終章 最後の勝利者は誰か?
遠謀深慮/episode83
学園祭から二週間が過ぎた。
あの一件以来、愛梨彩の魔術式はオーバーヒートして一時的に使い物にならなくなってしまった。彼女はうちの陣営の要だ。再び魔法が使用できるようになるまで静養を要したというわけだ。
「学校も生徒も平穏無事。教会の魔術はしっかり働いているようね」
学校からの帰り道、フィーラがそんなことをぼやいた。
愛梨彩がいない以上、不用意に教会を攻めることはできない。できることは調査という名目の登校くらいだ。賢者の石が最後に運びこまれる地——成石学園の様子を見る。ついでに学園祭の被害状況を把握もする。ここ数週間はそんな感じだった。
「一乗寺も本宮も相変わらずだったしなー。それもこれも全部九条のおかげかぁ」
その愛梨彩は一日の大半を眠りに費やしている。魔術式の暴走。払った代償はあまりにも大きい。
「暴走ってさ……どういうことなの?」
屋敷の目の前だというのに自然と足が止まってしまった。
愛梨彩の「大丈夫」という言葉を信じている。けど今彼女がどういう状況なのか、僕はよく把握できていない。せめて彼女の状態を知っておきたいと思った。
「魔女が魔力の生成量以上に消費することができないのは知っているでしょう?」
「うん」
「それはただ単に自制してるだけなのだわ。実際はやろうと思えば全身の魔力を消費することができる。けどやったら最後。機能が著しく低下して、最悪の場合長い間起動しなくなる。争奪戦に身を投じている魔女にとっては諸刃の剣だからやることはまずあり得ないんだけどね」
「それなら! 魔術式の放棄につながるんじゃないのか!?」
もし……暴走させて魔術式が崩壊するのなら。そんなことが起こせるなら。そんな一縷の望みがつい口を突いて出てしまった。
「残念ながら無理なのだわ。魔術式は継承するために残されたものよ。そのもの自体が強固に作られているから、どんなに機能が低下しても『継承するまで魔女を生かす』という根本的な機能は崩れない。継承するか死ぬか……そのどちらかでないと魔術式は手放せないのだわ」
フィーラの回答は期待に沿うものではなく、僕はうなだれてしまう。
——魔術式を永久に放棄する。
死ぬのは論外だ。彼女に普通の人生を送ってもらいたいのだから。愛梨彩の願いを叶えるにはやはり賢者の石を手に入れるしかない。
「そうだよな。うん……わかってる」
「わかればよろしい。じゃ、屋敷に帰りましょ。ただいまー!!」
屈託のない笑みを見せたフィーラが勢いよく屋敷の扉を開ける。すると中から「おかえりなさい」との声が。見るとホールに制服姿の愛梨彩がいた。
「愛梨彩!? 起きて大丈夫なのか!?」
「ええ、かろうじてね。まだ戦闘には復帰できないでしょうけど」
「そっか。それならよかった」
彼女の顔には生気が戻っていた。血色もよく、普段通りと変わらない様子だった。完全回復するのも時間の問題。ひとまず安心した。
「あなたに頼まれていたことも済ませておいたわ」
「それって……」
奥の部屋からガチャリと音が鳴る。中から現れたのは——
「ごきげんよう、野良の皆さん」
「百合音……」
悠然とした装束と佇まい。魔女は柔らかな風に乗せられた髪をたなびかせる。その姿は初めて彼女と会った時を彷彿とさせる。
学園祭の戦いの後、百合音の亡骸は地下室にある氷の棺に安置された。直後に復活させるのは愛梨彩の負担が大き過ぎるだろうと判断したからだ。
このタイミングで蘇ったということは……『
「太刀川黎。あなたには感謝していますわ」
「争奪戦……降りるんだよな?」
「ええ、それはもちろん。約束ですし? なによりもこんな戦いもうこりごりですわ」
その顔は心底呆れていた。これ以上散々な目に遭いたくないというのはやっぱり本心らしい。
「二度目はないわよ。慈善事業じゃないんだから」
ぶっきらぼうに愛梨彩が言う。正直一回蘇らせるだけでも充分なお人好しなんだよなぁ。
