太刀川黎を従えるのは誰か?/episode53

 学校から逃げ帰った僕たちは敵襲に身構えながら一日を過ごした。しかし予想していたことは起きず、一夜が明けた。

 目を覚まして、時計を見やる。時刻は七時。桐生さんを保護した以上、学校にいく必要はないのだが……いつもの悪夢のせいでうなされて起きてしまったのだ。

 歯磨きと洗面を済ませてから下の階へ降りると、朝食のいい匂いがしてきた。作っているのは愛梨彩だろう。

 厨房を覗くとやはり彼女がいた。


「おはよう、愛梨彩」

「おはよう、太刀川くん。朝食もう少しでできるから待ってて」

「うぃーっす」


 その足で僕はダイニングへと向かう。


「おっす、黎」

「おはよう、レイ」

「二人とも早いね……今日は学校いかないんだろ?」


 ダイニングテーブルにはすでに緋色とフィーラが座っていた。

 最初は僕と愛梨彩しかいなかった寂しい食卓であったが……今は屋敷に人が増えたおかげで賑やかになった。しかしそれでも余裕があるこのテーブル。一体どこで買ってきたのだろうか。


「そうなのよねぇ。残念」


 フィーラはがっくりと倒れ、頬をテーブルにつけた。よほど日本の学校が……いや学食が気に入っていたらしい。


「ブルームもおはよう」

「ああ、おはよう」


 緋色とフィーラから少し離れたところにブルームが座っていた。みんないつもの席に座っているようだ。

 しかし桐生さんの姿が見当たらない。起きていないのか、食欲がないのか。

 ふと、魔女になってからまともに食事ができてないと桐生さんが話していたのを思い出した。呼んで無理強いするのも違うだろう。とりあえず待ってみようか。

 しばらくしてみんなで朝食をとり始める。ウィンナーにスクランブルエッグにパン。この屋敷の朝食はだいたい洋風だった。以前、緋色が「たまには魚と味噌汁の和食が食いてー」と言ったことがあったが、満場一致で却下されたっけ。


「ごちそうさま。桐生さん、やっぱり降りてこなかったわね」

「食欲ないんだろ。あんま無理して食べても……とは思うけど、食べないと動けないしなぁ。うーん」


 愛梨彩に対して緋色が答える。

 魔女が餓死することはないだろうけど、食事をしないと活力は漲らない。いざという時に動けない。


「ちょっと僕が様子見てくるよ」


 このまま放っておくわけにもいかないだろう。本当に気づいてないだけならそれに越したことはないが……塞ぎこんでいるかもしれない。いきなり魔法とか魔女とか理解して受け入れろって方が無理難題だ。


