黒乃魔孤/episode47
学校二日目。
昨日と同じ夢を見た。愛梨彩の胸を剣で刺し穿つ夢。今日からは本格的に授業が始まるのに……気乗りがしなかった。
四時間目の古文の授業は上の空だった。どうしても魔女のことが気になってしまう。魔女探しに集中することで悪夢を忘れようとしていたのだろう。
とは言っても授業をサボっても聴きこみする相手がいない。僕たちが調査に使える時間は授業の合間と昼休みと放課後くらいだ。
なんとなく隣の席を見やると、愛梨彩が熱心にノートを取っていた。こんなこと勉強しても魔術には関係ないだろうに。根が真面目なんだなと改めて思った。
「『をかし』ってなに? お菓子?」
「いやいや『おかしい』ってことだろ。え? この文脈だと違う?」
後ろの席の二人はなにやらガヤガヤとしていた。日本語が達者なフィーラも流石に古語はちんぷんかんぷんなようだ。
一応留学生に教えようとしているからか、二人の私語は黙認されていた。だが聞く相手が悪い。緋色の学力は……お察しの通り。見かねた愛梨彩が教えてことなきを得たが、なかなか授業を受けるのも一苦労だと思った。
そうして昼休みがやってくる。今日は前もって手分けして捜索することを決めていた。
ただフィーラに関しては転校生ということもあって、クラスの女子に学校案内をしてもらうことになっていた。賢者の石を完成させる土地のことを知っておきたいということらしい。
軽くご飯を食べた後、僕はほかのクラスへ向かうことにした。クラスの事情に詳しい本宮と一乗寺からすでに話を聞いたのだ。次は別の視点からの情報が欲しい。
やってきたのは隣のクラス。二年B組。ここに同じテニス部の部員がいる。恰幅がいいからすぐ見つけられるだろう。
「あ、いた。小林」
「あれ? 太刀川じゃん! 久しぶり」
小林は教室の隅で仲間とともに弁当を食べていた。スマホを机に出し、隣のやつとなにかを見ているようだった。
ちらりと画面を覗く。そこに映っていたのは魔女のようなアニメキャラが雑談している動画だった。いわゆるVtuberの配信動画だ。
「ってそれ
「流石太刀川氏。よくご存知だな」
小林はいわゆるオタク仲間だ。一年の頃に一緒のクラスで、よくその手の話を二人でしていた。どうやらちょっと前から話題になってきたバーチャルライバーの好みも一緒だったらしい。
黒乃魔孤。黒魔術師系バーチャルライバーで、とんがり帽子とローブというステレオタイプな魔女の姿を自身のアバターとしている。怪異、都市伝説などアングラな知識とアニメ、漫画への造詣が深いことで有名であり、その手のオタクから人気を得ている。
「知ってるもなにも推しの一人——」
そこまで言って言葉に詰まった。そういえば争奪戦に参加してから見てないや。スマホを新しくしても時間が取れないこともままあったから……今も推しと公言していいものかと憚られた。
「わかる、わかるぞ。最近配信してないから推しって言っていいか戸惑うよな。でも俺はこうして過去の動画を見ながら待ってる! いつか黒乃魔孤が再び配信してくれる日を!」
「え、黒乃魔孤って配信やめちゃったの?」
「そこから!? それでも推しか!?」
「いや……ここ数ヶ月追えてなかったから推しって言うの躊躇ったんだよ」
推しの引退すら知らなかったとは……やはり僕が語る資格はないのかもしれない。
——それにしてもなんで突然、引退なんかしたんだ?
僕が見ていた限り、黒乃魔孤はバーチャルライバーをやめるような雰囲気はなかった。自分の知識を嬉々として語り、視聴者を驚嘆させる。視聴者を驚かせることを生き甲斐にしているかのようだったし、このままずっと配信を続けていくとばかり思っていた。
「じゃあ、太刀川はあの配信も知らないのか!?」
「あの配信って?」
小林が忙しなくスマホをいじりだす。雑談動画を止め、別の動画アプリを起動する。
「これだよ、これ!! 世間を騒がせた通称薬物配信!」
「おい、それ見せるのやべーって。推しやめちゃうかもしんないぞ」
小林の友人が忠告するように言った。一緒に見ていた彼も黒乃魔孤のファンだったのだろう。その彼が止めようとするものとは一体……。
もはや魔女の調査なんて関係ないが、知りたくて仕方なかった。
「えーっと確か五分三二秒くらいのところだったな」
「ごめん、ちょっと見せてて」
スマホを借り、スワイプされた時間から薬物配信を視聴する。
すでにライブ配信が開始されてから五分が過ぎている。アバターの魔女は動いているが……魔孤は沈黙を貫いている。いつもならライブ開始と同時に挨拶をするはずなのに。
「あ、あの! ほ、本当に魔法が! 魔法が!」
しばらくして画面の二次元キャラから戸惑いの声が発せられた。声の主の顔色をトレースするようにキャラクターは目を見開いた表情に変わる。
『魔法が』という主語だけで述語が一向に出てこない。魔法がなんなのか? 動画の視聴者コメントも「魔法?」「黒魔術師キャラ(魔法が本当に使えるとは言ってない)」「キャラ忘れちゃったの?」など魔孤の話を理解できてないようだった。
「私、本当に魔法が使えるようになっちゃったみたいなんです……!!」
その声音は自慢というより驚き慌てふためいているようだった。この時間に集まった人間の誰よりも本人が一番取り乱していた。
「私……こんなの知らない!! なんで? どうして? 現実に魔法があるわけないじゃん! なのに……なのに……! 誰かわかる人いませんか!? お願い、教えて!」
まるで起きてはいけないことが起き、救いを求めるような声だった。喜びの色は一切なく、焦燥しきっていた。
しかし、彼女の問いに答えられるものは一人もおらず。「どうしたの? 酔っ払ってる?」「釣りかな?」「都市伝説に魔術なんてないでしょー」と懐疑的なコメントで動画が埋め尽くされていた。
「どうして……! どうしてみんな信じてくれないの!」
理解を求めるように魔女のアバターが慌ただしく動く。だがすぐにプツリと糸が切れたかのように動かなくなる。デバイスの前から離れたせいでモーションキャプチャーが切れたのだろうか。
次の瞬間……けたたましい物音が!
