再会/episode6


 ブルームの姿はすでにない。先に向かって様子を見るとのことだった。

 なんでも「君たちと行動するにはいささか私の格好は目立ちすぎる。市街地なんて特にね」ということらしい。確かにあのマスクは大仰で、ハロウィンの日以外なら職質されるのが目に見えている。まあ、僕たちの黒ローブ姿も怪しいといえば怪しいのだが。

 久しぶりに外に出た。ずっと陰鬱とした地下室にいたからか日光がなんだか懐かしく感じると同時に痛く感じた。目覚めたてのヴァンパイアか、僕は。

 屋敷の敷地を出るとそこには見慣れた光景が広がっていた。成石学園周辺が一望できたのだ。ちょうど右手側には駅が見える。


「屋敷から出るのは初めてだったわね」

「ああ、うん」

「ここは成石地域の丘陵地帯よ。駅を挟んで反対側が学園ね」

「成石の中でも新戸寄りの場所だね」


 新戸の駅は成石学園前駅の隣だ。歩いても遠くはない位置ある。位置の関係か放課後になると成石学園の生徒でごった返すことで有名である。


「学園に向かって丘を下ればあなたの家や八神教会があるわ。反対側に下れば新戸。日中では魔法による移動は目立つから、歩いて向かいましょう」

「ああ、そうしよう」


 僕らは新戸の街へと駆けていく。


 新戸の街に着いた時にはもうすでに手遅れだったようだ。

 廃ビルの不審火騒ぎが起きていたのだ。ひしめく人垣、封鎖する警察官。SNSで動画がアップされてそうな勢いだ。


「廃ビルで火災……ね」

「アインだろうな。野良の魔女の方はもう助けられないかな」

「かもしれない。でも、今回の目的は奇襲でもある。ひとまず廃ビルに向かいましょう」


 黒煙を見上げて、位置を確認する。大通りに面していない、奥まった位置にあるようだ。


「大通りからは無理だね。どこかの路地裏からならいけるかも」

「探しましょう」


 僕にはなんとなく心当たりがあった。トレカのショップがあった路地に廃ビルがあったからだ。

 ちょっと前までトレーディングカードゲームをやっていた僕はそのショップに足繁く通っていた。いわゆる穴場スポットで、新戸のほかのショップよりレアカードの単価が安かったのを覚えている。


「そうそう。一階はゲーセンだったんだよ。どうりで印象深いわけだ」


 心当たりのあった廃ビルに到着するとナイジェルが愛梨彩に駆け寄ってきた。ビンゴだ。

 周囲には人気がない。不審火騒ぎから避難したのだろうか。


「消火活動がされていないわね」

「まだ着いてないんじゃ? それに結構奥のビルだし」

「人払いがされていると考えた方が賢明ね。魔術結界も張られているようだし」

「アインが待ち構えているってわけか」

「そういうことになるわね。私たちは突入しましょう。ナイジェルはここで待っていて」


 愛梨彩が優しくナイジェルの頭を撫でると、主人の命令を「心得た」と言わんばかりに勢いよく吠える。

 僕らは廃ビルに突入する。黒煙が上がっていたのは四階だ。どうにか上る必要がある。ビルの入り口から入ってすぐのところにエレベーターがあるが、電気は通っていない。


「外階段でいこう」


 愛梨彩は無言で首肯する。

 細心の注意を払って階段を上っていく。ここから先は戦場だ。先に奇襲される可能性もある。後ろの愛梨彩も相当張り詰めているようだ。

 最上階である四階の扉の前へとたどり着く。中からはパチパチと音が聞こえ、今にも扉から炎が溢れそうなほど熱気が漂っている。


「四階のフロアはずっと空いていてテナントが入っていなかった……と思う。おそらくフロアに遮蔽物はほとんどない」

「だとしたら扉を私の魔札スペルカードで壊して、フロアの炎ごと消すわ。あなたはそこから突撃してスレイヴを叩いて」

「了解」

「三、二、一で突撃するわよ」


 愛梨彩の周りにカードが展開される。彼女はその中から一枚を手に取り、構える。同じように僕もカードを展開し、手に取った。


「三」


 静かに声が響く。意識が『僕』から『俺』へと切り替わる。


「二」


 自分がやることはスレイヴを抑えること。先手を取って有利な流れにすること。


「一」


 相手はアイン。あいつの攻撃は炎による遠距離攻撃。初めての相手じゃない。——いける。


「『乱れ狂う嵐の棘ソーン・テンペスト』!」ガトリングの嵐のように水弾がフロアに叩きこまれていく。「今よ! いって!」


 扉が吹き飛ばされた入り口からフロアに突撃する。握ったカードを剣に変える。手に取ったのはバスタード・ソードだ。

 室内の黒煙が晴れ、相手の姿がはっきりと見えた。そこにいたのはアイン一人。——スレイヴがいない。


「うおおおお! 先手必勝!」


 前衛がいなかったのは予想外だったがやることは変わらない。なにより俺と愛梨彩だけで数的有利を取れるなら好都合だ。前衛が後衛の相手をできるんだから!