「あと彼女の魔法について調べたいから、それも伝えておいて」

「了解。ごちそうさま」


 皿に向かって合掌をしてから、席を立って二階へと向かう。桐生さんに貸したのはフィーラの隣の部屋だったっけか。

 部屋を確認し、扉を二回ノックをする。


「桐生さん、起きてる?」

「……うん」


 沈んだ声音だが、しっかりと返事が返ってくる。


「朝食できてるけど……食欲ある?」

「……ごめん。ない」

「そう……だよね。ごめん」


 わかっていたことを改めて聞いて、罪悪感が生まれてくる。なんでこういう時に気の利いた言葉が出てこないのか。


「ううん。太刀川くんは悪くないよ」


 そう言われると返す言葉がなおさらなくなってしまう。

 しばし無言の時間が続く。心配してきたはずなのに思ったように言葉を紡げないのがもどかしい。


「ほかにも……なにかある? 朝ごはんの時に連絡事項とかあった?」

「あ、うん。愛梨彩が桐生さんの魔法について調べたいって。だから気が向いたら下に降りてきて欲しいんだ」


 桐生さんに問われるがまま、愛梨彩からの伝言を伝える。「気が向いた時」なんて指定はなかったが、無理やり部屋から連れ出すのは気が引けた。

 ついこの前まで一般人だった女の子が魔女になった。ここの生活を受け入れるのにも時間がかかるだろう。だからなるべく彼女のペースに合わせようと思った。


「……わかった」

「じゃ、また後で。一応朝食もとっとくからさ」

「うん」


 その後、部屋から声が聞こえてくることはなかった。

 彼女の力になれたのかはわからない。けど、今の自分にできることはこの程度なのだろう。僕はとぼとぼと再び一階へと戻っていった。



 結局桐生さんは朝食を食べることなく、地下室へと降りてきた。少々心配だったが、本人が「大丈夫」と言うのだ。僕はその言葉を信じるしかなかった。

 ブルームの紹介や魔術の基礎的な説明、それと僕らのこれまでの経緯を話し終えた後、実験へと移ることになった。桐生さんが戦闘に出るかはともかく、自分の状況を正確に知ってもらうのが今回の目的のようだ。


「早速だけど、彼に死霊魔法を使ってみて」


 愛梨彩が静かにナイジェルを運んできた。いつもは猛々しい犬なのにピクリとも動かないのが少し心苦しく感じた。死んだ自分を見ているようで。

 桐生さんは頷き、犬の腹部に手を宛てがう。目を閉じ、力をこめるように「蘇生」とだけ呟いた。

 ナイジェルがむくりと起き上がる。けど、なにやら様子がおかしい。挙動不審に周りを見渡していた。


「ごめんなさい、ナイジェル。あなたを利用してしまって。普段と違う魔法だって……あなたも気づいているのね」


 愛梨彩がそう語りかけると全てを理解したかのように、彼女の隣に座した。

 ひとまず……魔法の行使には成功した。その後のナイジェルの挙動にも特に問題はなく、意思も残っているようだ。相変わらずの忠犬っぷりで安心した。


「死霊魔法を使ってみてどうかしら? なにか感じることはある?」

「よくわからない、です。これが成功なのかどうかも。継承した時に見た記憶通りにやっただけだけど……なんか思ってたのと違うような気するし。すごく……疲れる」

「例えばだけど、もう一体蘇生することはできる? 余力は残っているかしら?」

「それは……無理。私の力じゃ一回が限界」


 桐生さんが申し訳なさそうにうつむいた。その言葉を聞いた愛梨彩とフィーラはなにやら思案をしているようだった。やがて彼女らは一つの結論にたどり着く。


「多分、魔術式が劣化しているのだわ」

「劣化?」


 僕は聞き慣れない言葉をおうむ返しする。代を経ることに強化されていく魔術式が退化することなんてあり得るのだろうか。


「魔術式は普通、強い魔力を持つ人に継承されるって前に言ったでしょ? それは魔術式の劣化を防ぐためなのよ。より強い魔術式にするにはより強い依り代が必要になるって理屈ね」

「けどその逆……魔力のない者が継承すれば、力は衰えるのだわ。結合する魔力が本体にないのだから当然と言えば当然ね。完全に機能を復活させることもできなくはないでしょうけど……時間がかかるのだわ。サラサは『残すこと』に固執したようね」

「なるほど」


 二人の魔女の説明のおかげで僕は得心することができた。しかし緋色は相変わらずちんぷんかんぷんの様子だ。


「だとしたらこの子は戦闘に出すべきじゃないね」

「ブルームの言う通りね。サラサと同等の能力がない以上、戦力としては数えられない。魔札スペルカードの適性判断も行おうと思ってたけど、一旦保留にして考え直しましょう。桐生さんも、もう魔法を切っていいわよ。ナイジェルの維持は私が引き継ぐから」

「……うん」


 その直後、ほんの一瞬だけナイジェルが倒れかける。しかし、すぐに愛梨彩が抱き起こした。どうやら起こしてしまったことのせめてもの償いとして、今日は外に出したままにするようだ。


