特訓開始/episode3


 結局その日はなにも聞けなかった。僕はエネルギーをセーブするように眠りにつく。所在ない以上、翌朝を迎えることしかできなかった。


「太刀川くん、起きなさい」


 まどろんでいると、声が聞こえる。体はそこはかとなく重い。目を開けてみると暗闇の中、昨日と同じように四つん這いになって僕を覆う愛梨彩がいた。


「うわぁ!?」


 大慌てでメガネを探す。しかしメガネは見当たらない。ああ、そういえばもうメガネは必要ないんだっけ。


「今日からは訓練をしてもらうから」


 相変わらずの抑揚のない声で愛梨彩が言う。その声を聞けば、四つん這いで僕を覆っていることに大した理由はないのがよくわかる。


「く、訓練?」

「ええ。魔術の訓練よ」

「よっしゃ!」


 ついに僕も魔法を放つ日がきたのだ!

 僕は浮かれ気分となり素早く上体を起こした。起きると愛梨彩は僕の足の上に座りこむ形となり、ちょうど正面に彼女の顔があった。


「あ……」


 至近距離で愛梨彩の顔を初めて見た。どう話を続けていいのかわからず言葉に詰まる。

 顔は売れっ子のアイドルのように小さく、線が整っていて鼻が高い。肌は透き通るように白く、不気味にすら感じる。人形のようにまんまるとしたブルーグレーの瞳はじっと僕を見つめて離さない。どれもが魅力的で目を逸らしたくても惹かれて逸らせない。


「さあ、いくわよ」


 静寂を破ったのは愛梨彩の方だった。どうやら彼女はこの見つめ合いの中でなにも感じなかったらしい。僕は胸が押し潰されそうなほどドキドキしたのに。


「いくってどこに?」


 愛梨彩は床を指差すとそのまま部屋を後にする。下のホールのことだろうか? それとも客間?

 ともかくついていくしかなさそうだ。


 廊下を出るとそう遠くない所に愛梨彩がいた。


「フィーラ・オーデンバリがくる以上、人並みに戦闘ができるようになってもらわないと困るの」


 駆け寄ると愛梨彩はぶっきらぼうに言い放った。僕に見向きもせず、愚痴をこぼしているかのようだった。


「そいつって昨日ハワードが話していた魔女?」

「ええ、そう。私が教会を襲撃したと知れば、ほかの魔女がすっ飛んでくるのは道理でしょう?」

「それはまあ……」


 愛梨彩はすたすたと階段を降りていく。僕は思うことがあり、階段に差し掛かる直前で足を止めた。

 愛梨彩とアイン以外の魔女……どんな相手なのだろうか? 愛梨彩が顔を曇らせるほどの相手とは一体……。


「そいつは強いの?」

「北欧圏最強の魔女よ。その実力は嫌というほど思い知らされたわ」


 あっけらかんと彼女は答える。強いのは百も承知だと言わんばかりの勢いだ。つまり愛梨彩はフィーラの強さを恐れているわけではない。

 だとしたら愛梨彩にとってフィーラとはどういう存在なのか?


「もしかして友達?」


 階段を降りきったところで愛梨彩の足が止まった。上の階にいる僕を仰ぎ見て、睨みを利かせる。


「あなたって時折凄まじい洞察力をみせるわね」

「ごめん。『思い知らされた』って言ってたから……つき合いが長いのかなって」


 慌てて階段を降りて、愛梨彩に駆け寄る。


「有り体に言えば『友達』ね。私の数少ない知り合いの一人がフィーラ・オーデンバリよ」


 愛梨彩の顔を覗いて見ると、意外にも怒ってはいなかった。代わりに浮かび上がった表情は過去を顧みているような感傷的なものだった。


「やっぱり友達と戦うのは嫌だよね」

「勘違いしないでくれるかしら? 魔女である以上一族以外はほぼ敵よ」


 だがそんな表情はすぐに引っこみ、いつも通りのつんけんした態度になる。彼女に共感しようと思ったが、的外れだったようだ。

 愛梨彩は冷徹な魔女だ。私情を入れこむことはないのだろう。だから、きっと友達との戦いも割り切っているのだろう。

 でも、本当に? 本当にそうなのか? じゃあさっきの感傷に浸った顔は?


