仮面の魔女は何者だったのか?/episode88

 命からがら学園を脱出して一夜が明けた。幸い野良の魔女も咲久来も全員無事だった。

 フィーラも緋色も傷こそあるが命に別状はない。咲久来は騙されながら敵対していた罪悪感があったようで、一旦八神教会へと帰っていった。

 問題なのは……愛梨彩のメンタルだ。恐る恐る部屋の扉をノックする。


「愛梨彩……食事できてるよ」


 反応はなかった。ドアの向こうで彼女がどうなっているかもわからない。あの一言で完全に病んでしまったようだ。


 ——「そうだ。私だけの……私の魔術式と一体となることで初めて機能する賢者の石だ! そなたたちが手に入れても無用の長物よ! 願いは叶わぬ!」


 愛梨彩の願いは……叶うことはない。賢者の石にそんな力は最初から存在しなかった。今までの彼女の頑張りは全部無駄だったと宣告されたようなものだ。


 ——それでも。


 僕は思いつくままに口を動かす。

「きっとまだなにか方法があるはずだって! あいつらが嘘をついているだけかもしれないだろ!? 大丈夫だよ! 今までだって二人でなんとかしてきたじゃないか!」


 彼女の努力が無駄だったなんて思いたくなかった。死線を共に超えてきた僕らなら、なにかブレイクスルーを見つけられるはずだと……そう信じて。


「無責任なこと言わないで!! あれは賢者の石じゃない……賢者の石じゃないのよ。あの時の禍々しい空気感……本来の賢者の石はあんな魔力を発しない!!」


 魔女だから感覚でわかるのだろう。あれは偽物で間違いないのだと。教会の連中が嘘をついているわけじゃないのだと。


「願いが叶えられないなら……私はやっぱり死ぬしかないじゃない。私は……永遠の時を過ごすのが嫌でここまで頑張ってきたのに。私に救済なんてなかった!!」


 思い起こされたのはかつて夢の中で魔女が言っていた言葉だ。


 ——「あなたにお願いがあるの。お姉ちゃんもね、いつか悪い魔女になるかもしれない。そうなる前に……あなたが私を殺してくれる?」


 君はやっぱり死にたがっていたのか。間違えるのが嫌で、永遠が嫌で……そのためなら死ぬのも厭わないのか。

 けど……それだけは認められない。


「そんなことない! 死ぬなんて言うな! まだ希望はあるは——」

「魔女じゃないあなたに私の気持ちはわからない!! 知ったような口をきかないで!」


 扉越しに聞こえた怒号が僕にとどめを刺した。

 励まそうと思って、よかれと思って告げた言葉は全部彼女の心を逆撫でしていた。僕が魔女じゃないから……永遠の時を生きる恐怖がわからないから。だから無責任な言葉を羅列する。

 もう彼女に言葉は届かないんだと……僕自身にも絶望が伝播した。

 僕は今までなにをしてきたのだろう。愛梨彩のことを理解しているつもりで理解できていなかった。どんなに穏やかな時を過ごしても、彼女の心にはいつも『永遠の生』という恐怖が刻まれていたのに。それに気づけていなかった。

 もう僕はなにも口にできなかった。うなだれながら元きた道を戻り、リビングへと向かう。

 リビングにはほかの三人が集まっていた。全員意気消沈しており、淀んだ空気が流れていた。


「愛梨彩は?」

「ずっと……部屋にいる。完全に閉じこもっちゃってる」


 ブルームとのしばしの返答をしただけで、再び静寂に戻ってしまう。誰もが話しづらい空気だった。

 空気感にほだされてしまったのだろう。僕はおもむろに口を動かし始めていた。


「愛梨彩は最初から僕に助けられることなんて望んでいなかったんじゃないかな。あの日、庇わなかった方が愛梨彩は救われたのかもしれない。僕は……僕の身勝手で愛梨彩を助けた。救われる方法なんて一切ない生き地獄だったなんて知らずに」


 紡いだ言葉は弱音だった。伝播した絶望をこうして吐き出すことしか僕にはできなかった。

 思えばおかしな話だった。あの日、彼女は八神教会に単身乗りこんでいた。彼女の魔術式は『復元』。戦闘向きじゃない。嫌な推理が頭を過ぎる。


 ——最初から彼女は自分の命が奪われてもいいと思ってたんじゃないか。戦いで死ねるならそれも本望だったんじゃないのか。


 僕は……あの日、愛梨彩を助けるべきじゃなかったんだ。死なせてあげるべきだったんだ。


「そうかもしれないけど……今さら悔いたって仕方ないのだわ。時は戻らないんだし。私たちなりに状況整理をしておいた方が後々愛梨彩のためになるんじゃない?」

「そう……だね」


 弱音を吐いても仕方ない。フィーラはそう一蹴した。賢者の石が偽物であっても彼女の使命はなんら変わらないのだ。

 腑に落ちない悔いは残るが、時が戻らないのは紛れもない事実だ。フィーラの言う通り、状況を整理する方が建設的だ。


「改めて詳しく聞かせてもらえる? チャペルで起きたこと」

「俺もいなかったからな。教えてくれよ」


 僕は二人に対してチャペルでの経緯を話した。賢者の石がただの動力炉でしかなかったこと、そんな贋作でもアザレアは野望を叶えられること……そしてこの戦いは全部教会によって仕組まれたものだったこと。


