積み上げられた罪過/episode48

 *interlude*


「九条愛梨彩……まさかあなたから呼び出してくるなんてね」


 立ち入り禁止の屋上で一人佇んでいると、背後から聞き馴染みのある声が聞こえた。八神咲久来の声だった。


「せっかく学園にいるのだもの。私たちは少しくらい語らった方がいいと思うのだけど?」


 振り向くと、苦虫を噛み潰した顔をする咲久来がいた。「あなたと話すことなんてなにもない」と言っているようだった。

 しかし、そういうわけにもいかない。私はあなたの情報が欲しい。あなたのことを知らなければいけない気がする。


「短刀直入に聞くわ。どうしてあなたが学校にいるのかしら? 教会の務めはいいの?」

「教えるわけないでしょ」

「消えたサラサの魔術式の捜索……そうでしょ?」

「最初から知ってて聞いたってわけ」

「そうよ。でもその様子だと捜索は思わしくないようね」


 咲久来の口が閉口する。これ以上話しても無駄……ということみたい。ほかの三人への手土産は得られなかったが、せっかく咲久来と話せる機会だ。違う話をしましょうか。


「ねえ、私たちお互いのことをよく知らずに敵対していると思わない?」


 咲久来がきょとんとした顔になる。どうやらこういう話になることは想定していなかったらしい。

 咲久来を呼び出したのはサラサの魔術式の継承者の情報を得るためだけじゃない。それだけが私の目的ではなかった。


 ——私は咲久来と向き合いたかった。


 彼女は魔女ではない。なにより太刀川くんのことを一番に考えている。そんな彼女と深く考えないで戦うのは違うと思っていた。

 味方になって欲しいとまでは言わない。けど、せめて私たちの間にある齟齬を解消したい。学校でならそれができる……そう思った。


「なに、それ。情報が得られないなら私を懐柔しようってわけ?」

「そうじゃないわ。私はあなたと話がしたいだけ」

「あなたって本当にムカつくね! 人から奪うもの奪っておきながら、そうやっていい人ぶって! 昨日だって……お兄ちゃんと楽しそうに登校しちゃってさ。私の立つ瀬ないんですけど?」


 咲久来の恨み節は止まることを知らなかった。

 私が奪った……咲久来から太刀川くんを。彼女の視点から見れば、そう見えるのだろう。


「やっぱり……あなたが敵対する理由は私なのね」

「はあ? 今さらなに言ってるの。そうに決まってるでしょ」

「教会のやり方に……賛同しているわけじゃないのね」


 再び咲久来が沈黙した。私は言葉を継ぐ。


「敵対するのは私があなたにとって『信用ならない人間だから』。兄と慕うほど好きだった太刀川くんを奪った相手を信用なんてできない。だから私を憎むのでしょう?」


 薄々気づいてはいた。咲久来が敵対する理由は教会の人間だからじゃない。私の味方にならないだけなのだと。

 返答の代わりと言わんばかりに魔札スペルカードが飛んでくる。私は撃ち落とすようにポケットに隠し持っていた魔札スペルカードを放る。

 水の魔弾と魔弾は相殺し、屋上の床を湿らせるだけだった。


「全部……全部! あなたのせいじゃない!」


 咲久来ふるふると震え出す。私の言葉が正鵠を射てしまったのだろう。逆鱗に……触れてしまったようね。

 咲久来は『オーラ』を纏い、こちらへと向かってくる。やはり彼女とは……戦うしかないみたい。私はポケットから『渦巻く水の衣ヴェール・オブ・アクア』のカードを取り出す。


「あなたの顔を見るとむしゃくしゃするのよ!!」

「相変わらず血の気が多いわね。攻撃してくるということは図星だと言っているようなものよ?」


 憤りに任せた拳が飛んでくる。なんとかガードするが、彼女の攻撃の手はやまない。

 学校だから咲久来はローブもケースも魔導銃も所持していない。なのに攻撃してくるということはよほど千々が乱れているようね。


「そうよ! だからなに!? あなたがいなかったらお兄ちゃんは死なずに済んだ! 平穏な生活をしているはずだった! 全部あなたがエゴで行動を起こしたせいじゃない! 魔女をやめたいっていう自分勝手な理由で! 襲撃者のくせに今さら善人ぶらないでよ!」


 恨み言一つ一つを乗せるように咲久来は連続で拳を見舞ってくる。


「けど太刀川くんが望んでやっていることでもある」


 振りかざされそうになる右の拳を掴む。だが、咲久来は諦めない。反対の拳を振りかざそうとするが、同様に手のひらで受け止め、無力化する。

 力は均衡し、睨み合いが続く。


「それは結果論よ!! あなたと行動しているうちに感化されちゃったんでしょ。お兄ちゃんは……お兄ちゃんは魔術の世界にいるべきじゃないんだ! あなただって知ってるくせに!!」

