信じて待つ。信じて向かう。/episode21


 愛梨彩は屋敷に着くとすぐに緋色の復元を始めた。戦闘後はピンピンしていた彼だったが、やせ我慢していたのだ。傷こそなかったが、負の昇華魔法で負荷がかかって体が疲弊していた。


「傷がないのにどうして復元したんだ? 元の状態に戻しても意味ないんじゃないの?」


 緋色とフィーラがいるゲストルームから立ち去ると、すぐに先を歩いている愛梨彩に尋ねた。復元魔法は復元し続けることで『元の状態を維持する魔法』のはずだ。一時的に緋色の状態を治しても意味がない。


「一般人の自然治癒力では魔法の影響を治すのに時間がかかり過ぎるのよ。だから、魔力を浴びせることで自然治癒力を促進させたの」

「僕と同じ理屈か」

「そういうこと。あなたも魔力を浴びてるから自然治癒力が高まってるでしょ? フィーラの昇華魔法でも同じことは起きるでしょうけどこと回復という点では不向きなのよ、あの魔法は」


 フィーラの魔法の場合、対象が肥大化してしまうというデメリットがあるのだろう。その点、復元魔法は一時的に元に戻しつつ、対象の自然治癒も促せるというわけか。


「なんかお互いに足りない部分を補ってるみたいだね」

「そう……だといいわね」


 見下げると、階段を降り切ったところで愛梨彩の足がはたと止まっていた。


「さっきのフィーラの言葉、気にしてるの?」


 ——「時間をちょうだい。気持ちの整理を……したいのだわ」


 僕たちが部屋を去る前にフィーラが言った言葉だ。改めて同盟を組みたいと伝えたのだが、彼女にも思うことがあるのだろう。

 彼女の願いは「名誉」だ。愛梨彩を倒さなきゃ「最強」にはなれない。その願いを手放すには勇気が必要なのかもしれない。


「もう殺し合いをすることはないって頭ではわかってるんだけどね。ただどうしても少し怖いのよ。また望まぬ戦いをすることになるんじゃないかって」


 あの日と同じだ。フィーラと戦うことになると知った時と同じ儚げな横顔。

 なんと声をかければいいのか、一瞬躊躇いが生まれる。


「大丈夫だよ。戦うことになりそうだったらまた素直に叫べばいいんだから。『戦いたくない』って。諦めずに言い続ければきっと相手にも届くよ」


 でもここでなにも言わないなんてできなかった。僕は主人を支える従者スレイヴだ。青臭い綺麗ごとかもしれないけど、彼女を支えるためなら言える。——諦めるなって。


「あなたには教えられてばかりね」振り向いた彼女は優しく笑っていた。「さっきもそう。私は戦いたくないと思いながら心のどこかで諦観していた。仕方ないことだって。自分の願望を押しつけてるだけだって。でも、そこで挫けてはいけなかったのね。それに気づけたのは太刀川くんのおかげよ。ありがとう。フィーラを信じて待つことにするわ」

「ど、どういたしまして」


 僕は瞬時に口元を手で隠し、俯いた。そんなキラキラとした顔をしないで欲しい。僕は当たり前のことを言っただけなんだから。

 静寂が二人を包んでいく。今ならもっと青臭いことでも言えるんじゃないかって思った。


 「僕が君を一生支えるから」とか。

 「ずっと君の力になりたい」とか。

 「君が迷った時は僕が手を引っ張って先導するよ」とか。


 考えただけで胸がドキドキしてきた。いや、待て。これはもはや告白なのでは!?