「そういうことね。こうなってくると情報を流していた錬金術師協会のハワードも胡散臭くなってくるのだわ。製造元が偽物だったと知らないわけがないでしょうし」


 この争奪戦、誰もが思惑を持って動いていた。賢者の石だと嘘を流し、完成のために戦闘を促していたアザレアとソーマ。そんな中で一族の再興を望む父。そして……二重スパイをしていたであろうハワード。

 一体誰を信用したらいい? まだ隠されている真実があるにしても尋ねるに尋ねられない。


「まあ、私とヒイロがやることは今までと変わらないのだけど」

「それな。悪いやつはぶっ潰す! そんだけだな」

「問題はアリサなのだわ。ヒイロのように単純には割り切れないだろうし。なにより賢者の石を一番欲していたのは……彼女だから」

「愛梨彩が立ち直るのを信じて待つしかない……か」


 そう言って僕はうなだれてしまう。本当に待つことしかできなかったから。

 もう愛梨彩に言葉は届かない。魔女の気持ちがわからない僕では……もう。


「賢者の石の状況は? アザレアはすでに世界改変を始めてるんでしょう?」

「完成したということはそういうことだろうね。アザレアが世界を改変するまで……多めに見積もっても七日だろう。私の時間軸では一〇日経った時点ですでに手遅れだった」


 フィーラの問いに答えたのはブルームだった。未来からきた彼女はことのあらましを最初から把握していたようだ。


「破壊したの?」

「まあね。だいぶ切羽詰まっていたから完全に阻止することはできなかったけど」

「ということはあなたは全部知ってたわけでしょう? どうして黙っていたの?」

「言えば彼女がこの戦いから降りるのは自明の理だろう。愛梨彩が降りるのは私にとって都合が悪くてね」


 ——把握していて黙っていた。愛梨彩を降りさせないために。


 僕も思うところはある。仲間だと言っておきながら、隠しごとをしていた。今ほどあの仮面が鬱陶しく思ったことはない。

 けど、彼女の正体が僕の予想通りの人物なら……わけがあるに違いない。愛梨彩を争奪戦から降りさせないためという理由以外にもなにかあるはずなんだ。じゃなきゃこの時代に戻ってくるはずがない。


「だからって嘘ついていい理由にはならないのだわ!! いくら教会を倒すためとはいえ!」

「私を恨みたければ恨めばいい。君たちを想っての行動とはいえ、嘘つきに変わりはない。所詮私も卑劣な魔女の一人だったということさ」

「二人とも落ち着けって! 喧嘩してる場合じゃねーだろ!? おい、ブルーム!」


 緋色はヒートアップした二人の仲裁に入るが、ブルームはそそくさと部屋を立ち去ってしまう。僕は慌てて彼女の後を追う。


「待ってくれ! ……なんだろ?」


 ホールの真ん中でブルームが立ち止まった。呼ばれた本当の名前に呼応するように。

 どうして初めて会った時に僕の名前を知っていたのか。なぜ僕は彼女に親しみを感じたのか。咲久来について詳しかったのはなぜなのか。

 なにより……あの魔札スペルカードだ。『焔星』に加え、多種多様の属性魔法。それを扱える人間を僕は一人しか知らない。


「その名前で呼ばれるのは随分久しぶりだな」


 ブルームがヘルメット状の仮面を脱ぎ、こちらへ振り向く。なびく桜色の髪、晒されるのは幾分老けた顔立ち。ほんの数秒世界が止まる。


 ——そこにいたのは紛れもなく八神咲久来その人だった。


 姿が多少変わっただけで見間違うわけがない。彼女は妹のように大切に想ってきた八神咲久来だ。敵だと思っていた咲久来がずっと……最初からこんな近くにいたなんて。


「仮面を外せなかったのは……そういうことだったんだな」

「外せば過去の私が教会に消される。それだけはなんとしても防ぎたかったんだ」


 ブルームの口調は砕けて聞こえた。普段よりもずっと耳馴染みのある声だ。今までは自分を偽るためにわざと男言葉っぽくしていたのだろう。


「どうしてこの時間にきたんだ? いい加減教えてくれ。ブルームは……咲久来はなにがしたいんだ?」


 嘘をついていたのは事実だろう。けれど彼女は僕たちのために何度も身を挺してくれた。きっとその行動に裏はないはずだ。それに未来の咲久来が敵なはずがない。


「全部、お兄ちゃんのためだったんだよ。お兄ちゃんを死なせないために私はこの時間にきた」

「僕のため……? それじゃあ教会を倒すっていうのは……」

「私が望んだのは太刀川黎が生きている世界。だから教会を倒すのが目的っていうのは本当だよ。教会を倒さなきゃ反逆者となったお兄ちゃんはこの世界で生き残れないからね。お兄ちゃんと愛梨彩に真っ先に接触しにいったのもそのためだよ。すぐそばで二人を守るため」


