言葉。それはエールのようでもあり、彼女への戒めのようにも聞こえた。

 きっと戸惑うことも多いだろう。自分の知っている時間と現在の時間の乖離。埋まらない記憶の空白。どれもこれもどうにもならない、つらい現実だ。

 願わくば、それでも前を向いて欲しい。今度こそ心折れないで欲しい。そんな勝手な願い——揺れ動く自分の感情をこめて俺は彼女の背中を見送った。


「これで桐生睦月は無関係……というわけか」


 入れ違えるように校舎の方から一人の男がやってきた。


「ソーマ……終わった頃にのこのこと!」

「そう睨まないでくれたまえ。私だって別に暇を持て余していたわけじゃない」


 俺たちの目の前までくるとソーマは足を止めた。殺気はない。ここで戦うつもりはないということか。


「桐生睦月は……人畜無害な人間に戻ったわ。教会の権益を脅かすことももうない。殺す必要はないはずよ。あなたたちが裏工作していたのと同じで、この学園には魔術も魔女の痕跡もなかったことになっただけ」

「確かにな。彼女を殺せば事実を隠匿する必要がある。再び生徒たちの記憶を捏造するのは少々億劫だ」

「『再び』って、お前」


 二人の言葉から察するに、今の今まで生徒たちや学園祭にきた人に対して記憶操作をしていたようだ。俺の記憶を改竄した時と同じことをやったわけか。


「まあいい。今回は教会としても礼を言わざるを得ないからね。君たちが睦月を対処してくれたおかげでこうして『学園祭は平穏無事なまま』という事実に改変できたのだから。感謝しているよ、と言いにきたんだ」


 嫌味なのか本気で謝辞を述べているのか判断がつかない。俺も愛梨彩も受け答えせず、ただただ黙ってソーマを睨むだけだった。


「八神くんも調査ご苦労だった。現場の君の判断は正しかったよ」

「……はい。お褒めに預かり光栄です」


 咲久来がうつむきながら返答する。一筋縄では喜べない表情のかげりがそこにあった。


「私の要件は済んだ。では、失礼」


 いつの間にかソーマの姿は見えなくなっていた。本当に感謝の言葉を述べにきただけだったらしい。弱っている俺たちを見逃すなんて。


「待って……! 咲久来……!」


 ソーマを追うように立ち去ろうとする咲久来を愛梨彩が引き止めた。最後の力を振り絞り、精一杯言葉を紡いでいた。


「ごめん。まだ結論は出ないや。けど……あれが嘘偽りない私の本心だと思う」


 咲久来の面差しは心なしか穏やかに見えた。いつも戦うことで切羽詰まっていた様子だった彼女が……昔みたいに優しい表情を浮かべている。


「だから安心してよ。それにまだ教会内でやれることあるかもしれないし」


 咲久来と愛梨彩の間になにが起きたのかはわからない。けれど、はっきりとわかることもある。彼女はもう……愛梨彩を恨んでいないんだ。


「そういうわけだから、じゃあまたね。愛梨彩、お兄ちゃん」


 咲久来は笑みを浮かべながら学園を去っていった。


「またね……か。それだけ聞ければ今は充分なのかもしれないわね」


 あの咲久来が「またね」と再会の言葉を口にした。きっとその言葉には裏なんてなく、文字通りの意味だ。親しき人に再会するための約束のような……そんな響き。


「そうだね。咲久来を信じよう」


 こうして俺たちは学園の魔女の討伐に成功した。彼女の中にもう魔女はいない。いるのは一人の女子高生だけだ。

 残すは賢者の石の奪取のみだ。賢者の石が手に入れば全てが終わる。この争奪戦の終焉は目の前だ。

 最後に勝つのは野良か教会か……それとも綾芽か。最終決戦の幕が開けようとしていた。

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