 けど今なら言えるかもしれない。どんな恥ずかしい言葉でも彼女を想えば言える。僕は彼女の支えになりたいのだから。

 そうだ、僕も素直に言えばいいんだ。ありのままの気持ちを伝えれば。


「あのさ——」


 だが言葉を紡ごうとした矢先、別の音が静寂を切り裂いた。聞き覚えのあるチャイムの音だ。来客——といえば心当たりは一人しかいない。


「ハワードがきたようね。先に客間へいってて」

「……わかった」


 不貞腐れたつもりはなかったのに、吐き出した言葉のトーンは低かった。

 いいところで邪魔をされてしまったが、かえってよかったのかもしれない。冷静に考えてみると、とんでもないことを言おうとしていたんじゃないだろうか。

 伝えるのは別の機会に取っておこう。それまではこの気持ちを胸の奥に秘め、黙々と主人を支えるさ。


 *


 客間にいるのはいつもと同じ三人だ。相変わらずブルームは姿を現さない。ハワードはフィーラがいることに気づいているようだが、呼び立てることはなかった。


「今回も石の情報かしら?」


 ソファに座るなりすぐに愛梨彩が話を切り出した。


「いえ、今回は違うのです」

「教会の連中の情報か?」


 ハワードが無言で頷く。その目はいつになく真剣に見えた。


「現在、サラサとアインは別の場所を守っているようです。サラサは泉教会を、アインは城戸教会を守っています」

「待って。教会側は防衛が目的だろ? わざわざ戦力を分散するのは悪手なんじゃ……」

「そうでもないわ。一つの所に戦力を集中させれば、『そこに賢者の石がある』と言っているようなものだもの。自ずと野良の魔女はそこに集まってくる。そうなれば野良の魔女たちは共闘せざるを得なくなるでしょ? 高石の時のようにね」


 言われてみればそうだ。しもべという物量の優位が教会側にあるとはいえ、野良の魔女全員を相手にするのは骨が折れるだろう。それに愛梨彩、ブルーム、フィーラ以外にもまだ野良の魔女が現れるかもしれない。野良対教会という二陣営にわかれる構図になるのは避けたいはずだ。


「野良の魔女は徒党を組まないと教会は判断したようです」

「でしょうね。別の場所に配置して各個撃破するという算段なんでしょう」

「ですからチャンスなのです! 愛梨彩様とフィーラ様が組んで奇襲すればどちらか一人は倒せるでしょう。今すぐ同盟を締結すべきです!」

「それは……」


 愛梨彩が口ごもった。彼女としてはハワードの意見に賛成なのだろう。だが、肝心のフィーラが揺らいでいる。同盟を組むという決断には至っていない。休戦と共闘は別問題だ。


「フィーラにもこのことは伝えます。ただ、スレイヴが万全でない彼女を戦力としては数えないわ」

「九条様……!」

「けどね——」


 愛梨彩がふっと微笑んだ。それはまるでなにかを楽しみにしている顔だった。


「私は信じてるの。彼女が完全復活して戻ってくることを。肩を並べて戦えるその日を。今の私には待つことしかできない。違う?」


 彼女が僕に目配せをする。


「そうだね。信じて待とう」


 愛梨彩は友達と殺し合わない道を選んだ。それはフィーラにも伝わっているはずだ。なら、僕たちにできるのは信じて待つことだけだ。あの優しくて気高い魔女が再起するその瞬間を。


「そういうことだから、ハワード。これじゃダメかしら?」


 ハワードは口を手で覆いながら悩んでいる。彼の言うことは最もだが、僕らには僕らのやり方がある。


「……わかりました。ただし猶予は一週間です。それ以降だと不確定要素が入ってくる恐れがありますから」

「わかったわ。その間に泉教会を襲撃するわ」

「では私はこれで失礼します」


 用件が済むと、ハワードは部屋を後にする。その後ろ姿は心なしか忙しなく見えた。


「泉教会ということはサラサを倒すの?」


 二人きりになった客間で愛梨彩に尋ねる。


「ええ。生きている動物をスレイヴとして作り変えるアインと違って、彼女のしもべはレイスだから。術者を倒さないと延々と死霊が生み出されるわ。なら早めに攻略した方がいいでしょう?」

