第三章 学園の魔女
決裂のprelude——「夢」/episode43
夢を……見ていた。
少年がしゃがみこんで泣きべそをかいている。
少年がいるところは公園のような風景だが、その周りの背景は白く塗りつぶされている。まるでそのシーンだけ切り抜かれたようだった。
少年に寄ってくる黒い影が一つ。顔も姿もおぼろげ。だが、それが魔女だと……なぜか僕は知っていた。
「どうして泣いているの?」
魔女は少年に声をかける。哀れんでいるのか、心配しているのか。わからないが、優しい声音に感じた。
「どうして……魔女は殺さなきゃいけないの? 俺は魔女を殺したく……ないよ」
少年は咽びながらわけを話す。どうやら少年は
「それはきっと正しいことよ。魔女なんていない方がいい」
「でも……それでも殺したくないよ。魔女にも生きて欲しい。人を殺すために……強くなりたくなんかないよ」
少年は魔女を見上げ、力強く反駁する。
純真無垢な少年に人殺しの責務は重過ぎたのだろう。だから逃げ出して泣いていた……という状況なのかもしれない。
「あなたは優しいのね。でも、世の中には悪い魔女がたくさんいるの。罪もない人々を躊躇いもなく殺せる悪い魔女が」
「そうなの?」
「そう。だからあなたは正しいことのために力を使えばいい。悪い魔女を殺すのは大切な誰かを守るため。そのために強くなればいい。あなたは誰かを守れる人間になって」
魔女が微笑みかける。その笑みを……僕はよく知っている気がする。つい最近にも見た気がする。誰かを想って笑む、柔らかな表情。
「わかったよ!」
少年はもう泣き止んでいた。疑問の答えを得たからだろう。
正しい力の使い方――守るために強くなる。少年が決意した瞬間だった。
だが、魔女はまだなにか言いたそうに少年を見つめていた。そして……魔女の口が再び開く。
「あなたにお願いがあるの。お姉ちゃんもね、いつか悪い魔女になるかもしれない。そうなる前に……あなたが私を殺してくれる?」
それは魔女のたった一つの望み。悪い魔女になる前に人間として死にたい。永遠という時間の牢獄からの解放を……魔女は求めたのだ。
「それでお姉ちゃんは幸せになるの?」
「ええ。だってそれが私の『願い』だから」
少年の純粋な疑問に答える魔女。その目は確かに笑っていた。死ぬことが幸せなんて……あんまりだ。けど、それは一般的な感性であって、魔女には通じない理屈だ。
それが少年にもわかったのだろう。彼はしっかりと頷いていた。
切り抜かれた映像が切り替わる。ここは夢の世界。何年もの時間が一瞬で過ぎたのだ。
少年は成長し、青年となった。やがて彼は……あの時の魔女と相対する。
――嫌な予感がした。
彼が魔女と対峙する理由は一つ。次に起きることは……容易に察することができる。
僕は声を荒げて「やめろ!」と叫ぶが、虚しく響くことすら叶わない。夢の舞台は観客の叫びに耳を傾けることなく進んでいく。
「俺は君を殺すため……そのために生きてきたんだ」
青年の剣が魔女の胸に貫いた。魔女は自ら剣を深く突き刺すように、彼に寄って抱き締める。あの時の笑顔同様優しく、暖かく包むような抱擁。
「これでいいの。あなたは間違っていない。ありがとう——」
手は褒めるように彼の頭を撫でていた。愛おしそうに、感謝するように。やがて魔女の口元が青年の耳と重なる。
「――太刀川くん」
魔女が呼んだ青年の名前。そう……青年は
白い空間に
――ああ。ああ!
声にもならない声が僕の内側で反響する。
僕が殺した魔女は――九条愛梨彩。自分が必死で守ろうとした主人を……自らの手で殺めたのだ。
――嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ!!
僕は真っ白な空間から逃げ出す。視界はやがて暗くなり、その奥から強烈な光を感じた。それが出口と信じて、がむしゃらに駆けていく。
——こんな結末ありえない。
「嘘だ!!」
気づいた時にはベッドから飛び起きていた。夢の恐怖からまだ逃げ出しきれていないのか、僕の胸は早鐘を打ち続けていた。
「なんだよ……なんなんだよ」
吐く息は荒く、苦しい。冷静になろうと胸を押さえつけ、目を瞑る。
脳裏に映るのは白いキャンパスに落ちた黒い染みと……そこから滲むように広がる赤い海。忘れたくても忘れられない。
「僕が愛梨彩を殺す……? そんなわけ……ないだろ」
これは夢だ。実際に起きたことでも、これから起きることでもない。
僕は魔女の騎士で愛梨彩を守るために戦っているんだぞ? なぜその主人を殺す必要があるんだ?
