お前は誰だ?/episode7

「本当に、咲久来……なのか?」


 少女は自分たちに銃を向け、明らかな敵対意思を見せている。その少女は妹のように大切に思っていた女の子——咲久来だった。


「そうだよ、お兄ちゃん。私は魔導教会所属の魔術師ウィザード、八神咲久来」

「咲久来が魔術師ウィザード……? 冗談だろ……」


 考えたくなかったことが現実に起きた。放心して、思わず剣を手放してしまいそうになる。真っ白になりかける頭の中。現実は残酷だ。


「ごめんね、隠してて。私、小さい頃からずっと魔術師ウィザードの訓練してたんだ。八神は魔導教会の人間だから。本当はずっと秘密にしておきたかったんだけど……ね」


 「そんな素振り、一切なかったじゃないか」。伝えたい言葉は喉を通らず、胸の中でつっかえたまま。

 八神教会が魔導教会だったことはつい最近知った。でも、咲久来が魔術師だったなんて。


 いつも優しく世話を焼いてくれた咲久来が?

 兄と慕ってくれていた咲久来が?

 等身大の女子高生だった咲久来が?


 俺の知らないところで魔術師をやっていた。彼女はずっと魔術の世界にいた。俺はそれに気づかず、ただのほほんと平穏を享受していた。『僕』は今までなにをしていたんだ……。


「怪我はないですか、アインさん?」


 咲久来は彼の手に巻きついた蛇腹剣の残骸を銃剣で切り解く。


「問題ない。救援感謝する」

「私はあなたのスレイヴですから。さ、残りの魔女も狩ってしまいましょう」

「そう簡単に狩られるつもりはないのだけど」


 愛梨彩は加勢してきた咲久来に、躊躇なく水のやじりを飛ばす。冷静で無慈悲。彼女は咲久来のことを敵と判断した。


「あなたに負けるつもりはないのよ、九条愛梨彩! 魔札発射カード・ファイア!『黒水こくすい』!」


 対する咲久来も濁りきった水の弾丸を銃から放つ。水弾と水の鏃は衝突して互いに消滅していく。魔法の力は伯仲している。


「厄介な武器に複数属性使いか……」呆然と突っ立ている俺のもとへと愛梨彩が飛んでくる。そんな俺を守るように愛梨彩は『渦巻く水球の守護スフィア・オブ・アクア』を展開する。「太刀川くん、平気?」


 愛梨彩が心配をしてくれているのは体のことだろう。それに関しては問題ない。問題なのは——心の方。


「ごめん……取り乱しただけだ。体の方は問題ない」

「八神咲久来がくる前に仕留められなかったのが痛いわね。ごめんなさい、私のミスよ」


 突然の謝罪で目が丸くなる。愛梨彩が自分のミスだと言うなんて。


「おしゃべりしている暇はないようね。もうすぐ『渦巻く水球の守護スフィア・オブ・アクア』が破られる。破られたら反撃に出て。あなたがアインの、私が咲久来の相手をするわ」


 愛梨彩なりの気遣いなのだろうか。そう言われてしまうと「わかった」と首肯せざるを得ない。

 今は戦って生き残らないといけない。殺されるわけにはいかない。アインを仕留めれば、咲久来と話すことだってできるはずだ。俺は『折れない意思の剣カレト・バスタード』を再び強く握りしめる。


「今よ! いって!」


 水球が破られるのと同時に愛梨彩が叫んだ。俺は火の玉が舞うフロアを一目散に駆けていく。咲久来の魔法は愛梨彩がフォローしてくれている。今度こそアインを仕留めてみせる。


「九条愛梨彩から倒すぞ」

「はい!」

「簡単にやれると思わないで。『水龍の暴風雨レイジ・ドラゴン・レイン』」


 自分が狙われていることを知った愛梨彩は彼らの行く手に雨のカーテンを出現させる。愛梨彩のカードの中でもランクの高い、範囲攻撃の魔法だ。不利な地形でなければ相手に大ダメージを与えられる!