「だね」

「百合音という追加戦力がいるのは厄介だけど……次の戦い、倒す勢いでいくわよ」

「ああ! もちろんだ!」


 今度の戦いで争奪戦のゆく末が決まるかもしれないんだ。ここで気合いを入れないわけにはいかない。

 そして、信じてその時を待つんだ。友達が戻ってくる、その時を。


 *


 六日後の夜。僕と愛梨彩、ブルームは新戸にきていた。緋色とフィーラは……いない。

 ハワードが去った後、愛梨彩はフィーラに泉教会を攻略する旨を伝えた。フィーラはそれを俯いて聞いているだけだったが、手は力んでいた。まるで内なる自分と戦っているかのようだった。

 緋色は魔術の負担が大きかったためか、未だに眠っている。フィーラがこないのは彼が眠っているからでもあるだろう。もしかしたら巻きこんだ自責の念があるのかもしれない。

 けど、僕たちは信じて泉教会へと向かったのだ。彼らがくると。

 新戸を郊外に向かって歩くと、住宅地の中に開けた敷地が現れる。泉教会だ。


「こんな場所で戦うのか?」


 教会の敷地は狭いが、囲むように敷かれた車道のせいか全体的には広く見える。とはいえ住宅街。今までと違って周りに被害が出るのではないかと気になってしまう。


「周りの建物に人気は感じられないね。結界が張られているのも確認済みだ。元々カモフラージュ用の建物だったか……それとも住人に手をかけたか……どちらかだろうね」

「どうやら後者が当たりのようね」


 ブルームの推理の答えを提示するように愛梨彩がきっぱりと答えた。

 愛梨彩の視線は教会の入り口に向いている。そこにいるのはサラサと死霊の群れだ。その数は以前と変わっておらず、むしろ増えているかもしれない。——以前の戦闘で減らしたにもかかわらず、だ。


「性懲りもなくまた戦いにきたのですか?」


 サラサの悠然とした振る舞いが狂気を帯びて見える。嘲笑うように上がった目尻も醜悪に映る。こいつは人としての一線を越えているんだ。


「周りに人気がないなら存分に暴れていいってことだよな。ちょっと今、無性に腹立たしい気分だし」

「同感。私もちょうど虫酸が走ってたところよ」


 愛梨彩と目を見合わる。考えていることはお互い一緒らしい。——この魔女は許せない。


「血気盛んだな、君たちは」


 ブルームはやれやれと言うように肩を竦めてみせる。だが、そう言う彼女も剣の構えからやる気が滲んでいる。

 こちらの準備は万全だ。両者は静かに睨み合う。

 その直後だった。


「やはり泉教会の方を狙いにきたわね、九条愛梨彩!!」


 不意に聞き馴染みのある声が天から響いてきたのは。


「咲久来!?」


 舞い降りるように着地した少女。咲久来に違いなかった。

 だが、どうして彼女がここに? 咲久来はアインのスレイヴのはずだ。


「どうやら私たちが泉教会を狙うと読まれていたようね。だから動かしやすいスレイヴだけを派遣した……ってところかしら?」

「そうよ。私はあなたを倒すためにここにきたんだから!」

「待ってくれ咲久来! 話を——」

「おしゃべりをしにきたわけじゃないの! ここで死んで……九条愛梨彩!!」


 咲久来は俺の話に耳も傾けず、構えた銃から水の魔弾を放つ。決戦の火蓋は切って落とされた。それぞれが一斉に動き始める。


「あなたの攻撃は見切っているわ! 『凍てつくブリザード』——」

「氷のカードは使わせない!」


 魔弾を撃った直後、魔札スペルカードが高速で飛来してくる。カードは愛梨彩の持ち札に直撃し、瞬時に凍結した。ソーマが使っていたのと同じ『フリーズ』の魔札スペルカードか!