「貴様、あの時の——クッ!『焼却式——ディガンマ』」


 アインが放ってきたのは俺の読み通り火弾だった。俺は両手持ちで火球を両断する。

 二射目がくる。だが、どうということはない。同じように両断し、接近する。その距離、目視で三メートルほど。これなら俺の距離だ!


「もらったぁ!」


 アインの首目掛けて、バスタード・ソードを横薙ぎする。


「なめてもらっては困る。『剣式——ヘータ』」


 だが、捉えきれない! あと一歩のところで炎の剣に阻まれてしまった。


「『水の螺旋矢アロー・オブ・スパイラル』!」

「『障壁式——サン』!」


 すかさず愛梨彩がアインを狙い撃つが届かない。アインがカードで火の壁を生み出したからだ。炎の壁は俺とアインを取り巻き、囲う。それはさながら炎でできた闘技場コロシアムだった。


「分断された!?」

「九条。今の一撃で私を仕留めきれなかった貴様のミスだ」


 二人の会話に耳も傾けず、ここぞとばかりに両手で力をこめていく。カードを使うために片手を離した今なら、力押しで!


「その程度の力で……つけ上がるな!」


 すぐさまアインは両手持ちに切り替え、俺の剣を振り払う。剣はアインに届かなかった。


「まだ終わりじゃないぞ!」

 バスタード・ソードを投げ飛ばし、武器を切り替える。手に取った魔札スペルカードは『折れない意思の剣カレト・バスタード』。今は切り札を切る時だ。

 手にした剣を構え、アインに向かっていく。俺たちは再度激突し、激しい剣と剣の打ち合いが続いていく。

 後衛の愛梨彩と分断された以上、一対一の戦いとなる。数的優位はない。どちらが根をあげるかのぶつかり合いだ。

 だが俺は彼女を信じてる。へばる前にこのファイヤーウォールをぶち破って、助けに来ると!


「この剣が折れるまで戦ってやるさ!」

「威勢だけでどうにかなるものか」


 鍔迫り合い。両者の剣は逼迫している。気を抜けば押されるかもしれない。

 横目で炎の壁の外を見る。壁に向けて豪雨を叩きこんでいる愛梨彩の姿が見える。その姿はいつにもなく必死な表情で、彼女にも困難なことはあるんだと実感する。

 ふと、愛梨彩と目があった。その目は真っ直ぐと俺を見据えていて、なにかを語りかけているように見える。


 ——あと少しで壁を破れる。


 そう言っている気がした。


「どこを見ている!」

「クッ!」


 アインの剣の押しが一気に強まる。今がチャンスだ。

 俺は剣の力を抜き、アインの剣を流して捌く。アインの横を過ぎた瞬間、炎の壁が崩れるのが見えた。


「捕らえたぞ!!」


 左手で掴んだカードは『逆巻く波の尾剣テイル・ウェイブ・ブレード』。この瞬間がくるのを待っていた。この瞬間まで耐えるために俺は『折れない意思の剣カレト・バスタード』を選んだんだ。