「悲しそうな顔……してたからさ」


 自ずとそんな言葉を口にしていた。

 愛梨彩は目を背け続けている。恐らく図星だったのだろう。友達と戦うことになっても、気丈に振る舞おうと頑張っていたんだと思う。沈黙を守るのも無理はなかった。


「私が憂いているとしたらそれは……この日がきてしまったことかしらね」


 静謐な空気の中、独り言ちるように愛梨彩が呟いた。


「この日?」

「戦わずに済むのなら戦わないでいたかったってことよ。けど戦わなきゃいけない以上、フィーラには負けられないの。だから、あなたを訓練します。さあ、きなさい」


 愛梨彩は先を歩いていく。僕も玄関ホールを横切り、彼女を追う。

 愛梨彩が立ち止まっているのは対面にあるホールの壁だった。その先に通路や部屋などはなく、いき止まりだ。

 追いつき、壁の周囲を一瞥する。見ると、彼女が立ち止まっているところの壁だけ煉瓦を積み重ねたような石造りになっている。幅は人が二人収まるくらいで、妙に意味ありげな感じがする。

 愛梨彩が中段の右端にある石のブロックを押しこむと、壁は観音開きの扉のように開いていく。


「絵に描いたような隠し通路だ……」


 こんなあからさまなものを見せられると自然と期待が高まってしまう。

 隠し通路の先は秘密の地下室で……そこには研究の魔道具、氷漬けにされた生物の死骸や散らかった人骨!

 なんて妄想が捗る、捗る。


「ついてきて」


 それだけ言うと愛梨彩は壁の先の闇へと沈んでいった。

 通路は仄暗く、下るための階段がうっすらと見える。僕は男心くすぐる地下室への期待とは裏腹に、恐る恐る足を踏み外さないように下っていった。



 地下室……なんて聞こえのいい部屋はそこになかった。一面に広がっていたのは石の壁、壁、壁。つまりは空洞だ。


「魔女の地下室って研究スペースみたいな感じじゃないんですかね、愛梨彩さん?」

「ええ。見ての通り研究スペースよ」


 おかしい。魔女には日本語が通じないのだろうか。いやさっきまで普通に会話してたし、通じるはずだ。

 そこは研究スペースというにはあまりに大きな空洞だった。螺旋状の階段を降りてここにたどり着いたことを考えると、屋敷の地下のスペース全てがこの部屋なのだろう。

 空気は冷ややかで、どこかから冷気を放っているように思える。タイル状に張り巡らされた石の床は所々抉られた跡がある。研究室というより地下闘技場なんて言葉の方がしっくりくる。


「最初は初歩的なことから始めるわ。魔力を使うことからやっていきましょう」


 なにもない闘技場の隅で彼女が言った。

 なんとなくだが、初歩的なことからではなくいきなり実践するタイプだとみなしていたから驚いた。


「魔力ならアインと戦った時に使ってるけど?」

「あんなの使ったうちに入らないわよ。私が言っている『使う』は魔力コントロールのことよ。毎回毎回魔力全部出し切っているのではスレイヴとして使い物にならないから」


 僕の主張を一蹴して、愛梨彩が鼻で笑った。

 彼女の言う通りだ。魔力を放出することはできたとしても、放出のペース配分はできていない。第一、それができていれば教会での戦いは撤退せずに済んだのだ。


「まずは簡単なことからってことか……」

「そうね。魔女なら子供の頃に習得している簡単なことよ」


 彼女はニヒルな笑みを浮かべている。僕は固唾を呑んで次の言葉を待つ。まだ一緒に過ごした日は浅いが、この表情は間違いなく……なにか企んでいる顔だ!


