暴かれし真実/episode71

 夢を……見ていた。しゃがみこんで、泣きべそをかいている少年の夢。

 白く塗りつぶされた背景の中、黒い影——魔女が少年へと歩み寄る。彼女は「どうして泣いているの?」と声をかける。


「どうして……魔女は殺さなきゃいけないの? 俺は魔女を殺したく……ないよ」

「それはきっと正しいことよ。魔女なんていない方がいい」

「でも……それでも殺したくないよ。魔女にも生きて欲しい。人を殺すために……強くなりたくなんかないよ」


 少年はずっと咽び泣いていた。きっとその主張は今も変わらない。それくらい真剣に思い悩んでいた。


「あなたは優しいのね。でも、世の中には悪い魔女がたくさんいるの。罪もない人々を躊躇いもなく殺せる悪い魔女が」

「そうなの?」

「そう。だからあなたは正しいことのために力を使えばいい。悪い魔女を殺すのは大切な誰かを守るため。そのために強くなればいい。あなたは誰かを守れる人間になって」


 魔女の微笑みが鮮明に映る。その笑みを……よく知っている。僕にとって大切な彼女の笑みだったから。


「わかったよ!」


 泣き止んだ少年をおもむろに魔女が見つめる。続く言葉を僕は知っている。彼女は死を願う。たった一つの望みである死を。


「あなたにお願いがあるの。お姉ちゃんもね、いつか悪い魔女になるかもしれない。そうなる前に……あなたが私を殺してくれる?」

「それでお姉ちゃんは幸せになるの?」

「ええ。だってそれが私の『願い』だから」


 そして少年は成長し、『俺』が現れる。僕はいつもと同じように声を荒げて「やめろ!」と叫ぶ。けど何度やってもこの言葉が届くことはなかった。

 夢は寸分違わず、以前と同じように進んでいく。


は君を殺すため……そのために生きてきたんだ」


 剣がの胸に貫いた。そして魔女はやはり俺に寄って抱き締め、剣を深くまで突き刺すのだ。

「これでいいの。あなたは間違っていない。ありがとう——太刀川くん」


 目を覚ますとそこは薄暗い部屋の中だった。両腕は鎖で繋がれ、身動きが取れない。どうやらここは牢獄らしい。


 ——なんでこんなところにいるんだ、僕は。


 目覚めてすぐに思考をフル回転させた。最後に焼きついた光景が蘇る。僕を刺し殺した桐生さんの姿が。


「ようやくお目覚めか。随分と待たせてくれるじゃないか」


 蝋燭が白髪の青年の姿を照らす。憎むべき仇敵が牢の中へと入ってくる。


「ソーマ。どうして……僕は生きているんだ。どうしてこんな形で僕を生かす?」

「生きてはいないさ。理由はわかるだろう? 桐生くんだよ」


 そうか……桐生さんは僕を手駒にしたかったってわけか。だから死霊魔術でスレイヴにした。


「けど……彼女の魔術式は劣化して……」

「劣化しても術自体が壊れるわけじゃない。言うなればキャパシティが減っただけだ。だから君の体に魔導石を埋めこんだんだよ」

「魔導石……?」


 聞きなれない言葉をおうむ返しする。


「言うなれば魔術師ウィザードの魔力量を底上げするものだ。桐生くんが補えない分の魔力を使い捨てのタンクで補っている……というわけさ」

「なるほど……そういうことね」


 なんとなく状況は理解した。

 桐生さんは術式というシステムが使えてもそのエネルギーが足りていない。充分なパフォーマンスを発揮しない。ならばシステムにエネルギータンク——電池を組みこんで、フルに稼動できるようにすればいいという話か。その電池が……魔導石。


「全く。こんなことになるならもっと早く君に魔導石を与えるべきだった」


 ——もっと早く?


