折れない意思の剣/episode4


 食事を終え、半ば自室と化してきた客間へと戻る。天蓋の張られたベッドを見た時、愛梨彩の部屋かと思ったがどうやら違ったらしい。

 今日は訓練で疲れたから一眠りするとしよう。

 ちなみに寝ても魔力は回復したり抑制されたりすることはないが、寝ることに意味はちゃんとあるのだとか。特に「精神的疲労は寝るという行為でリフレッシュするべきよ」と愛梨彩は食事中にアドバイスをくれた。食事中くらい別の話題にすればいいのに。

 今日は魔力を抑える術を身につけた。つまりなんの気兼ねなく寝れるわけだ!


「おやすみ!」


 そう独り言ちて床に就いたのだが……


「太刀川くん。特訓よ」


 朝一番、愛梨彩が叩き起こしにやってきた。壁の時計を見ると、時刻は午前五時。窓から差し込む朝日などは一切なく、外はまだ夜の帳が広がっている。


「いつも朝早くない!?」

「いい? フィーラがくるまで時間がないの。無駄に寝る間があるなら訓練するべきなの。それとも今ここでパスを切って永眠したいかしら?」


 褒美をくれたと思ったらすぐこれだ。魔女の横暴、きまぐれはいつくるかわからないのだ。表情こそ変わりはしないが、案外気性はコロコロ変わりやすいタイプなのかもしれない。


「わかりました、起きますから! 眠気はないけど気になって口にしただけですから!」


 いささかふてぶてしく愛梨彩に当たる。怒っているとかそういうわけではないが、寝起きすぐに魔女の眷属モードに切り替えとはいかないわけだ。うん。


「あら? ずいぶんとご機嫌斜めね。今日はせっかくあなたの魔力適性を見ようと思ったのに」

「今すぐいきましょう! 場所は地下室ですか!?」


 はい、変わったー! 眷属モードに変わった!


「随分と早い転身ね。嫌いじゃないわ」

「ええ、転身しましたとも。心待ちにしてたからね。それに——」


 魔力適性と聞いて心躍らないわけがない。自分がついに魔法を使う……この瞬間を今か今かと待ち望んでいたのだ。でも、それ以上に——


「僕がスレイヴでいる意味を考えたらやらないわけにはいかないでしょ? 僕はスレイヴでいる以上強くならないといけないんだから」


 力を欲していたのだ。今度こそ彼女を守れるようになりたい。魔女の騎士として恥じない存在になりたい。そのためならなんだってするさ。


「言うじゃない。では早速地下室へいきましょう」


 地下室へいくと、昨日までなかった机が目についた。周囲は蝋燭の灯で照らされ、不思議と鬱蒼とした感じはしなかった。

 テーブルに近づき、置かれているものに目を配る。波の描かれたカードや炎のカードに風のカード。武器の絵柄や翼の描かれたカードなんかもある。


「それは魔札スペルカード。この前も話したけど、いわゆる外づけの魔術式ね。あなたが擬似魔法マジックを発動するための必需品よ」


 この手のひら大のカードが魔札だったのか。アインと戦っている時はじっくりと見る暇がなかったので、認識するのは今が初めてだ。これに魔力を通せば僕もついに魔法が使えるというわけだ。


「そこ、触る前に説明を聞きなさい」

「はい!」

「まずは擬似魔術の種類を知ってもらわないといけないわ。その上であなたの適性を把握します」


 愛梨彩先生お得意の魔法学の講義が開始した。腕組みをしながら説明する姿は自身が知悉であることをひけらかしているようにも見える。


「擬似魔術は大まかに三つの区分がされているの。一つはエレメント系の魔術。火とか水とかいわゆるこの星の構成要素を自分の思うままに使う魔術ね」

「愛梨彩やアインが使ってた攻撃魔法の類だね」


 水球を発生させたり、火球を飛ばしたり……ファンタジーの世界でもオーソドックスな魔法群だ。属性魔法で撃ち合う自分の姿を妄想すると……ニヤニヤが止まらなくる。


「二つ目は補助系の魔術。姿隠しや浮遊、結界……文字通り戦闘を有利に進めるための補助を行う魔法ね。補助魔法だけで戦うことはまずないわ。自分の属性魔法と合成した補助カードか、メインとなる属性魔法とは別にカードケースに数枚仕こんでおくか……という使い方ね。前者は私の『渦巻く水球の守護スフィア・オブ・アクア』がわかりやすいんじゃないかしら? あれには『障壁』と『浮遊』の補助魔法を組みこんであるから」

