賢者の石を手に入れるのは誰か?/episode105

「ソーマの無様な姿を見れば考えを改めると思ったのですが……どうやらその様子だと決意に変わりはないようですね。命まで取るつもりはなかったが、仕方ない」


 機拡声器を通したようなくぐもった声が反響する。男は心底呆れていた。どうしてそこまでするのかわからないと言うように。


「あんたに問いたいことがある」

「なんでしょう?」

「ハワード……あんた、本気で愛梨彩を救おうとしているのか?」


 わからないのは俺も同じだった。なぜ彼は「愛梨彩を救う」と言うのか? その真意がはっきりしないのだ。


「ええ、そうですとも。私は愛梨彩さんを救いたいのです。慕っていた……いえ、愛していたと言ってもいいかもしれません」

「ハワード……あなたがそんな想いを抱いていたなんて」


 初めてハワードと出会った時、嫌悪感を抱いたのを思い出す。自分が蚊帳の外にされる孤独感。自分を見て欲しいと思う嫉妬。

 あれは同族嫌悪だったということか。ハワードは一方的に見守ることでしか愛せない人間だったんだ。昔の『僕』と同じように。


「私はね、魔女という生き物が大っ嫌いなんですよ。力があるが故に我々を見下している邪悪な存在だ。それにあなただって知っているでしょう? 魔女は生き長らえれば長らえるほど醜く、汚く変わっていく。私はたくさんの魔女が狂っていくのを見てきました。それを見ているうちにこう思ったのです。『こんなやつら滅びてしまえばいい』と」

「野良と教会が共倒れすればいいと思っていたのか」

「ええ。ですが一人だけ例外がいました。そう、それが愛梨彩さんです。あなたは誰よりも狂うことを恐れ、魔術式を手放したいと願っていた。私はそんな人間らしいあなたに惹かれた」


 普通の人間になりたかった魔女、愛梨彩。錬金術師協会の人間として数多の魔女とつき合いがあったハワードは彼女にほかの魔女にはない魅力を感じたのだろう。


「だからあなただけは救いたいと思った。愛したからこそ美しい終幕を与えようと決めたのです」


 美しい終幕。なんと耳触りのいい言葉だろう。その口振りはまるで神が慈悲を与えるように聞こえた。

 その愛が……本物だったらどんなによかったか。


「お前が魔術式を受け取ることで愛梨彩を解放しようとしているのはわかった。けど、それは愛してるからじゃない。お前は復讐するために愛梨彩を利用しようとしているだけだ。解放だの救済だの甘い言葉で、もっともらしく言いくるめようとするなよ」


 俺は唾を飛ばすように言葉を吐き捨てる。

 愛梨彩を魔術式の呪縛から解放したいなら、賢者の石は本来必要ないのだ。劣化することも覚悟の上で、継承を申し出ればよかったのだから。

 つまり賢者の石と魔術式が万全の状態で揃ってないといけなかった。彼の最大の目的は愛梨彩の救済じゃない。魔女への復讐の方だ。

 魔装機兵もそのための戦力だろう。そして綾芽を味方に引き入れたのは同胞を殺すことに愉悦を見出している魔女だからだ。


「ええ、そうですよ。私は魔女になり、思い通りにならない魔女へ報復をするでしょう。ですが、それのなにが悪いんです? 愛梨彩さんを救った後に私が復讐しようが関係ない。私の愛による善意で彼女が救われるという事実に変わりはないのですからね。Win-Winじゃないですか?」


 愛梨彩を救うのはなんだな。

 両者が得をすれば幸せという合理的思考。神のごとく愛をもって救いを与えようという傲慢。狂った魔女を憎んでいるはずなのに、こいつが一番狂っている。

 なによりもハワードには見えてないんだ。愛梨彩が魔術式を放棄したい理由の意味が。


「何度でも言うわ、ハワード。そんな救いは欲しくない。私は自分の力で誰かを不幸にしたくないから魔術式を放棄するのよ。譲渡したあなたが神様気取りの支配者になるというのなら……あなたと戦う道を選ぶ」


