別離/episode66


「桐生さん!! やめてくれ! 友達同士……仲間同士で戦うなんて!」

「仲間……それが嫌なの、私。いって……『水母の魔手ゼリーフィッシュ・テンタクル』。私の思い通りにならない者全て……薙ぎ払って」


 『僕』はなんとかやめさせようと彼女へと訴え続ける。しかし、纏われた触手は獲物を見つけた捕食者のように容赦なく俺に襲いかかる。


「太刀川くん、剣を取って! 彼女は本気よ!」


 水の連弾魔法で触手の一部を迎撃している愛梨彩が叫んだ。


「けど!!」


 なんとか避け続けているが……それも時間の問題だ。いつ足元をすくわれるかわからない。


 ——戦うしかないのか? 彼女と……仲間と……。


 決断が鈍る。今になってブルームの忠言を実感した。実際に戦うことになってから決断するんじゃ遅過ぎたんだ。


「あら? そちらにやる気がないのでしたら、こちらは本気でやらせてもらいますわ! 『強化音:アニマート』!」


 百合音の魔札スペルカードが活気ある音を放ち、味方を鼓舞する。触手はますます勢いづき、何本も何本も断続的に伸びてくる。

 音魔法の魔札スペルカード。意思なく操られていた時にはなかった戦法——いや、本来の彼女の戦法か。このままじゃ相手に押されかねない。

 『俺』は決断する。——やむを得ない、戦わないとやられる。展開された魔札スペルカードを手に取り、魔力を纏った剣——『限界なき意思の剣ストライク・バスタード』を出現させる。そのまま振り抜き、触手を両断する。


「『模倣コピー』! 『乱れ狂う嵐の棘ソーン・テンペスト』!」

「クソ……! お前に構ってる暇はないんだ! 『そびえ立つ盾壁タワー・ウォール』!」


 百合音の模倣魔法の射線上に盾壁を生み出す。今は彼女より先に桐生さんだ。触手を斬り離し、無力化するしかない。


「百合音は任せて! あなたは桐生さんを!」

「ああ!」


 それだけ言うと愛梨彩は百合音と水魔法の撃ち合いを開始する。しかし——


わたくしを無視するなんていい度胸ですわね! 『制限音:リテヌート』!!」


 途端、グラウンド内に響く不協和音。 反射的に耳を押さえてしまい、身動きが取れなくなる。

 触手はこちらの状況なんてお構いなしに迫ってくる。片手で耳を押さえ、もう片方の手でなんとか剣を振るう。


「桐生さん! もうやめてくれ! 今ならまだ間に合う! 戦いをやめるんだ!!」

「私は自分が虐げられない世界で生きたいの! 惨めな生き方はもう嫌! あなたたちみたいに巨悪に立ち向かえるほど強くないの!」


 彼女の叫びは不協和音の中でもはっきりと響いていた。それだけ悲痛な叫びであり、本音の吐露であった。


「だからって……だからって教会に所属して戦うなんて! 君は戦うような女の子じゃなかったはずだ!」


 不快音が聴こえなくなりつつあった。どうやら愛梨彩が百合音のカードを除去したようだ。俺はその隙に触手を斬り払いながら桐生さんへと近づく。


「じゃあ……なんで好意、受け入れてくれなかったの? 私、あなたが守ってくれればそれだけでよかったのに」

「それは……」


 彼女の呟きと同時に触手の動きが止まった。不意のできごとで俺の足も途端に歩みをやめた。

 継ぐ言葉が見つからない。なにを言っても彼女の言うことが全てだったから。俺は君だけを守ることは選べなかったんだ。


「それが太刀川くんのエゴなんだよ。九条さんのことが大切だっていうエゴ。みんな自分のエゴのために……欲のために動いてる。私のエゴを否定する権利、あなたにはない!! あなたたちのエゴに私を巻きこまないで!! 『蛸の悪手デビルフィッシュ・テンタクル』!」

「がはっ……! 桐生さん……俺は……」


 一瞬の無防備を晒した俺は特大の触手に捉えられ、締め上げられる。骨を砕かんばかりの圧力が外側からかかっていく。なすすべが……ない。


「死んで、私の愛しの太刀川くん。私のエゴのために死んで。死んで私のものになって。あなたたち野良の魔女さえいなくなれば私は幸せになれる。虐げられない世界……魔女だけの世界で……愛おしい人もいて……幸せを手に入れられるんだから!」


 ——俺が死ねば桐生さんは幸せになる。


 体が軋む苦痛の中、自責の念がこみ上げてくる。俺の存在が彼女を狂わせたのなら……責任を取るのが俺の役目なのか? 俺が愛梨彩を優先したのが悪かったのか?


