メモリー・アップデート/episode72

「知っていたわ……最初から。あなたが教会側の人間だって。あなたは魔力がないという欠陥のせいで魔術の世界から破門され、一般社会へと戻された。そうよね?」


 ソーマが語った太刀川黎の真実。私はそれら全てを……知っていた。

 本人である太刀川くんに語りかけてみるが、返答はない。ただただうめき声を上げるだけだった。その姿を見るだけで私の心は圧死してしまいそうになる。


「どういうことよ、アリサ!? 知っていたって!」

「私は……彼を利用していたのよ。記憶がないのをいいことに……彼の素性を知っていながら語らなかった。私とともに戦ってくれる味方にできると思って。流石に人格を変えられてることは気づかなったけどね」


 私は騙していたのだ。彼が教会の魔術師ウィザードの息子であることを知っていながら、今この瞬間までだんまりを決めこんでいた。本当にズルい人間だと思う。


「じゃああいつが戦う時に『俺』ってなるのは……」

「きっと私の復元魔法の影響でしょうね。戦闘時には普段以上に魔力が流れる。だから部分的に消された記憶の残滓が復元された……ってところかしら」


 私の答えを聞いた勝代くんはそれ以降なにも喋らなかった。フィーラも言葉を紡ぐことはなかった。太刀川くんは呻くだけで……誰も私を責めない。静けさが今は切なく感じる。

 どうせならあなたに私の罪を責めて欲しかった。どうやら私は相棒に責められる権利すら失ってしまったらしい。


「積み上げられた嘘が壊れるのは一瞬ね。こんなことになるなら最初から打ち明けておくべきだった」

「はははははは! ざまあないね!! それって自業自得じゃん! 私はいいことをしたんだ。私のスレイヴになることで太刀川くんは元の居場所に戻れたんだから!」

「あなたの言う通り自業自得よ。咲久来が私を責めるのも無理ないわ」


 自分の罪を嘲り笑ったのはほかでもない睦月だった。彼女の姿と学校の屋上で私を責めた咲久来の姿がオーバーラップする。

 咲久来とあなたに責められるのが私にはお似合いね。心寄せるあなたたちから彼を奪い、野良の戦力として独占しようとしていたのは事実だし。


「それは違う。確かに君は彼を騙していたかもしれない。けど……それでも黎は愛梨彩の隣を選んだんだ。自分が誰なのかわからなくても彼は君を守る意思を貫こうと決めた。血筋も家柄も関係ない。


 礼拝堂内に凛然とした声が響き渡る。責めるわけでもなく、私の行為を肯定するわけでもないその言葉。


「ブルーム……」


 振り向き、彼女を見やる。仮面の奥のその瞳は私の気持ちを問い質しているようだった。


「その通りだな。自分の素性を知っても黎はきっと同じ選択をしたはずだぜ? なにせあいつは恋する漢だからな。こんな争いが始まるよりも前からずっとお前のことを見ていたんだ。気持ちや意思は理屈で曲げられるものじゃねーんだよ」

「勝代くん……」

「だからこそ選択の時だよ、九条愛梨彩。自分の罪に囚われてここで黎を諦めるか。それとも自分の罪と向き合い、気持ちに……黎を取り戻したいという本心に従うか」


 ——私が本当にしたいこと。


 どうしたかったのか? 太刀川くんにどうして欲しかったのか?

 逡巡は一瞬。そんなこととっくの昔に答えは出ていた。私は相棒と正対する。


「確かに……私は嘘つきよ。あなたを利用しようとしたのは紛れもない事実。けど……今はそうじゃない。はっきりと言えるわ。私にとって太刀川くんは大切な存在なの。一緒にいるうちに……必要な存在になっていた。だから大切だと強く思うたびに、罪の意識はどんどん強くなって……私はなにも言えなくなってた」


 ずっと謝りたかった。打ち明けたかった。本当のことを言いたかったけど、言えば太刀川くんが離れていくんじゃないかって不安で不安で仕方なかった。大切だったからこそ……怖かったんだ。大切な人がいなくなるのはもう嫌だったんだもの。

 だけど……今は謝る機会も責められる機会ももらえない。太刀川くんに私の言葉が届かない。こんな結末は嫌だ。せめてあなたにはちゃんと私の気持ちを聞いて欲しい!


