信託/episode73

 全てが白い世界の中。目の前に『俺』がいた。教会の魔術師になるはずだった太刀川黎じぶんが……そこに。

 夢の中の少年がそのまま成長した、あり得たかもしれない自分のifイフの姿。記憶が消されなかった世界の自分。

 見た目は同じなはずなのに全く違う人生を歩んだように感じる。すごく近い存在なのに絶対に道が交わらないほど遠い。


 『僕』は問う。「『俺』は魔術師にならなくてよかったのか?」と。

 『俺』は言う。「俺は消えてよかった。普通の『僕』がした選択は間違ってない」と。


 『僕』は問う。「それが親しき人に刃を向ける道でも?」と。

 『俺』は言う。「それが正しいことなら、きっと俺もそうしてたはずだ」と。


 最後に『僕』が問う。「お前は誰だ?」と。

 最後に『俺』が言う。「俺はお前だ」と。


 そうしてやっと納得する。『俺』も『僕』も同じ道をたどるのだろうと。過程はどうあれ、きっと同じ答えにいき着くんだ。

 ずっと自分が何者なのか知りたかった。けど最初から僕は誰でもない太刀川黎だったんだ。人格も人称も些細な違いに過ぎない。

 魔術師としての教育を施されていた時の自分も、普通の社会に放りこまれた後の自分も……どちらも根底にあるものは変わらない。間違っていることに疑問を抱き、正しいことを求め続ける。『俺』が父との特訓から逃げ出したのはきっとそういう理由だったんだ。


 ——どんな環境だろうと自分の意思を折らずに貫く。それが太刀川黎の生き方。


「もういくのか?」

「ああ、答えは出たしね。それに誰でもない『太刀川黎』を必要としてくれてる人間が外の世界で待ってるから」


 もう迷いはない。自分は胸を張って戦う。自分が教会の魔術師のなり損ないだったとしても、生まれついた家に逆らう道を選ぶことになったとしても……関係ない。


「お前に託す。俺ができなかったこと、全部」

「ああ、任せろ!」


 僕は胸に力強く拳を押し当てる。大事なものは最初からずっとここにある。二面性なんてなかった。僕はなに一つ失っちゃいなかったと改めて胸に刻む。

 ならば……思い残すことはない。僕は自分の意思に従って生きる。それが『俺』と『僕』——太刀川黎としての選択だ。

 僕は白い世界の中にぽっかり空いた黒点に向かって駆け出す。暗闇がやけに懐かしく感じるのはきっとの色だからだろう。

 不安はない。僕は愛梨彩と……添い遂げる!!


