Cherry blossomが残したもの/episode90
*interlude*
私が求めた賢者の石は偽物だった。それはただの魔力炉心で、私の願いを聞届けることのない贋作だった。
——私が普通の人間に戻ることは……叶わない。
目の前がずっと真っ暗だった。先が見えない。今までは白く澄んでいたはずなのに。
自暴自棄にならざるを得なかった。私は普通の人間になれない。普通の人間として生を全うすることができない。
「なら……死ぬしかないじゃない」
とめどなく溢れ出す涙。時間が私を殺してくれないというのなら、違うなにかが私を殺してくれればいい。
ずっと昔から考えていたことだった。狂った魔女になる前に継承すれば第二、第三の私が生まれる。それならば私がいっそ、運命を断ち切ればいいと。
だから無謀な賭けに出た。スレイヴもいないまま、単身で教会へと吶喊した。命なんて惜しくないのだと。
——悔しい、腹立たしい、苛立たしい。
そんな感情に飲みこまれて、私はつい太刀川くんに当たり散らしてしまった。彼はなにも悪くない。ただ私を心配してくれただけだ。
気持ちは未だ落ち着かない。『死にたい』という願望はきっとこの先も消えないだろう。
そう思った矢先だった。階下から悲鳴と怒声が混ざったような声が聞こえたのは。
——敵襲。ここで死ぬのが私にはお似合いかもしれない。
そんな思いを抱きながら気力なく、一階へと足を進める。
しかしそこに敵はおらず、フィーラと勝代くんがブルームと相対しているだけであった。
「どういうつもり!? あなた、レイになにをしたの!?」
フィーラの言葉を聞いて、恐る恐る三人へと近づく。そこには意識を失った太刀川くんが横たわっていた。
震える心がおさまらなかった。どうしてこんなことになっているの。
「意識を過去に飛ばしたんだよ。この争奪戦が始まる前にね」
「あなたまさか……そう、そういうことだったのね」
仮面を脱いだブルームの素顔をその時初めて見た。思わず得心して言葉が漏れる。ああ、あなたがブルームだったのね。
——未来の八神咲久来。
彼女の正体を知って、どうしてこんな状況になっているのかおおよそわかった。彼を過去に送った意味も。
「改めて自己紹介させてもらうよ。私はブルーム・ブロッサム・セブンス。またの名は八神咲久来。あなたたち野良の魔女が敗退する未来からやってきたんだ」
普段とは異なる砕けた口調でブルームが言い放つ。
その場の全員が言葉を失った。味方だと信じて戦ってきた魔女は教会側の人間、八神咲久来だったのだから。
「せっかくだし、私がどうしてこの時間にやってきたかを順を追って話させてもらうよ」
ついに明かされるブルームの真意。太刀川くんが昏睡しているのもそれに関係があるのはわかっている。だとしたら彼女の話を聞くしかない。
私たちは続く彼女の言葉を待つ。
「前にも言った通り、私の未来は悲惨でね。教会が野良の魔女を残らず駆逐してしまって、賢者の石——もといアザレアの世界改変魔法の発動を許してしまったんだ。かくいう
「あなたが——ヤガミサクラが賢者の石を破壊したのは責任を感じたから」
「そうだよ。幸い
ここまでの話は以前の彼女の話通りだ。
荒廃してしまった世界を覆すために彼女はこの時代にやってきた。その原因が野良の敗退に関わることなのだろうということは私もなんとなく察していた。
「それでも若き日の
教会側の人間だった咲久来が野良になった。少し前の自分だったら信じられなかっただろう。
けれど今の私は知っている。彼女は責任感の強い人間だ。騙され、罪を犯していたと知ったら……咲久来は間違いなくその罪を注ごうとする。
「そして……そんな中巡り合ったのがブルーム・ブロッサムという時間魔法の家系だった。彼女たちは魔女でありながら、魔女と人類が戦う世界のあり方に疑問を抱いていてね。志を同じくする
「ますますわからないのだわ! それならあなたは教会を倒すためにきたってことじゃない! なのになんでレイが倒れているのよ!」
「私の目的はお兄ちゃんをどんな形であれ、この世界に存在させることだった。ブルームとしての使命は二の次だったんだよ」
「じゃあ、あなたがブルームの魔術式を継承したのは最初から……」
もし自分の後悔を消すすべを手に入れたら……私はブルームと同じ選択をすると思う。世界と自分の
咲久来も自分の感情を優先してしまったんだ。私はそれを……否定できない。
「私が介入したのはお兄ちゃんを守るため。介入しなかった場合、九条愛梨彩はどこかしらのタイミングで敗退する運命だということは
思い当たる節はいくつもあった。ブルームに助けられたのは一回や二回じゃない。
特に全てが始まったあの日の教会。もしあそこで救援がこなければ私と太刀川くんは死んでいた可能性が高い。
