虐げられない世界/episode59

 *interlude*


 屋敷の中にけたたましく鐘の音が鳴り響く。侵入者を知らせる警鐘だ。

 途端、頭の中が真っ白になる。本当に敵が襲いにきたんだと実感するのに時間を要した。

 私、どうしたらいいの? 結界は機能してないし、耐え凌ぐって言ったってカードだけでなんとかしろっていうの?

 呼び起こされるのは襲われた時の記憶。耳を塞ぎ、目を閉じ、暗い殻の中にこもることしかできなかったあの時のこと。


 ——怖いのは嫌だ。連絡して……どこかに隠れてやり過ごさなきゃ。


 なんとか思考を巡らせて出た答え。即座にスマホで連絡を取り、それから屋敷の一番安全な場所へと向かう。

 すぐに思い浮かんだのは地下室。あそこは隠し扉の存在を知らなければ、たどり着けない。私は一目散に部屋を出て、一階のホールへと降り立つ。

 けれど……時はすでに遅かった。ゆっくりと玄関扉が開く。

 そこから現れたのは白い髪の青年。この前私を襲ってきた男だ。


「会いたかったよ、桐生睦月」


 男と目が合ってしまう。私は蛇に睨まれた蛙のごとく身動きが取れなくなる。

 けれど私の恐怖心に呼応したのか魔札スペルカードは自動的に展開されていた。まるで「戦え」と促すように。私は恐る恐る『蝸牛の魔殻スネイル・プロテクト・シェル』のカードを手に取った。


「どうやらほかに人はいないようだな。全く……君だけ残していくなんて、野良の魔女も不用心だね。ああ、そう身構えなくていい。私は君と話をしにきたのだから」

「話?」


 男は携えた剣も魔札スペルカードも構える様子がない。殺気が感じられない……本当に話をしにきただけなのかもしれない。

 私は魔札スペルカードを握りしめたまま、耳だけを傾けることにした。


「私の名前はソーマ・M・ホウィットフィールド。今は秋葉の魔導教会の管轄役を賜っている」

「……知ってる。太刀川くんの敵……なんでしょ?」


 野良の魔女たちのこれまでの経緯の話で彼の名前は耳にしていた。教会のトップ、アザレアのスレイヴであり……太刀川くんが敵視している男。ライバルだと言っていた。


「敵……ね。確かに太刀川黎とは敵対しているが、君と敵対しているつもりはないよ」

「この前そっちから襲ってきたじゃん!」

「君を引きずり出さなければ話し合いの席につけなかったからね。だからこそ今は剣を構えずに対話を選んでいるのだが……納得してもらえないかな?」

 魔女としては未熟な私だけど、戦って勝てないのは嫌でもわかる。ソーマが纏っているオーラは尋常じゃない。格上相手に自分から戦いの火蓋を切るのは愚策だ。

「話って……なに?」


 怖いのは嫌だ。痛いのは嫌だ。私は彼の話に乗ることにした。


 ——穏便に済まそう。時間を稼ごう。そうすれば太刀川くんがきてくれるんだから。


「単刀直入に聞く。君が野良の魔女に協力する理由はなんだい?」

「え……?」


 不思議と驚嘆している自分がいた。自分が「協力」しているとは思わなかったから。私は彼らの役に立ったことなんて一度もない。


「君が野良に協力している以上、我々は君の存在を見逃せない。けど、我々魔導教会は相手の意思表示を確認する主義でね。もし野良ではなく我々側についてくれるなら穏便に済まそう……というわけだ」


 「穏便に済まそう」。その言葉が胸の深くまで染み渡り、固まっていた心を溶かしていく。


「だって……私が身を守るためには守ってもらうしか……強い人たちと一緒にいるしか……ないじゃん」


 戦いなんて嫌だ。逃れる手段があるなら縋りたい。けど今は守られることでしか生きていけない。それがどんなに嫌な人と……恋敵と一緒でも。


 ——好きで協力しているわけじゃない。


 私はそんな本心を吐露してしまった。それを聞いて彼はなぜかふっと笑みを浮かべていた。


「おや、九条愛梨彩は教えなかったのかな? 魔導教会こそが魔女を守る組織だということを」

「え? ……魔導教会は悪い組織だって」

「我々は魔女を虐げられないように守る組織だ。魔女が虐げられない世界を作る……まあ、凡人たちから見れば我々は悪だろう。だが君は魔女だ。君が安全を望むなら私が保証しよう。虐げられない場所を用意しよう」