「あなたには魔力がない。体に流れているのは私からの借り物。つまり私があなたに魔力を渡さなければあなたはただの屍に戻るってことね」

「え……?」

「今、あなたへの魔力パスを切りました。残る魔力で半日生き抜いてみなさい。それまで地下室の扉は堅く閉ざしておくから」


 ……絶句。言葉が出ないとはこういうことか。

 「初歩的なことってなんだ! 簡単なことってなんだ! 命かかってるじゃないか!」と心の中では反論しているものの、僕に決定権がないことを知っているからか言葉は出ない。


 やらなきゃ死ぬ。ただそれだけ。


 でもなにより……これは僕が望んだことだ。やってやらなきゃ意味がない。動く死体として現世に止まっている意味が!


「異存はないみたいね。まあ、その目を見ればだいたいわかるわ。そんなやる気に満ちた太刀川くんにアドバイスをしてから去るとしましょうか」

「アドバイス!? 魔力を抑えるコツとかか!?」

「寝ても魔力の消費は抑えられないわよ。無意識で魔力が操れると思わないことね。それじゃ」


 ……石段を登る音がコツコツと虚しく響く。


「なんだよそのアドバイス!!」


 階段に向かって叫んでも帰ってくる言の葉はない。

 期待した僕がバカだった。結局のところアドバイスらしいアドバイスはなにもなく、死地という逆境の中、自力で探せというなんともスパルタな教育だった。


「いったいどうしろって言うんだよ……」


 無機質な部屋の中、振り子時計が壁に据えつけられているのが目についた。時刻は早朝五時半。タイムリミットは一七時半だ。

 どうすればいいのかわからずその場に座りこむ。無駄に動いてエネルギーを浪費するわけにもいかなかった。


 まずは考えろ。考えろ僕。この訓練の意図はなにか?

 魔力回復のすべを見出すことか?

 愛梨彩とのパスを開く方法を見つけることか?

 いや、もしやここから抜け出すのが訓練なんじゃ?


 ……。


「ダメだ、わかんない」


 時計は午前七時を差し示している。閉じこめられてから一時間半が経った。窓のない石の地下室には朝日は差しこまず、あいも変わらず殺風景で仄暗いままだ。

 あれから自分なりに色々と試行錯誤してみた。

 魔力を湧き出すために踏ん張ってみたが、体が力むだけでなにも出てこない。脱出するために壁を殴ってみたが、壁が少し欠けるだけ。有効的な解決策は見つからない。

 それどころか訓練の意図すらはっきりしない。もしかしたら意図を深読みし過ぎているのか。シンプルに魔力のコントロールする訓練なのだと割り切ってみる。


「仮にコントロールする訓練だとして……どうやってコントロールすればいいんだ?」


 魔力を使った時のことを思い出す。狼男を倒した時のことだ。

 あの時は遮二無二全身の魔力を放出することだけ考えた。コントロールらしいことはなに一つしていない。


「でも魔力を意識することはできたのか」


 ならばまずはコントロールすることを意識してみる。愛梨彩も「無意識で魔力が操れると思わないことね」と言っていた。漠然と「セーブしろ。セーブしろ」と念じる。


 効果は……思わぬ形で出た。


 セーブし過ぎると意識が飛びそうになるのだ。多分このままやったら心臓が止まる。

 魔力というものを漠然と意識するあまり、必要最低限を把握できていないようだ。今の僕にはゼロか百の二択しかないらしい。帯ている魔力をコントロールできず、魔力切れを起こして死ぬか。生体活動を止め、魔力を帯びたただの屍になるか。——という二択。最適解は一の魔力を流して九九を貯蓄することなのだろう。


 …………。


 さらに三時間が経過した。具体的な対策もなく、いたずらに時間ばかりが過ぎていき、自分の知らないうちに魔力は消費されていく。魔力が減ったからか息苦しさを感じるようになってきた。寝ても意味ないことは百も承知だが、横たわることしかできなかった。