そしてブルームの手助けが積み重なった結果が今だ。フィーラと同盟を組み、戦力を拡充し、教会と対等に渡り合えるようになった。全部ブルームが私たちを生き残らせたからこそ果たせたんだ。
「あなたがアリサに嘘をついてまで争奪戦で勝ち残らせたかったのは……レイを生かすため? それならレイが死ぬ前に——」
「できなかったんだよ、それが」
ブルームがぴしゃりと言下に否定し、嘆息を漏らした。できていれば苦労してないと言うように。
「太刀川黎という人間はあの日あの時間、あの教会で必ず死ぬ運命なんだよ。これは変えられない事実として時間に刻まれている。おそらく時間の修正力というやつも関係しているんだろう。親しい人間の生死の改変には携われないというふうにね」
「だから……あなたは計画を変えた。彼の死後、私を敗退させないように協力したってことね」
私を生かせば太刀川くんの存在は消えない。魔導教会を倒し、野良の魔女が勝者になれば平穏な世界が訪れる。太刀川くんはそこで私と生きていける。そういう算段だったのだろう。
「でも実はそれも失敗続きでさ。一二回も介入しちゃったよ」
「一二回……ですって?」
あっけらかんと放たれた驚愕の数字を私は思わずおうむ返ししてしまう。
「今回がその一二回目。私は一一回愛梨彩が死ぬ姿を見てきた。どう頑張ってもあなたたちは勝ち残れないとくじけそうになったよ」
一二回……一二回も咲久来は争奪戦を経験したというの。ただ太刀川くんを救いたいという一心だけで。
彼女にとって太刀川くんの存在はそれほど大きなものだったのか。私が失わせてしまった命は世界さえも歪めるほど大きいものだったのか。
「私の体はもう流石にボロボロだよ。『
彼女が魔法を多用できなかった本当の理由。それは彼女が休みなく異なる時間軸を渡り歩いてきた負担のせい。
魔術式は死なないようにするための最低限の保障でしかない。魔力の消耗が大きくなれば肉体維持は行われなくなり、魔力回復が優先される。それでも回復しなければ、ゾンビのような生きた屍にするだけ。
そんな状態で時間魔法を行使することは相当な負担になるのだろう。時間を停止させた高石教会の時のように。
「それでも私にはまだ奥の手があった。お兄ちゃん自身を過去に飛ばす方法だ。本人に過去を追体験させ、歴史を捻じ曲げる。知人が介入できなくても本人なら変えられる……という理屈だね」
「でもそれは彼が改変を望まなかったら――」
私はそこまで言って、言葉を飲んだ。代わりに別の言葉を継ぐ。
「このタイミングで彼に使えば……やり直そうとするかもしれない」
「そういうこと。あなたたちが仲違いした時に使えば、お兄ちゃんはやり直そうとするかもしれない。私はその時を待つために、かつて憎んでいた仇と共闘したんだよ」
ブルームは八神咲久来だが、この世界の咲久来と同じ存在ではない。
咲久来と私が和解していたとしても、別の世界の咲久来の中にはわだかまりが残っていても不思議じゃない。あえて私の近くにいることで、取り返す機会を伺っていたんだ。
「でも……この時間軸の延長線上にサクラがきた未来があるわけじゃないでしょう? だってあなたは野良が敗退した未来からきたのだわ」
「その通りだよ。おそらくこの時間軸の
「どうしてそこまでするんだよ!? それじゃあ咲久来は報われないじゃんか! 」
激しく憤ったのは勝代くんだった。ここまでの話を聞いて彼も気づいたのだろう。ブルームは太刀川黎が存在する世界を目にすることはできないんだと。
彼女がしようとしているのはあくまで太刀川黎が存在する世界を作ることだ。自分の世界と地続きではないことも承知の上だったのだろう。
「それでも欲しかったんだ。どこか一つでいい。お兄ちゃんが生き残る世界が。私は仮面で他人のフリをしていたはずなのに、結局八神咲久来としての願いを捨てきれなかったんだよ。それが……一一回目までの私だ」
「え……? 一一回目までって……」
さっきまで仏頂面だったブルームが打って変わって笑顔をみせる。いつものような柔らかな微笑み。その表情を見ただけで今までの話の内容が全て流れていってしまいそうになる。
「さっき言ったでしょ? 『太刀川黎はあの日あの時間、あの教会で必ず死ぬ』って。お兄ちゃんは歴史を改変しない。愛梨彩を守るために死ぬ。そういう男なんだよ、太刀川黎は。だからやっても無駄なんだって私ももうわかっているんだ」
「じゃあ黎が気絶してるのは……」
「『
「あなたが今回の時間軸で私たちと共闘しているのは……待って、全然わからない」
頭の中で話がまとまらなかった。
彼女が太刀川くんを守るために時間遡行をしたこと、そのために私たちを利用しようとしたこと……そこまでは理解できる。
けどそれは全て過程の話で、今は違う? 一二回目の介入でブルームはなにをしようとしているの?