「太刀川くん!! 『水の螺旋矢アロー・オブ・スパイラル』」


 水の矢が触手を断ち切った。見ると、愛梨彩がこちらへと駆けていた。百合音は氷魔法で一時的に足止めしてきたようだ。


「九条愛梨彩ぁぁぁぁぁぁ!!」

「狂った魔女になった以上、私はあなたを倒す! それがせめてもの償い……『渦巻く水の衣ヴェール・オブ・アクア』!」


 愛梨彩は駆ける足を止めず、そのまま桐生さんへと突撃していく。触手の嵐を掻い潜り、彼女の腹部目掛けて中段蹴りを見舞う。

 たちまち桐生さんが吹き飛ばされる。近くのフェンスへと激突し、土煙が巻き上がった。


「愛梨彩……」

「とどめを刺すわ。手を貸してちょうだい」


 愛梨彩はおもむろにフェンスの方へと歩いていく。このまま放っておけば間違いなく彼女は桐生さんを殺す。狂った魔女を忌むべきものと考えている彼女が……それを見過ごすことは絶対にしない。

 俺は慌てて駆け寄り、彼女の腕を強く掴んだ。


「待ってくれ! 触手を斬り離して無力化すれば——」

「この期に及んでまだ悩んでいるの!? 悔しいけど……もう彼女との溝は埋まらない。狂った魔女は壊れていくだけよ! だったら私たちは……始末するしかない。狂い果てて……被害を増やす前に!」


 きっと愛梨彩の言うことは正論なんだろう。狂い、教会の側についた桐生さんがほかの人へ危害を加える可能性は充分にある。

 そんな桐生さん本人の意思なんて度外視して彼女を殺す。狂い果てる前に介錯する。桐生さんという『小』を切り捨て、ほかの多くの人間という『大』を救う。それは確かに正しい。


 けど——それでも。


「やっぱりダメだ……こんなの。どうして……どうして仲間同士で殺し合わなきゃならないんだよ? 俺たちクラスメイトで……一緒に学校通ってたんだぞ? それを急に敵だ、殺せだなんて」


 俺はそんな英雄にはなれない。誰も彼もを救うヒーローなんかじゃないんだ。

 だけど……せめて自分の手の届く範囲にいる人は守りたいと思った。その範囲の中にまだ彼女は——桐生さんはいるんだ。 

 甘いと言われようとなんだろうと、それが普通の高校生としての俺の決断だ。まだ彼女の説得を諦めたくない。


「そんな甘いこと言っている場合じゃな——」

「本当に甘いよね、太刀川くん。『槍烏賊の砲手スクイッド・スピア・テンタクル』」


 突如、鈍い痛みが心臓から滲むように広がっていく。視線を落とす。そこには尖った触手の矢が突き刺さり、鮮血の海で染まっていた。

 矢が放たれた先を見やる。


「桐生……さん」


 そこには不敵に笑う魔女の姿が。全身から血の気が引き、視界の端から暗闇が侵食していく。皮肉なことに、最後に目に焼きついたのは俺を殺した魔女の姿だった。


 ——ああ、そうか。俺は自分の甘さで死ぬのか。


 愛梨彩を守るために死体として戦っていたはずなのに……その覚悟がぐらついて、欲張って、どっちつかずになって死んだ。きっと今の俺なら手が届くって思い上がってたんだ。

 けど、そんなことはなかった。この一撃がなによりの証拠だ。彼女は説得なんて求めていなかったんだ。俺の独りよがりだったんだ。

 遠くで俺の名前を呼ぶ声がする。近くにいるはずなのにとても遠く遠く感じる。ずっとそばにいるって……守るって約束したはずなのに。もう愛梨彩にすら手が届かない。顔が見えない。


「ごめん……愛梨彩。約束……守れなかった」


 遺言のようにそれだけ呟くと、視界がブラックアウトした。


 *interlude*


 ——太刀川くんが死んだ。


 一瞬のできごとでなにが起きたかわからず、私は呆然とすることしかできなかった。視界が歪んでいき、目眩がしそうだ。

 けれど彼女はその隙を見逃さない。瞬時に亡骸へと触手を伸ばし、奪い去っていく。


「ははははははははは……! どう!? 奪った! 奪ってやったよ! あなたの大切な彼を私がこの手で!ねぇ悔しい? 悔しいでしょ!! ねえ!?」


 狂った魔女が喚くように問いを投げかけてくる。私はその場で膝から崩れ落ちた。

 この感情を表す言葉を持ち合わせていなかった。喪失、悲壮、悔恨、憎悪……そのどれもが当てはまっているようでどれも違う。ただ打ちひしがれることしか……できない。


「これで太刀川くんは私のものにできる。ようやく!ようやく手に入ったよ! 私の幸せ!」


 彼女は相棒の骸を愛おしげに撫でていた。奪ったことを誇るように、見せしめるように。


「実に見事だった。太刀川黎の甘さを突くとはね。なかなかに才能があるよ、桐生くん」


 不意にグラウンドに男の嬉々とした声が響く。ソーマの声だ。


「ずっと……見ていたの?」

「ああ、そうだとも。不意を突いて加勢しようかとも思ったが……その必要はなかったようでね」


 ソーマは高笑いをグラウンドに轟かせる。仇敵を討ち取った喜びを全身で表現しているかのようだった。


「愛梨彩! 黎は——」


 突如、私のそばにブルームが舞い降りる。しかし彼女は直後、言葉を失った。

 視線の先には瞳孔が開いたままの彼の骸があった。そんな魂の抜け殻である肉の器を睦月は愛玩していた。まるで彼の心なんてあってもなくても変わらないのだと言っているよう。