 蛇腹剣はリーチを伸ばし、炎の剣ではなく、アインの両手首を捕えた。


「今だ! 愛梨彩!!」

「ええ。これで終わりよ。『乱れ狂う嵐の棘ソーン・テンペスト』!」


 水の棘がアインに向かって迫っていく。両手が使えない以上免れる手段はないはずだ。


 ——勝った。あの強敵アインをついに仕留めた。


 そう思った。愛梨彩もきっとそう思ったはずだ。

 だがその矢先、爆炎が上がった。


「なんで!?」


 テイル・ウェイブには今もしっかりと手首を掴んでいる感触がある。アインが魔札スペルカードを使えるわけがない。第三者の攻撃だ。

 一瞬嫌なものが脳裏を過ぎった。ほかでもない。あの怪しい仮面。——彼女も爆炎による攻撃ができたはずだ。

 でも、どうして!? 戸惑いを隠せずにいると、蛇腹剣はすでに断ち切られていた。

 爆煙が晴れていく。徐々に徐々に第三者の全容が明らかになっていく。思い出したのはあの日の教会の光景。爆煙の中に佇む一人の騎士。


 ——そうであったらまだ救いがあったかもしれない。


 怪しくて胡散臭いやつが裏切った。わかりやすい罠に引っかかってしまったと悔いればいいだけだ。


「どうして……どうしてお前が」


 でも俺の予想は裏切られたのだ。思いもしない相手がそこにいた。敵に回したくない、かけがえのない家族のような存在が——そこにいた。

 アインの隣に並び立つ少女が一人。それは紛れもなく……俺が知っている八神咲久来だった。


 *interlude*


 兄が死んだ。本当の兄のように慕い、大好きだった太刀川黎が。

 唯一手元に残った兄の遺品はレンズの割れたメガネだった。それを見るたびに思い出す。あの日のことを。瓦礫で溢れた教会の景色を。


 私が帰った時にはもう遅かった。戦闘は終わっていて、礼拝堂の中心にはおびただしい量の血が滲んでいた。その近くに魔導教会から派遣された魔女ワーロック、アイン・アルペンハイムという男が立ち尽くしている。傍らには父の姿も見える。

 アイン・アルペンハイムという男が派遣されてくるのは何日も前から知っていた。この街で賢者の石争奪戦が始まることも。魔女狩りが起きることも。相手はおそらく九条愛梨彩だろう。この街の魔女といえば彼女だ。

 争奪戦による戦火の跡や犠牲者も、この時まで実感がなかった。経験したことがない以上、想像することしかできない。けれど、私は想像することすら放棄していたのかもしれない。


「すまないことをした。私が殺した男は君にとって兄のような存在だったのだろう」


 アインさんの第一声は謝罪だった。心の底から悔いていたのを私は覚えている。

 兄の死を示すようにひひ割れたメガネを手渡された。


「いえ……魔術師になった時から覚悟はしていました。身内から死人が出るかもしれないということは……わかっている……つもりでした」


 溢れ出そうになる涙を堪える。鼻の奥がつん裂かれるように痛い。

 私の知っている兄はもういない。当たり前のようにこの先もいると思っていた存在がこの世界からなくなった。もう彼の声も、笑顔も、暖かな温もりも感じ取ることはない。

 私は魔術師なんだと気丈に振る舞おうとすればするほど、声は震えて言葉に詰まる。辛いと言えたらどんなに楽だろうか。


「そうか」


 それ以上の言葉はなく、彼は礼拝堂を後にしようとする。私はメガネを兄の亡骸のように抱きしめ、嗚咽を漏らすしかなかった。

 慰めの言葉なんていらない。彼は教会の魔女として任務を遂行しただけ。魔導教会に所属している以上、命令に私情は挟めない。

 けどやるせない気持ちが胸の中で渦巻き、ドロドロと心を溶かしていく。溶けて、形作られた自分の姿を忘れたチョコレートのようにぐしゃぐしゃで滅茶苦茶だ。


 ——なんでこんなことになってしまったのだろう。


 形を失った心の中でその疑問だけが溶けずに残った。

 なにが悪かったのだろう。誰が悪かったのだろう。私はどうするべきだったのだろう。

 止まっていた思考に再び火がつき、回りだす。


 悪かったのは——この教会が襲撃されたこと。

 悪かったやつは——この教会を襲撃したやつ。

 私は——襲撃される前に手を下しておくべきだったんだ。

 点は線となってつながり、次に私がするべきことを導き出す。私がするべきことは……


 九条愛梨彩だ。九条愛梨彩を殺すしかない。


 九条愛梨彩がいなければこんなことにはならなかった。九条愛梨彩を殺せば仇討ちができる。そうだ、全部あの女が悪いんだ。九条愛梨彩が憎い。消えてなくなればいい。あの女さえいなければ、お兄ちゃんは——