そんな私の困惑を察してか、ブルームが再び言葉を紡ぐ。
「きっと情に絆されたんだろうね。一回目の介入では私の中に八神咲久来としてのわだかまりが残っていて、野良の魔女を利用することを考えていた。お兄ちゃんを存在させることだけに躍起になっていた。だから失敗したんだ。そして二回、三回……一〇回と続けるうちに自然と愛梨彩とお兄ちゃんの関係を認めるようになっていた」
「あなたは私を許したの……?」
「うん。今回——一二回目の介入が上手くいっているのはきっとそういうことなんだよ。私は考えを改め、本気で教会を倒そうと決意した。もとのブルームとしての責務を果たそうとしたんだ。お兄ちゃんたちやみんなが穏やかに過ごす世界を見たい、とね。真の仲間になったことで私たちは終盤まで残ることができた」
私は二度も許されてしまった。あの日、私が無謀な襲撃をしなければ……驕っていなければ彼は死なずに済んだのに。
途端に胸が苦しくなる。
——ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
けれど、先に頭を下げていたのは私ではなく彼女の方だった。
「賢者の石について黙っていたのは本当にごめん。気持ちを測りきれず、あなたの力が必要だという私の主観を優先してしまった。こんなことになるなら愛梨彩を信じてもっと早く言えばよかった……というのは遅過ぎる後悔だね」
「私の方こそ……ごめんなさい。ことの発端は全部私の身勝手のせいでしょう……? 私の
私が人として死にたいなんて願わなければ
「それは違う」
咲久来が私を叱りつけるように鋭く言い放つ。彼女の目が私の奥底を覗きこんでくる。
「確かにことの発端は愛梨彩の
「そんな……私は……私はもう」
「ここまできたら最後まで貫け! 死があなたにとっての救いなら私は否定しない。けどいけるところまで足掻かないとダメだ。自分から可能性を閉ざして目を背けちゃダメだ。脆くて不完全で弱くて……それでもよくしようと懸命に努力する。それが人間として生きるってことだよ」
「人間としての……生き方」
「多分花と一緒なんだよ。可能性という種を育て、芽吹かせ、咲き誇らせる。人間の努力っていうのはそういう地道なことの積み重ねなんだ。そしてあなたの願いは咲き誇り、散ること。途中で枯れることなんかじゃない」
しばしの間静寂が流れる。
今死ねば、私は魔女のまま死ぬことになるのだろう。可能性を閉ざし、絶望して自らの生を終える。命という種を枯れさせる。私が欲したのはそんな死に方じゃない。
藻掻いて、足掻いて……いけるところまでいく。それは在り方の話であって、魔術式の有無は関係ないんだ。花を咲かせることは魔女にだってできる。ブルームが足掻き続け、よりよい未来を手にしようと頑張ったように……私にも。
どうしたらそうできるのかはわからない。これから私はそれを探さなきゃいけないのだろう——人間としての生き方を。
「この時間軸はもう私の時間軸とは異なるものだ。きっと九条愛梨彩が敗退する未来は回避しつつあるんだろうね。私の体の朽ちがその証拠だよ」
「どういう……こと?」
「愛梨彩が敗退してお兄ちゃんが死ぬ可能性がある限り、咲久来がブルーム・ブロッサム・セブンスになるという未来は残る。けど敗退する可能性が限りなくゼロに近づけば近づくほど、この時間軸は破滅の未来へと繋がらなくなる。そうなれば私という時間の異物は消えるしかない」
ブルームの全身から毀れるように粒子が散っていた。その勢いはどんどん増していく……まるで私が生き残る可能性が大きくなっているのを示唆しているみたい。
「愛梨彩たちがどんな未来を選ぶのか、私にはもうわからない。けど私は信じてる。愛梨彩が人間としての生を全うしてくれるって」
「待って! どこにいくの!?」
全てを伝え終えたブルームの背中が遠退いていく。
——私はまだあなたになにもできていない! 聞きたいことがたくさんある!
取り縋るように私は叫んでいた。
「私には最後にもう一人会わなきゃいけない人がいる。彼女に私の想いを継承しなくちゃいけない」
振り向いたブルームはやはり笑みを浮かべていた。
今になってようやく理解した。あなたはいつも心底から笑っていたんだと。私と太刀川くんのゆく末を微笑ましく見守っていたんだ。
「じゃあね……とは少し違うかな。あえてこう言っておこうかな。みんな、『またね』」
仮面の魔女は桜が散るように静かに消えていった。同じ桜を見ることは二度と叶わない。花は散っては咲いてを繰り返す。次に会った時の彼女は違う
けれどほかでもない七代目のあなたが残した種は私の胸に刻まれている。
今はまだどう生きたらいいか決断できない——芽吹いていない種。だけど必ず芽吹かせる。花を咲かせる。散るのはその後なんだ。
そうでしょう、咲久来?
*interlude out*
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