「させない! 魔札発射カード・ファイア!『地帳ちとばり』!」


 ——だが、『水龍の暴風雨レイジ・ドラゴン・レイン』は完全に読まれていた。


「合成」


 豪雨は咲久来が放った土の弾丸に吸い寄せられていく。フロアの床には雨と土が綯い交ぜになった泥だけが広がっていく。

 愛梨彩は苦虫を噛み潰した顔をしていた。あの表情……彼女にはもう余裕がない。


「くそ!」


 彼女が危ないというのに俺はアインに接近さえできていなかった。

 アインは愛梨彩との距離を詰めつつ、絶え間なく火球で俺を牽制している。火球を斬り伏せて近づくよりも相手の接近スピードが早い。このままだと愛梨彩が二人に畳み掛けられてしまう。特に炎の剣による接近戦に持ちこまれたら、防ぎようがない。

 一瞬、俺への牽制攻撃が止む。アインの方を見ると、魔札スペルカードを放る手が愛梨彩の方へと向いている。


「まずい!」

「『焼却式——ディガンマ』」

魔札発射カード・ファイア!『風月』!」


 フロアに再び「合成」というワードがこだました。今度は自分たちの魔札を合成し、天井を突き破るほどの炎の竜巻を生み出したのか!


 ——あの大きさの魔法は『折れない意思の剣カレト・バスタード』じゃ斬れない。


 そうわかっていながら、魔力を充満させた脚で愛梨彩のもとへと全力で駆けていく。

 手札は剣が二枚、投擲が一枚、盾が一枚。補助魔法『トリック』が一枚。あの魔法を破るカードは手札にない。デッキの中にもないからドローは意味がない。

 白紙ブランクのカードを使うか? いや、こんな土壇場でカードを創っても斬れ味は保証されてないようなものだ。形ではなく、切れ味というステータスを明確にイメージして創るのは難しい。一か八かになってしまう。

 なら、より確実な方法はなんだ? この攻撃を防げればまだ反撃の糸口があるはずだ。


「そうだ……! 防ぐだけなら! 『シールド』セット! 注力最大!」


 俺は迷わず左手で盾のカードを手に取る。

 きっと、君は嫌な顔をするんだろうな。そして嫌な顔をしながら怒るんだろう。でも今はこれしかない。

 俺は盾を構えて竜巻の前へと躍り出る。バックラーほどの大きさしかない、心もとない盾。けど、『太刀川黎』という死体の肉壁も加えれば止められる!


「うおぉぉぉぉ!!」


 炎と盾が衝突する。低ランク魔法でも魔力を最大に注ぎこめば、少しは役立つ。

 炎の渦は絶叫する俺をたちまち飲みこんだ。体は焼け、全身に痛みが走る。身をもって痛みを感じ続け、耐え抜く。次第に渦は勢いを緩め、消滅していく。

 ダメージは深刻だが、着ていたローブのおかげで辛うじて肉体は保っているようだ。後ろから足音が聞こえてくる。愛梨彩が駆けているようだ。


「太刀川くん!? なんでこんなことを……」


 倒れる俺を愛梨彩が抱きかかえた。


「ごめん……これしか……思いつかなかった」

「待ってて。すぐ元に戻すから」

「どうして……」


 攻撃はなく、静かに言葉だけがフロアに響く。咲久来の声だ。


「どうしてその魔女を庇うの!? そいつはお兄ちゃんのことなんとも思ってない! お兄ちゃんはその魔女に利用されてるだけ! 操られているの!」


 少女は銃を構えて、悲痛な叫びを上げた。確かに咲久来からしたらそう見えるのかもしれない。なんとか反論しようと口を開く。


「違う……これは俺の意思で——」

「お兄ちゃんは『俺』なんて言わない! 私が知っているお兄ちゃんは争うことも剣を振るうこともできないの! 今のあなたは太刀川黎じゃない! 太刀川黎の姿をした偽物よ!」

「え……?」


 なにを言っているんだ咲久来? 俺が操られれている? 俺が太刀川黎じゃない?