「確かに……火球の防御と退却の時に空を飛んでいたな」


 教会での戦いの時に愛梨彩が多用していた魔法が『渦巻く水球の守護スフィア・オブ・アクア』だった。補助魔法を組みこんだ防御手段兼移動手段なら使い勝手がいいのも頷ける。


「最後にそれら二つに当てはまらない例外的な魔法ね。例を出して言えば、闇魔法と光魔法。模倣魔法や武器魔法もそうね」

「光と闇は属性魔法じゃないの?」


 光、闇、地、水、風、火。創作上の世界ではこれらをエレメントとすることが多い。そう考えると、光と闇がエレメントから外されるのはしっくりこない。違和感が残る。


「光と闇……それ自体は人に害を及ぼすものではないからよ。洪水、火災、台風、地震。属性魔法はそういった転じて人を傷つける要素のことなのよ。考えてみなさい。暗闇はあなたを傷つける? 光を浴びて、あなたはダメージを受ける?」


 彼女の言葉を受けて思わず膝を叩いた。エレメント系の擬似魔法はあくまで物質の現象なのだ。光や闇というのはどちらかといえば概念に近い。


「直接的な害は確かにないね。ずっと夜だったら体調悪くなるだろうし、日の光だって極度のものなら焼けるけど」

「そう。だからここでいう光と闇は属性の枠を超えたものなのよ。光の攻撃なら光線。闇の攻撃なら魔法を無効化する虚無。それを便宜上光魔法、闇魔法と呼んでいるだけ」

「なるほど……区分って難しいんだな」

「例外ってだけよ。そもそも例外の擬似魔法は近頃まで魔法ウィッチクラフトだったものよ。だから区分に当てはまらないの」


 魔法ウィッチクラフトの格落ち。それは魔法が普遍から特別へと移り変わった原因の一つだ。どんな神秘も技術の進歩によって解明され、特別なものではなくなる。


「それじゃあ……愛梨彩の『復元』もアインの『合成』も?」

「そうね。そのうち私の魔法も擬似魔法に格落ちする日がくるのかもしれないわね」


 「特別なものなんてない」。愛梨彩はそう言わんばかりにきっぱりと言い切ると、テーブルの上のカードに手をつけた。


「さて、気を取り直して適性判断といたしましょう。私の希望は武器魔法よ。レイスは使える魔力が限られているから、エレメント系の魔法で撃ち合いをするのは向かないわ」


 愛梨彩が手に取り、見せたのは剣が描かれたカード。

 思わず開いた口が塞がらなかった。どうやら僕は魔法の撃ち合いをさせてもらえないらしい。いやそれ以上に愛梨彩の望みの方が僕を絶望させた。


「それって……さっき言ってた例外魔法ですよね?」

「そう。さっきも言った通りこの例外魔法は最近まで魔法だったものよ。それが使える人間は限られてくるわね」

「そんな横暴な」


 閉じることができない口から嘆息が漏れていく。

 期待されているのは素直に嬉しいが、彼女の僕に対する期待値はなぜかいつも高過ぎる。ただの一般ピーポーに飛ばせるハードルの高さではない。いきなり魔法ウィッチクラフトクラスの魔法適性をみせろと言われて、どうしろと?


「だからあくまで希望です。武器魔法が得意かどうかを判断するだけで、決して使えないということではないわ。私が得意な魔法は水だけど魔刃剣のカードが使えたでしょう?」

「それを先に言ってよ」


 全身の冷や汗が引き、ほっと胸を撫で下ろす。その言葉だけで救われた気がした。適性はあくまで適性。相性がいいということらしい。  

 となると疑問が一つ浮かんでくる。


「相性が悪くても使うことができるなら、適性がある場合の恩恵ってどうなるのさ?」

「簡単に言えば精製できるカードの幅が増えるわ。得意ということはその魔法に精通しているということ。だから他のカードの技術——補助魔法を応用したカードが創れるのよ」

「さっきも言っていた『渦巻く水球の守護スフィア・オブ・アクア』がその最たる例ってことか」

「適性は最悪無視しても構わないから後で考えましょう。応用魔法ができなくてもあなたは剣を創れるし、状況に応じて剣を使いわけることもできるってことを知っておいてくれればいいわ。けど応用が——」

「けど、応用ができるに越したことはないってわけだ」


 愛梨彩が言いたいことが手に取るようにわかる。仮に適性魔法がエレメント系だとしても僕はその擬似魔術を使いこなすまでにはならない。初歩的なものですらガス欠するのだ。応用なんて以ての外だ。