「心得ていますわ。それじゃあ、運よく生き延びたら……また会いましょう。あなたたちに返さないといけないものがありますので」
その時初めて百合音の微笑む顔を見た。そこに傲慢さは一切なく、穏やかで普通な笑みだった。魔女だって人間なんだよな。
「よかったの? あんなの生き返らせて」
屋敷を去っていく百合音の背中を見送りながらフィーラがぼやく。
「彼女も持っている感性という意味では人畜無害な一般人よ。戻しても悪さはしないわ」
「確かに。賢者の石に富を願うなんて……一番人間らしいのだわ。ま、名誉を願おうとした私が言える言葉じゃないかもしれないけど」
「そうでしょう? ならここで貸しを作っておくのも一興だと思わない? 人間臭い彼女ならきっと律儀に返してくれるわ」
そう言って愛梨彩がいたずらに笑う。
「変わったな、愛梨彩」
「どこかの誰かのおかげでね」
自分から人間関係を広げて、さらには人の感情まで読めるようになって。意地が悪いのは相変わらずだが人間的に成長しているように思える。って保護者目線か、僕は。
「あ! 九条が回復したってことは九条が飯作んのか? いやー久しぶりに食いたかったんだよな、お前のステーキ」
「ヒイロは調子がいいわねぇ、ほんと」
「ああ!? お前だって食べたがってたじゃねーか!」
「そ、それはそうだけど……」
「そこまで言われたら作るしかないわね」
戻ってきた和やかな空気。この雰囲気を僕は守っていきたい。改めてそう思った。
みんながみんな願いを持ってこの争奪戦に臨んでいる。願いの形は様々で、それぞれの心を反映したものだ。
愛梨彩の願いは変わっていないけど、きっと以前よりも増して「人間に戻りたい」と思っているのだろう。僕はその願いを果たさなくちゃいけない。騎士として……彼女を愛する一人の男として。
そんな折だった。スマートフォンが着信を告げる。表示されていたのは父の名前。そう、
*
愛梨彩たちに父に会うことを告げ、一人で向かった先は八神教会。
話すだけと言っても心配されたが、屋敷と八神教会は目と鼻の先だ。「いざとなったら屋根に『
「話ってなんだよ……父さん」
礼拝堂内で佇む影に呼びかける。そいつは自分を育てた父であり、自分をずっと騙し続けてきた嘘つきだ。
正直今でも信じたくない。自分の父が魔術師だったなんて。
けれどあの日、あの教会でこの男は俺を売った。自らの保身と家の存続のために。許せないという憎しみと親子の情を綯い交ぜにした感情が心を巣食っていく。
「いやぁほら、俺も一応お前の父親だろ? 退く気はないのかなぁと思ってな。息子の意思を確認したかったんだよ」
「何度も言わせるなよ。俺に退く気はない。教会は間違っている」
「賢者の石はお前たちが求めるような大層なものじゃない。戦うだけ無駄だよ、無駄」
「そんな言葉、今さら信用できるかよ……! クソ親父!!」
あっけらかんと言い放つ父にいきり立って反駁する。
俺を騙していた男が語る言葉が真実なはずがない。どうせ適当な理由をつけて退けたいだけだ。耳を貸すつもりはない。
「おいおい、黎。お前、いつからそんな乱暴な口調になったんだよ。父さんそんなふうに育てた覚えないぞ?」
「今さらとぼけんなよ! 俺が俺だったのは元からだろ!? それをあんたが消した! 魔力がないからって理由で!」
「もう遅いってわけ……か。なにも知らなかったあの頃のお前には戻れないってことだな」
父は途端に憂いを帯びた面差しを見せる。
なんなんだ、あんた一体。とぼけた口調で喋っていたかと思えば、次はもの悲しげなトーンになる。まるで本気で心配しているような口ぶりじゃないか。
「なら父さんも覚悟を決めよう。教会の
「帰るもんかよ!!」
手札を展開し、『
俺はあんたの言いなりになるためにここにきたんじゃない。あんたを倒して洗いざらい真実を話させるためにきたんだ!
「魔剣使いか……やっぱり親子だな!」
跳びこむ俺を阻むように幅広の剣が現れる。手札らしき手札は見当たらない。一体どこから現れた!?