「じゃ、とりあえず解散しましょうか。今後の方針についてと桐生さんの魔術式の劣化についてハワードに話さなくちゃだし」


 それだけ言うと愛梨彩はそそくさと地下室を出ていこうとする。

 その時だった。桐生さんが声を上げたのは。


「なにもできないままでいいのかな……私、魔女になったのに役に立たないままだし……」


 誰も……この場にいる誰も彼女のことを責めるものはいなかった。けれど彼女は自分自身のことを卑下していた。それは自分の力が思ったものと違った落胆からなのだろうか。


「桐生は悪くないだろ。そんな気に病むなって」

「けど……役に立てないのは事実だし」

「できることを頑張ればいいんだって」

「できること……」


 彼女はずっとうつむいたままだ。かける言葉が見当たらない。緋色の励ましは間違っていないと思う自分がいる。

 けど劣化した魔術式ではできることも限られてしまうジレンマ。


 ——なにか桐生さんができることを見つけてあげたい。


 そうこう僕が考えあぐねていると、桐生さんがハッと顔を上げる。


「ねえ、九条さん。私気づいたことあるんだけど言ってもいい?」

「なにかしら?」

「太刀川くんの魔力維持……私ができないかな?」


 その瞬間、この場にいる全員が息を飲んだ。それはきっとみんなわかっていて口にしなかったことだったから。


「太刀川くんもその子と一緒で、すでに死んでるんでしょ? なら同じことはできるはずだよね?」

「確かに死霊魔法の方が魔力伝達のロスは少ないのだわ。復元魔法は応用で死霊魔法を再現しているわけなんだし。きっと有効範囲も広いはず。理に適っていると言えば適っている提案ね」


 僕も……それは想定していた。彼女がナイジェルを問題なく蘇生させることができた以上、僕に対しても行えるのだろうと。

 それにフィーラが言うように愛梨彩の『魔女に隷属せし死霊騎士スレイヴ・レイス』は死霊魔法の模倣に過ぎない。本家本元の死霊魔法が上位互換なのは自明の理だ。僕の魔力のキャパシティも増える可能性があるかもしれない。

 けどそれは同時に——僕が愛梨彩のスレイヴではなくなることを意味する。


「私、戦闘できないのかもしれないけど……魔力を渡すことならできる。だからせめて私にできることを——」

「それはダメ」


 続く言葉をかき消すように愛梨彩がぴしゃりと言い放った。その言葉には強固な意思……譲れぬ想いが宿っているように感じた。


「どうして……?」


 恐る恐る桐生さんが尋ねる。


「あなたが狙われたらお終いだからよ。安全なところから操っても、本人が無防備だとリスクが大きいわ」

「でも!」

「これまで培ってきた連携が崩れるってリスクもある! そう簡単にスレイヴを預けられるとは思わないで!」


 誰も喋らず、険悪な空気が部屋に漂う。柄にもなく愛梨彩が取り乱していた。ここまで彼女が感情を露わにするとは思わなかった。


「落ち着いて愛梨彩」


 原因は自分にある。僕は慌てて二人の間に入った。どちらにも悪気はないはずだ。


「桐生さんだってできることを考えて提案しただけ——」

「じゃああなたは桐生さんのスレイヴになるの!?」


 激情の矛先が僕へと差し向けられる。それはまるで駄々をこねて、周りに当たり散らす少女のよう。


「いやそうとは言ってないだろ」

「ともかく、私は断固反対だから!」


 捨て台詞を吐いて愛梨彩はナイジェルとともに出ていってしまった。

 僕はただただそれを呆然と眺めることしかできなかった。追いかけてもきっとまともに話を取り合ってもらえはしないだろう。


「乙女な部分が出ちゃったかぁ」


 フィーラの声がやけに透って聞こえた。振り向くと、彼女は右手で顔を覆っていた。今にもため息を漏らしそうだった。


「乙女……?」

「なんでもないのだわ。とりあえずここにいてもしょうがないでしょ。愛梨彩の言うことも一理あるし……レイの魔力供給に関してはまたしっかり話し合って決めましょ。はい、一旦解散」


 フィーラの言葉に納得したのか、ほかの面々はぞろぞろと地下室を後にしていく。桐生さんも同様に立ち去ろうとしたが……一瞬、振り返って僕の顔を見る。

 しかし、なにか言葉を発することはなく。そのまま出ていった。残されたのは……僕一人。


 ——どうしたんだよ、愛梨彩。


 初めて相棒の心がわからないと思った。桐生さんはただ提案をしただけで、決まったわけじゃない。そんなムキになることじゃない……と僕は思っていたから。


「乙女な……部分」


 僕はしばらくその場から動けなかった。その言葉の意味を理解しないといけないような気がして。

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