「九条愛梨彩は……殺すんですよね?」


 吐いて出た言葉はどすの利いた、醜い声だった。今の私を形成しているのは憎悪と狂気に満ちた完全なる殺意。清らかな感情など微塵も含まれてはいなかった。


「九条愛梨彩は依然として狩る対象だ。教会を襲撃してくる以上、やつを野放しにはできない。殺すことになるだろう」


 アインは事務報告のように淡々と喋る。そこには一切の私情が挟まれてなく、やるべき任務にほかならなかった。

 でも、私は……私は違う。


「私も魔女狩りに参加させてください」

「咲久来……お前! 自分がなにを言っているのかわかっているのか?」

「教会の一般魔術師ウィザードの過程は全て修了しています。ほかの魔術師に劣るところはありません。加えて私にはこの秋葉の土地鑑があります。むしろ同伴魔術師スレイヴとしては有用かと」


 『父』としては止めるのが普通だ。「お前はまだ学生で子供だ。魔術師ウィザードの仕事はまだ早い。早まるな」なんて口を酸っぱくして言うのだ。子供の身を案じるのは親の務めだと言わんばかりに。

 けど私は『父』に話しているのではない。アインと……八神教会の『神父』と話をしているのだ。


「敵の魔女は人型スレイヴを有している。未熟だったが脅威となる可能性が高い。戦闘は熾烈を極めることになる」

「構いません。覚悟の上です」

「そのスレイヴが太刀川黎の姿、形をしていてもか?」


 アインの言葉を聞いて、肌が粟立った。言葉が出ない。

 九条愛梨彩のスレイヴがお兄ちゃん……? それは一体どういうことなの? お兄ちゃんは死んだんじゃないの?


「アルペンハイム殿、それは口外しない取り決めだったでしょう」

「遅かれ早かれ、お前の娘は気づくぞ。時間の問題だったのならば、真実を伝えるのは早い方がいい。取り返しがつかなくなる……前にな」

「どういうこと……なんですか」

「太刀川黎は『人』として死んだ。だがやつは、九条愛梨彩の魔術式によって死体のまま眷属として使役されている。レイスといえばわかるだろう。死霊魔術や復元魔法の類だ」


 レイス——魔力によって無理矢理動かされている屍の総称だ。つまり九条愛梨彩がお兄ちゃんの死体を弄んでいる。魔術の世界に関わるはずのなかったお兄ちゃんを巻きこんでいる。

 なにより、私のお兄ちゃんを自分のものとして所持している。


「——許せない」メガネを握る手の力が強くなり、震える。「ならなおさら戦うしかないですね」


 私の言葉を聞いて父はどう思っただろう。私はこの時の父の顔を覚えていない。


「九条愛梨彩と戦うということは君自身の手で太刀川黎を無に還すということだ。君はそれで構わないと?」

「賢者の石……使えますよね?」


 私が口にした言葉はとても不躾で図々しいものだったと思う。それは「私をスレイヴにして、賢者の石を使う権利を与えてくれ」と一方的に言っているようなものだった。

 賢者の石は願いを叶える代物だ。だから野良の魔女は喉から手が出るほど欲している。だがそれは教会の魔女も同じだ。

 今回の争奪戦も賢者の石が魔力を蓄えるまで努めて働いた魔女やそのスレイヴに功労賞が出る。それが賢者の石へ願いをかける権利だ。「教会の理念に賛同してはいるが、本当は自分の願いも叶えたい」。そんな魔女への救済措置といったところだ。

 万能の魔術式は数名の願いならたやすく叶えてくれる。願いを叶える権利を得る者が一人、二人増えても問題はない。

 なら、私が勝ち残ればいい。九条愛梨彩だけじゃない。野良の魔女をみんな根絶やしにしてしまえばいい。


 ——大好きなお兄ちゃんを生者に戻す。


 私が魔術を嗜んできたのはそのためだ。か弱い一般人である兄を守護するためだ。そのためなら私は茨の道でも進んでいける。

 鋭くアインの顔を見据える。吐いた唾は飲みこめない。軽い気持ちで大口を叩いたわけじゃない。私にはその覚悟があるのだと目で訴えかける。


「いいだろう。私には賢者の石にかける願いがなかったからちょうどいい。では、今日から君は私のスレイヴだ。『稀代の魔女になる素養を持った魔術師』の戦いぶりを期待している」


 それだけ言うとアインさんはふらりと消えてしまった。

 私の覚悟は彼に届いた。どんなに困難でもやり遂げる覚悟。私はどんな魔女だって殺してみせる。例え大好きだった兄の写し身と対峙することになろうとも、必ず。

 待っててね、お兄ちゃん。咲久来が必ず、黎お兄ちゃんを蘇らせてあげるから。


 *interlude out*

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る