 だとしたら使う回数が少なく、長持ちする武器魔法に適性があるに越したことはない。武器魔法適性の方が応用魔法を使える可能性が高いのだから。


「その通りね。じゃあ、早速適性判断といきましょう。これは白紙ブランクのカード。まだ魔術式が書かれていない、私たちが使う魔札の素よ。これに魔力を通してみて。カードの創り方がわからなくても適性のある属性なら自ずと浮かび上がってくるはずだから」


 いざ適性判断の時。なに、気負う必要はない。武器魔法の適性がなくても武器は使える。武器は使えるのだ。

 でも、あわよくば武器。武器であれ。武器じゃなかったら愛梨彩は間違いなく落胆する。表情は変えずとも落胆するのが目に見えてわかる。それはちょっと見たくない!

 影響するかは不明だが、自分が思う最強の武器をイメージする。「ええい、ままよ!』と心の中で叫んで目をつぶり、カードに魔力をこめる。


 武器よ、こい。

 武器よ、こい。

 武器よ、こい。


 手に注力した魔力が吸い取られ、持っているカードからわずかな熱量を感じる。——結果が出たようだ。

 恐る恐る薄目を開けてカードを確認する。浮かび出た絵柄は——岩に刺さった剣。


「剣……ですよね?」

「剣ね」

「これってつまり……」


 二人でカードを確認し、お互いの目を見合わせる。彼女の目はまんまると見開かれている。きっと僕も鏡写しの表情をしているに違いない。


「驚いた。適性判断でCランク魔法が出るのもそうだけど、なにより……あなたにはやっぱり武器魔法の才能が——」

「ヒャッホーホイ!! キタァァァァァァ!」


 愛梨彩の言葉をつゆも聞かず、カードを手にして一人舞い上がる僕。偶然とはいえ思い通りの結果だったわけだ。なんとなくでき過ぎている気もしなくはないが、素直に嬉しい気持ちが勝っていた。


「記念すべき最初のカードね。私が名づけてあげましょう」

「あ、はい」

「『折れない意思の剣——カレト・バスタード』なんてどうかしら?」


 カレト・バスタード。魔札の絵柄から着想を得たのだろう。石に刺さった剣——エクスカリバーの別名カレトヴルッフとバスタード・ソードを合わせた造語。ついでに石と意思をかけているのも趣があり、まさしく僕らしい。


「名前がいちいち厨二臭いよね、愛梨彩って。日本語に英語のルビ振りしてるあたりとか完璧だよ」


 名前がカッコつけ過ぎてて変な笑いがこぼれた。これで中身が三八歳なんだから笑わずにはいられなかった。童心を捨て切っていないというか、子供っぽい部分もあるというか。僕はそういう人が嫌いじゃない。


「ちゅ、ちゅうに……? ど、どういう意味かしら?」


 魔女は聞き慣れない現代スラングを聞いて小首を傾げていた。こんなことで愛梨彩を困惑させることができたとは。「カッコいいってことだよ」とつけ加えようとしたが、「やっぱり言わなくていいわ。褒め言葉でないのはわかるから」と手で制されてしまった。


「それとこれを」


 手渡されたのは黒い布と縦長の箱のような物体だった。箱の方にはベルトがついている。


「これは?」

「あなた用のローブとカードケース。ローブは防御と姿隠し用よ。ケースには武器魔法で構成されたカードデッキが入っているわ」


 ついに主人である魔女から正式に武器と防具を賜った。僕は嬉々としてカードケースを開け、自分の武器を確認する。これから先、命を預ける代物なんだ。確認せずにはいられなかった。


「あれ? 魔刃剣がないんだけど」


 カードを扇状に開いて確認すると、すぐに気づいた。魔刃剣がない。カードは剣やナイフなどの刃物が大半。異なるものは平凡な盾と人の姿が消えていく絵柄のカードが数枚ある程度。パイプのような絵柄は見つからなかった。


