反逆/episode 98

 再び王の間へと足を踏み入れる。そこでは二人の魔女が静かに睨み合っていた。

 失墜したソーマはアザレアの傍らで苦しげに跪いていた。息がある。撃墜する寸前に魔法で受け止め、九死に一生を得たのだろう。


「申しわけありません……アザレア様。私は迷いを断ち切れなかったようです」

「よい。そなたが私につき合ってくれたことは理解している」

「そのお言葉だけで私は充分です。どうか……新世界を」


 短い、二人のやりとりが反響して聞こえる。ソーマは最後までアザレアの騎士だった。迷いがあってもその想いに嘘偽りはなかった。俺と……同じだ。


「騎士は倒した。残るはお前だけだ、アザレア!!」


 俺はお前の主を殺さなければならない。魔女の暴走を止めなくてはならない。捉えるようにアザレアへと切っ先を向ける。


「私だけ……私だけか。ならばなおさらのこと。私の野望を実現せねばなるまい」

「まだ戦うつもりなの!?」

「その通りだとも、野良の魔女! 魔力解放オーバーロード!!」


 全能力の解放を告げるとともにアザレアが黒く淀んだオーラを放つ。あれは賢者の石から感じたものと同じだ。となれば……!


「まさか世界改変を押し通すつもりか!?」

「そのまさかだ。『憤怒への戒めラース・グラビテイション』!!」

「『逆転再誕リバース/リ・バース』——間に合わない!?」


 暴走した魔力による攻撃を防ぎきれない! 重力が何倍にも膨れ上がり、俺と愛梨彩は床に跪かざるを得なくなる。


「ははは! そのままじっとしておれ。私が新世界を手にする瞬間を間近で見よ!!」

「そんな……ここで終わりなの……!」

「まだだ……まだ終われない!」


 やっとソーマを倒し、王手をかけたのに。一足遅かったっていうのか。翼に全霊の力をこめるが、梃子でも動かない。


「おっと大将、とんでもない状況ですな」


 絶体絶命の状況で、この場に似つかわしくないひょうきんな声が轟いた。


「親父……!?」

「よぉ、黎。随分と苦しそうだな」


 藻掻く俺を見下しながら、父がいつものようにフランクに話しかけてくる。なにを考えているのか、腹の底が読めない。

 どうしてこのタイミングで現れた? アザレアの助太刀にきて、動けない俺たちを始末しようっていうのか?


「太刀川か、ちょうどいい。私が新世界を作るまでその者たちを見張っておれ」

「いやぁ、そうはいかないんですよっと!」


 次の瞬間、目の前の光景が止まって見えた。なにが起きているのか理解が追いつかない。


 ——なんであんたがアザレアを。


「どういうつもりだ……太刀川!」

「どうもこうもないですよ。これが俺たちの答えです」


 父の大剣がアザレアの胸を突いていた。剣は背中まで貫通し、その先には摘出された賢者の石が刺さっている。

 剣が引き抜かれ、アザレアは力なく膝から崩れ落ちていく。同時に俺たちを押さえつけていた重力が和らいだ。


 ——なんでだ。その賢者の石は価値のない紛い物なのに。どうしてアザレアを裏切った?