「戻ってきて、太刀川くん!! どんなに嘘や偽りにまみれていても……あなたを大切だと、あなたと離れたくないと思うこの気持ちは紛れもない本心なんだから!! 理屈じゃない……私はこの気持ちまで捨てたくない!! どんなに罵倒されることになろうと! 言い争う未来が待っていようと! 私はあなたと向き合うって決めたから!!」


 これが私の覚悟。私の選択。

 私の罪をあなたが責めるのなら受け入れる。本当のあなたと本当の私が向き合うために。


「やめろ……喋るなぁぁぁぁぁぁ!! 私は……俺は……僕は……!!」

「殺して、太刀川くん!! その女はあなたを騙していたんだよ! さあ、自分の仇を……私に仇なす女を今すぐに!!」


 呻き声を上げる太刀川くんに残酷な命令が下される。しかし、彼は一向に睦月の命令に従う気配がない。ずっと頭を抑えるだけだった。彼は……今戦っている。


 ——もうちょっと……あと少しで私の言葉が届く!!


 決定打が足りない。この状況を変えるきっかけが足りない。なんとかしなくちゃと思った私はおもむろに太刀川くんのもとへ寄ろうとした。だが、なにかが歩みを妨げた。

 振り向くと肩に手が優しく乗せられていた。


「私はその決断を待っていた。あなたの味方をした甲斐があったよ。ならば……今こそ私の魔法きせきの力を見せようじゃないか」


 仮面の魔女はそのまま歩みを進め、私と太刀川くんの間で佇む。


「なんでこんな時に言うこと聞かないの!! 太刀川くんは私の言うことだけ聞いてればいいの! なにも考えず、私を守ってればそれでいいの!!」


 睦月が駄々をこねる子供のように歯噛みしていた。やがてその苛立ちは頂点に達し、彼女は一枚の魔札スペルカードを手に取った。


「ああ、もう!! あんたたちの好きにはさせない!! 『槍烏賊の砲手スクイッド・スピア・テンタクル』!!」


 迫りくるカード。ブルームは動かず……ただゆっくりと正面に向かって手を掲げるだけ。そして、静かにスペルを口ずさむ。


「『時間よ、止まれストップ・バイ・タイム』」


 途端、世界が白く濁っていく。魔女たちも、迫りくる触手の槍も……周囲のあらゆるもの全てがまるでビデオを一時停止したかのように静止していた。私たち三人だけが世界から隔離されている。


「これは……?」

「私の『時間魔法』だ。周りの時間の流れを遅くすることで動きを制限している。今、この空間で動けるのは私を除いて君と彼だけだ。この隙に黎と再契約するんだ、愛梨彩」

「でも、どうやって!?」


 色々問い質したいが、今はその説明で納得しておくしかない。問題なのは彼を救う方法だ。言葉じゃ届かない。もっと確実な……奇跡を起こす力がないといけない。


「君だって気づいているはずだ。彼の記憶を呼び覚ます方法を」

「復元魔法……!」


 彼の奥底に封じられた『俺』という人格。それが戦闘時に発露していたのは復元による魔力供給が平時よりも多かったからだ。今、太刀川くんを支配している『私』という人格を消せるとしたら、私の魔法しかない。


「君の力なら彼にかけられている魔法を解除して、記憶を再構築することだってできるんじゃないかい?」

「それは……!」


 ブルームの言葉に反論しようとする自分をぐっと抑える。言いわけを飲みこみ、代わりの言葉を継ぐ。


「いえ……できる。できるわ!」


 本当は復元魔法にそこまでの力はない。対象を自分の理想の状態にする魔法じゃない。でも、私は「できる」と声高らかに宣言する。

 彼女だって復元魔法の仕組みをよく知っているはずだ。知っていてなお、そんな無理難題を吹っかけてきているんだ。つまり私は今この場で魔術式を——


「思い出すんだ、彼と過ごした日々を。自分の罪を数えるのではなく……その時に感じた素直な想いやありのままの感情を積み上げるんだ。そうすれば君の魔術式は必ず応えてくれる。なんたって魔法は人の想いを、意思を具現化する奇跡なんだから」

「ええ、そうね。そうに違いないわね」

「あんまり時間はないけど……気が済むまで話してくるといい。それまでは私がこの空間を維持させてみせるさ」


 ブルームはこんな死地でも微笑んでいた。彼女がどうしてそこまでするのかはわからない。けど……今は彼女を信じて、太刀川くんを救う!!