「あれは同じ武器魔法でも魔力消費がバカにならないの。使えるのは魔女クラスの魔力を持つ者だけ。レイスには不向きな魔法だから没収」

「そうか……」


 得心せざるを得なかった。断続的に魔力を供給する必要がある魔刃剣。それを使うのはエレメント系の魔法を撃ち合っているのと変わらない。

 あの武器が好きだったから残念でならない。だが、エネルギー食いの武器を使っていては武器魔法の適性が無意味となってしまうのだから仕方ない。


「同じ理由で銃火器系の魔法もないわ。あれは弾を魔力で編んで放つものだから。クナイやナイフのような投擲できるのは入れてあるけど使い過ぎないように」


 魔力が限られているから無駄撃ちはできない。それは武器魔法でも同じことなのだ。僕は「了解」と短く返すとすぐにローブを羽織り、ケースをガンホルダーのように腰に巻きつける。


「それじゃあ早速実戦といきましょうか」


 愛梨彩は地下室の隠し扉を開くのと同じように石の壁を手で押した。押した石とは別の石が盛り上がると、中から冷気が溢れ出す。一体彼女はなにで実戦をしようとしているのだろうか。


これは進行の理に逆らう秘術なり。是は死者を生者に還す邪術なり」


 疑問に思うのも束の間、愛梨彩が中の黒い蓋を取り外し、詠唱を始める。この詠唱聞き覚えがある気がする。


「洗練されし我が九条の魔術式よ。彼の者へ魔力の循環を。我が身体からだから魔力の通い道を。一を零に戻す魔術をもって、薄暮を黎明に戻さん。我――九条愛梨彩の名をもって命ずる。汝、我がしもべになりて敵を討つつわものとなれ!」


 そうだ、この呪文……深淵の中で聞いた契約の文言だ。だとしたら次に彼女が口にするワードは——


「復元魔法――『魔女に隷属せし死霊騎士スレイヴ・レイス』」


 詠唱が終わると同時に黒い影が僕目掛けて突撃してくる。すんでのところで躱し、振り返る。

 そこにいたのは大型の犬だった。犬種はおそらくシベリアンハスキー。僕を睨みつける瞳は左右で色の違うオッドアイだった。


「また犬か……軽くトラウマなんだけど」

「彼はナイジェル。あなたと同じレイスよ。でも、ナイジェルの方が先輩だから甘く見てると痛い目見るわよ」


 僕の軽口をあっさりと流す愛梨彩。というか先輩なのかこの犬! そりゃ新人いびりに精が出るわけだ!


「言われなくたって甘く見ないさ! 犬には散々痛い目遭わされてるっての!」


 ナイジェルと呼ばれた犬は地を這うような唸り声で威嚇する。次の攻撃がいつくるかわからない。咄嗟に身構えると、呼応するように魔札が目の前に展開された。


「説明するわ。まずはカードの使い方よ。カードは基本的に自動展開、自動補充よ。あらかじめスタートアップに使うカードを設定すると、それが展開されるわ。今回は私があらかじめ設定したものだから剣が二枚、投擲が二枚、盾が一枚って設定されているわね。まずは一枚選んで発動しなさい。魔札は流した魔力に比例して強くなるけど、まずは最低限の魔力量でいいわ」


 前方に展開されたカードを見ると、愛梨彩の言った通りのものが並んでいた。そのうち一枚はカレト・バスタードだ。ならまずは記念すべき最初のカードで応戦だ!


「こい! 『折れない意思の剣カレト・バスタード』!」


 掴み、瞬時に手から最小限の魔力を流す。カードは剣へと変化し、自然と自分の意識も変革した気がした。それを『俺』は両手で構え、戦闘態勢に入る。


「消費されたカードはさっきも言った通り自動補充よ。補充方法は人によるわね。同じものを補充する人もいれば状況に応じて補充する場合もある。見ればわかると思うけど、今回は同じ種類のカードを補充するように設定されてるわ。性能は違うけどスタートアップの時と選べる戦術が変わらないのが長所でもあり、短所でもあるわ」


 補充されたカードはロングソード。バスタードと似たような両手剣で、次の発動も同じような戦術を選ぶことができそうだ。

 と、ここで疑問が一つ。


「なんでカードは五枚しか展開できないんだ?」

「展開枚数に限度はないけれど五枚くらいを展開するのがセオリーなのよ。これは展開し過ぎてカードを破壊されないようにするためね。ケースからいちいちドローするのはロスがあるから、あらかじめ持ち札を決めておくって意味合いもあるわ。慣れると五枚程度で戦況に対応できるようになるし、欲しいカードは適宜ドローもできるから、使い馴染んだ魔法を放つための布陣とでも考えておけばいいわ」

「なるほど、了解!」

「基本説明はこれくらいで充分ね。それじゃナイジェル、こてんぱんにしてやりなさい」


 主人の言葉が通じているのか、ナイジェルは応えるように遠吠えを一つする。石の床を踏み蹴り、再度突撃を試みる魔犬はさながら黒い弾丸だ。


「直線的な軌道なら!」


 飛んでくるポイントに剣を置き、剣脊によるガードを試みる。——しかし、勢いを乗せた魔犬の爪の威力は強く、壁近くまで吹き飛ばされてしまう!