「ほら! すごい音したでしょ!? 本当に魔法なの!!」
爆発音にも似た謎の物音。思わず僕はスマホを少し離した。一体なにをしたらこんな音が出るのか。
動画のコメントは荒れていた。「これやばくね?」「もしかして怪しい薬に手出したとか?」「まずいですよ!」「消される消される」などなど。誰もが彼女の異常さに驚いていた。
「どうして……どうして誰も信じてくれないの」
魔女の咽び泣く声……そこで動画は終了した。「ありがとう」と小林にスマホを返す。
「これが魔孤の最後の配信だよ。本人も流石にヤバいって気づいたのか、一時間も経たずにアーカイブから消した。ゲリラ配信だったからリアタイで見た人少なかったんだけど……物好きなやつはいるもんでさ。録画してたやつが別のサイトに転載して一気に拡散されたんだ」
「そうだったのか」
「最近、魔孤の配信も一辺倒になってきてたからなぁ。ここらでドカンと話題になることしようとしたんだろう。けど、流石に『家具破壊して魔法使えます!』ってのはやり過ぎだわ」
小林の友達はそう言って肩を竦めてみせた。
この配信が薬物配信と言われている理由はなんとなくわかった。薬を使って半狂乱になった魔孤が家具を破壊。アングラな世界に詳しい彼女は興味本位で違法薬物に手を染めてしまった……という筋書きなのだろう。
それ以外の憶測も視聴者をドン引きさせるのには充分だ。小林の友達が言っていた説なんかは最も現実的に聞こえる。薬物ではなく飲酒という可能性だってある。
魔孤が配信をやめてしまった以上、憶測でしか語れないのだが……僕はこの事件の真相に心あたりがあった。
——黒乃魔孤は本当に魔法が使えるようになったのではないのだろうか?
一般人からしたら、これはバーチャルライバーが狂気に堕ちた動画だ。けど、僕は知っている。この世界には本当に魔法があるのだと。普通の女の子の腕っ節であんな爆音が鳴らせるとは思えない。
動画の日付は八月の中旬。魔孤の配信はそれ以前か直近に行われたものだと考えると……サラサの魔術式を継承した可能性はあるかもしれない。
問題は……彼女がバーチャルライバーであることだ。バーチャルライバーの演者——いわゆる中の人の素性なんて調べようがない。仮に黒乃魔孤が秋葉市在住だとしても、一軒一軒お宅訪問するわけにはいかない。
「俺はどんな真実だろうと黒乃魔孤の復活を待つぞ! 彼女のオタトークは格別だからな! ああ、最高」
小林は再び動画を魔孤の雑談放送へと戻す。おそらく何回も見ているはずなのにこのリアクション。本当に心の底から好きなんだろう。
「あ、魔孤の声聞いて思い出した。太刀川、魔孤ってさ、誰かに声似てね?」
振られてしばしの間思案する。魔孤の声をほかの誰かの声として聞いたことはなかった。なにより魔孤は魔孤というキャラクターでそれ以上でもそれ以下でもない。中の人の特定など無粋の極みだし。
「パッと思い浮かばないな。誰の声だろ?」
「俺もすぐには思い出せないんだけどさ……まあ誰の声に似てようが魔孤は魔孤だもんな!」
どうやら小林も僕と同じ考えに至ったらしい。やはり彼は同志だ。
と、その時昼休み終了を告げるチャイムが鳴る。
「ごめん、邪魔したね」
「あ、なんか聞きたいことあったんじゃないのか?」
「いや、また今度にするよ」
学校のことを聞く目的は果たせなかったが……それよりも大事な情報を得た気がした。
——魔術式の継承者は黒乃魔孤。
確証がないからこの推理は僕の胸の内に留めておこう。問題は学園の生徒ではなかったことと無粋だと思っていたVtuberの中の人の特定をしなきゃいけないことだ。
「さあて、どうやって調べたらいいものやら」
魔女の捜索はまだまだ終わらないようだ。
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