「それは——」


 ——知っている。そうだ、彼は魔術の世界にいるべきじゃない。


 私はそれを知っていながら、彼をスレイヴにした。咲久来にとっては名前の通り、奴隷にしているように見えるわけか。

 反論できない私の隙を突くように、腹部へ蹴りが見舞われれる。咲久来は気勢そのまま上空に跳躍する。


「反論できないのは図星の証拠でしょ!! この嘘つき!! 小狡い魔女が!!」


 ——嘘つき。


 その言葉が私の心を砕いた。割れたカケラが散り散りとなって突き刺さり、中から私を抉っていく。いつか……いつかそう罵られる日がくるのではないかと思っていた。

 パートナーの彼に言えてないたった一つのこと。それを言えば私たちの関係が崩れると知っていたから、自分から喋らないでいた。

 今思えば些細なことだったのかもしれない。私と契約したその時に言ってしまえばこんなに長く抱える必要なんてなかったのかもしれない。

 でももう手遅れだ。今まで黙ってきた時間の分だけ、その罪は積もりに積もってしまった。積み木は積まれた分に比例して、崩れ落ちる量が増えていく。それと同じだ。

 だから私は崩れないように、倒れないようにずっとバランスを取ってきた。私たちの関係がに戻らないように。

 私の罪を……彼女は知っている。彼女は私を咎めるために敵対している——私の罪を写す鏡。全て私のせい……私が悪いということか。

 私は彼女の言葉を受け止めるしかなかった。それ以外のことはなにもできなかった。

 頭上から降り注ぐ炎の魔弾。私は無抵抗のままその攻撃を受け入れた。


「がはっ……!」


 吹き飛ばされ、屋上のフェンスへと体を打ちつける。『オーラ』を纏っていたおかげで体へのダメージは大したことはないけれど……心はもう奮い立たなかった。

 フェンスの下でうなだれている私を嘲り笑うように咲久来がやってくる。


「私は今でもあなたが許せない。嘘をついているあなたを信用できない。私が教会に所属する理由はそれだけで充分だよ。私がお兄ちゃんを救い出せば、お兄ちゃんはまた普通の生活に戻れる……あなたと一緒じゃお兄ちゃんは平穏な生活に戻れない」

「悔しいけど……あなたの怒りは最もだわ。身をもって知った意味は……あったみたい。あなたと話せてよかったわ」

「なによ、それ」


 その時、終戦を知らせる合図のようにチャイムが鳴った。


「ここまでだね。護身用の魔札スペルカードは今ので使い切ったから、とどめはさせないし。命拾いしたね」


 そう言って咲久来は屋上の出口へと向かっていく。だが、その途中で彼女の歩みが止まる。


「私に信用されたいなら、今すぐお兄ちゃんを解放することね。できないでしょうけど」


 振り向いた彼女は軽蔑するように私を見ていた。


「それは……できない相談ね」

「でしょうね。じゃ、授業に遅れないように」


 身動きの取れない私に皮肉を言って、咲久来は屋上を去った。

 残された私は一人、空を見上げる。


「嘘つき……ね」


 見上げた空はどこまでも青く澄んでいて、純粋な彼の心模様のように見えた。

 それとは対照的に私の心はドス黒く、濁り曇っている。大事なことを隠し続ける……黒い靄。

 授業へ向かう気力はもうない。今の私は自分の心と向き合うしかなかった。

 屋上で一人黄昏れ、ここにはいない相棒に謝辞を述べる。


「ごめんなさい。太刀川くん」


 *interlude out*

 

「あれ、九条はどうしたー? 朝いたよな?」


 担任の及川の気の抜けた声が教室にこだまする。


 ——愛梨彩が授業を無断欠席した。


 それがどれだけ重大なことか、僕にはよくわかっていた。

 愛梨彩は生真面目な人間だ。学園に潜入する以上、無断で授業を休むわけがない。潜入前にわざわざ勉強するくらい生真面目なんだぞ?

 確か昼休みに咲久来と話をすることになっていたはずだ。そこでなにかあったに違いない。

 僕は力なく挙手をする。


「せ、先生……きゅ、急にお腹痛くなってきたんでトイレいってもいいですか?」

「おいおい、黎。昼飯の食べ過ぎかよー」


 おちょくるように緋色が小言を言うが、彼の目はなにかを察しているようだった。どうやら僕の目論見に気づいて自然な感じでフォローしてくれたらしい。


「仕方ないな。いっていいぞ」

「ありがとうございます」


 便意を我慢するように小走りで教室のドアを目指す。去り際に及川が「無理そうだったら保健室いけよー」とありがたい言葉をかけてくれた。先生を騙すのは忍びないが、これも主人のためだ。