 剣術の稽古をつけたのも、野良の戦力として加わったのも全部……僕を守るためだった。そんな単純な理由だけでブルームとしての今までの行動が線になって繋がっていく。


「だから賢者の石の秘密を黙っていたのか。愛梨彩が争奪戦から降りれば、僕は死んだままだから」

「そうだよ。真実を知らぬままアザレアを倒し、魔術式が放棄できなくても……お兄ちゃんは生きられるはずだと考えた。彼女は生真面目だからね。お兄ちゃんを死なせてしまった責任を背負うだろう。復元の魔術式を進化させ、完全蘇生を試みるという可能性もあった。それになにより……お兄ちゃんがそばにいれば、愛梨彩は魔女であることを受け入れられると私は信じた」


 浅紅色の髪をした咲久来はそこで一瞬言葉を止めた。

 ブルームの読みは的を射ている。愛梨彩が僕を蘇生させた理由の一つは責任を感じたからだ。その責任を果たすために『完全蘇生』の術式を生み出すという推測も理解できる。現に彼女は完全蘇生魔法である『逆転再誕リバース/リ・バース』を生み出すことに成功している。


「けど……実際は思った以上にショックが大きかったようだね。今回の介入は予期せぬできごとが多かったせいだろう。桐生睦月が魔女になるなんてことは今まで一度もなかった事象だったし、こんなに長い期間争奪戦を繰り広げたのは初めてだったんだ」

「今回の……介入? 初めて……? まさか何度も繰り返したのか?」


 咲久来は無言で首肯した。

 このバトルロイヤルに何度も何度も参加した。失敗の度にリセットして……今回がその唯一の成功例というわけなのか。だから彼女にも不測の事態が何度も引き起こった。


「長い時間お兄ちゃんと過ごした影響はかなり大きいんだ。きっとその影響で愛梨彩の心は大きく成長したんだろうね。人間としての喜び、悲しみ、そして……愛情を知ってしまった。故に『人間として死にたい』という願望が今まで以上に大きくなった。その願望が大きくなればなるほど絶望の反動は大きくなる。それが今の愛梨彩だよ」

「僕が悪かったのか……? 彼女に人間らしさを教えたから」

「悪いとは言わないよ。それがお兄ちゃんの美点でもあるからね」


 告げられたのは残酷な真実だった。僕がよかれと思って教えた『人間としての普通』が彼女を苦しめる原因になっていたなんて。

 愛梨彩が普通を知れば知るほどその羨望は強くなる。希望の光は強く輝く。そしてそれがくつがえった時……絶望も同様の大きさで返ってくるんだ。そんなこと考えもしなかった。


「お兄ちゃん。今でも自分の選択が正しかったと思う? あの日、九条愛梨彩を助けたことは正しかったのか。お兄ちゃんも愛梨彩もそれで幸せになれたのか」

「それは……」


 素直に「正しかった」とは言えなかった。愛梨彩をこんなに苦しめることになるなら、楽にさせてあげたいと思ったから。現状に……救いはないんだ。だったらこんな間違った選択をした時間軸はなくなった方がいいのかもしれない。

 するとブルームがおもむろに僕の頭に手をかざす。


「なにを……する気だ」

「ちょっとした時間旅行だよ。今からお兄ちゃんを全てが始まったあの日に戻す」


 「時は戻らない」。先ほどのフィーラの言葉が一瞬で覆った。

 残っていた悔いが僕の背中を押す。あの日の行動は自分の身勝手で愛梨彩のためにならなかったんじゃないかと。無責任な僕が言った「方法」とはこのことだったんじゃなかろうかと。


 ——やり直したい。もし別の道が幸せであるのなら、こんな絶望から逃してあげたい。


 そう思ってしまった僕はなんの抵抗もしなかった。


「見極めてくるといいよ。自分がどんな選択をするべきだったのかを。あの日、愛梨彩を助けたのは間違いだったのかを」


 眼前でブルームが手をかざし『時間よ、巻き戻れリワインド・ザ・タイム』とスペルを口にする。

 やがて朦朧として意識が曖昧になっていく。視界は暗転し、ここではない別のどこかへ。

 そう、あの日あの場所へ。僕と愛梨彩が相棒になったあの日をもう一度。

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