 そんなはずはない。俺は自分の意思で魔女の戦いに巻き込まれて、自分の意思で死体として戦っているはずだ。でも——


「お願い、お兄ちゃん! 私の知っているお兄ちゃんに戻って!」


 『俺』は本当に『僕』——太刀川黎なのだろうか? なんで戦闘中は『俺』という意識が自分を支配しているんだ?


 ——お前は誰だ?


「俺は……僕は……うぅ!」

「太刀川くん! しっかりしなさい!」


 急に目眩がきた。体は『復元』されつつあるのに、脳だけが未だに焼け焦げるように痛む。


 俺は——太刀川黎じゃない。

 僕も——太刀川黎じゃない。

 今まで戦闘が上手くいってたのは単なる偶然か? なんで武器魔法の適性があった?


 太刀川黎は——何者だ?


「ごめん、お兄ちゃん……今は眠って。私のお兄ちゃんとして必ず蘇らせてあげるから」


 視界の隅には炎の弾丸が映っている。今度こそ防げない。ここで終わりか。自分が何者かわからず、錯乱して終わるなんて……惨めすぎて笑えもしない。

 俺はそっと目を閉ざす。


「ここで彼を殺させるわけにはいかないな」


 聞き慣れた声がする。ミステリアスだがどこか馴染みを感じる彼女。そう——ブルーム・Bだ。

 穴の空いた天井からマントをなびかせた女騎士が舞い降りる。そして、彼女は魔弾を一刀で弾き飛ばした。


「貴様はやはり九条愛梨彩の仲間だったか」

「本当はもう少しの間秘密にしておきたかったんだけど……流石にピンチは見過ごせなくて出てきてしまったよ」


 ブルームはアインに対して軽口を叩きながら剣の打ち合いをしている。彼女は打ち合いの中で「大丈夫か?」とこちらを心配する余裕があるようだ。


「俺が……アインを倒さないと……」


 ぐちゃぐちゃになる意識の中で、その言葉だけがはっきりと口から出た。

 俺がアインを倒して……咲久来と話をするんだ。自分が甘いのはよくわかってるけど、ここで咲久来を殺すわけにはいかない。


「あなたは休んでいて。私とブルームが戦う」

「でも……!」


 愛梨彩はなにも言わず俺の目の奥を見る。まるで俺が考えていることを見透かしている目だ。反論ができない。「わかった」と返答するのが精一杯だった。

 それを聞くと彼女は飛び出していった。


「咲久来の魔法は私が封殺します。あなたは全力でアインを圧倒して」

「任せてくれ。アインという男の行動は把握済みだ」


 ブルームがアインに迫っていく。両者は打ち合い、鍔迫り合う。歯を食いしばって戦うアインと微笑を漏らすブルーム。力で押しているのはブルームの方だ。


「野良の魔女がいくら増えても……私が殺す!」

「魔術師風情が調子に乗らないでちょうだい。『乱れ狂う嵐の棘ソーン・テンペスト』」

「九条愛梨彩ぁぁぁぁぁ!! 魔札発射カード・ファイア!『地帳』!」


 同時に愛梨彩と咲久来が魔法を撃ち合い、衝突し合う。しかし『合成』の恩恵がないからか、愛梨彩の水魔法を対処仕切れていない。水弾の嵐は土塊を粉微塵に粉砕していく。


「なるほど……その大きい得物、厄介だな」


 剣戟では不利と判断したのか、アインは遠距離攻撃へとシフトしていく。火球はブルームを襲うが、彼女は意に介さずノーガードで走っていく。


「その攻撃、いつまで続けるのかな?」

「いや、これで終わりだ。『障壁式——サン』」


 再び、炎の壁が広範囲に出現する。だが今回は使用法が異なっていた。囲ったのはブルームと愛梨彩と俺だ。教会側の人間は中にいない。時間稼ぎのための魔法だ。


「退くぞ、咲久来。私たちはすでに目的の魔女を始末している」

「でも! まだ九条愛梨彩が! それにあの仮面の魔女も!」


 炎のバリアの外から咲久来の叫び声が聞こえる。姿はおぼろげにしか見えないが怒り、憎悪、悔い……あらゆる負の感情がこもっているように聞こえた。