 状況が理解できず、俺も愛梨彩も不用意に動けなかった。賢者の石を拾い上げる父の姿が目に映る。

 父さんが俺を助けた……? いや、違う。あの人がそんなことするわけがない。あいつの目的はそもそもアザレアと同じじゃなかったんだ。


「よくも……アザレア様を!!」

「おっと、あんたまだ戦えたのかい」


 アザレアの傍らにいたソーマが声を荒げ、親父に立ち向かっていく。だが満身創痍の彼は敵ではない。あっけなく風の大剣であしらわれ、吹き飛ばされてしまう。

 壁へと衝突したソーマは気絶していた。動くに動けないにらみ合い。静寂だけが流れていく。


「お兄ちゃん! これは……どういうこと?」


 そんな折にブルームが現れた。遅れてフィーラと緋色も王の間へとやってくる。


「そうか……やつの差し金か」


 倒れ伏したアザレアが口から血反吐を吐き、振り絞るように言葉を紡ぐ。


「その通りでございます、アザレア様。全ては私の計画のうち」


 聞き馴染みのある男の声が王の間に響き渡る。聞き間違えるわけがない。俺たちはお前を仲間だと思っていたのだから。


「ハワード……どうしてあなたが」


 愛梨彩の声が震えていた。

 現れたのは金色の長髪をなびかせる、痩せぎすの男。錬金術師協会のハワード・O・ルイスマリーだ。その隣には二宮綾芽と茶川貴利江の姿がある。


「そういうことか。この争奪戦は全部お前が仕組んだことだったのか。俺たち野良も教会の魔女も……お前らの手のひらの上で踊っていただけってことかよ」


 賢者の石の真実を聞かされたあの日から、彼の行方は杳として知れなかった。裏切っていたのだろうとは思ったが、まさか真の黒幕だったとはな。


「ええ、そうですとも。各地から魔女を寄せ集め、野良に情報をリークしていたのは争奪戦を円滑に進めるため。賢者の石を完成させるためです」

「アヤメはあなたの私兵だったってわけね。それなら教会が綾芽を認知していなかったことも頷けるのだわ。学園祭の時に私たち野良に協力したのもそういうことでしょう?」


 綾芽はなぜか野良と教会が決戦をしている間に姿を現さなかった。まるで邪魔をしないように空気を読んだかのようだった。

 やつらが組んでいたという事実を知った今ならわかる。ハワードたちは最初から俺たちが潰し合っている隙に賢者の石を奪うつもりだったんだ。


「その通り。桐生睦月さんが……いえ愛梨彩さん以外の魔女が残るのは都合が悪かったということでありんす」

「都合が……悪い?」


 愛梨彩が綾芽の言葉をおうむ返しする。都合が悪いとは一体どういうことか。賢者の石が欲しいのなら野良の魔女は全員邪魔者なはずだ。


「私はね、魔女になりたいんですよ」


 ハワードは自身の目的を躊躇うことなく、平然と口にした。その言葉の意味は一つしかない。


「……お前は最初から」

「愛梨彩さんの願いを知っていましたからね。だからあなただけはなんとしても生かしておきたかった」


 魔女になる方法——それは魔術式の継承しかない。そしてこの争奪戦の中で魔術式を手放したい魔女は一人だけ、愛梨彩だけだ。


「愛梨彩を支援したのは魔術式を放棄したいと願っていたから……そんな魔女が偽物の争奪戦の最後に残れば、救いを求めて譲渡するはず。そういう算段だったってことだね」

「流石ですね、八神咲久来さん。察しがいい」

「アヤメがしつこく私を狙ってきたのもそういうこと? 私とヒイロが邪魔だったから?」

「それもありんすけど、わっちはぬしさんと戦うのが好きなだけでありんすよ」


 呼吸を奪っていくような重い空気の中、綾芽は不敵に笑っていた。命令はついでだと言わんばかりの勢い。

 こいつだけはやはり異質だ。異質な存在だからこそ逆賊に手を貸すことに悦を見出したのだろう。


「愛梨彩さんに直接継承を申し出れば話は早かったのかもしれませんが……ただの人間である私が継承しても魔術式が劣化してしまう。それでは意味がない。だから私はソーマと共謀して賢者の石という魔力リソースを作ったのです。自ら取りこんで魔力を得るためにね」


