最恐VS最狂/episode37

 戦闘が起きている鶴川橋の中腹にたどり着いた時、すでにソーマは窮地を迎えていた。体に巻きつけられた草のつる。このままでは抵抗できず、やられるだけだ。


「なんて失態晒してるんだよ、あいつ!」

「待って」


 情けないライバルの姿を目の当たりにしてしまった。やる瀬ない気持ちが俺の足を突き動かす。しかし……愛梨彩がそれを制止した。

 どういうことかわからず、彼女の顔を見やる。まっすぐ橋の中央を眺めていた。なにもない空間から現れたのは金色の長髪を一つに纏めた女の姿であった。

 こちらに気づいた女が振り返る。紋章が刻印されたあおあおの目が射抜くように俺たちを見る。戦慄が背筋を駆け巡る。まるで魔眼に睨まれたようだった。

 真紅に燃え上がる炎のような色のローブ。それはまるで強者の証。その瞬間に直感した。こいつがアザレア・フィフスター——ソーマが騎士として守護する魔女だと。

 呆気に取られていると、いつの間にかソーマがアザレアの横へ瞬間移動していた。


「お手を煩わせて申しわけございません、


 騎士は跪き、主君に礼を述べる。

 やはりこの女が——アザレア。俺たちの倒すべき敵。


「礼には及ばぬ。そなたは我が騎士なのだから。顔を上げよ、ソーマ」


 アザレアはそう言ってソーマに微笑んでいた。それは慈愛に満ちた顔であり……とても敵の親玉とは思えないものだった。

 しかたちまち外敵を威圧する険しい表情に戻る。見据える先にいるのは狂気の魔女……綾芽。


「失態した分は必ず取り戻させていただきます」

「乙なことになってきたでありんすねぇ! ああ、わっちを満たしてくんなまし、アザレア・フィフスター!」


 綾芽が一歩前へ出る。


「野良風情が……よく喋る。あの遊女の声は耳障りだ」ほんの一瞬、アザレアが嘆息を漏らす。「アザレア・フィフスターの名を持って命じる。我が騎士ソーマよ、あの俗物を排除せよ」

「イエス、マイロード」


 ソーマが駆け出し、再び貴利江とぶつかる——かに見えた。だが、衝突する寸前に彼の姿は消えていた。


「後ろだ!!」


 『オーラ』を纏った一太刀が貴利江の鎧を毀す!

「はっ!」


 貴利江は即座に振り向き、その勢いで鞭を横薙ぎするが空を裂くだけ。再度ソーマの姿が戦場から消えている。気づいた時には死角から現れ、再び剣を振るう。


「どうなってんだよ……この戦い」


 二人の戦いを見て呆気に取られていた俺の口から言葉が漏れた。

 消えては現れ、そしてまた消え。その繰り返しでソーマは確実に鎧を破砕していく。やっていることは『アクセル』を使って攻略した俺たちと変わりない。

 だが、決定的に違う。やつは確かに消えている。加速して動きが見えなくなっているわけじゃない。『トリック』で消えているわけでもない。それはまるで……


「アザレアの魔法は……空間魔法ね」

「空間魔法?」

「時間が縦軸への移動なら空間は横軸への介入。つまり同一時間軸ならどこへでも縦横無尽に移動することだってできる。有り体に言えば瞬間移動ね」


 瞬間移動……だって? じゃあ、あのアザレアはこの戦場全域を自由に動ける、動かすことができるっていうのか?

 あり得ないと思う反面、認めるしかないのも事実だ。ソーマは間違いなく貴利江に捕縛されていた。そこから簡単に逃れる手段なんて瞬間移動くらいしかない。彼の神出鬼没な動きもそれで説明がつく。


「へえ、これがぬしさんの力でありんすか。なら——」綾芽が魔本を開く!「術者の息の根を止めるだけでありんすえ。『岩雪崩 乱れ流れて 押し潰せ』」


 前衛と前衛の戦いがソーマ有利になった今、綾芽は本気を出さざるを得なくなった。空間魔法の起点であるアザレアを狙うのは理に適った戦略だ。


「『怠惰への抵抗スロウス・オポジション』……私に触れることは叶わんよ、遊女」


 アザレアはその場から逃げることはせず、言葉を紡ぐだけ。目に見える変化はなく、魔札スペルカードを手に取る様子もない。攻撃をわざと受けようとしているのか?


 ——だが、土石流はアザレアの目前で見えない壁に阻まれる。


 岩の流れを割るように敢然とアザレアが立っていた。


「もう終わりか? ならば今度は私のターンだ。『嫉妬の羽ばたきエンヴィー・フローテイション』」


 詠唱と同時に周囲に転げている数多の石塊たちがその身を軽くしたかのように浮遊し始める。


「『強欲への拒絶グリード・リパルション』」


 宙に漂う石つぶてが……アザレアの一声で綾芽に襲いかかる鏃へと変わる! これだけの量があれば綾芽も避けることができないはずだ。


「綾芽様!」


 防戦一方になっていた貴利江が剣戟の嵐から離脱し、主人のもとへと全身全霊で駆けていく。

 貴利江は庇うように綾芽を抱きしめ、自らを盾とする。鏃は貴利江の鎧に突き刺さり、空いた穴を起点に瓦解していく。彼女の変身が解け、地面に膝をついた。

 綾芽は……ただその場に立ったまま言葉を継ぐ。


「まさか空間魔法を攻撃に使いんすとは……流石は教会の首魁でありんすね」

「あいにく私には余るほど時間があったからな。自分の魔法ウィッチクラフトを研究し尽くしたと、自負しているよ」


 アザレアは魔札スペルカードを使わなかった。行うのは詠唱のみ。それだけで魔法ウィッチクラフトが起動したのだ。

 魔法ウィッチクラフトを攻撃に転用できるまで研究した……どうやら五〇〇年生きているのは伊達じゃないらしい。規格外の魔女であるということが今のやり取りで充分伝わった。