「私たちだけで魔女二人を対処するのは得策ではない。それに太刀川黎もいる。深追いはせず、状況が不利になる前に下がるべきだ」


 咲久来は返事をしない。説得するようにアインが続けて話す。


「今回の戦闘で九条の魔術式と敵の人員数の情報を得た。それを報告するのも私たちの任務だ。わかったな」

「……了解」


 二人の会話が聞こえなくなる。完全に姿は見えなくなった。それと同時に炎の結界は風前の灯のように勢いがなくなり、消滅した。

 ビルの中は無残な光景が広がっていた。あたりに散らばる瓦礫。ボロボロになった床や壁。吹き抜けた天井。およそ火事で片付くような被害ではなかった。

 それだけ激しい戦いをしたのだ。実戦としては二回目。俺たちはなんとか相手を退け、生き残ることができた。考えなきゃいけないこと、知らなきゃいけないことは山積みだけど、今この瞬間だけは素直にそれを喜びたい。

 そう深く思った。



 戦闘が終わるとすぐに愛梨彩とブルームはフロアを探索した。アインに追われていた野良の魔女の痕跡を探しているのだろう。

 僕は……というと未だ動けず、床に座りこんでいた。動けないというのは語弊があるが、動くと「動かないでという日本語が通じないのかしら?」と愛梨彩に釘を刺されてしまう。だから動けないだけで、体の調子はだいぶ戻ってきている。

 正直今回の戦いの反省点は枚挙に暇がない。アインを殺しきれなかったこと。魔法を無理矢理防いで愛梨彩の手を煩わせてしまったこと。戦闘中にもかかわらず、錯乱してしまったこと。その他もろもろ。自分から愛梨彩に話しかけるのが躊躇われるほどだ。

 一人で自己嫌悪に陥っていると、二人の魔女が集合しているのが目に見えた。なにか見つけたのだろうか? 自分だけ蚊帳の外にされて、知らないことを増やしたくはない。僕も近くにいって確認することにした。


「真っ黒だね。当たり前だけど、息はしてないか」

「ここまで黒焦げだと誰だかわからないわね。アインの口ぶりから魔女なことに間違いないのでしょうけど」


 二人の会話が聞こえてくる。背後から覗き見ると、そこには真っ黒に焦がされた人の形をした「なにか」があった。率直に言って、死体と言っていいのかわからないほど焦げている。「等身大の人型クッキーを作ってたら焦がしてしまった」なんて冗談がない限り、これは死体なのだろう。


「もう平気なのかい?」

「ああ、うん」

「それはなによりだ」


 僕はブルームに曖昧な返事しかできなかった。第三者が介入してきた時、真っ先に彼女を疑ってしまったからか妙に心地が悪かったのだ。二度も窮地を救ってくれたからなおさら居心地が悪い。


「ごめん」


 自ずとそんな言葉が口に出ていた。


「なんで謝るんだい? 今回の戦闘、君はよくやっていただろう?」

「違う、そうじゃない……」開いた唇を彷徨わせた。次の言葉をどう形にすればいいのか迷ってしまった。「アインに援軍がきた時……ブルームが裏切ったのかと思ったんだ」


 出てきた言葉は思ったよりも素直なものだった。


「ああ、それね。私も同じこと考えていたわ」


 死体に目を向けたまま、あっけらかんと愛梨彩が言う。彼女はなにやら死体を物色しているようだった。


「ははっ!ははははは!」


 唐突にブルームが腹を抱えて笑い出した。表情の全てを読み取ることはできないが、目と口が笑っている。あどけない顔もするんだな。


「それは当然だろうね。でも素直に白状してくれたから、別に気にしないよ」ブルームは再び真剣な面持ちとなる。「さて、この死体だけど——」

「フィーラ……だったのか?」


 食い気味に僕が尋ねる。


「魔力の残滓量からして魔女に間違いはないわ。でも、彼女だという証拠はない。逆に彼女でないという証拠もないのだけど……この魔女はフィーラではない別の魔女……だと思う」