「なにやってんだ……私!! また同じヘマを……! 黎を……! お前たちだけは……絶対に許さない!!」


 ブルームが苛立ちを吐露し、勢い任せにソーマへと向かっていく。私同様、完全に冷静さを欠いていた。

 剣と剣が鍔迫り合い、激しく火花を散らす。


「この男がそんなに大切か。全く、死してなおも好かれるとは大した男だよ」

「黎を……黎を返せ!」

「そんなムキにならないでくれたまえ。私が簡単に太刀川黎を死なせるわけがないだろう?」


 剣をぶつけ合いながら、二人は思い思いの言葉を紡ぐ。今まで見たことがない感情的な剣戟をするブルームと冷静にそれをいなすソーマ。

 私はただ二人の戦いを眺めていることしかできない。どうしても体が動かない。

 本当は今すぐにでもブルームに加勢して、太刀川くんを取り返しにいきたいはずなのに。彼の命が消えたことのショックがあまりにも大き過ぎて……頭が滅茶苦茶になって、冷静な思考ができない。

 なにが最善策かなんていつもならすぐ思いつくはずなのに。けど、なんで? どうして? どうしてこんなにも心の震えが止まらないの?

 たまらず私は胸を押さえる。ただただ苦しい。当たり前にそばにいた人がこんなに簡単にいなくなるなんて……想像できてなかったんだ。


「どういうつもりだ? お前の目的はなんだ!? 答えろ!!」


 ブルームが剣を振り払い、ソーマが後退した。お互いに距離が生まれ、攻めあぐねる。問答はなおも続く。


「それはじきにわかるさ。私がどういう人間か……君たちだってよく知っているだろう?

「まさかお前は……そうか。そういうつもりか」


 なにかを悟ったかのようにブルームの語気に冷静さが戻る。

 するとその時——グラウンドに緋い閃光が走る。


「黎に……黎になにしてくれてんだ、この野郎!!」


 閃光は直情的なままにソーマへとぶつかっていく。見たことない姿だが、あれは間違いなく勝代くんだ。追うように遅れてフィーラがやってくる。


「おっと……これ以上攻められると少々厄介だ。『光線乱射フォトン・ガトリング——アルタイル』!!」


 しかし勝代くんの突撃は弾幕により阻まれてしまう。剣は今一歩のところでソーマに届かない。


 ——この一瞬の時間稼ぎが勝敗を分けた。


 ソーマが太刀川くんの喉元に剣を突きつける。


「人質のつもり!?」


 私の心情を代弁するようにフィーラが吠えた。


「太刀川黎の生殺与奪は我々が握っていることを忘れるな。復元魔法だろうが死霊魔法だろうが、肉体が粉微塵になれば無意味。それは君たちもよく知っているだろう? さあ、この男が惜しければこの場は退いてもらおうか」


 剣を構えてはいるが、ブルームも勝代くんも手出しする様子はない。私は未だ立ち上がることすらできない。

 どうすれば太刀川くんを助けられるのか。懸命に考えているはずなのに、体と心が思考に追いつかない。


「撤退だ……」


 そう言って剣を下ろしたのはブルームだった。


「このまま黎を見捨てろって言うのかよ!?」

「撤退だ! この場で彼の肉体を失うわけにはいかない! 肉体が残っていればまだチャンスはある。頼む……私を信じてくれ」


 懇願するようにブルームが叫んだ。それを聞いた勝代くんは閉口し、剣を収める。そして空いた手のひらを強く握り締めていた。

 この場にいる誰しもが感じていた。ここで太刀川くんの体を失うわけにはいかないと。私たちにとって彼は必要不可欠な存在だったんだ。


「そうだ、それでいい。その英断に敬意を評し、一つ約束しよう」

「約束……?」


 うめき声を上げるように私が問い返す。


「太刀川黎とはちゃんと再会させてやろう。どんな形での再会になるかは……その時まで楽しみにしておくといい。では、失礼」


 それだけ言うとソーマと睦月はグラウンドから姿を消した。静寂が校庭を包みこむ。誰一人として口を開くことはなかった。


 ——残されたのはつらく、残酷な現実。


 私は失ってしまった。この世でたった一人の……かけがえのない相棒を。

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