トモダチ/episode8


 それから一週間の時が流れた。屋敷が襲撃されるということもなく、穏便に過ごしていた。

 しかし決して楽な一週間ではなかった。毎日カードを補充するために魔力を使い、毎日訓練を重ねた。

 創ったカードを実戦用に取っておかなければいけなかったため、訓練では自ずと使える手札が限られてくる。少ない手札のやりくりで戦法を考えるのもなかなか大変な修行だった。


「今日は休んでいいわ。その代わり留守をお願い」


 充電期間最後の一日。愛梨彩はどこかへいくようだった。仮にも争奪戦の最中だというのに。


「どこいくのさ?」

「日用品の買い物よ。魔女といえど食べ物や飲み物がないとやっていけないでしょう」

「私がいくと目立ってしまうし、黎もなるべく市街地には出ない方がいいからね。この前から買い物は彼女に担当してもらうことにしたんだ」

「知らなかった……。確かに僕が街にいたら色々面倒臭そうだ」


 おそらく僕とブルームが剣術訓練している間などを見計らって、以前から買い物に出ていたのだろう。死んだことになってる僕が外に出るよりは賢明な判断だ。


「前は頻繁に買い物にいく必要はなかったのだけど……いきなり屋敷の人間が三倍に増えてしまったから、こればかりは仕方ないわね」

「通販使えばいいじゃん。わざわざ外に出るリスクを取らなくても……」

「ああ、テレビのあれね。でも日用品は買えないでしょう?」


 絶句。


 アナログ魔女の中で通販はテレビ通販で止まっているのか。今時、通販という言葉でテレビ通販を思い浮かべる人種の方が少ないだろう。なんか後ろでブルームがけたたましく笑ってるし。


「えっと……まあ、通販の話は忘れて。とにかく気をつけてね」

「心配はいらないわよ。いくら教会の連中でも人混みの中で魔法を放つなんてしないわ。彼らはあくまで魔法の秘匿が目的なんだから」

「ならいいんだけど」


 愛梨彩が玄関扉の後ろへと消えていく。扉が大げさな音を立てて閉まる。


「久しぶりの休みだ。私たちは体を休めようじゃないか」


 僕と同じように二階の一室を自室としていたブルームはそそくさと階段を上がっていってしまった。

 一人ホールに取り残された僕。死霊レイスは休みになにして過ごせばいいんだろうか?


 やはりこれといってやることはない。文明の利器であるスマホは教会での戦闘時に紛失したようだし、リビングにあるテレビを見ながら過ごそうと思ったら、地デジに対応してないし。

 一体魔女はこんな空漠な屋敷でなにを楽しみにして生きていたんだろう?

 興味、というか純粋に疑問だった。こうなったらこの疑問を解決するために時間を使ってやる。

 再び屋敷の玄関ホールまで出てみる。相変わらず一人で住むには虚しくなる大きさだなと痛感する。


「そういえば一階ってなにがあるか全然知らないな」


 二階はゲストルームが大半だ。その中の一室を愛梨彩が自分の部屋として使っていることは知っている。

 反面、一階はダイニングと風呂場くらいしか日常的に使わない。あと使ったことがあるのは客間とリビングくらい。

 覗いたことのない部屋を一つずつ調べていく。仮にも魔女の館だ。予期せぬトラップとか変死体とかがあるかもしれない。慎重にいこう。

 ……と思っていたのだが。

 ほとんどの部屋が空き室だった。客室と比べて大きい部屋であるにもかかわらず、置き物一つない。なんとなく、誰が使っていたのかは予想がついた。


「なんも手がかりないな……」


 今さらだが人のプライベートを覗くのはいかがなものかと思い始める。退屈しているとはいえ、人様の家なのだ。


「まあ、愛梨彩の部屋に侵入するわけじゃないしなぁ。居候の身としては一階になにがあるのか知っておきたい気もするし」


 結局、罪悪感より好奇心が上回ってしまった。となればとことん調べねばなるまい。一階にはあと一つ部屋があったはずだ。

 最後に残された一番奥の部屋を開ける。壁や隣の部屋との折り合いを考えるとそこまで大きな部屋ではなさそうだ。


「では……お邪魔しまーす」


 誰もいないであろう部屋に言葉をかける。少しは良心の呵責が残っていたようだ。

 扉を開けると、そこは書斎だった。本棚が壁に沿って並び、部屋の奥には机と椅子が置かれていた。まるで小さな図書館のような空間だ。ほこりっぽさはなく、定期的に使われている部屋のようだ。

 本棚の中から分厚い本を取り出す。両手で持ってもずっしりくる重さだ。


「ぐりも……いれ? ぐりもあ……グリモワールか?」


 ページを捲ると六芒星やら人体図を使った説明やらが書かれている。おそらく魔導書だろう。書かれている文字は英語ではないようで読めない。いや英語もそんな詳しくないけど。