 大前提として僕には魔力がない。自分から魔力を生み出すことはできないのだ。生み出すどころか体を動かすために消費している。プラスされる分もなければプールもない。

 ここにきて愛梨彩からアドバイスをもらえなかったのが悔やまれる。アドバイスとして言ってきたのは寝ても意味がないということだった。

 言われるまで人間が活動するためのエネルギーなら無意識で抑えられると思っていた。でも睡眠という無意識状態では魔力の消費を抑えられなかった。


「なんだよ……『寝ても魔力の消費は抑えられないわよ』って……確かに安直な選択肢を選ばないで済んだけどさ。あっ……」


 息絶え絶えの状態で吐露してみると、初めて気づくかことがあった。


 ——愛梨彩は僕が眠った理由に気づいていた。


「つまり……あれか? 愛梨彩が無駄に魔力を消費しないように、僕が寝てたことに気づいていたって……わけか? 僕から彼女への思いやりは筒抜けだったわけか?」


 心臓の奥底から急激に血が沸き立ってくる。息苦しさなど感じていなかったかのように。

 恥ずかしさのあまり死にたくなってきた! 相手にバレバレの気遣いほど恥ずかしいものはない! 心臓へ魔力がだだ流れで死にそうだ! いやいっそ殺してくれ!魔女に気遣いなんてするんじゃなかった!


「あああああああああああ!!」


 勢いよく飛び起き、やる瀬無い気持ちを精一杯こめて壁を殴り続ける。痛みはなく、殴るたびに壁からは一センチにも満たない破片が静かに落ちていく。

 ふと我に帰った。

 

 ——壁が欠け、石の破片がこぼれ落ちた。


 生前の僕はそこまで力強かっただろうか? 石の壁って人が殴って欠けるものだろうか?

 ここから出られるか試すために石壁を殴った時もそうだ。拳で石の壁を砕くことはできなかったが、今と同じように破片が落ち、傷つけることはできた。

 試しにもう一度別の場所を殴ってみる。痛みはない。


 やはり——壁が欠けた。


 つまり殴った壁が脆くなっていたわけじゃない。だとしたら……


「僕の腕に必要以上の魔力が流れている?」


——「急に魔力を浴びたから体の変質だけでなく性格の変質が起きてるのね」


 僕が起きた時に言った愛梨彩の言葉。もしそれが正しいなら魔力によって腕力のステータスを上げている状態だという仮説が成り立つ。

 あの時は無我夢中で気づかなかったが、愛梨彩と契約した直後の体は別人のように軽かった。加えて身体能力も向上しているようだった。極めつけが縮地したかのようにジャンプしたこと。これが身体能力の向上と言わずなんと言うか。


「そうとわかれば腕に余分な魔力がいかなようにすればいい……どこにどれくらいの魔力を使っているか把握し、それぞれの部位に必要最低限の魔力を流せば……」


 そう考えると先ほどコントロールに失敗したのも頷ける。

 僕は自分のどこにどれくらいの量の魔力があるのか把握していない。つまり具体的な『意識』ができていない。そんな状態で「セーブする」ことを考えれば全体を意識して、全ての魔力をカットしてしまうことになるだろう。

 残り時間が半分に迫っている。このままコントロールできなければタイムアップより先にお陀仏してしまう。


「やらなきゃ死ぬ……なら研究スペースらしく実験を始めようじゃないか」


 苦しい状況を嘆く心に鞭を打ち、先ほどと同じように壁を殴って腕力がどれだけ上がっているか判断する。ここで特に注目したいのは左右の差異だ。右で殴った後、近くの壁を左で殴ってみる。

 結果、右手で殴った壁の方が軽く抉れているのがわかった。やはり利き腕の方がより強くなっている。いざという時徒手空拳を使えるように無意識に強化しているのだろうか。

 次に脚力だ。壁を一蹴してみる。

 壁をみると抉れるどころかかけらすら落ちなかった。キックはパンチに比べて威力が弱いことが明白だった。


「脚は強化されていないのか?」


 以前の戦いの時は強化されている実感があった。あの縮地した感覚。今の自分にはできないのだろうか? そう思い、軽く跳躍してみる。

 果たしてジャンプ力は凄まじいことになっていた。

 床から天井まで五メートル弱あるが、余裕で天井に手が届く。キック力ではなくジャンプ力に魔力を配分しているということらしい。

 試しに立ち幅跳びの要領で前方へと跳んでみる。助走なしでも目分量で成人男性三人分——四メートルちょっとは跳んでいる。走りながら跳躍すればアインと戦った時のように一〇メートル近くまで跳べるだろう。

