アンチ緋色/episode57


 小さな教会には人っ子一人いなかった。目の前には仄暗い空間が広がっているだけ。


「やっぱりいない……か」

「流石にこんな小さい教会じゃ防衛もままならないのだわ。まあ、当然と言えば当然ね」


 愛梨彩とフィーラは礼拝堂の祭壇を探っていた。僕と緋色は……所在なく堂内を眺めていた。魔術に精通していない僕らができることといえば、周囲を警戒することくらいだ。


「これ以上探っても無駄だろう。長居して教会の連中に察知されたら面倒だしね」

「そうね。城戸の屋敷の方へと向かいましょうか」


 ブルームの進言を受け、愛梨彩とフィーラが戻ってくる。ここまでは予想通り。元々教会の方に期待はしていない。

 僕ら五人はそのまま教会を後にする。このまま城戸家の屋敷に向かおうとしたその時だった。


「ああ……ああ!! お会いしたかったでありんす、フィーラさん!」

「アヤメ……!!」


 そこにいたのは黒色の和装を纏った魔女とその防人。——綾芽と貴利江。撤退するのが遅かったか!

 紅玉の瞳はフィーラと緋色のみを捉えていた。僕らは彼女の眼中に入っていない。


「ちょうど我慢の限界でありんした。『様子を見ろ』だなんて……まことにまどろっこしい指示」


 綾芽の口からこぼれた言葉……一瞬、耳を疑った。

 指示だって? 彼女が『様子を見ろ』と誰かに言われて、襲撃を我慢していたって言うのか? 快楽主義な綾芽が?


「裏に誰かいることはわかってはいたのだわ……あなたを野に放った飼い主が」


 フィーラは眉をピクリとも動かさずに綾芽を睥睨していた。綾芽が平伏するほどの人物が……バックにいることまで読んでいたようだ。


「あら、興奮のあまりつい口が滑ってしまいんしたねぇ。でも、どうでもいいことでありんす。わっちはぬしさんと戦えればそれで!!」


 綾芽が魔本を開き、岩の鏃を放ってくる。それをすんでのところで稲妻が粉砕する。


「アリサ、レイ、ブルーム。予定通りに行動して。ここは私とヒイロが受け持つのだわ」


 ブルームが無言で頷く。遊撃担当の彼女も二人に任せるのが適当だと判断したようだ。


「わかったわ。気をつけて、フィーラ」

「任せなさい! こっちには勝ちに代わるヒーローがいるんだから!」

「おうよ!」


 緋色のサムズアップが頼もしい。

 綾芽とはすでに交戦経験がある二人だ。心配はない。僕らはフィーラに言われた通り、城戸の屋敷へと向かう。


 *interlude*


 アーサソールと岩の鎧武者が激しくぶつかり合っている。正拳と戦鎚が衝突し、離れ……再び激しく打ちこみ合う。

 後衛の私は綾芽に対して目を光らせていた。しかし……動きらしい動きはない。ただ眺めているだけ。


 ——なにかを狙っている?


「一気にやらせてもらいんす。『石塊で 模倣せし武器 神の鎚』!」

「まさか……ミョルニル!? ヒイロ避けて!!」


 しかし、気づくのが遅かった。

 ヒイロの戦鎚はすでに小手で受け止められており、脇がガラ空き……贋作のミョルニルが痛打となる。

 ヒイロは爆音を立てて礼拝堂内へと押し飛ばされていく。私は入り口に雷球を張り、教会へと戻っていく。


「ヒイロ、平気!?」

「痛ってぇ……なんだあれ」

「多分、アーサソールの模倣なのだわ」


 前回の戦いではアーサソールの攻撃力と岩の鎧の防御力は互角だった。だから、アヤメはそこに攻撃力を足してアドバンテージを得ようと考えたんだ……私のアーサソールを模倣して。


「その通りです」


 雷の障壁を破ってキリエが侵入してくる。一歩、一歩着実に進む姿はまるで悠然と立ち向かう戦神のよう。


「ぬしさんの力はそっくりマネさせていただきんした。そうでありんすねぇ……ぬしさんのように名づけるなら『武甕槌たけみかづち』なんてどうでありんすか? 雷は……使えんせんけど」


 『武甕槌たけみかづち』……日本の雷神の名前ってわけ。最高に皮肉が効いた名前じゃない。


「あなたって見かけによらず努力家なのね」

「お褒めいただき光栄でありんす」


 アヤメはくつくつと笑い声を上げた。この魔法はよほどの自信作らしい。なら……私たちの選択肢は一つだ。


 ——最大火力で吹き飛ばす!!