「きゃあ!!」

「愛梨彩!」


 相殺するはずだった魔法は使用不能となり、水の弾丸は止まることなく彼女に直撃した。吹き飛ばされた愛梨彩はアパートの壁へと打ちつけられる。


「この前のお返しよ!!」


 たたみこむように咲久来が銃弾を放ちながら駆けてくる。


「クソ! 『そびえ立つ盾壁タワー・ウォール』!!」


 話し合う暇なんてない。俺は勢いよく魔弾の射線軸に侵入し、防壁を張る。これで魔弾はなんとか防げるはずだ。


「油断するな、愛梨彩! 咲久来のやつ、銃だけじゃなくてカードケースも所持してるんだ」


 愛梨彩を抱き起こしながら、俺は所感を述べる。

 『フリーズ』のカードを使ったのは咲久来だ。サラサの援護じゃない。暗がりでほんの一瞬見ただけだが、彼女の腰にはガンホルダーのようにケースが巻きつけられていた。

 魔導銃はその性質上、遠距離攻撃魔法にしか対応していない。ケースを併用しているのはその欠点をカバーするためだ。おそらく彼女のケースには身体強化系の補助魔法も入っているのだろう。低ランクのものという制限こそあるが、今の咲久来に使えない魔法は……ない。


「わかれば単純な理屈だけど……まさかこの短期間で自分の欠点を補ってくるとはね」

「その通りよ!」


 次の瞬間、宙空から声が聞こえてくる。見ると『そびえ立つ盾壁タワー・ウォール』よりはるか上空に咲久来の姿がある。いくら魔力が流れているとは言っても、そこまで高く跳べるわけがない。


「『オーラ』——やっぱり身体強化か!」


 壁を跳び越えてきた咲久来が正面から突撃してくる。慌ててカードを手に取るが、相手の方が早い! 間違いない……身体強化だけでなく、『アクセル』まで使っているんだ。

 押し負けるのを覚悟して『折れない意思の剣カレト・バスタード』を手に取る。防がなければそばにいる愛梨彩が殺される。

 しかし衝突することはなかった。代わりに飛びこんできたのは黒い影。——ブルームだ。

 大剣と銃剣が火花を散らして激しくぶつかり合う!


「はやり過ぎだ、二人とも」

「またあなたなの!? 正体を現さない卑しい魔女の分際で……邪魔しないでよ!!」


 『オーラ』の影響か、咲久来は銃に備えつけられた短剣で器用に立ち回っている。ブルームと打ち合いながら、強かに隙を狙っているようだった。


「あいにく野良の魔女は教会の邪魔をするのが仕事でね——」ブルームが深く踏みこむ。「だから君の思い通りにさせるわけにはいかないのさ!」


 咲久来は薙ぎ払われ、両者に距離が生まれる。だが、彼女の攻撃は止まない。乱射するように水、火、土、風の魔弾が襲いかかってくる!


「彼女の相手は私に任せてくれ! 君たちはサラサの方を!」

「ブルーム!!」


 有無を言わさず、ブルームは魔弾を斬り払いながら突撃していく。やがて彼女たちは離れた場所で一対一の勝負を繰り広げ始める。上手く咲久来を誘導してくれたようだった。


「あら。見せ物はもうおしまいですか? せっかくスレイヴの本気が見られて面白いところでしたのに」


 相変わらずサラサは余裕綽々のようだった。咲久来に加勢すれば窮地に追いやれたにもかかわらず、彼女は見せ物を見るという選択をした。やっぱり彼女は俺たちを舐めているようだ。


「余裕ぶってるのも今のうちだからな」

「ええ。咲久来には一本取られてしまったけど、私たちが倒すべき相手はあなたなのだから。その高い鼻、へし折ってあげるわ」


「ならば、踊りましょう。『終わらない円舞曲エンドレス・ワルツ』を!」

 石田神社の時と同じようにアスファルトに土が広がっていく。それと同時に死霊の群の中からローブ姿の女がサラサを守るように前に出る。


「大河……百合音」


 ほかの死霊とは異なり、しっかりとした足取りで敢然と立ちはだかる百合音。だが、意思というものは感じられない。彼女は生きていない。


「さあ、私を楽しませてくださいな」


 誘うように、挑発するようにサラサが手をこまねく。俺たちは揃って彼女を睨みつける。

 目の前には死霊群と魔女が二人。数的優位はあちら側にあるが、負けるつもりはない。この場でサラサとの決着をつける!

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