 まるで僕はもっと前に魔導石を得られた……魔力を得ることができたという口ぶりだった。


「どういう意味だよ」


 意味がわからずぶっきらぼうに言葉を放つ。教会が僕に魔力を恵んでくれるっていうのか? 野良に属する、敵である僕に。


「君ももう気づいているのだろう? 自分が普通の人間じゃないって」

「え……」


 言葉を失った。その言葉を突きつけられるとは思っていなかった。胸がざわめき、身の毛がよだつ。得体の知れない恐怖……続きを聞いてはいけないと、勘が告げる。


「私が教えてあげよう」


 髪の毛を掴まれ、ソーマが顔をぐっと寄せてくる。


「なぜ君に武器魔法の適性があるのか!」

「やめろ!」

「なぜ君の人格は戦闘時に変わるのか!」

「聞きたくない!!」

「なぜ九条愛梨彩は君を助けたのか!」

「やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 しかし言葉の抵抗は意味をなさなかった。ソーマは残酷な真実を易々と告げる。


「理由は単純だよ、太刀川黎。君が……魔術師ウィザードさ!!」


 ——自分は教会の魔術師ウィザード。愛梨彩の敵だった。


 冷や汗が全身を伝っていく。そんな事実が僕にあったなんて信じられない。信じたくない。


「僕が教会の魔術師ウィザード……? そんなはずはない……だって僕は普通の高校生で」

「君の父、太刀川正たちかわまさしは君を魔術師ウィザードにするつもりで育てていた。だが、君は成長しても魔力を得ることはなかった。魔力ゼロ。期待されて生まれた太刀川の世継ぎは才能ゼロのとんだ失敗作だったわけだ。まあ一般人と魔術師のという時点で最初からわかりきっていたはずなんだがね」

「嘘だ!! 僕が魔術師ウィザードなわけがない!! 僕にそんな記憶は——」

「ああ、ないとも。君の記憶は消されたんだ。魔術師になれなかった以上、魔法に関する記憶は無用の長物……むしろ覚えていられるとこちらとしては迷惑だったからね。で、記憶を抹消された君は普通の人間として一般社会に放りこまれた。魔術とは関係ない人間になったんだ」


 口では反論するが、同時にすっと腑に落ちている自分がいた。心当たりがあったから。そう……あの夢だ。

 ずっと答えが見つからなかった僕自身の謎。『俺』という別の存在。それはきっと夢の中の少年が答えだ。消された記憶の人格、少年の頃の自分が……『俺』だ。その人格が戦闘の時だけ片鱗を見せていたんだ。


「そんな……そんなことが……ありえるわけが……」

「君だってずっと違和感を感じていたのだろう? 『自分の人生はこんなはずじゃなかった』と。記憶はなくなっても君の体は覚えていたんだ。魔術の世界のことをね。だからあの日、君は九条愛梨彩を追って八神教会へと赴いた」


 ソーマの話を聞けば聞くほど疑問は確信へと変わっていく。八神、石田、高石、泉、城戸、没落した武之内に……そして太刀川。これで七家だ。全て辻褄が合う。

 自分は魔法ウィッチクラフトの格落ちである武器魔法に適性があった。それはきっと……偶然じゃない。自分の中に魔導七氏族としての血が流れていたからだ。

 だから体は覚えていたんだ。それが違和感としてずっと自分の中に残り、やがて夢に現れた。僕は教会の魔術師ウィザードで、愛梨彩の敵であると……夢はそれを告げていたのだ。


「あの日……アインが君を殺したのは間違いだった。なにせ味方を九条愛梨彩の駒にするきっかけを与えてしまったんだからね。彼は知らずに殺したことをひどく後悔していたよ。まあ、赴任してきたばかりでこの土地の七氏族のことを知らないのは無理もない。それも没落した家系の人間が介入してくるなんて夢にも思わなかっただろう」

「だからあいつ……謝ったのか」


 善空寺の時の記憶が蘇る。やけに素直に謝られたと思ったが……そうか、そういうことだったのか。

 全ての点が線となって繋がっていく。彼女が凡人であるはずの僕を助けたわけ。お世辞にもお人好しとは言えなかったあの時の彼女がどうして? 僕を助けるメリットよりもリスクの方が高かったのになぜか?