「よし、手に取るのはやめよう」


 大事な魔導書の可能性がある。手に取って万が一破いたり、ページをにじませたりしたら大変だ。あの無愛想な魔女に延々と説教されるのはごめんだ。


「これ全部魔導書なのか……?」


 部屋の真ん中に立ち、周囲を見渡す。厚い書物がほぼ全ての本棚の一番高いところまで敷き詰められている。

 ふと、視線が部屋の奥の本棚に向かった。一番机に近い本棚である。近くに寄ってみる。


「これ……文庫本じゃないか」


 そこにあったのはいわゆる小説だった。古くなって色褪せているものから、映画化した最近の話題作まである。

 最近のものは愛梨彩が買ってきたものだろう。原作読んでないけど映画で見たことあるぞ、これ。僕はそれを手に取り、パラパラとめくる。


「なるほど……どうりで厨二っぽいわけだ」


 一人で得心してしまうが、これだとまるで読書家はみんな厨二病と言っているようではないか。誤解を招くので訂正しておこう。どうりで言葉のセンスがお堅いわけだ。

 それにしてもアナログ魔女が最近話題の小説をチェックしてたなんて……失礼だけど笑みが溢れてしまいそうだ。


「今度、愛梨彩にこの小説の話してみようかな」


 小説を棚に戻し、他になにか面白いものはないかと部屋を見回してみる。すると、僕の視線が机の上に止まった。写真立てが置いてある。


「……愛梨彩の家族の写真か?」


 そこに写っていたのは父親と母親と思しき、初老の男性と愛梨彩に瓜二つの若い女性。そして、無邪気に笑う幼い愛梨彩がいた。


「なんだよ、本当はこんなに笑えるのか。こんな笑顔……みたことないぞ」


 僕が見てきた彼女の笑顔はニヒルなものだったり、いたずらっぽいものだったりといい印象が全くない。無邪気に笑えるなんて考えられなかった。

 愛梨彩が笑えなくなった理由はなんとなくだが想像できる。魔術式を継承したからなのだろう。魔女になった彼女は日常から隔離されてしまったんだ。


 ——普通になりたい。


 彼女はそう言った。きっとその願いの中に普通に笑うことも含まれているはずだ。僕だって君の無邪気な笑顔が見てみたい。


「必ず……笑わせてみせるから」


 今はいない彼女の代わりに写真に対して宣誓をする。どんなに長い道のりになっても、彼女の笑顔のためなら頑張れる気がした。

 そう口にした矢先であった。聞き馴染みのあるチャイムの音が聞こえたのは。

 ハワードがきた時も同じ音が鳴っていた。襲撃に対するアラームの音ではないのは確かだ。チャイムを鳴らしてから襲撃するなんて礼儀正しい魔女がいるとも思えない。


「来客? 誰だろ?」


 書斎から顔を出し、廊下を見る。当然ブルームが出る気配はない。不在の家主の代わりと言ったら……。


「僕しかいないか。はーい、今いきまーす!」


 早足でホールに向かい、玄関扉を開ける。すると——


「会いたかったのだわ! アリサ!」


 突然、年端もいかない女の子が僕に抱きついてきた!! どういうことだ、これ!?

 幼女? 杖を持って……狼を連れた幼女? これはもしかして……もしかするぞ。


「あの……どちら様ですか?」


 恐る恐る僕が尋ねると、銀色の髪の少女が顔を上げる。その表情は嬉々としたものから一転、口をわなわなとさせ困惑した表情となる。そして、すかさずこう言うのだ。


「誰よ、あなたーーーー!!」


 いや、それはこっちのセリフです。



 客間では二人の魔女が相対している。一人は艶やかな黒髪で、大人びた雰囲気を漂わせる魔女。もう一人は白銀の髪をツインテールにまとめた子供っぽい魔女だ。

 子供っぽい魔女は愛梨彩と対照的な魔女だ。ダルマティカワンピースの上から羽織ったローブはシルバーで輝いて見える。オレンジサファイアを埋めこんだような瞳は凹凸のない体型と相まって、いとけない雰囲気を醸し出す。

 彼女の傍らには狼が静かに座している。彼女のスレイヴだろうか。犬に似ているからか、僕は少し身構えてしまう。


「改めて紹介するわ。彼女がフィーラ・オーデンバリ。昔から九条家と関わりがあるオーデンバリ家の魔女よ」

「そう! この私がフィーラ・『ユグド』・オーデンバリなのだわ!」

「はあ……」


 愛梨彩の隣に座っている僕はテキトーな相槌しか打てない。胸に手を当て、誇るように言われても困る。魔女に関してはほぼ無知なんだ。


「どうして魔女同士交友があるんだって顔しているわね」

「そりゃまあ」


 前に愛梨彩が魔女同士はお互いの魔法の研究に不可侵だと言っていた。下手に交流すれば、お互いの魔法の秘密が漏れてしまったりするのではないだろうか?