 ……私が望んでいたもの。だけど手に入らなかったもの。居場所。

 それが手に入る。私を虐げる嫌なやつらが跋扈する理不尽な世界を捨てれば、それが……一番欲しかったものが手に入る。


「この状況を見たまえ。力のない君を置いて野良の連中は揃って襲撃しにいっている。挙句私の侵入を易々と許し、君を危険に晒している。これが安全と言えるのかね?」


 そうだ。あの人たちは私を置き去りにしていった。私が欲しかったのは身の安全だったのに……彼らはいなくなってしまった。


 ——けど、それでも。


「けど……けど……私だけが守られても……太刀川くんは」


 太刀川くんと敵対するんじゃ意味がない。私にとっては彼が心の拠り所なんだから。新しい居場所で一から人間関係を作るなんて私には無理だ。ここでいいんだ、私の居場所は。


「彼らは君のことなんてどうだっていいのさ。この争奪戦はエゴとエゴのぶつかり合い。みんな自分の欲に忠実なだけだ。彼女たちが君を助けたのだって、君を敵に回したくなかったから以上の理由はないはずだ」


 その言葉が私にとどめを刺した。

 そうか……私のことなんてどうだってよかったのか。結局ゲームの駒の一つで、取られたくないだけだったのか。

 思えば引き止めても聞く耳すら持ってもらえなかった。彼にとって一番大事なのは九条さんで私は二の次。私は所詮彼にとっての大切なんかじゃなくて、保護対象のなんだ。私が勝手に拠り所だと思っていただけ。想いの一方通行だったんだ。

 絶望の最中、高速で動くなにかが私とソーマの間に割って入ってきた。


「大丈夫かい、睦月?」


 期待を胸に顔を上げる。しかしそこにいたのは——仮面の魔女。私は返事もせず、うなだれることしかできなかった。

 ああやっぱり……太刀川くんじゃない。太刀川くんはこない。私が待ち焦がれた人は今も別の女と一緒にいるんだ。


「いいところなんだ。邪魔しないで欲しいのだが?」

「無断で人様の家に上がりこむ人間が言える立場かい?」

「まあいい。私はお暇させていただくとするよ。君も屋敷内で戦闘して拠点をボロボロにするのは本意じゃないだろう?」


 仮面の魔女——ブルームはなにも返答しなかった。ただ睨みを利かせているだけ。


「では、桐生くん。を楽しみにしているよ」


 ソーマは通り雨のごとく颯爽と去っていった。

 残されたのは心をズタズタに濡らされた私と待ち望んだ存在とはほど遠い仮面の魔女。


「なにを話していたんだい?」


 ブルームが私を見下ろす。その双眸は心の奥底を覗いているようで、私はたまらず目を逸らした。


「いえ……魔導教会の話、です。戦うのは賢明じゃないと思ったので聞いてました」

「魔導教会の話はあんまり鵜呑みにしない方がいいよ。実態は全然違うからね。これ、先輩としての忠告」

「……はい」


 言葉とは裏腹に私の胸の内は黒く淀んでいた。こんな胡散臭い仮面の魔女になにがわかるのか。

 私は結局駒なんだ。いてもいなくても変わらない。太刀川くんが真っ先にきてくれなかったのがなによりの証拠じゃん。私の期待はいつも裏切られる運命なんだ。

 だったらもう……期待するのはやめた。状況に流されるままなんて馬鹿らしい。

 自分が蔑ろにされない世界、居場所。自分の欲しいものは自分で手に入れる。どちらについた方が有益か見極めてやる。

 私だってエゴの赴くままに……この争奪戦に参加しようじゃない。私は盤上の駒なんかじゃなく、魔女なんだから。


 *interlude out*

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