「こいつ……やっぱただの犬じゃないな。こなくそ!」


 追撃に来たナイジェルを斬り払うが掠りもしない。


「防御をする時は躊躇わずに盾を使いなさい。なんのために魔札を展開してると思ってるの」

「わかってるよ!」


 さらに追い討ちをかけるようにナイジェルは再度突進を図る。俺は言われた通り、左手でカードを盾に変換。迫り来る魔犬に備える。

 ナイジェルの勢いを乗せた爪の攻撃は盾で弾いた!


「これならどうだ!」


 弾かれ、宙で体勢を崩すナイジェルに剣を突き出す。だが、これでも捉えられない! 魔犬は刹那、宙で体を翻して俺の狙った位置に落下してこなかったのだ。

 着地したナイジェルは未だに俺を睨みつけている。それは敵視というより認めているような目つきに見えた。突進という攻撃手段を見切ったことに対して「なかなかできる」と言わんばかりの顔つきだ。言葉は通じないが、切っ尖を交わした相手だからか自然とそう感じた。

 ナイジェルが再び低く構え、後ろ足に力を入れている。「まだくるか!?」と突進を読むが、次の瞬間には魔犬がいなくなっている。

 不意に背面から衝撃が襲う!


「後ろから!?」


 フェイントして素早く後ろに回りこまれたようだ!

 一撃一撃は重くないが、素早さで負けている。なんとかして相手の動きを止めなければ、翻弄されるままだ。

 体勢を立て直し、左右の手でカードを取る。両方ともナイフのカードだ。それを前方へと投擲する。


「当たらないか!」


 魔犬はしなやかな跳躍でナイフを避け、再度回りこもうとしている。ナイフは突進の妨害にはなったものの決定打には至らない。やはりあの素早さが厄介だ。


「魔札は使い切りよ。無駄撃ちはしないように」

「こっちだって無駄撃ちしたくてやってるわけじゃないって! クソッ! あの犬どうやったら止まるんだよ!?」

「それを考えるのが訓練よ」


 同じようにナイフを投げてやり過ごしながら愛梨彩と会話をするが、解決の糸口が見つからない。次第に投擲用のカードが補充されなくなり、手札は剣が二枚、投擲が一枚、盾が一枚となっていた。

 「最後にドローされたカードはなんだ!?」と思い、一番右端のカードを見やる。描かれた柄はなく、真っさらな白。白紙ブランクのカードだ。


「ブランク!? なんでこんな時に!?」


 驚きを隠せなかった。さっきデッキを確認した時に存在したのは覚えている。だが、愛梨彩の話では使ったカードと同じ種類のカードが補充されるということだった。投擲魔法が尽きたからか? 他にも武器魔法はあったはずなのに。


「ケースはあなたの意思に反応してカードを補充することもあるわ。だからブランクを選んだのはあなたの意思」

「俺は使えないカードなんて望んでないぞ!」


 尽きた投擲魔法の代わりに盾を構えて、ナイジェルの突進を流していく。しかし、全部は躱せない。爪はローブを切り裂き、露出した肌に爪痕が刻まれていく。


「使えない? 本当にそうかしら。あなたの深層意識はなにを思っていたのかしら。デッキを確認したあなたが、なんでほかの武器ではなくブランクを導き出したのかしら?」

「なんでってそりゃ……」


 ——デッキにはこの状況を打破するカードがないから。


 脳をつん裂くように閃光が走る。自分の直感を後から理解した。このデッキには相手を封じるカードが存在しないのだ。


「つまり……この場で創れってことかよ」


 盾は次第に欠け、破片がこぼれていく。躊躇っている暇はない。このまま手をこまねいていれば盾は壊れる。


「あなたには想像力がある。それをぶきにしなさい」


 「そんな抽象的なことでいいのか」と悪態をつけたくなるが、今はそれどころじゃない。意を決して白紙のカードを手に取る。


現実的リアルじゃない武器でも魔法ファンタジーでなら具現化できる……イメージするのは尾のようにしなやかにうねる剣! こい!」


 さっきまで白かったカードに絵柄が刻印される。描かれた絵は逆巻く波のようにしなった蛇腹剣! 愛梨彩に倣って命名するのなら——


「『逆巻く波の尾剣テイル・ウェイブ・ブレード』!」


 カードが剣に変わるとすかさず放るように剣を振るう。ナイジェルは跳躍で左に回避しようとするが、もう遅い。これは剣として使ったわけでも投擲として使ったわけでもないのだから。