「復元はできないのかい?」

「ここまで焼けていると難しいわね。それに素性のわからない魔女を復元するのはリスクが高いわ」

「やはり難しいか」


 ブルームと愛梨彩の会話が進んでいく。魔女を復元するリスクとは一体なんなのか? そもそも愛梨彩の復元魔法とはどういうものなのか?


「帰りましょう。ナイジェルを外に待たせたままですし。魔女の死体を置き去りにするのは少し気が引けるけど、私たちが回収するわけにもいかないからね」

「そうだな。帰るとしようか」


 二人はそそくさと引き上げようとしている。でも、僕は自然と足が動かなかった。


「どうした、黎?」


 真っ先に僕の異変に気づいたのはブルームだった。尋ねられてしまうと言わなきゃいけない気がしてくる。


「なあ、『俺』って何者なんだ? どうして僕は戦闘になると意識が変わるんだ? 咲久来の言ってたこと……『俺』の自我は太刀川黎のものじゃないって……本当なのか?」


 はっきり聞かなきゃいけないことだった。それだけ重要で、尋ねるのにも勇気が必要だった。

 自分の意識が自分のものじゃないなんて考えたくない。体こそ『太刀川黎』そのものだが、人格は異なっている。そう考えると吐き気を催しそうだった。

 『俺』という意識はレイスになってから生まれたものだ。愛梨彩の復元魔法のことだってよく知らない。咲久来の言うことが正しいのかもしれない。ずっと『僕』の近くにいた彼女がそう言ったのだから。


「確かにレイスを作る時に自我を失くす術はあるわ」愛梨彩が重く閉ざした唇を静かに開く。「でもそれは死者を死者のまま操る『死霊魔術』での話よ。私のは『復元』。限りなく生者に近い状態にする魔法よ。現にあなたは感覚も失ってないし、感情だって持ち合わせているでしょう?」

「それは……そうだけど」

「自我を失くすのは死霊魔法がレイスを大量に操れるからよ。でも私のような復元魔法では限度がある。一度、心臓を復元してから動かすのと、復元せず死体を動かすのは手間が違うのよ。だから量より質を優先しなくてはいけなくなる。個人という自我を残した方が考え、成長できる。もちろん自我がある分、反逆される可能性も考えられるけどね。同じ死霊でも操り人形と自律行動ロボットくらい違うわ」

「じゃあ、咲久来の主張は……」

「多分、死霊魔術と復元魔術の差がわからなかったんでしょう。要するに勘違いね」


 咲久来が愛梨彩の魔術式を知らない可能性は大きい。同じ教会側のアインも初見では彼女の魔法を死霊魔術だと思っていたから辻褄が合う。


「でも、意識が変わる答えにはなってない」


 そう。肝心な『俺』の正体は依然として不明のままだった。復元する時に、邪魔な『太刀川黎』の意識を除き、好戦的な人格を植えつけることだってできるかもしれない。


「ごめんなさい。それは私にもわからないわ」

「わからない……? 君でもわからないのか?」

「答えを急ぐ必要はないよ、黎。私の目から見ても彼女は嘘をついていない。それは君が一番よく知っているんじゃないか?」


 ブルームが僕の肩に手をかけ、諭す。どうやら自分のことで頭がいっぱいになって、冷静にものごとを見れてなかったようだ。

 愛梨彩は事実を率直に述べる。包み隠すことはほとんどない。今までだってそうだった。彼女だって万能じゃない。


「そう……だね。取り乱してごめん」

「さあ、帰ろう。今は生き残れたことに祝杯をあげようじゃないか」


 ブルームが僕の背中を押した。振り向くと、笑った目をしたブルームがいた。そんな顔をされたら、前向いていこうと思ってしまうじゃないか。

 『俺』が誰だったかはわからないままだ。ブルームの言う通り、焦って真実を見つけるべきではないのかもしれない。でも……いつかは判明するのだろうか?