 他にも視覚や聴覚の強化がされているように思えた。メガネがいらないのも視覚強化の恩恵だろう。

 逆に触覚は鈍くなっているような気がした。痛みを感じにくい。魔力の影響というより死体だからだろうか。


「とりあえず主なスペックは把握した。あとは……」


 あとは意識して余剰分をカットして蓄える。今のところ腕力強化とジャンプ力強化は無用の長物だ。暗がりでなにも見えなくなるのは不便なので視覚強化は残しておく。

 魔刃剣を使った時のように体の中の魔力の流れをイメージする。直立している自分の体を正面から俯瞰するイメージだ。

 すると体の部位が光っているように感じた。右腕は赤く、左腕は黄色、足はオレンジというように。まるでどれだけそこに魔力を流しているのか可視化したようだ。


「右腕部セーブ……」


 その言葉を受けて右腕の輝きが淡くなっていく。


「左腕部セーブ……両脚部セーブ……」


 同じ要領で他の部位からも魔力の余剰を排していく。イメージの中の僕は白いオーラを纏い、心臓部のみ燃えたぎるように真紅に染まっている。


「掴んだ……!!」


 息苦しさはたちまち消えた。体の感覚も生前に近いようで、ジャンプしても人並みにしか跳べなかった。

 僕はついに——魔力コントロールを身につけたのだ!!



「流石ね。半日で魔力コントロールができるようになるなんて」


 一七時半。一分のズレもなく、愛梨彩が地下室に降りてきた。


「それ褒めてる?」

「ええ、もちろん。不服かしら」


 淡々とした言葉遣い。表情も半日前と寸分違わぬ無愛想なものだった。正直不服と言えば不服だ。


「わかりづらいよ! もっと声音を変えてみるとかさぁ!」

「じゃあ、態度で示せばいいのかしら?」


 ——態度で示す。


 怪しくも甘美な、そして蠱惑に満ちたワードに聴こえてしまう。長身の美人でスタイルもグラマラスな愛梨彩が……あんなことやこんなことで労ってくれる。と妄想は尽きないが、相手が魔女なのであまり期待しない方が身のためだ。

 だが悲しきかな思春期男子。……僕は固唾を飲み、「ま、まあ」と曖昧な返事をしてしまう。


「ついてきて。褒美をあげるわ」


 褒美。どうしたのだろう。なにか変な薬草でも食べたんじゃないか。表情こそ変わらないが、僕に対する扱いが今までの比にならないぐらいよくなっている。これが飴と鞭という教育か。

 とりあえず僕は黙って地下室を後にした。いくら相手が魔女とはいえ、褒美という響きを疑って身構えることもないだろう。


 愛梨彩についていくと、たどり着いた場所はダイニングであった。長いテーブルが部屋の大半を占拠した、ザ・洋館のダイニングという部屋であった。


「あの……僕はここでなにをすればいいんでしょうか」


 想像していたこととかけ離れており、身構えてしまう。愛梨彩がくれる褒美なんて実用的なことを教えたり、役立つ魔道具を渡したりってところだろうと想像して高を括っていた。けど、これは予想外だ。


「なにって……待っていればいいのよ?」


 どうも彼女は僕が恐縮している理由がわからないようだ。いやいやこんな広いダイニングルームに一人、お誕生日席で待たされたら緊張するに決まっている。確かに万が一、心ときめく展開になったらと考えはしたけども。


「あの……つかぬことお伺いしますが……褒美って一体?」

「ああ、言ってなかったわね。でもダイニングにきたら答えは決まっていると思うけど?」

「すいません、わからないです。魔女がダイニングですることわからないです」

「食事に決まってるでしょ。魔女だって食事はしますから。それに死体とはいえ肉体の維持は生きている人間と変わらないのよ。魔力を使わないで維持できる部分は使わないに越したことはないからね。作ってくるからそこで待ってなさい」


 食事!? 魔女の食事って紫色したスープの闇鍋とかおよそ一般人が食べないような爬虫類や両生類の丸焼きとかでは!?