「武器魔法……! クッ!」
剣と剣がぶつかり合う。だが父の剣の方がはるかに大きく、すぐに振り払われてしまう。
「なら……!
「ほほう。借り物の魔力を剣に宿すか。だがな!」父の掛け声と同時についに手札が現れる。「『
剣に付与されたのは——炎の
「属性付与の補助魔法……! それがなんだってんだよ!!」
さらに剣に魔力を上乗せして振るう。ぶつかり合い、鍔迫り合い……剣と剣の攻防が繰り広げられていく。
「どうした? その程度の実力で息巻いていたのか? こりゃ拍子抜けだな」
ヘラヘラと笑いながら父が煽ってくる。あんたはいつだってそうやって飄々として!
互角に渡り合っている……そう思っていた。だが俺の攻撃は全て弾かれていて、一回も相手に届いていない。親父が攻撃してこないのは防戦一方になっているからではなく、単に攻撃する気がないだけだ。
——狙いは俺のガス欠か。
愛梨彩からの恩恵が増えたとはいえ、依然として魔力切れが起こるというデメリットは残っている。効果持続が長い武器魔法同士という性質上、より手数を使った方が先にへばるのは目に見えている。
「一瞬で決めてやる! 『
「おお!? マジか!」
礼拝堂が剣の燎原へと変貌し、牙を剥く。親父は空中に跳び退かざるを得なくなる。
この瞬間を待っていた!
「『
二振りの剣を持ち、すかさず敵目掛けて跳んでいく。力押しがダメなら数だ!
「その手には乗らねーぞ? おらよっと!!」
大剣から繰り出される巨大な火球。剣圧を属性の魔弾にして放ってくる。
「『
同様に剣圧を起こして魔弾と衝突させる。しかし業火は二つ分の炎刃でやっと相殺できる威力だった。やはり攻撃が届かない!
「ほら、もういっちょ!」
「な!?」
爆煙が晴れた時には目前にもう一つの業火が迫っていた。追加の魔弾は剣で受けざるを得ず、押し返された俺はやむなく着地する。
「おおー危なかった危なかった」
親父がなにごともなかったかのように平然と地面に降り立つ。見るとその場所だけ焦土と化していた。属性魔法で焼き払ったのか。
「いつまでそうやってとぼけてるつもりだよ!? あんたまだなにか隠してるだろ!?」
「お前が俺に会いにきたのはそういうことか……うーむ、まあいいだろう。話してやるよ。お前の気が変わるかもしれないしな」
父から殺気が消えてなくなる。なんの気まぐれか、俺の望みに応じるつもりらしい。
なにを考えているのかはわからない。だがここで問い質さなければきた意味がない。俺も剣の構えを解く。
「なあ、黎。どうしてお前をここに呼んだかわかるか?」
「俺たち家族が一番馴染みのある教会だからだろ」
「そうだな。じゃあどうして八神の教会の隣に住んでいたかわかるか?」
「は? なに言ってんだよ」
意図の見えない質問の繰り返し。しかし父の顔は笑み一つなく真剣そのものだった。意味のある質問ということか。
しばし思案に耽る。
八神は七氏族の中でも魔術師を輩出している家系だ。対する太刀川は廃れて後継ぎが魔術師かどうかも怪しい落ちぶれた家系。結果として
もし父がこうなることを見越していたとしたら? 俺と咲久来が幼馴染だったのが偶然じゃなく仕組まれたことだとしたら?