 剣先が注力した魔力によって際限なく伸びていく。


「言葉の通じないお前には初見の武器まで看破できないだろう!」


 手首を魔犬の避けた方向へとスナップする。鞭のように伸びた剣はナイジェルの足に絡みつき、完全に動きを封殺した。

 手繰り寄せるように剣を短くする。ナイジェルは脱出を試るが、魔力で編んだしなやかな剣は簡単には砕けない。抵抗むなしく、徐々に徐々に俺との距離が近づいていく。


「チェックメイトだ」


 反対の手で召喚した剣をナイジェルの喉元に突きつける。それと同時に「そこまで」と戦闘終了を告げる愛梨彩の声が石室に鳴りはためいた。


「ふぃー。もう無理だぁ」


 『僕』は剣を収める。疲れ、痛んだ体を休ませるように尻餅をついた。痛覚が鈍化しているとはいえ、遠慮なく刻まれた体はそれなりに痛みを伴っている。

 ナイジェルは僕と対照的だった。主人の次の命を待つかのようにピンと背筋を張って座っている。


「お手」


 なんとなくナイジェルに手を差し出した。お互いに切っ先を交えた間柄となった今ならわかり合えるんじゃないかと思った。緋色が好きそうな、いわゆる青春バトル漫画のワンシーンってやつだ。

 だが期待は見事に裏切られ、思いきりがぶりと噛みつかれてしまう。


「ですよねー」


 軽口を叩きつつ、手を離す。噛まれた痛みがじわりと広がり、同調するように鈍化していた全身の痛みもどっと押し寄せてくる。たまらず僕はその場で仰向けに寝転がった。

 こんなにくたびれて、こんなに痛い思いをする。魔術師って大変だと思った。でも、きっと愛梨彩はそれを歯牙にもかけないのだろう。

 一体、なにが彼女を突き動かしているのだろうか。


「お疲れ様。初めてにしてはまずまずの結果ね。反省会は後でするとして……どうしたの? 黙って私を見つめて」

「ねぇ、愛梨彩が賢者の石にかける願いってなに?」


 考えもなしにそんな言葉がついて出た。見上げると、愛梨彩は目を伏せている。

 気になってはいたがずっと聞けなかったこと。本来は契約の時に聞くべきだったこと。

 それを聞かずにいたのは彼女が賢者の石を悪用しないと直感したからだ。彼女が悪い魔女なら僕をスレイヴにすることはなかった。利用するために蘇らせたとしても待遇はいい方だと思う。


「——普通になりたい」


 注意して聞いていなかったら聞き逃してしまうほどか細い声で彼女が呟いた。それは紛れもなく彼女の内心の吐露だった。

 ——特別になりたい僕と普通になりたい彼女。正反対な僕たち。


「なんでもないわ。忘れて」


 言わなかったことにしたいようだが、しっかり聞いてしまった。聞かなかったことにしたくないと思った。彼女の言葉を聞いて安堵した自分がいたから。

 彼女は絶対賢者の石を悪用しない。信じた通りの人間だったのだと改めて思うと破顔せずにはいられなかった。 


「そのニマニマとした顔……気持ち悪いのだけど……喋らないのが余計に気持ち悪い」

「僕からしたらずっと仏頂面の方がどうかと思うけど?」

「減らず口ね。いいわ、その厚顔さに免じて特訓は中断しましょう」


 時刻はちょうど七時になる頃。まるで狙ったようなタイミングだ。多分、僕が魔女に対して臆面なく口答えしたのは関係ないのだろう。


「いいね。朝飯?」

「そうとも言います」

「いや、絶対そうでしょ」

「いくわよ、ナイジェル」


 先に出ていく愛梨彩とナイジェルを追うために起き上がる。


 ——悪い魔女ではない。


 それだけわかれば今の僕には充分だ。だから、今日得た力は正しいことのために使おう。彼女のためにできる最善の手伝いをしよう。そう思うとこれから先、いくらでも痛い思いに耐えられる気がする。

 獲得した力を噛みしめるように開いた手の平をぎゅっと握る。これからもっともっと彼女のために強くなるとここに誓おう。

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