 ハワードは一歩踏み出して、深く関わる勇気が持てなかったのだろう。最後まで遠くから見守ることしかしなかったからわからないんだ。相手の気持ちを鑑みない押しつけは愛じゃない。


「同感だな。お前は善意や好意を履き違えてる。倒錯した愛だ。本気で救うつもりがないやつに……愛梨彩を渡すわけにはいかない!」


 淡い期待はもう捨てた。こいつの救いは間違っている。愛梨彩の力で災いを起こすと言うのなら倒すしかない。


「ならほかに救いがあるのか!? 綺麗に幕を引く方法が! 私が唯一無二の救いだ! 愛梨彩に引導を渡す役目を引き受けると言っているんだよ!!」


 普段の丁寧さとは打って変わりハワードの口調が荒ぶっていた。すがれる希望は自分だけだと自惚れているようだった。

 だったらお前にあえて宣誓しよう。


「救う……救うさ。救えばいいんだろ?」

「青臭い言葉をよくも吐く……! 最初に会った時から思ってましたよ。やはり君は私にとって目障りな存在だ!!」


 青い龍が咆哮を放つように口を開く。中から現れた噴出口から光が漏れている。ブレス攻撃か!

 俺はすかさず『ただ一人を守るための剣翼セイブ・ザ・ワン』の魔札スペルカードを切る。


「これだけじゃない! 『同じ想いを守るための剣翼セイム・ザ・ワン』!!」

「太刀川くん、その力は!?」


 起動した魔術式が背中に翼を増やす。

 父と俺の想い……いやそれだけじゃない。俺の背中にはたくさんの想いが宿っている。希望を繋いでくれたソーマや野良の魔女のみんな。そして愛梨彩の本当の願いも。


「そんな魔法でぇ!!」


 青い炎の奔流が迫りくる。俺は剣の両翼を前面に展開し、自身と愛梨彩を覆った。


「ハワードがこんなに拗らせていたなんて気づかなかった」


 翼の中、僕の傍らで彼女が呟いた。


「俺もだよ。あんな倒錯した愛を抱えていたなんて」

「あなたに力を分けるわ。ハワードを止めるの手伝ってくれるわよね?」

「ああ、任せろ!」


 返答を聞くと、愛梨彩が優しく俺の胸に手を宛てがう。『逆転再誕リバース/リ・バース』と口ずさみ、傷だらけの体が回復した。

 熱線は未だ届かず、徐々に勢いが弱まっていた。この瞬間見逃さない! 閉じた翼を開き、火の粉を振り払って飛ぶ。


「私の言葉が甘言なら、あなたのは妄言。ただの綺麗ごとだ!」


 寄せつけまいと青き龍の全身の刺からレーザーが炸裂する。

 俺は両翼から『解き放つ意思の羽剣フェザー・バスタード・ショット』を放ちながら接近を試みた。


「綺麗ごと……ああ、綺麗ごとだろうさ。叶うなら綺麗ごとが一番いいんだから!!」

「そんなのは叶わないんだよ!! だから救いは私にしかない! さあ、私に魔女の力を!!」


 俺の意思を拒絶するかのような厚い弾幕。次第に迎撃が追いつかず、被弾が増えていく。潜り抜けるのは至難の技だった。


「悪用されるくらいなら死んだ方がマシだわ! あなたがここまでしつこい男だったなんてね!!」


 ハワードを否定するように『乱れ狂う嵐の棘ソーン・テンペスト』が見舞われる。水の鏃は熱線とぶつかり合い、相殺されていく。

 双剣を手に取り、残る熱線を斬り払う。弾幕を掻い潜り、ついに機械龍のもとへとたどり着いた!


「砲塔を狙って! 装甲は斬り裂けなくても部位を破壊することはできるはずよ!」

「なに!?」

「足掻く人間の底力を見せてやるよ!!」

「ならば……!!」


 全身の刺を伐採していく最中、視界の端で巨腕が振るわれるのが見えた。向かっている先は……愛梨彩の方だ!