「けど、これはどう!? ヒイロ、一発で決めるのだわ!」

「おう! 『轟音疾駆——ソール・ハンマー』!!」


 ヒイロが緋いオーラを滾らせ、幻獣と戦車を生み出す。


「無駄でありんす。『なんびとも 寄せつけぬ岩 馬車となれ』」


 私たちの必殺技と同時にアヤメが戦車を構築する。それは馬と戦車の形をした岩の傀儡。間違いない……魔術式の力の応用なのだわ!!


「戦車の術式も創ったって言うの!? ヒイロ!!」


 雷の戦車と岩の戦車が礼拝堂内で正面衝突し、激しい火花を散らす。両者の力は拮抗し、勝負は互角……に見えた。けど——


「ぐはっ!! なんだこの衝撃!」


 ダメージを負ったのはヒイロだけ……両者戦車を喪失したが、キリエは無傷。私たちの必殺技は通じなかった。


 ——まずいのだわ。こちらの分が悪い。


 力は互角。しかし同じ力がぶつかった時に起きる衝撃……それを耐えうるだけの防御力がアーサソールにはない。

 なにより同じ力じゃ戦闘経験値の差で勝負が決まる。キリエは間違いなく、ヒイロより対人戦に長けている。きっとかつてそういう職種の人間だったのだろう。

 ふと、アヤメの方を見る。余裕綽々と言わんばかりの喜悦を含んだ笑みを浮かべていた。

 おそらくアヤメは最初からこれが目的だったのだろう。ゴーレムの召喚をしなかったのも、必殺技のぶつかり合いを待つためだ。互角の勝負を演じるためだ。そして——渾身の一撃を負かし、相手のプライドをへし折る。


「ほんっと悪趣味なのだわ!!」


 この魔女の思考は度し難い。全て自分の愉悦のため。そのためなら相手を軽んじる戦術だって選んでくる。

 けど……だとしたら反撃の糸口はある。アヤメはフォロー以外の余計な手出しはしない。だってあいつは自分の新しい力を自慢したいだけなんだから。


「ヒイロ、二人でキリエを攻略するわよ」

「だな。そうするしかねーみてぇだ」

「まだ立ち上がるのですか。あなた方の魔法は自分たちには通じなかった。何度やっても同じです」


 キリエが這い上がる私たちを見下していた。けど、私たちはここで倒れるわけにはいかないんだ。

 信じて任せてくれた仲間のため。そして、なにより……


「諦められるかよ……俺はな、お前らみたいな悪党に屈しない。なんたって俺は『勝ちに代わるヒーロー』だからな」

「そうよ。私は弱者を守る誇り高き魔女なんだから」


 私は自分の望みを叶えるためにここで負けられない!!


「ヒーローに誇り高き魔女ですか……なら心ゆくまで戦いを続けましょう。綾芽様もそれがお望みです」

「いくわよ、ヒイロ! ガンガン攻めるのだわ! 私が合わせる!」

「オッケー任せろ! サンダーハンマー全開だ、この野郎!」


 ヒイロの戦鎚とキリエの戦鎚が交錯し、競り合う。武器に優劣の差はない!


「今だ! 『雷神一体』!! どうりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「無駄です! 綾芽様、防壁展開を!」

「『風通さぬ 岩の城壁 そびえ立て』」


 飛び蹴りの前に生み出される障壁。この程度の防壁なら突き破れる!

 だが——それは目くらましに過ぎなかった。


「自分の防壁を自分で!?」


 防壁を突き破り、岩の小手が飛び出してくる。小手と衝突した私の蹴りは威力を削がれ、そのまま着地せざるを得なかった。


「うぉっ! クソ! こいつ以前よりも隙がねぇ!」


 同時に攻めていたヒイロも押し負け、ノックバックする。

 私たちの攻撃は捌かれてしまった。今とは別のアプローチを考えなかればならない。


 ——なにか策を……けど考えてる時間がない。


 このまま手をこまねいていれば次の攻撃がくる。一歩、また一歩キリエは近づいてくる。


「どうして……どうしてだ。お前は強い。なのになんで、そいつの味方すんだよ!」


 そんなキリエの足を止めたのはヒイロの叫びだった。


「美しいものを守るのに理由がいりますか? あなたたちこそ……いつまでくだらないヒーローごっこをしているつもりですか?」

「いつまでもだよ!」


 キリエは会話に気を取られている。この隙にブレイクスルーを考えるのよ、フィーラ。


「あなたたちは知らないのです! この世界はとっくの昔に汚れきっていることを! 特権階級の人間だけが力を持ち、己が私腹を肥やすために他者を貪る! 強者が弱者を虐げる世界! 私はそれを間近で見てきた!」