 言い逃れはもうできなかった。以前ソーマが言っていたように僕は正真正銘、魔術師ウィザード——エセ魔術師だったのだ。


「僕は……そんな重要な事実すら知らなかったのか……? 自分自身のことなのに……」


 真実を知り、うなだれることしかできなかった。両親はそのことをずっと僕に黙って生きてきたのか。自分を魔術の世界から遠ざけるために。


「だが、こんな味方同士で争い合うのはやめにしよう。思い出すといい。幼い日の記憶のことを。そのために特別なゲストを呼んでおいたんだ」


 ゆらりと人影が牢の中へと入ってくる。現れた中年男性の顔は薄暗がりでもはっきりと判別できた。荒く伸ばされた無精髭、白髪混じりの黒いロン毛。なぜなら——


「父……さん?」


 ——その人は自分を生み、育ててくれた父親にほかならなかったから。


「父さん……! どうしてここに!?」

「よお。お前が野良の魔女のスレイヴとなって戦っていると聞いてな。日本に戻ってきたんだよ」

「太刀川家は没落後、その価値を疑問視されて教会施設を取り上げられたんだよ。なにせ後継ぎがいないんだからね。だが、それでも彼は教会に恭順の意を示した。だから教会の命で各地の魔女狩り役、処理任務を担っていたのさ」


 単身赴任で家にいないし、たまにしか会えない親だった。けど自分の親だ。どんな人間かはよく知っている。

 飄々として変な人だが、悪い人間だと思ったことは一度もなかった。時に厳しい一面も見せる模範的な父親だとすら思っていた。

 けど……だけどその父親の仕事内容が魔女狩りだって? しかも僕が魔術師としての素養がなかったから、教会での立場を失った?

 頭を抱えたくなった。やる瀬なさをぶつけたくなった。自分は身近な人間の腹の内すら見えていなかったのだ。あの飄々とした姿は仮面だったってわけか。

 今の自分はどうすることもできない。ただただ残酷な真実を聞き続けるという拷問に耐えるしかなかった。


「まさか記憶を失ってもなお、魔術の世界に足を踏み入れることになるとは……俺も予想していなかったよ。あれだけ戦うことを厭い、基礎訓練から何回も逃げ出したお前がなぁ。どういう風の吹きまわしなんだ?」

「おかしいかよ!! 僕が戦う決心をしたら!! 」

「おかしいだろ? 親子で敵対することになるんだから。もう笑うしかないだろ」


 父は空笑いを見せる。気さくな話し言葉を取り繕ってはいるが……それでも彼の中で敵対は決定事項で、揺るがないようだ。やはり……親父も覚悟の線引がある魔術師だった。


「いやぁ、ソーマ様の言う通りでしたな。こうなるくらいなら教会の諜報員か暗殺者……いや魔導石でも入れて魔術師として育てるべきだった」

「だろうな。だがお前の甘さは今からでも清算できる」

「ええ、そうですね。その通りでしょう」


 僕を取り残し、二人だけで会話が進んでいく。今さら教会に与するつもりなんて僕にはない。それが親の頼みでもだ。教会のやり方は間違っている。

 二人の会話が途切れ、急な静けさが訪れる。嫌な予感がした。こいつらが仲間になってくれと懇願するような人間じゃないと気づいてしまったから。


「なにを……するつもりだ?」

「お前の記憶をもう一度消し、新たな人格を植えつける。そして桐生睦月のスレイヴとして、教会の魔術師として生きてもらう。それが……俺が父親として唯一できるお前への救いだ」


 記憶を……消す? また僕の記憶を忘却の淵に沈めようというのか。またなにも知らない人間になるのか。愛梨彩のこともこの争奪戦を駆け抜けた記憶も全部。


「僕はそんなこと望んじゃいない!! やめろ!!」

「許せ、我が息子。これしかお前を救う方法がないんだよ」

「やめてくれ!! 僕はそんな救いを望んじゃいない!! 僕は愛梨彩のために……!! やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 悲痛な叫びは届かない。藻掻いてもかぶりを振っても、鎖が解けることはない。ただただ麻酔を受けたかのように微睡みだけが襲いかかってくる。


「愛梨彩……」


 次にこの肉体が目覚めた時、きっとこの世界に『僕』はいないだろう。愛梨彩を愛し、守ろうと誓った誰でもない自分。死ぬよりもつらい永遠の闇の底——『僕』はそんな牢屋の中に閉じこめられてしまう。

 さようなら愛梨彩。願わくばあの夢が現実になりませんように。

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