「愛梨彩!!」


 獲物を掴んだ腕が壁へと押しつけられる。彼女は苦悶の声を喘ぎながら藻掻くが、びくともしない。『逆転再誕リバース/リ・バース』でも分解できないのか……!


「どうやって殺しましょうか? 潰してしまっては魔術式が摘出できないですからね」

「太刀川くん……!」


 彼女が目だけで必死になにかを訴えかけてくる。ここで無闇に突撃しても意味がない。冷静になれ、彼女が言わんとしていることはなんだ?


 ——動きが止まっている今なら動力炉を狙える。防御力を削げる。


「そうか……!!」


 俺は愛梨彩に構わず、機械龍の前面へと回りこむ! 急がば回れ。その心臓貰い受けるぞ!


「なるほど、そうきますか……! くっ……ソーマめ!!」


 ハワードが忌々しげに愚痴を吐く。

 機械龍が左腕で突撃する俺を振り払おうとするが、さらりと掻い潜る。

 直後反対方向から衝撃がかかる。右腕の攻撃だ!


「がはっ……! けど、これで!」


 龍は愛梨彩を解放せざるを得なくなった。彼女はすぐさま跳び退き、距離を取る。

 吹き飛ぶ体を反転させ、俺は愛梨彩のもとへと舞い戻る。


「助かったわ、ありがとう」

「どういたしまして。って言ってられるほど余裕もないか」

「そうね。あの装甲、思った以上に厄介ね」


 攻めあぐね、静かに時が流れる。

 あの装甲を破壊するには賢者の石を奪わなくてはならない。けれどあの龍はそう易々と隙を見せないだろう。

 瞬間、ソーマの言葉を思い出す。


「やつの動きを止められればの話だがね……か」


 愛梨彩の声に皮肉めいた男の声がオーバーラップする。

 全く素直じゃないな。俺たちならできるってわかっていて言ったんだろう。


「同じこと考えてた。俺がやつを引きつける。愛梨彩はその隙に——」

「封殺する下準備をすればいいんでしょう?」


 彼女が不敵な笑みを浮かべていた。それはさながらとっておきの悪戯を思いついた子どもであった。


「ああ、頼んだ! こい、デカブツ!!」

「いくら攻撃したところで! 私の『青龍』を貫けない! 無駄です!!」


 俺は再び翼をはためかせ、レーザーの雨を躱しながら機械龍へと向かっていく。

 時間を稼げればいい。あいつの視線を釘づけにすればいい。砲塔を壊しては退き、ヒットアンドアウェイを続ける。


「今! 魔札スペルカード創生……『氷龍の暴風雪レイジ・ドラゴン・ブリザード』!!」


 刹那、王の間内に猛吹雪が吹き荒れる!! 辺り一面が降り積もった氷と雪で覆われていった。


「そんな見え透いて氷魔法で私を封殺しようなど!!」


 しかし青龍はもろともせず、レーザーを全面に放出する。オールレンジへと無差別攻撃が繰り出され、渾身の氷撃は全てかき消されてしまう。攻撃を免れた床にしか氷は残らなかった。


「しまった……! これじゃ封じられないわ!」

「クソっ! ここまでなのか……」

「君たちの秘策も潰えた!! これで終わりです!」


 とどめの一撃をささんとばかりに『青龍』が大口を開けた。高出力ブレスで部屋全体を焼きつくされるのはまずい!


「鎖を生み出せ俺の魔術式! 『鎖の刃は燎原の如くワイルド・テイルブレード・ファイア』!!」


 詠唱と同時に地面から蛇腹剣の草原が出現する。剣は鎖となり、轡となり龍の動きを止める。


「その程度の魔法で動きが止ま——」

「残念だけどもう止まっているわよ」

「バカな!? なぜ!?」

「『氷龍の暴風雪レイジ・ドラゴン・ブリザード』が必殺だと勘違いしたようね」

「すでにお前を止める切り札は発動していたんだよ」


 龍が自身の足元を見やる。そこは完全に氷で覆われ、固められていた。そう、吹雪は本命じゃない。

 木を隠すなら森の中。氷を隠すなら雪の中だ。地を氷で覆う遅効性の魔札スペルカード——『封殺の永久凍土フリージング・ロック』に気づかせないための布石だったのさ。驚いて見せたのも演技だ。


「その喚く口も邪魔ね。『瞬間氷晶ダイヤモンド・ダスト』!!」


 追い討ちをかけるように指の音が鳴り響く。伝説の龍は氷と鎖という厳重な魔法で身を封印された! 討伐の時は今!