「そんなことねぇ!! そんなことは!!」

「あなたが否定するのはそれを目の当たりにしてないからだ。自分は気づいたのです。権謀術数が渦巻くこの世界に……それでも唯一綺麗なものが残っていることに。そう、戦う人間の姿は美しい! そこに汚れなどはなく、あるのは純粋な本能のみだ! 自分はそこに生きる価値を見出しただけのこと」


 キリエの叫びが堂内にこだまする。自身に感染した悪意を吐き出しているような言葉。私たちが信じた正義を冒し、蝕んでくる病原菌だ。

 彼女は……かつてこちら側の人間だったのかもしれない。きっと人を、美しいものを守ろうと生きていたのだろう。——けれど彼女は知ってしまう、この社会の仕組みを。力を持つ者はごく一部で、それ以外の人間は蔑ろにされることを。


「必死に戦い、生きたいと願う! この原初のあり方こそが人間の潔さだ! 自分は綾芽様にそれを見せていただいた! だからこそ自分は綾芽様の隣で戦うと誓った!」


 絶望し、自分の信念が折れてしまった彼女。そんなキリエを魅了したのがアヤメの生き様だったわけか。戦いを求め、自身の喜悦を満たそうとする本能。

 確かにそれはある意味潔い生き方だろう。なぜなら自分を偽らない生き方だから。だけど……


「だからってなにしてもいい理由にはならねーだろ!」


 そう、ヒイロの言う通りだ。それは他者を顧みない、独善的な生き方だ。


「あなたたちがやっているワガママのせいでどれだけの人間が虐げられたと思っているの……! 結局あなたは八つ当たりの理由を正当化しているだけなのだわ!!」


 私はあなたたちのような一方的に力を振りかざして危害を加える悪党を倒すために立ち上がったんだ。誇り高き魔女とヒーローとして。


「あなた方を見ていると過去の……無垢だった自分を見てる気がして、嫌気が差しますね。世界が綺麗だと盲信している……その夢から覚まさせます!」


 再び戦闘態勢に入ったキリエが鬼気迫る勢いで飛んでくる。今まで以上に威圧感のある覇気。完膚なきまでに倒そうとする意思の表れ。

 だが、もう対策は考えてある。


「ヒイロ! なんとか耐えて! 私が一撃で決めるのだわ!」

「わかったぜ! 俺も言われっぱなし、やられっぱなしってのはゴメンだからな!」


 残る手段は私が創り出した魔札スペルカード——『疾風雷轟』。威力こそ 『轟音疾駆——ソール・ハンマー』に劣るが、簡易版ゆえに予備動作はなく、発生はこちらの方が早い。岩の馬車を呼び出す暇は与えない。

 これが決まればキリエだけでもなんとかなるはず。私は最大火力を放つために意識を集中させる。


「何度やっても無駄なことを!」

「違う! やってみなきゃわからねぇだろ!」

「そうやって綺麗ごとを並べてごちゃごちゃと!! 夢を見るよりも前に現実を見るべきだ! あなたは自分の目で世界の有様を見るべきだ!」


 ヒイロとキリエは一進一退の攻防を繰り広げている。このまま戦鎚による打ち合いで決着が着かなければまだ私たちに勝機は残されている。


「ちげー……絶対……絶対そんなことねぇはずだ。世界も……現実もそんなもんじゃない!! 」

「社会を知らない若輩者が!! あなたが守ろうとしているのはそんな世界だ! 守る価値なんてないエゴに塗れた世界だ!」

「違う違う違う違う!」


 徐々にヒイロが押され始める。キリエの勢いが強い。その勢いはまるで自分の理屈で私たちを丸めこもうとしている彼女の心の体現だった。


「違うと思うのは世界を理解していないからです! あなたは自身の理想を、綺麗だと思うものに縋っているに過ぎない! 昔の自分と同じだ。それはただの妄想で……世界へ自分の理想を押しつけているに過ぎない! 世界を……社会を自分の目で見て、耳で聞き、理解していたらそんな結論には至らない! あなたは世界への理解が浅過ぎる!」


 一瞬、ほんの一瞬躊躇うようにヒイロの動きが静止した。

 キリエはそれを見逃さず、戦鎚を横一文字に振るってアーサソールのミョルニルを弾き飛ばした。——ヒイロが無防備を晒してしまう。


「俺のが……理想の押しつけ……? 理解がない……? クソ! ぐはっ!」


 キリエは間髪入れずに、丸腰のヒイロの腹を蹴り飛ばし、祭壇へと吹き飛ばす。

 キリエの次の狙いは……私。威圧する空気がゆっくり、着実に押し寄せてくる。


 ——ダメだ。この距離で放っても火力が足りない。


 迫りくる世界への憎悪の権化。手の震えが……止まらない。


「フィーラ・オーデンバリ。あなたもこの争奪戦で嫌というほど思い知っているでしょう? 世界の穢れを。この戦いは世界の縮図だ。そしてなにより……あなたも自分のエゴに溺れた人間の一人でしょうに!!」