 視界に最初に映ったのは艶やかな黒い髪の毛だった。誰かが自分のことを強く激しく、手放すまいと抱き締めていた。


「愛梨彩……?」

「太刀川くん……? わかるの……私のこと?」


 『僕』だとわかるといなや彼女は顔を覗きこんできた。ああ、間違いない。彼女は自分が守ろうとした魔女——九条愛梨彩だ。


「ああ、わかるよ。ただいま、愛梨彩」

「おかえり……おかえりなさい……太刀川くん」


 途端彼女がくしゃくしゃな泣き顔を見せ、再び強く抱き締める。すごく痛いけど……とても居心地がいいのはなぜだろう。

 そうしてしばらく愛梨彩に体を預けていると、やがて世界が目まぐるしく動き出す。止まっていた時計の針が……動き出した。


「仮面の魔女……!! なにをした!?」


 動き出した世界で最初に轟いたのは男の怒声だった。愛梨彩の肩を借りながら壇上を見やると、ソーマが我を忘れて怒鳴っていた。


「おや……意外と鈍感なんだね、君」

「どうして『時間魔法』を操れるのかと聞いているんだ!! ブルーム・ブロッサムが……いやブルームの当主ですらないお前がこんな魔法を使えるわけがない!!」


 ブルームが……ブルームの当主じゃない……? 時間魔法が使えない……? 未だに朧げな思考をクリアにしようとするが、理解が追いつかなかった。


「それを鈍感だって言っているんだよ。考えられる可能性は一つだろう?」

「まさか……お前は!?」

「私の名前はブルーム・ブロッサム・。未来からこの時代に介入しにきた魔女だ」


 ブルームが未来の魔女。驚いている自分と腑に落ちている自分が同時に存在していた。

 思えば彼女はよくどこからともなく現れたり、消えたりしていた。屋敷で出会った時もそうだ。あの時の彼女はまるで最初からそこにいたようだった。

 それにさっきの静止した世界は……歴の浅い魔術式では起こせない魔法だ。彼女の言葉を疑う余地がない。


「未来の……魔女? だからあなたは戦闘時に魔法を封じていたの?」

「そういうことだ。未来で時間魔法が完成していることが判明すれば……自ずとそれをつけ狙うやつが出てくる。野良の君たちの前ならともかく……教会の連中に見せるわけにはいかなかった。だが……その過程で黎を死なせてしまったのは私の誤算だった」


 フィーラの問いにブルームが答える。その口調ははっきりとしているが、息が切れ切れになっていた。  

 次の瞬間、彼女はがくりと跪いてしまう。


「ブルーム!? 」

「やはり一度使えば……このザマか。すまない。前回使うのを躊躇ってしまった分、張り切り過ぎてしまったようだ」


 フィーラが慌てて駆け寄り、肩を貸す。ブルームの顔からはいつもの笑顔が消えていた。傷こそないが満身創痍だった。


「そうか……お前が時間魔法を使えるのなら生かして帰すわけにはいかないな。計画変更だ。百合音!」

「ええい! 仕方ないですわね!」

「まずい……! 攻撃がくるぞ……!」


 僕を含め、全員の反応が遅れていた。その隙を突くと言わんばかりに不快音が礼拝堂内に反響する。百合音の行動制限の音魔法か!