「太刀川くん!!」


 愛梨彩の言葉を聞くよりも先に体が動き、龍の正面へと躍り出ていた。


「悪いな。俺も紛い物のこいつが必要なんだよ。だから……奪わせてもらう!!」

「まさかあなたは……!」


 機械部品がひしめき合う中に、一際鈍く輝く物が見えた。俺は貫かんばかりの勢いで右腕を伸ばし、無理矢理石を引きずり出す!


「もらったぞ!!」


 奪った石を片手に急速で離脱する。龍の体からは青いオーラがすでになくなり、鈍色の柔肌が剥き出しになっていた。


「おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれ!!」


 機械龍は主動力を失ってもなお動き続ける。氷と鎖の封印を強引に解こうと猛り狂っていた。


「あの大きさを仕留めるには最大の一撃が必要ね」

「だね。だったらやることは一つでしょ?」

「そうね。力を貸すわ」


 腕の魔術式にイメージを伝える。両者の間合いを物ともしない長大な刃。それだけの魔力を集積させられる剣は——一つしかあるまい。


「私の賢者の石を返せ!!」


 自身の轡を解いた龍が大きく口を開いた。噴き出された火炎流が俺たちへと襲い迫る!


「賢者の石がなくなった今、あなたの攻撃は届かない! 『逆転再誕リバース/リ・バース』!!」

「なぜだ!? なぜこうなる!? 私の計画は完璧だった!」


 武器魔法を創り出している俺の代わりに愛梨彩が矢面に立っていた。火炎のブレスは勢いなく、あっという間に魔力に戻されてしまう。

 そして最後の一撃が完成する。左手が握っているのは……剣の柄のみ。


 ——『究極にして原初の一撃ザ・アルティメット・ウェポン』。


 これが俺の原点にして頂点の武器だ。今ならこの力を扱える。夢想した自分の姿にようやく追いついたんだ。


「お前は最初から間違ってたんだよ、ハワード」

「間違った土台の上に作られた計画なんて破綻するに決まっているでしょう? 私がなにを選ぶかの見積もりが甘かったのよ」


 柄を天高く掲げ、ありったけの魔力をこめる。力は刃に変わり、天井を貫いてどこまでも高く高く伸びていく。暗雲を斬り裂き、空の果てまで真っ直ぐに。


「プライドがそこまで大事か……! あなたを普通の人間に戻せるのは私だけ。唯一の希望すら自らの手で消し去るのか!?」

「ええ、そうよ。まやかしの救いなんて……いらないわ」


 ハワードの言葉は死にたくないと懇願しているようにすら聞こえた。だが、愛梨彩の決意は揺らがない。

 彼女の手がそっと柄を持つ俺の手に重なる。剣がさらに威勢よく煌々と輝いた。これが俺たちのありったけの想いだ!!


「いくぞ、愛梨彩!」

「ええ! これが私たちの答えよ、ハワード!」

「『究極にしてアルティメット』——」

「——『最後の一撃エンド』!!」


 降り注ぐ瓦礫の雨。刃が天井をえぐりながら鈍色の龍へと迫っていく。


「愛梨彩ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 断末魔のようにハワードが彼女の名を叫んだ。しかしその声は届かない。

 想いを纏った魔力の奔流が全てを飲みこむ。この場を吹き飛ばさんばかりに龍が爆炎を上げる。

 俺たちはついにやり遂げたのだ。黒幕を倒し、賢者の石争奪戦を終結させた。もうこれ以上悲劇は起こらない。

 起こらないで済む……はずだった。

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