「やめろ……! くるな……! お前の顔を見ていると頭が……!! 私はお前なんて知らないんだ……!」


 歩み寄るとすぐに彼は私を拒絶した。だが後ずさることはなく、ただただ軋む頭を掻き毟るように抱えているだけだった。彼の中のもう一人の人格がその場に踏み止まらせているんだ。


「知らなくてもいいの。これから知ってくれればいい。私が全部話すから。私の気持ちを……相棒としてどんな気持ちでいたかを、全部」

「あい……ぼう……?」

「ええ、そうよ。最高のコンビだったわ、私たち。けど……私は支えられてばっかりだったかも」


 ここから話す内容はあなたとの想い出話。それは一個一個丁寧に紡がなければいけない物語だ。太刀川くんとの想い出が私に力を与えてくれるはずだから。

 大きく息を吸いこみ……吐き出す。そしてゆっくりと唇で言の葉を奏でる。


「きっかけは本当に偶然だったわね。いらない犠牲としてあなたが死んだ。それを私が利用しようとしたのが全ての始まり。まあ、もちろん自分の目の前で人が死ぬのが嫌だったっていうのもあるけど……本当は太刀川くんなんていらなかったのよ。だってあの頃の私には独りでも争奪戦に勝ち残れる自信があったから」


 彼はなにも返事をしてくれなかった。だけど瞳だけはまっすぐ私を見ている。届くと信じて私は言葉を繋ぐ。


「けど今は違う。あなたなしじゃダメ。あの日あなたが私を庇って死ななかったら、今こうなっていなかった。きっとあなたがいなかったら、今も笑えないままだったと思う。あなたと出会わなければ、今もフィーラと殺し合いを続けていたと思う。全部、あなたが……太刀川くんがくれたの」


 最初こそ『利用するための契約』だったかもしれない。でも太刀川くんと一緒に過ごすたびに私が変わっていった。私の人生がよりよいものへと変化していった。そうしていく中であなたは……私にとってかけがえのない相棒になっていた。


「あなたが私に経験させてくれた。一緒にご飯を食べる楽しさも友と語らう喜びも、誰かが私を支えてくれているという嬉しさも、全部。まるで学生のように馬鹿騒ぎしたり、誰かに嫉妬したり、恋……したり。本当に楽しい……充実した時間だったわ。争奪戦という争いの最中なのにね。魔女の私を人間らしくしてくれて……ありがとう」


 私は前より弱くなったんだと思う。だって一人の人間を失うのがこんなにも怖いと感じるんだもの。

 それは巡るめく日々の中で、あなたが私に『普通』なことを教えてくれたから。普通の人間は友達といればすごく楽しくて、大切な人がほかの誰かと仲よくしてると妬ましく思えて……そばにいてくれる大切な人に好意を寄せるのだ。

 この弱さは私の誇りだ。強がらなくていい。弱っている時も支えてくれる人がいるってあなたが教えてくれたから。その弱さからくる『誰かを喪失する恐怖』なら、それもきっとなんだ。


「だから今度は私の番ね。貰いっぱなしっていうのは性に合わないし。こんなこと言ったら太刀川くんは落ちこむんでしょうけど……あなたの美点はなところだから。そんな普通なあなたが私には輝いて見えた。私にないものを持っていたから……自分でも気づかないうちに惹かれていたのね。私は……もっとあなたと普通の日常を知りたい! もっと色々なことをあなたと一緒に経験したいの! そのために……私はあなたを取り戻す!!」


 私に『普通の人の心』を取り戻してくれたあなた。今度は私があなたを普通に戻す。『私』なんて堅苦しい姿は太刀川くんには似合わない。

 自分の中の想い出が力となって巡り巡り、魔術式がより高次のものへと昇華していくのがわかる。これが想いの——意思の力。

 私の意思を、想いを伝える方法は……決まっていた。今のこの気持ちを全身全霊で伝える方法はこれしかないと思った。


「初めてのことだし……荒技になるからじっとしてて。想いをストレートに伝える方法って……これしか思い浮かばなかったから」


 優しく、頭を抑える彼の手を掴んで払い除ける。彼は抵抗することなく、ただただ呆然と立ち尽くしていた。


「ふふ。ええ、それでいいわ」


 私は彼の首へと手を絡め、ほんの少し背伸びをする。頼りない姿を見ているのが長かったから、ずっと同じくらいの背丈だろうって思ってた。けど……やっぱり私よりも高いんだ。


「『これからも続いていくあなたとの想い出メモリー・アップデート』……好きよ、太刀川くん」


 そして——とっておきの願いスペルをこめて、そっと唇と唇を重ね合わせる。脈打つ鼓動のせいでほんの一瞬の触れ合いが永遠のように感じる。

 解き放たれた私の魔法おもい。私はそのまま彼を抱き締め続ける。目覚めるその時までずっと。

 大丈夫。私は信じてるから。あなたは帰ってくる。だってちゃんと約束したものね。「僕はずっと君の隣にいるよ」って。


 *interlude out*

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