見えない意思の剣/episode9


 何度この地下室にきただろうか。数えきれないほどここで戦闘を重ねた。

 最初は半ば監禁のような形でここに放りこまれた。二回目はいきなり愛梨彩の飼い犬が襲いかかってきた。三回目はブルームとの模擬戦。どれも自分の力を高めるためだった。

 けど今回は違う。

 訓練なんかじゃない、お互いの意地と意地のぶつかり合い——決闘だ。


「ルールはシンプルにいきましょう。戦闘をするのはお互いのスレイヴ。決闘開始後に魔女の魔法によるサポートはなし。まあ、セコンドとして指示するくらいは認めるてあげるのだわ」


 フィーラがY字に別れた長い木の枝のような杖をこちらに突きつける。宣戦布告のつもりだろう。


「その条件でやりましょう」


 僕は一歩前に出て、相手の狼を見据える。犬よりも眼光が鋭い印象を受けるが、体格はナイジェルと大差ないように感じる。だとしたら対処の方法はいくらでも思いつく。


「太刀川くん」不意に愛梨彩から呼び止められた。「ナイジェルと同じように対処できると思わないで。フィーラの魔法ウィッチクラフトは昇華魔法だから」

「ショウカ魔法? 召喚魔法じゃなくて?」

「彼女の魔法ウィッチクラフトはスレイヴを強くする——と言うより進化させるものなの。どんな姿形に昇華させるかわからないけど、小型の敵って先入観は捨てて」

「わかった」


 彼女のアドバイスがなかったら、初見殺しを食らってたかもしれない。僕はまだまだ特性の把握が甘く、敵の力量を計るだけの経験値がないらしい。手札設定を少し変えよう。

 手札は剣が二枚、盾が二枚、補助魔法が一枚となっている。種類の比率は変えず、内容を変更しよう。

 開始時に使う『折れない意思の剣カレト・バスタード』。今までは切り札だったが、デッキを補強した今なら迷わず最初に使える。

 もう一枚の剣は『逆巻く波の尾剣テイル・ウェイブ・ブレード』。小型の相手ではないと思われるが、隙を作るために有効かもしれない。

 盾は二枚とも同じカードにする。新たに創りだした『そびえ立つ盾壁タワー・ウォール』のカードは設置型の大盾だ。使い勝手はさほどよくないが、耐弾性に優れている。バックラーを入れるよりマシだろう。

 最後の一枚は姿隠し用の『トリック』の補助魔法だ。戦闘を仕切り直したい時にも使える補助魔法だ。


「いくわよ、コロウ」主人に応答するように狼が吠える。「神話の終末に現れし荒ぶる魔狼よ。現世うつしよに顕現し、我が最強のしもべに力を与えよ! 全てを飲みこみ、敵を討て! ——昇華魔法『フェンリル』!!」


 コロウと呼ばれた狼がフィーラの杖から生じた魔法陣をくぐり抜け、姿を変える。体は先ほどの数倍近くに膨れ、グレーがかった毛並みは青白い炎を纏ったように煌びやかになる。

 それはまさしく神話の中の幻獣——フェンリル。魔狼は獰猛に唸り、雄叫びをあげる。それだけで足がすくんでしまいそうなほどの威圧感だ。


「さあ、決闘開始の宣言をしなさい! アリサ!」


 背後に控える愛梨彩を見やる。『僕』は無言で首を縦に振った。ローブも羽織ってある。準備なら万全だ。大丈夫、『俺』を信じてくれ。


「決闘……開始!」


 愛梨彩の声が地下室に鳴りはためく。


「いくぞ、神獣!!」


 俺は迷わず『折れない意思の剣カレト・バスタード』を手に取り、フェンリルに向かっていく。

 まずは『折れない意思の剣カレト・バスタード』を使い、相手の力量を測る。それが俺の先手における戦術だ。果たしてあの毛並みを斬り裂くことが叶うか……。

 対するフェンリルはその場を動かない。俊敏な動きで翻弄してくるかと思っていた故に予想外だった。


「武器魔法……随分といい人材を見つけたようね、アリサ。でもね!」

「避けて太刀川くん!」

「え?」


 愛梨彩の言葉の意味がわからない。しかし体は命令通り、ステップを踏む。次の瞬間、フェンリルの口からは黒弾が放たれ、手から剣が消えていた。先に相手の襲撃を許してしまった!


「魔法が消えた……? まさか——!」

「フェンリルは北欧神話の主神であるオーディンを飲みこんだ魔狼。その口は虚無へと通じているのだわ!」


 フィーラは自慢するように高らかな声を響かせる。

 間違いない。フェンリルが吐いたのは便宜上闇魔法と呼ばれている吸収・消滅魔法の類だ。ランクの低い魔法なら消されてしまう。補充するカードは『折れない意思の剣カレト・バスタード』じゃダメだ。


「クソっ! これならどうだ! 『そびえ立つ盾壁タワー・ウォール』!!」


 カードを投げ放ち、同じカードをドローする。地面から迫り上がるように大きな壁が生まれ出る。『そびえ立つ盾壁タワー・ウォール』ならBランククラスの魔法を耐えられる。それは愛梨彩との特訓で実証済みだ。

 魔法がぶち当たる音がするが、盾は消えない。つまりフェンリルが消せる魔法はCランクのものまでということだ。

 魔法の音が止み、獣が駆ける足音がする。体当たりで壊すつもりか!