「ちょ、それ褒美じゃない!!」


 なんて言葉は彼女に届かず、愛梨彩は部屋の外に出ていってしまった。キッチンは外にあるようだが……


「追いかけても仕方ないか。闇鍋と丸焼きって決まったわけじゃないし」


 腹を決める。舞い降りてきた異性の手料理を食べるチャンス。逃すわけにはいかない! どんなものでも食ってみせますとも!

 そして、二、三◯分が過ぎた頃。部屋の外からなにやら香ばしい匂いが漂ってくる。


「これはもしかして……もしかするぞ」


 期待感を募らせて、その瞬間に備える。


「待たせたわね。さあ、食事にしましょう」


 ウェイトレスさながら両手に二枚ずつ皿を腕に乗せ、食事をテーブルに運んできた愛梨彩。どんな平衡感覚してるんだ。半分を僕の目の前に起き、もう半分は遠くへ運んでいく。

 出された料理を見た時、僕は目をしばたたかせずにはいられなかった。

 ステーキである。

 濃褐色に焼かれた肉は紛れもなくステーキである。ただ焼いた肉を置いただけでなく、コーンやポテト、人参などつけ合わせまで盛られている。


「先に言っておくけど、牛肉だから」


 素材を疑うのを見抜いたのか、愛梨彩は僕の言葉を封殺する。

 愛梨彩の準備が整うまで呆然と配膳されたステーキを眺める。木製のプレートの上に鉄板が置かれた、いわゆるステーキ用の皿に盛りつけれている。専門店ならいざ知らず、一般家庭で出されることは珍しいだろう。もう一つのライスの皿も白の平皿で配膳されており、食べる前から並々ならぬこだわりが見て取れる。


「それじゃいただきましょうか」


 対面の席から、か細く声が聞こえた。


「いや、遠くない!?」


 そう、愛梨彩は対面の席に座ったのである。つまり長いテーブルの端と端で二人で食事を開始しようとしたのである。


「そうかしら?」

「いや、そうだよ!食事はもっと和気藹々とするべきでしょ!」

「ごめんなさい。誰かと食事をともにするのが久しぶりだったから。男の子とどんなふうに食事を一緒にしたらいいかわからなくて」


 たまらずツッコミを入れると、愛梨彩は俯いてしまった。

 しまった。突いてはいけない藪を突いてしまった。彼女は魔女で、この屋敷に何年も一人で暮らしているんだ。わからないのは無理もないことだったかもしれない。


「そう……なんだ。じゃあさ、僕がそっちいくよ」

「え?」


 二枚の皿を両手で持ち、愛梨彩の左前の席へと移動する。 

 有無は言わせない。今までずっと一人で食べてきてわからなくなっていたとしても今は僕がいる。

 ここには二人いる。

 なら、僕は物怖じせずに教えるべきなんだ。普通の家庭の暖かさとか、一緒に食べるごはんのおいしさとか。そういう小さいけれど積もり積もっていく幸せを。普通の僕だからこそ、魔女に教えられるはずなんだ。


「これで喋りながら食事ができるでしょ?」


 僕が白い歯を見せると、愛梨彩が顔を背けた。


「どうしたの?」


 たまらず問うてみるが、「なんでもないわ。さあ、冷めないうちに食べましょ」とはぐらかされてしまった。表情はけろりとした普段の愛想のない顔に戻っている。


「そうだね」


 二人揃って「いただきます」と斉唱する。ミディアムで焼かれたステーキはほんのりと赤みが残り、紅潮している頰を想起させる。せっかくのご褒美だ。賞味しなくてはもったいない。ナイフで軽く圧をかけただけで切れる肉を口元に運ぶ。


「うん、おいしいよ。ステーキ屋さんで食べてるみたい」

「当然。私が焼いたんですから」


 ふんと鼻を鳴らし、ステーキを誇らしげに語る愛梨彩。彼女の姿を見て、思わず笑みがこぼれる。

 いつか面と向かって食事ができるようになるその日まで……僕は『普通』の世界を彼女に教えていこう。それが『普通』だった僕を助けてくれた彼女への恩返しになるはずだから。

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