 教室の扉を出て、全速力で校舎内を駆ける。


「魔女の話をするなら……人のいないところだよな」


 使われていない空き教室か……それとも生徒が立ち入り禁止のところか。

 仮に昼休みの時に教室が空いていたとしても五限目で使う場合がある。そうなった場合、愛梨彩の異変に気づいた誰かが助けてくれるはずだ。

 なら、まず調べるのは生徒が立ち入らず、授業でも使わない場所だ。


「屋上か」


 僕は一目散に階段を駆けていき、突き当たりの扉を勢いよく開け放つ。


 ——果たしてそこに愛梨彩がいた。


「愛梨彩!!」


 顔が黒く汚れた状態で、彼女がフェンスに背を持たせかけるようにぐったりと座っていた。目は虚で、僕がきても反応は鈍かった。


「愛梨彩!! しっかりしろ! なにがあったんだ!?」


 しゃがみこみ、愛梨彩の体を揺する。目立ったダメージはない。放心しているだけ——それはまるで精神を打ち砕かれた廃人のようだった。

 次の瞬間、彼女が無言で僕の体に縋りついてきた。こんなの初めてのことで、不意にドキりとしてしまう。

 胸の中ですすり泣く声がする。


「どうしたのさ?」


 どうしたらいいかわからず、思わず抱きとめる。彼女が……こんな弱い姿を晒すなんて。なにが起きたのだろうか。


「今はなにも聞かないで。でも必ず……ちゃんと話すから」

「うん」

「狡い女で……ごめんなさい。わけも言えずに……こんなことまでして……ごめんなさい」

「うん、大丈夫だから」


 僕はただ彼女の背中を軽く叩くことしかできなかった。

 愛梨彩の言葉の意味はわからない。なにが狡くて、どんなわけがあるのかもわからない。それは僕に関わる大事なことなのかもしれない。

 それでも今は従者としての自分を優先してしまう。彼女を安心させたくなってしまう。きっと、この行動は理屈じゃないのだろう。好きな女の子が泣いているのに、問いただせるわけがない。


「どこにもいかないで、太刀川くん」


 紛れもない本心から出た彼女の想い。その言葉は矢となり僕の胸を穿つ。そよぐ風の音は断ち消え、まるで僕ら二人だけを残して世界が静止したようだった。


 ——なんと声をかければいいのだろう。


 どうして彼女が僕に「どこにもいかないで」と言ったのか……わからないけど、遠く離れる予兆があったのかもしれない。僕の夢と……同じように。

 白のキャンバスに落ちた黒い染み。そこから滲み出す鮮血。夢の光景が脳裏にこびりついて離れない。


 ——絶対正夢にしてたまるものか。


 そう決心した時、伝える言葉は決まった。


「僕はずっと君の隣にいるよ。もし愛梨彩が悪いことをしても見放したりなんかするもんか。そばで、一番最初に叱ってやる。君を悪い魔女になんかさせない」


 はっとしたように愛梨彩の体がぴくりと動く。僕の言葉にどれだけの効果があったのだろうか。けど、僕が今言える答えはこれだけだ。


「それにほら、人間誰しも人には言いにくいことってあるし。いくら相棒とはいえ……そこまで深く突っこむのはプライバシーの侵害かもしれないし? なにより……いつかは打ち明けてくれるんだろう?」


 僕の胸の中で頭が縦に動いた。しっかりと強く。


「なら僕は未来の愛梨彩を信じるよ。だから……ほら、そんなに自分を責めないで」

「あなたは……お人好し過ぎるわ」

「そんなことないよ。愛梨彩に対してだけだよ。多分、最初から僕の負けなんだ」


 初めて見た時から惚れてしまっていて、その時から僕は愛梨彩に勝てないのだ。だからどんな時でも受け止めようとしてしまう。恋する漢の弱さ……なのかもしれない。

 それでも僕はこの弱さを大事にしたい。大切なものを大切だと思える、失いたくないと思える弱さを。愛梨彩が言った言葉の意味が同じだったら……嬉しいな。


「五限は……サボろうか」


 愛梨彩の反応はない。逡巡しているのだろう。


「つらい時は無理する必要ないよ。つらいって言えばいいんだから。言える相手がいるならなおさら」

「……つらい」


 その一言が外見年齢相応のわがままに聞こえて、ついクスりと笑ってしまった。自分の気持ちを素直に打ち明けられるようになった彼女が愛おしい。


「そっか」


 それ以上、僕らが言葉を交わすことはなかった。交わさなくてもきっと通じている。

 僕は知っている。

 誰よりも優しく、思いやりに溢れた魔女の心が脆いことを。どんな些細なことでも負い目があると気にしてしまうことを。そして——どんな時もめげずに立ち上がることを。

 僕が立ち上がるための支えになれているなら……今はそれだけで充分だ。

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