 『俺』という太刀川黎の正体は。



 魔女の屋敷には当然のように立派なバルコニーがある。丘の上ということもあって、成石地域が一望できるのは圧巻だ。

 夕食を済ませた後、徒然なるままにバルコニーへと出た。暦は六月に差し掛かっている。夜の風は体を涼めるのに最適だった。頭を冷やすのにも一役買ってくれそうだ。


「咲久来が魔術師ウィザードだったなんてな……」


 今でも実感が湧かないし、考えただけで狼狽してしまいそうだ。妹のように親しくしていた咲久来に刃を向けなければならないなんて。

 そして、咲久来の言ったあの言葉。歪んだ咲久来の顔がフラッシュバックする。


 ——「今のあなたは太刀川黎じゃない! 太刀川黎の姿をした偽物よ!」


 自分の存在や意思を親しい人に全否定された。ここまで心に刺さる言葉は人生で初めてだ。おそらく、真相が明かされる時まで刺さったまま抜けない気がする。


「戦えるのかな……この先。咲久来を傷つけるかもしれないのに」


 気持ちを整理しなければならない。心の奥底でそう感じていたから、夜風に当たりにきたのだろう。

 咲久来は賢者の石で僕を蘇らせると言っていた。それが本当ならありがたい話だ。

 けど、それを受け入れることは教会側に与するということだ。愛梨彩と敵対することになる。それではなんのために自分が死んだかわからなくなってしまう。

 なら、咲久来に剣を突きつけるのはいいのか……? 愛梨彩に味方して、教会の魔女たちと戦うのはいいのか?

 一体なにが正しくて、なにが間違いなんだ……。


「ああ! わかんないなぁ!」


 むしゃくしゃして両手で髪を乱すように頭を掻いた。終わらない自問自答。堂々巡りだった。


「隣、いいかい?」


 そんな折だった。不意に隣から声が聞こえたのは。


「うわっ! びっくりした。いつの間にいたのか、ブルーム」

「黄昏てたから気づかなかったんだろう」

「それは……まあ」

「ちょっと話をしてもいいかな?」


 ブルームはバルコニーの手すり壁に背をもたせかける。

 話とはなんだろう? ここで頭を悩ませても解決はしないのだから、つき合うのも一興だろう。


「まあ、いいですけど。ちょうど気分転換したかったところですし?」

「そんなかしこまらないでいいよ」


 別にかしこまったわけじゃない。言葉の綾というかその場のノリで敬語になってしまっただけだ。こんなふうにノリよく見せないとまた悩んでしまいそうだったから。


「今さらだけど敬語とか使わなくていいの?」

「君に敬語を使われるとむず痒くなるからやめてくれ」

「そうなのか」なんでむず痒くなるのかはわからないが、とりあえず敬語は使わないことで納得しておく。「で、話って?」

「今日の戦闘の話だ」

「気分転換が戦闘の話って」


 どうやら彼女も腐っても魔女らしい。そこは励ますための話とか前向きな格言とか自分が悩んだ時の実体験とか話すべきではないだろうか?