「まさか……あんたの狙いは」
「お前が魔術師として目覚めなくても次の世代に種は残せる。有能な魔術師との子供を設けることでな」
「グルだったって言うのか……八神も」
「ああ。あいつらだって魔術師としての血筋を存続させたいのさ」
優秀な
「お前も気づいているだろう? この腕は魔術式の宿った腕だ。『継承』ではなく『移植』して使っている」
「どうりで
武器魔法は
「だがこれは本来間違った使い方だ。本来は——」
「継承者が必要。そういうことだろ」
「その通りだ。俺やお前が継承するということもできたんだが……知っての通りワーロックは質が落ちる。なにより俺もお前も半端者だ。俺たちが継承して劣化させたら、魔術式を腕ごと保存していた意味がなくなる」
劣化した魔術式の末路は俺もよく知っていた。魔力の素養がない桐生さんが継承したサラサの魔術式だ。
あれは
「だから優秀な八神の血が必要だった。半端者の男じゃなく……優秀な女の継承者を生み出すために」
「ああ。属性魔法の魔術師としては優秀な一族であるが、魔術式を持たない八神。そして魔力は途絶えたが、未だに魔術式を持つ太刀川。二つの家が交わり、稀代の魔女を輩出することが俺たちの目的だ。どうだ? お互いにメリットしかない素晴らしい密約だろう?」
嬉々として語る父が痛く感じた。なにも言葉が出てこない。告げれらた俺と太刀川家の真実はあまりにも重いものだった。
「だから俺はお前をここで失うわけにはいかないんだ。太刀川が魔女の家系として返り咲くためにな」
念を押すように父が言う。
八神の属性魔法はいわゆる『取るに足らない魔法』だ。魔術式として残す価値を見出されず、その多くが
対する太刀川は格こそ落ちたものの未だに特殊な魔法として扱われる武器魔法。なるほど……確かに二つの家が交われば最強の魔女が生まれるだろう。
全ては家のため。魔女を生み出し、地位を築く。俺のためなんかじゃない。俺は一族の将来の栄華のために利用されていた。知らないところでそんな思惑が渦巻いていたなんて。
やる瀬ない思いをぶつけるように剣を握る力が強まっていく。
「どこまでも……俺のことを利用して! あんたはずっと俺のことなんて見てなかったって言うのかよ!!」
猛る感情が収まらない。俺は再び親父と激突する。双剣は大剣の剣脊と衝突し、拮抗する。
「お前のためでもあるんだ。許せって」
「許せるわけないだろ!? 俺だけじゃなく咲久来まで! あんたはそんな人間じゃないって思ってたのに!!」
「それは八神も了承していることさ。咲久来ちゃん本人だって納得してるだろう?」
「了承だとか納得だとか……そういうことじゃないだろ!! 俺の知らないところで勝手に決めて! あんたたちが望む未来を俺たちに押しつけるなよ!!」
到底許せるわけがなかった。自分を……咲久来をまるで物みたいに利用して、俺たちの気持ちも心も抱く未来も全部度外視して。大人が勝手に決めたレールの上を走らされていたことが悔しくてたまらなかった。
遮二無二剣を振るい続ける。しかし大剣は砕けず、剣戟の音だけが虚しく響く。
「少しは落ち着けって。『
「クソっ!」
突如大剣が旋風を纏い、俺を遠ざける。なにをどうやってもあの剣による守りは抜けない。
——どうしたらいい? どうしたら親父に勝てる!?
そんな俺の苦悩を嘲り笑うように親父が剣を収めた。
「どういうつもりだよ!? まだ戦いは終わっちゃいない!!」
「今のでお前の意思はよーくわかったよ。俺だって父親だ。ここまで反発されちゃ、なぁ?」
父の言葉を聞いて呆気に取られてしまう。
俺を洗脳したあんたが今さら父親面かよ。俺の意思を尊重してくれるわけがないと唾を吐きたい気分だった。
「二週間後だ。二週間後、学園にいけ。その日にアザレアと賢者の石が学園に揃う。お前たちにとってはまたとないチャンスだ」
「あんた……どういうつもりだ? そんなこと明かして」
「さあな? だが最後にもう一度言っておくぞ。賢者の石は奪う価値のないものだ。命が惜しかったら……幸せでいたいのなら退け。後悔する前にな」
それだけ言うと父さんは姿をくらませた。礼拝堂に一人、取り残される。
アザレアの行動のリークに賢者の石に関しての忠告。あの人の考えていることが全く読めない。けれど一つだけはっきりしている。
——「俺はお前をここで失うわけにはいかないんだ。太刀川が魔女の家系として返り咲くためにな」
全ては太刀川家のため。あの人もこの争奪戦で暗躍している人間の一人だということだ。
親だからといって気を許してはいけない。言葉を鵜呑みにしちゃいけない。
あの人の思い通りになるものか。自分の正体を知ったあの日、俺の道は俺が決めるって決意したんだから。
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