「あの闇魔法をなんとかしないと……」


 鉄板に鈍い音が響いている。『そびえ立つ盾壁タワー・ウォール』は数発しか体当たりを防げない。迷わずカードを切る。

 フェンリルが盾を壊した時、すでに俺の姿はなかった。『トリックで隠れた俺の姿を探そうとするフェンリル。その隙に狼の側面に回り、カードを手に取る。


「やつの口を捕らえろ! 『逆巻く波の尾剣テイル・ウェイブ・ブレード』!!」


 投げるように剣を振るい、フェンリルの口に鎖を巻きつける。これでもう闇魔法は使え——


「フェンリルをそんな鎖で繋ごうなんて、見積もりが甘いのだわ!」


 刹那大きな顎が開き、鎖が砕け散る。神話の中で数々の鎖を破ってきた神獣の名は伊達じゃないようだ。


「この魔法でも封殺できないか……なら!」


 なら——消されなければいい話だ。


 再び魔札スペルカードを手に取る。『折れない意思の剣カレト・バスタード』を使った時にドローした新作のカードだ。


「『見えない意思の剣インビジブル・バスタード』!!」


 手に握っているのは不可視魔法が混ぜこまれた透明の剣。その剣で放たれた闇の弾丸を斬り伏せ、俺は再びフェンリルに立ち向かっていく。そして、剣戟が届く範囲にたどり着いた!


「攻撃をやめて避けなさい、フェンリル!」

「もらったぁああああああ!」


 剣がフェンリルを捉える。しかし——厚い毛並みを切り裂くことは叶わない。フェンリルはすかさずカウンターでボディーブローを見舞い、俺を吹き飛ばす。


「がはっ!」

「そのままたたみかけなさい!」


 フィーラの命を受けたフェンリルが虚無を吐きながら突進してくる。俺は瞬時に起き上がり、なんとか黒い弾丸を弾き飛ばす。

 フェンリルの対処は間に合わない。近づかれ、前足からラッシュ攻撃が放たれる。スパートをかけてきた魔狼の攻撃を俺はただただ剣で防ぎ続けるしかなかった。


「『トリック』を合成した剣で魔法効果を受けなくしたのは見事だったけど、フェンリルにダメージを与えられないようじゃまだまだなのだわ!」

「まだ決着ついてないだろ……! そういうの勝ってから言えよ!」


 余裕を見せるフィーラに悪態をつけながら、攻撃を防ぎ続ける。色々な手を使ってしまったが、闇魔法は封じた。現状はいささか押されているが、まだ勝負がついたわけじゃない。


「果たしていつまで気丈に振舞っていられるかしら?」

「これだから犬は嫌なんだよ!」


 幻獣は縦横無尽に駆け回り、突進しながら爪を見舞ってくる。剣と爪の打ち合いが果てしなく続く。

 教会の戦闘を嫌でも思い出す。狼男も柔軟な四肢を使って、とめどなく引っかきを炸裂させてきた。そのたびに俺は防戦を強いられた。

 あの時と同じだ。まるで弱かった時の自分を見せられているようだ。


「本気になったフェンリルの前に絶望しなさい! 絶望して、諦めを知ればいいのだわ!」

「諦められるかよ……!」


 負けてたまるか。こんな爪の攻撃何発だって防いでやる。全部防げなくても耐えてやる。顔に爪痕がついても、腕を抉られても、耐え抜いてやる。


「どんなに優れた人材だろうと……あなたのような弱いスレイヴじゃアリサは勝てない! なんでわからないの!? ただ殺されるだけ! この身の程知らずがぁ!」


 ああ、そうだ。俺は身の程知らずだ。身の程知らずじゃなかったら今頃のうのうと高校生やってたさ。

 咲久来に銃を向けられてから、ずっと迷っていた。

 こんな身の程知らずがなにをしようとしているんだろうって。

 状況に流されて今の今になってしまったんじゃないかって。

 魔女に正義なんてないんじゃないかって。


 ——でも、殺して欲しくなかったんだ。


 自分が無力ゼロな人間だとしても、愛梨彩を守りたかった。あの教会で彼女に死んで欲しくなかったんだ。

 それは今も変わらない。それどころか今は彼女の笑顔が見たいって思ってる。彼女の笑顔を取り戻したいって思ってる。


 ——この人のそばにいたい。この人の願いを叶えてあげたい。


 あまりに近くにあり過ぎて、。答えはこんなにも近くにあったんだ。

 正義なんてどうでもいい。自分が何者だろうと関係ない。これがオレ意思エゴなんだから。だから——


「殺させない……殺させるかよ。俺は……俺はどんなことがあっても愛梨彩を守って……願いを叶えさせるって決めたから!! うぉぉぉぉぉお!」


 昔の俺とは違う。ひ弱な魔術師ウィザードなんかじゃない。自分の道を見失うような人間じゃない。どんなことがあろうと……愛梨彩だけは殺させない。

 両手持ちから放たれた渾身の一撃。剣は横一文字に軌跡を描き、フェンリルを弾き飛ばす。魔狼はよろけ、ついにチャンスが生じた!