「愛梨彩は君のこと褒めてなかったからさ。私が褒めてあげようと思って。ほら、私は一応君を指導するために同盟組んでるわけだし」

「豚もおだてりゃ木に登るってこと?」

「そう卑屈にならないでよ。実際、君は今回奮闘していた方だ。きっと愛梨彩が褒めないのは君を褒めると自分の落ち度が明るみになってしまうからだろう。魔女は意外と気位が高いんだ」

「全然意外じゃないんだけど」


 愛梨彩なんてその最たる例だろう。完璧超人で失敗なんて許さない高慢ちきだ。まあ、自分が失敗した時に相手を褒めれない気持ちもわかるけど。


「実際、咲久来の介入がなければ君たちはアインを仕留めていただろう。アインとの一騎打ちで勝てなかったとはいえ、愛梨彩と連携ができていた。この短期間でそれだけの成長をしている。これはすごいことだよ」

「実感ないな。周りはすごいやつばかりだし。咲久来だって複数属性持ちのすごい魔術師だった。全然知らなかったよ」


 火、水、土、風。主要なエレメントはほとんど使えるのではないだろうか。その多種多様な魔法のせいで僕たちは後手に回ることになった。


「そうでもないよ。言い換えれば得意な魔法はないってことだからね。必然的に高ランクの魔法は使えない。せいぜい使えてCランク相当の魔法だ。あの銃はいわば私の武器のプロトタイプみたいなものでね。使える魔札スペルカードは遠距離魔法に限られるが、ランクを一つ上げることができる。咲久来はこれで複数属性持ちの欠点を補っているんだ」


 ブルームの言葉を聞いて思い出してみる。火の弾丸、水流、土塊、風のソニックブーム。どれも遠距離魔法だ。銃から発射されたからそういう形になっていると思っていたが、実際は違ったようだ。


「詳しいんだな」

「魔導兵器の類は少女だった頃から使っていてね」

「ブルームの少女時代……」少女だったブルームを思い浮かべる。素顔がわからないから今の彼女を縮小することしかできなかった。「想像できないな」 

「それならよかった。想像されたらこちらが恥ずかしくなるだけだからね」


 ブルームがはにかんで僕に見せる。廃ビルの時もそうだが、実は屈託のない笑みを浮かべる人間なのではないだろうか。仮面で隠れているのがとても惜しい。


「ここにいたのね」


 背後から別の声が聞こえた。愛梨彩だ。


「勝手にバルコニー拝借しておりますよ」

「それは別に構わないのだけど……」

「今後の我々の方針についての相談かな?」


 どうも愛梨彩の歯切れが悪い。もじもじしてるようにも見えて、らしくない。ブルームが話を促さなかったら閉口していたような気さえする。


「ええ。今回の消耗を鑑みて、当分襲撃は控えるわ。各自カードの補充や新たな魔法の生成に取りかかりつつ、英気を養っておいてちょうだい」

「了解した」

「了解」


 俯き、自分の手を眺める。これから先戦い続けるにしても、もっと力が欲しい。

 今回の戦闘で自分の魔法の未熟さを痛感した。もうワンランク上の魔法が欲しい。この期間で自分なりに強い魔法を編み出さないとだ。もっと頑張らないと。


「それと、太刀川くん」


 名前を呼ばれ、ふっと顔をあげる。見ると、愛梨彩が僕の目の前にきていた。なんだか物々しく感じる。背筋を伸ばし、居住まいを正す。


「その……今回はあなたのおかげで助かったわ」


 彼女の声音は途切れたが、目は見据えたまま。まだ続きがあるようだ。愛梨彩の言葉を待っていると、再び口が動きだした。


「ありがとう」


 それだけ言うと、彼女はすぐにバルコニーから出ていった。

 胸がなにかに刺されたかのように熱い。高鳴る鼓動は強まるばかりで、収まりを知らない。「ありがとう」という感謝の魔法をかけられた気分だった。


「ふふ。青春だね」

「茶化すなよ」

「ごめんごめん。それじゃ私もこの辺でお暇させていただくよ。お疲れ様」


 愛梨彩の後を追うようにブルームもバルコニーを出ていく。残されたのは僕一人。一陣の夜風が駆け抜ける。

 こうやって自然と語らえる時間が愛おしいと思った。ブルームと愛梨彩とのなに気ない言葉の応酬の中にも心温まるものがある。

 争奪戦が終わった後も、僕たちはこうやって優しい時間を共有できるのだろうか? 僕はこの優しい時間を守るために戦えるだろうか?

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