 桐生さんや俺のような普通の人間が継承すれば魔術式は劣化してしまう。魔術の研究をする魔女としてはなんとしても避けたい要因だ。

 そのためには紛い物でも賢者の石が必要だった。賢者の石は無尽蔵の魔力リソースだ。石と魔術式があれば誰でも完全な魔女になれる。

 その計画を実行に移せるタイミングが今だったということか。教会陣営が崩壊し、野良の魔女が——愛梨彩が残っているこの瞬間を待っていたのか。


「魔術式を渡してください、愛梨彩さん。そうすればあなたは救われる」


 ハワードが優しく微笑みかける。それは要求などではなく、善意からくる言葉に聞こえた。

 魔術式を失えば愛梨彩は普通の人間に戻れる。それは相棒の俺ですら提示できなかった唯一無二の救いの手なのかもしれない。俺が望んだ結末なのかもしれない。


「アリサ! 応じちゃダメよ!」

「九条が応じるわけねーだろ!」


 フィーラと緋色が信じている通り、愛梨彩はきっと応じないだろう。それは……俺との最期の約束があるからだ。

 真綿に締めつけられるように息苦しくなる。彼女は約束を守ると信じている。最後に反旗を翻せば取り返しのつかないことになるかもしれない。


 ——それでも俺は……


「そうですか。ならこちらの戦力を披露した方が話は早いでしょうねぇ!」


 ハワードの言葉が呼び水となり、王の間におびただしい数の鎧の軍勢が現れる。


「これは……魔装機兵!?」


 猛虎を彷彿とさせる仮面に、真っ白な巨躯。姿形こそ違うが、あれらは間違いなく俺が着せられていた黒騎士の鎧と同じものだ。


「どういうこと!? 魔装機兵の無人機は量産の目処が立ってないはずじゃ……まさか!」


 フィーラが宿敵を睥睨した。視線の先の紫の魔女はそれに気づき、くつくつと笑い始める。


「わっちの傀儡魔法があれば『ぷろぐらむ』なんてものがなくてもこの通りでありんすぇ」

「決断はすぐにとは言いません。決まり次第赴いてくれればいい。私はここで待っていますので。しかしもし応じないのであれば……」


 ハワードが目配せをする。その合図を受け取った父は剣を大きく振りかぶった。その先にいるのは息も絶え絶えとなっている——アザレア。

 剣があっさりと彼女の首を刎ねる。強敵だった魔女は最期に呪い言一つ言えずにあっけなく死んだ。


「こうなります」

「鎧野郎を使って実力行使するって脅しかよ……いけ好かねぇぜ」

「無理矢理魔術式を奪ってから移植しても変わりませんからね。魔力を得た人間なら、継承できますし」

「ヒイロ、ダメ。今は……退くしかないのだわ」


 武器を構えるロキをフィーラが諭す。魔装機兵を疲弊している状態で相手するのは得策ではない。彼女の判断は賢明だろう。

 しかし俺にはまだここで退けない理由がある。


「あんたの目的……まだ聞いてない」


 俺が睨んだ先にいるのは父だ。彼はハワードが話している間、不気味なくらい静かだった。


「どうしてそっちの味方してんだよ! あんたの目的は太刀川家の再興だろう!? 教会の敵になる意味あんのかよ!」

「いいか、黎。長いものには巻かれろ。適者生存。生き残るっていうのはそういうことだ」

「そんな……そんな理由で」


 瞬時にその言葉の意味を悟る。

 教会が崩壊すれば、ハワードたちが魔術世界で権威を持つことになるのだろう。新たなる秩序の誕生だ。太刀川家の再興はその後に行えばいい。新しい体制の中で確実な地盤を築こうというわけか。

 やるせない気持ちでいっぱいになり、拳を握る力が強くなる。もう面と向かって父の顔が見れなかった。背けたかった。


「どこまで……外道になれば気が済むんだよ、あんたは」

「太刀川くん……今は退きましょう」


 相棒の言葉を聞いてはっと顔を上げる。その通りだ。冷静さを欠いて自分を見失うわけにはいかない。


「では、また。お待ちしていますよ、愛梨彩さん」


 この場を立ち去ろうとする俺たちにハワードがねっとりと声をかける。一方的に愛を語るような、気色の悪い声だ。

 俺ははたと足を止める。このまま去るわけにはいかない気がした。


「ちょっとレイ! なにやってるのよ! そいつは——」

「まだ生きてる。このままここに置いていくわけにはいかないだろ」


 俺はさっきまで殺し合っていた強敵を担いでいた。

 ソーマが悪党であることは充分理解している。それでもこの場に置いていくのは気が引けた。自分のライバルがこのままむざむざと殺されるのは許せなかったのかもしれない。

 野良と教会との戦いは終結した。だがまだ争奪戦は終わらない。

 ハワード、綾芽、貴利江……そして親父。まだ倒さなきゃいけない相手が残っているのだから。

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