「今よ、太刀川くん!! フェンリルを閉じこめて!」

「閉じこめる……そうか! 魔札補充カード・ドロー!!」


 手札に加えるカードは二枚の『そびえ立つ盾壁タワー・ウォール』。合わせて四枚の『そびえ立つ盾壁タワー・ウォール』を魔狼に向けて投げる。四枚のカードはたちまり狼を囲う柵となり、動きを封じる。


「そんな! フェンリルが!?」


 そして最後の一撃を加えるカードをドローする。狼男の時と同じだ。あの毛並みは簡単に斬り裂けない。だから、一撃で仕留める武器がいる。盾壁ごと破壊してもダメージが通る武器が。


魔札補充カード・ドロー……『白紙ブランク』」


 盾壁を叩く音がする。魔狼が檻から出ようと暴れている。助走をつけられないからか響く音は弱々しく聞こえる。

 その魔狼を一撃で仕留める武器。イメージするのは圧倒的な打撃力を持つ戦鎚。


「……『破壊の戦鎚剣ウォーハンマー・ソード』!」


 それは斬ることではなく叩き潰すことに重きを置いた剣だった。先は尖っておらず、四角柱に剣の柄をぶっ差した形をしている。魔力で編んでいるのに、重さを感じる。


「あんたは愛梨彩が勝てないって……そう言ったな」


 両手で剣を引きずり、一歩一歩魔狼の檻に近づいていく。爪痕のせいか視界が少しおぼろげだ。でも、標的は見えている。この一撃、絶対外さない。


「だったら俺が勝たせてやる……! 俺が愛梨彩の剣だ。愛梨彩を引き止めたかったら……俺という剣をへし折ってからにしやがれぇぇぇぇぇ!」


 もう迷いはない。俺は身の丈以上ある戦鎚剣を大きく振りかぶる。

檻は崩れ、物音一つも聞こえない静寂が訪れる。魔狼は叩き潰され、崩落した壁の下敷きとなっていた。

 俺の勝ちだ……もう、俺たちの争奪戦は邪魔されない。邪魔されないで済む。


「コロウ!!」


 フィーラがフェンリルのもとに駆け寄っていく。すでに魔力でできた瓦礫は霧散し、魔狼の姿はない。そこには一匹の狼が横たわっているだけであった。


「こんな……屈辱初めてだわ」


 ボロボロの姿の狼を抱きしめながら、フィーラは歯を噛み締めている。見ているだけで彼女の悔しさがひしひしと伝わってきた。


「その——」

「あなた名前は?」


 『僕』が声をかけるより先にフィーラが食い気味に尋ねてくる。そういえば名前はまだ名乗っていなかったっけ。


「太刀川……黎」

「レイ……覚えたのだわ。この屈辱は必ず倍にして返す。覚えておきなさい!」


 なんともまあテンプレなライバルキャラのセリフだ。でもそれは間違いなく、フィーラが僕たちの実力を認めた証でもあった。


「アリサ。今日のところは退いてあげる。次会うのは戦場ね。その時は私の全力であなたを倒す」

「もちろん。受けて立つわ」

「勝ち誇ってられるのも今のうちなのだわ」


 二人の視線が静かに火花を散らしていた。再戦の日はすぐに訪れるだろう。それだけ言うとフィーラは狼を抱えて、地下室を後にした。


「あれでよかったのかな。完全に敵対する流れになっちゃったけど」

「仕方ない……と言えば嘘になるわね。本当はあなたの言う通り同盟を組むのが一番だったのでしょうけど……自身の望みがある以上、それは捻じ曲げられないわ。私も同じだから」

「そう……だな」


 誰もが譲れない望みを心に抱えている。愛梨彩が普通になりたいと望むように、僕も彼女の願いを叶えたいと望んでいる。己の望みは正しさでは語れないんだ。


「食事にしましょうか。あなたが一人前のスレイヴになったお祝いも兼ねてね」


 そう言った愛梨彩の顔は……微笑んだように見えた。いつものような邪気を含んだものではなく、喜んで思わず目笑してしまったような……そんな感じの笑み。


「今、笑った?」

「笑ってません」

「いや、笑ったよね?」

「笑ってないって言っているでしょう。しつこい男は嫌われるわよ」


 そう言って彼女が地下室の階段を上がっていく。


「あ、はい。すいません」


 彼女の姿はもう見えない。相変わらずつれないなぁ。でも、きっとまだ嬉しがってるんだろうなって思う。

 ほんの小さな一歩。されど大きな進歩。「なに気ないことで笑う愛梨彩が見たい」。そんな意思エゴを突き通すために僕は戦う。

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