「それは……!」


 ——自分のエゴに溺れた人間の一人。


 私にとって唯一の汚点。取り返しのつかない、許されざる罪。


「フィーラ……放て!!」


 ヒイロの声が耳に入ってこない。キリエの言葉で私はとどめを刺されたんだ。

 そうだ……私もエゴに溺れた一人なんだ。

 『武甕槌たけみかづち』のブロウが鳩尾目掛けて飛んでくる。私はなすすべなくその一撃を受け入れるしかなかった。瓦礫へ体を打ちつけ、そのまま倒れこむ。


「これで詰み。自分の勝ちです。なにか言いたいことはありますか?」


 岩の鬼神がヒイロを踏み潰しながら私を見下ろしていた。

 私もヒイロももうなにも言えなかった。キリエは戦闘でも言葉でも……私たちを完膚なきまでに打ち負かしてみせたのだ。


「終わったんでありんすか? うーん、意外とあっけない終いでありんすねぇ」


 キリエの背後からアヤメが現れる。しかし……彼女は一向に殺す気配を見せない。妙なことに殺気が全くない。


「どうしたの……? 手を抜いた挙句……殺しもしないわけ?」


 息も絶え絶え。残ったわずかな力を振り絞って皮肉を言ってみせる。だがアヤメは微笑を浮かべているだけだった。


「わっちは悔しかった。あの日雌雄を決せず、逃げられたことが。逃してしまうだけの隙がわっち自身にありんしたことが。だから意趣返し……今回はわっちが勝ち逃げさせてもらいんす」

「後悔……するわよ。私はあなたのこと……殺す覚悟があるのだわ」


 アヤメをキツく睨んだ。だが彼女は意に介さない。しゃがみこみ、私と同じ目線に立ってまじまじと覗いてくる。

 不意にアヤメが私の頰をいやらしく撫でた。背筋に悪寒が走る。私はこの魔女の恐ろしさに気づけて……いなかった。


「それでいいでありんすぇ。今は……悔しさに溺れなんし。そして、絶望の海から這い上がってきなんし。ぬしさんはまだ強くなる」


 恍惚とした表情。紅い瞳は愛しげに私を見つめていた。


「わっちが望むのは至高の戦。ぬしさんが勝つために力を欲し、魔術の深淵、最奥に向かえば向かうほどわっちは嬉しいでありんす」

「なにを言って……」

「知っていんすよ。ぬしさんは一度、力を渇望して魔術の闇に溺れた。罪のない人を巻きこむなんて……素養がありんすぇ。ぬしさんがわっちと同じになること……それがわっちの喜び、そして望みでありんす」


 はっと息を飲んだ。その時になって初めて気づく。


 ——アヤメは私を見ていたんじゃない。私の奥底に抑え殺してある……魔女の根本を覗いていたんだ。


 アヤメは私に情けをかけたわけでも悔しがらせるために手を抜いたわけでもないんだ。


 ——力を渇望させ、私を闇に落とすこと。


 この女は最初から自分と同じ人種を生み出すことが目的だったんだ。その白羽の矢が立ったのが……勝利に固執し、外道に一歩足を踏み入れた私——フィーラ・ユグド・オーデンバリ。


「そうすればわっちたちは永遠とわに争い合い、殺し合う仲になりんしょう? ああ……! ああ……! 考えただけでゾクゾクするでありんすねぇ!」


 自分の望みを口にしただけで彼女は蕩けていた。身悶えるように腕を抱き、法悦とした顔を見せる。

 永遠の闘争を行うための相手を見出そうなんて……


「……イかれてるのだわ」

「けどぬしさんはまた力を渇望しんす。わっちを倒すために。次会う時が楽しみでありんすねぇ。さ、帰りんしょう、貴利江さん。今日はもう満足したでありんす。ではおさればえ」


 私の煽りに顔色一つ変えず、アヤメは教会を後にした。教会に鳴りはためくのは瓦礫が崩れる音だけ。

 私たちのコンビ——『昇華魔法:緋閃の雷神エボリューション・アーサソール』の初めての敗北。

 私は強く握りしめた拳を床に打ちつけることしかできなかった。


 *interlude out*

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