「そう……そうでありんす」


 綾芽はふるふると身振いをしながら俯いていた。だが顔を上げた次の刹那、彼女は瞳の紅玉を露わにし、破顔していた。


「わっちが望んでいたのはこういう命のやり取りでありんす! 生きるか死ぬかの奪い合い! ああ、たまりんせん」


 恐怖や悔しさなんかじゃない。彼女は高揚して震えていたのだ。こんな状況でも興奮を隠せないなんて……どう見ても狂ってる。


「けど……ここでただ戦うだけというのも面白うありんせんね。そうでありんしょう、太刀川黎さん?」

「どういう意味だよ」


 不意に名指しされ、思わずぶっきらぼうに返す。この魔女はなにが言いたいんだ。


「ぬしさんはそこな男——ソーマさんと因縁がありんしょう? ならそれもわっちの楽しみでありんすえ。となると……ここで手の内を明かさせるのはもったいないでありんすねぇ」

「要は我々の全力勝負の観戦を所望しているわけだ。その魔女にとって他者の戦いも自身を満たす行為の一つなんだよ」


 補足するようにソーマが言う。

 ここで綾芽がソーマ、アザレアと戦闘を続ければ俺たちは彼らの手の内を知ることになる。だが、そうなればいくらでも対策ができる。そうさせないために撤退すると言うのか、綾芽は。


「ええ、ええ! いいでありんすねぇ、らいばる同士の真剣勝負。この前の教会での勝負も滾りんしたけど……ソーマさんの主がきんしたことでようよう対等になりんしたでしょう?」

「だが我々がそなたを見逃す理由はない。そうだろう、遊女よ?」


 アザレアの冷たい瞳が綾芽を射抜く。

 俺たちが綾芽を見逃すわけがない。状況は四対一。この場で身柄を拘束し、傀儡を殲滅した後に倒すことだってできる。


「それはそうでありんすねぇ。なら、わっちは傀儡での殺戮をやめんしょう。どのみちみな葬られるようでありんすし」

「なるほど……悪虐な魔女ではなく、争奪戦の一参加者になるということか。いいだろう。今の約束ゆめ忘れるな」


 綾芽が殺戮をやめる? だからこの場は見逃せと? アザレアはそれを認めるって言うのか。


「待ちなさい! そんなこと私たちが許すわけないでしょう!」


 愛梨彩が声を荒げて割って入る。

 そうだ。認められるわけがない。そんな口約束を綾芽が守るわけがない。仮に守ったとしてもその脅威は依然として残るのだ。

 それに教会とは綾芽を倒すまでは休戦のはずだ。野良の魔女であるこいつを放置すれば教会の不利益に繋がる。なのに……こいつらは一体なにを企んでいるんだ?

 そんな俺の心情に対して返答するようにソーマが前に立ち塞がり、剣を抜く。——約束は反故にされたわけだ。


「そうかよ。そういうことかよ」


 愛梨彩を守るように前に出る。やっぱりこいつらとはわかり合えない。


「いけ、遊女。今日のところはその契りだけで充分だ」


 綾芽はその場で一際大きなゴーレムを生み出し、その肩に乗る。ゴーレムは貴利江を抱き上げ、その場を後にするかのように身を翻した。しかし、数歩歩くとその足が止まり、綾芽が振り向く。


「わっち楽しみでありんす。ぬしさんたちの殺し合いを見るの。でありんすから……勝ちんした方はわっちと戦いんしょう? では、おさればえ」


 最後の最後に捨て台詞を吐いて、彼女は姿を消した。


「で、そなたたちはどうする? 野良の魔女とその騎士よ」


 アザレアの目が今度は俺たちを捉える。まるでこの場で戦うことも辞さないと言っているようだ。しばし、返答できずに沈黙が流れる。


「退こう……愛梨彩」


 振り返らずに背後にいる相棒に声をかける。

 この場で戦いを受けることもできるだろう。だが、相手は魔術式を研究し尽くした魔女。正直、相手の力量が未知数過ぎる。無策では立ち向かえない。


「くっ……! それしか……ないわね」


 それだけ言うと俺たちは鶴川橋から立ち去った。

 今回の一件で街の住民への脅威はなくなった。結果としてはよかったのかもしれないが……それは俺たちの望む決着ではなかった。

 最狂の魔女——綾芽は五体満足で生き延び、教会にはアザレアという最恐の増援が増えた。状況は最悪に近い。

 並走する彼女は悔しそうに歯噛みしていた。きっと俺も同じ顔をしている。どうしてこうも……上手くいかないのだろう、俺たちのやることは。

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