「昔、九条家はオーデンバリ家と合同で人体を完全蘇生させる魔法を研究をしていてね。まあ結果はお察しの通り。合同研究は成果が得られなかったのだけど、こうして交友だけが残ったのよ」

「そう、魔術界では珍しい魔女同士の友達なのだわ!」


 フィーラは臆面なく『友達』だと公言する。対する愛梨彩は以前、『友達』だとははっきりと言えなかったのに。愛梨彩の方に視線を向けるとプイっと逸らされてしまう。


「それにしても無事に日本にきたのね。きた理由は言わずもがなでしょうけど」

「魔女ですもの。アリサだって欲しているのでしょう? 賢者の石」

「もちろん。私が魔術の研鑽をしてきたのはそのためだから」


 いきなり話題が本題へと移った。空気が静かにピリつき、二人の魔女は視線をぶつけ合っている。


「悪いことは言わない。棄権して。これは友達としての忠告でもあるのだわ」

「ちょっと待てよ。どうして君がそんなこと言うんだよ」


 声を荒げ、立ち上がったのは他でもない——僕だった。

 友達なら愛梨彩の望みだって知っているはずだろう。なのにどうしてそれを諦めろと言うのか。


「争奪戦に参加したら最後の一人になるまで争わなきゃいけない。そうなれば私はアリサを殺すことになる。もちろん友達として戦いたくないという気持ちもある」

「だったら同盟って手だって——」

「同盟は組まない。私が欲しいのは栄誉。誰よりも強い魔女という証明なのだわ。同盟を組んでしまうとそれが証明できなくなる」

「……そんなことのために。君に正しい心はないのか? もっと柔軟な考えだってできるだろ」


 僕にはわからない。友達よりも名誉の方が重要なのか? 魔女とはいえ友達は友達に変わりないはずだ。戦いたくない気持ちは二人とも同じはずなのにどうして。


「オーデンバリ家にはそんなことが重要なのよ。第一、魔女に正義や正しさなんてあるわけない。みんな欲やエゴで動いてる。それは野良も教会も変わらない。私もアリサも変わらない。だから考えるだけ無駄なのだわ」


 正義はない。正しさはない。あるのは己の欲だけ。

 フィーラの言っていることが魔女の真理なのかもしれない。愛梨彩だって正義や正しさで動いているわけじゃない。魔導教会だってそうだ。みんな好き勝手やってる。誰もがエゴイストだ。


「一つ尋ねておくけど、あなたはアリサの能力を知っていて私に口答えしているのかしら?」

「知ってる。復元の魔術式だ。戦闘時の傷の回復や死者蘇生を限定的に可能にする能力だ」

「そう、戦闘に向かない魔術式なのだわ。戦場では剣を持ってないのと同じよ。そんな魔女が勝ち残れると思う?」

「それは……」


 反論ができず、喉から言葉が出ない。

 戦いをこなすたびに薄々気づいていた。愛梨彩の魔術式は戦闘向きではないってことを。典型的な後衛型。役割はバックアップやサポートの方が大きい。多分フィーラの言う通り、愛梨彩一人では争奪戦に勝ち残れないのだろう。


「太刀川くん、落ち着いて。あなたが熱くなってどうするの」立ったままの僕を愛梨彩が制する。「でも、フィーラ。私が退く気がないのは事実よ」

「アリサ! あなたは魔術戦で私に勝ったこともないのよ!?」

「それでも私は退けない。この機会を逃せば一生後悔するから」


 愛梨彩は凛とした表情でフィーラを睨む。そうだ。僕の知ってる愛九条梨彩はこんなところで立ち止まらない。どんな強敵が相手だろうと歩みは止めず、自分の願いにどこまでもひたむきなのだ。


「この、わからず屋……」ぼやくようにフィーラが言う。「なら私から提案があります」

「なにかしら?」

「あなたが勝てると思ってるのはそのスレイヴを得たからでしょう? ならスレイヴ同士の決闘で決めましょう。私のスレイヴが勝ったらあなたは賢者の石から手を退く。あなたのスレイヴが勝てば私はもう口を挟まない」


 「友達だから止めたい」という強い気持ちがこもった口調だった。

 フィーラの気持ちが僕にも伝わる。もし僕の友達——例えば緋色がこの戦いに参加するようなことになれば全力で止めるだろう。もし幼馴染が再び僕に銃を向けたら、「やめてくれ。退いてくれ」と言うのだろう。

 けど、それでも僕は——


「やろう、愛梨彩。僕たちが弱くないってこと、証明してやろう」


 答えが完全に出たわけじゃない。だけど僕は、どうしても愛梨彩に味方してしまうのだ。

 愛梨彩を見やる。無言だが力強く頷いてくれた。その答えだけで充分だ。


「決まりね。この屋敷の地下で決闘を始めましょう」

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