だいぶ頭が冴えてきた。考えれば考えるほどその夢はちぐはぐで曖昧模糊なものだった。
そもそも前提条件がおかしい。夢の中の少年――太刀川黎は魔術師の家系の人間だった。僕は普通の高校生だ。姿こそ似ていたかもしれないが、果たして同一人物と言っていいものか。
一人称も『俺』だった。戦闘時に現れる一人称だが……少年は恒常的に使っていたようだ。『僕』とはかけ離れている。
話の展開だって納得できない。まるで幼い頃の僕が愛梨彩と出会っていたかのような作りだ。僕が愛梨彩と出会ったのは高校に入ってからだ。物語が破綻していると言っていいくらいの矛盾が起きている。
そして愛梨彩の願いを叶えるために強くなって帰ってきて……悪い魔女ではなく人として殺す。
魔術式の放棄を願っている愛梨彩がどうして自ら死を選ぶのか? どうして『俺』は彼女を殺すことに納得したのか?
どう考えてもわからないし、納得できない。こんなの偽りの記憶だ。いや記憶ですらない。
「デタラメだ……こんなの」
ベッドに思いっきり拳を打ちつける。反発は柔らかく、手応えがない。とてもじゃないが鬱憤が晴れた気はしない。
そんな折だった。ノックの音が鳴りはためいたのは。
「太刀川くん、入るわよ」
「あ、ああ。どうぞ」
「なんか変な声が聞こえたけど……あなた、汗びっしょりよ?」
愛梨彩は僕を見るなり、すぐに目を丸くした。よっぽど異様な光景だったらしい。
自分の体を見る。滴るように汗が流れている。残暑の熱でうなされて嫌な夢を見た……のだろう。
「九月とは言ってもまだまだ暑いね。まさかこんなに寝汗かいているなんてさ。えーっとタオル、タオル――」
「太刀川くん」
「はい」
愛梨彩がぴしゃりと放った一言が僕の身動きを制止させた。無理に取り繕っていたのがバレたかな?
「様子、変よ。熱とかあるんじゃない?」
「いや、魔力の影響で風邪とかひかないし……」
「いいから動かないで!」
そう言って愛梨彩はベッドに座り、僕の方へと体を寄せる。おもむろに彼女の右手が僕の顔へと伸びてくる。されるがまま、じっとするしかなかった。
愛梨彩の手が額にぺたりとついた。ひんやりとした彼女の手は気持ちよく、体の熱を吸収していくように感じた。
「いい? レイスとはいえ人間の体よ。当然熱は帯びてるの。だからなにかの拍子にオーバーヒートすることもある」
「は、はい」
真顔でじっと見つめられながら説教を食らう。しかもこんな至近距離で。
でももし僕がオーバーヒートを起こすなら、原因は君なんじゃないでしょうか? 今まさにドキドキして胸が張り裂けそうなのですが?
「あまり熱はないわね」
愛梨彩の手が僕から離れる。ほんのわずかな時間だったが、お互いの肌と肌が重なり合う感覚は愛しく思えた。
「多分、暑くてうなされただけだよ」
僕は途端、顔を反らした。今は彼女に悟られてしまうのが嫌だった。
だが、そんなことを彼女が許してくれるわけがない。
「こっちを見て。ちゃんと人の顔見て話して」
両頬に強い力がかかり、首が強制的に愛梨彩の方へと向けられる。流石は相棒……全部お目通しってわけか。
けど……それでも言いたくないことだってあるんだ。
「大丈夫だって。変な夢を見ただけだから。それで慌てて喚いちゃっただけ」
「本当?」
「本当、本当」
できるだけ本当に近い嘘をつく。変な夢を見たのは確かだし、それで慌てたのも事実だ。
けど……大丈夫なわけがなかった。夢とはいえ僕は愛梨彩を殺した。そんなことを本人に言えるだろうか? 言えるわけがない。
愛梨彩なら笑い飛ばすかもしれないが……言えばなにか大事なものが毀れていく感じがするのだ。言えば現実になる言霊なら、言わないで僕の内にだけ留めておけばいい。
僕は精一杯の笑顔を彼女に見せる。愛梨彩が心配しないように。
「そう……それならいいわ。今日は学校にいくんだからシャワーでも浴びてきたら?」
「そうするよ」
「じゃ、また朝食の時間にね」
それだけ言うと愛梨彩は僕の部屋から出ていった。本当に様子を確認しにきただけだったらしい。
壁に据えつけられている時計を見る。時刻は午前六時半。学校にいくにはまだ充分な時間がある。
カーテンを開け、朝日を浴びる。心地のいい晴れ空だ。
「汗も気持ちのもやもやも洗い流してさっぱりしますかね」
もやもやもむしゃくしゃも今、この一瞬だけ。気持ちを切り替えよう、愛梨彩に心配させないためにも。
それに今日は久しぶりの学校なんだから、笑っていなきゃ損だろ。
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