「まずい……のだわ! 動け、ない……!」

「さようなら、野良の諸君。 『光線大砲フォトン・ランチャー——アルデバラン』!!」


 迫りくる光の奔流。耳を塞ぎ、その場で踏みとどまるしかできない絶対絶命の状況。

 だが一人……いやだけ、この不快音の中を駆けるものがいた。


 ——黒と銀の毛並みの狼男。


 狼男は不快音を相殺するように咆哮を鳴り響かせ、光線へと立ち向かっていく。

 横切る彼の顔が僕の目を真っ直ぐ捉えていた。言葉は通じなくても表情でわかる。


 ——ここは任せろ。


「待て……ナイジェルッ!!」


 無意識でそう口走っていた。僕は獣人の正体を理解していたんだ。

 言葉が届くよりも速く狼男は跳んでいく。まるで自分の身なんて省みてないかのように。

 魔狼は奔流の前へと躍り出る。そして、全身の魔力を総動員して氷のブレスを撃ち放つ。拮抗し合う氷と光線。

 しかし徐々に徐々に形成が不利になっていく。


「こんな音ごときに……! 『電光石火』!! 今よ、ヒイロ!!」


 フィーラの速射魔法が百合音の魔札スペルカードを射抜き、音が止まった。緋色は赤い魔導師の姿のまま即座に戦鎚を振りかざし、ナイジェルへと加勢する。


「いくぜ、 『轟音疾駆——ソール・ハンマー』!!」


 押し負けかけていたこちらの魔法が一気に巻き返す! 光線を弾き返し、雷と氷が教会の魔女たちへと襲いかかり、爆煙を上げる。

 ナイジェルと緋色の姿が見えない。一抹の不安が脳裏を過ぎった。二人は無事なのか確認しにいきたいのに体が思うように動かない。


「脱出するぜ、みんな!! 『スキーズブラズニル』!!」


 煙の中から現れたのは巨大な帆船。その船の中に緋色と……抱きかかえられたナイジェルの姿があった。

 彼に言われるがまま、僕らは船の中へと乗りこんでいく。やがて船は教会から飛び去り、空へと舞い上がった。

 安堵し、胸を撫で下ろす。全員無事で帰ってこれた。僕が捕まったせいで誰かが欠けることはなかったのだ。

 その時だった。ナイジェルを引き取った愛梨彩が……崩れ落ちた。


「どうしたんだよ……愛梨彩。ナイジェルは無事なんだろ……?」

「違う……! 違うの……! ナイジェルはもう!」

「だって復元魔法が……」


 違う……? 復元魔法じゃ対処できない?

 朦々とする思考を駆け巡らせ、やがて該当する答えにたどり着く。背筋に悪寒が駆け巡った。そんな答えを否定するように僕はかぶりを振るった。


「復元魔法だって肉体を基にしているから限度があるのだわ。そしてその限界のトリガーとなったのが私の昇華魔法」

「それじゃあナイジェルは……最初から……」

「そう、あなたを助けると決意したその時からこうなる定めだった」

「そんな……そんな! それじゃあ僕は……」


 フィーラの言葉が槍となって僕の心をえぐっていく。

 ナイジェルに昇華魔法を使ったのは本来のスレイヴである僕がいなくなったからだ。あの日、甘い考えを持ったせいで囚われの身となり……関係ないナイジェルの命を奪うことなった。

 全部僕の甘さのせいなのか。みんな最初からこうなるってわかってたのか。誰も欠けてないと思っていたのは……知らなかったのは僕だけだったのか。


「自分を……責めないで太刀川くん。それは彼の最期の決意を無下にすることになる。ナイジェルも私も……別れはいつかくるんだってわかってた。その時が……少し早くきてしまっただけ。そうよね、ナイジェル?」


 ナイジェルは鳴き声にもならないような声で愛梨彩に返答する。今まで見たことないほど弱々しく……それはまるで子犬のようにすら見えた。

 思うように動かない体を鞭打ち、彼へと駆け寄る。ナイジェルはおもむろに僕に手を伸ばした。その手をどうしても掴まなきゃいけないと思った。

 差し伸べられた手はまるで『お手』のよう。


「最後の最後に……素直になるなよな……!」


 涙が溢れそうになる。ようやくお前と仲よくできると思ったのに……こんなのはあんまりだ。

 けど、それがナイジェルなりの最期のけじめだったのかもしれない。ずっと似た者同士だとは思っていたけど……いまいち反りが合わなくて、いつも噛みつかれてばかりだった。

 そんな彼が僕に対して手を差し伸べる。それは決して忠誠の証などではなく、同胞への信託。

 二色のまなこが僕を見つめる。


 ——あとは任せた。ご主人を頼む。


 胸の内で確かにそう聞こえた。


「ああ。わかったよ。必ず……必ずお前の主人は僕が守る。同じ従者同士……男同士の約束だ」


 しっかりと握りしめていはずなのに、感触がどんどんどんどん軽くなっていく。見るとナイジェルの手が淡い光の粒子になっていた。それはやがて全身へと広がり……消えるように散り散りになっていく。


「ありがとう……私の最初の相棒。そして……私の大切な家族。生まれ変わったあなたと再び会える日を……楽しみにしているわね」


 愛梨彩は体が霧散するその時まで……抱き締めていた。彼の温もりを決して忘れないように、刻むように……強く、強く。

 涙をぐっと抑えこむ。天に召されたナイジェルを送るように空を仰ぎ見る。

 悲しいけど……ここで泣いちゃダメだよな。愛梨彩を守るスレイヴは立ち止まっちゃダメだよな。お前はそんなこと望んでない。お前の分も僕が愛梨彩を守る。もう二度と彼女のそばから離れたりしない。それをここに誓うよ。

 なあ、そういうことだろ。ナイジェル?

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