Aの過去〜堕ちた偶像/episode78
*interlude*
「うーん!! 日本の学園祭って最高ね! チョコバナナにポップコーン! ラーメンはないのかしら!?」
クラスの仕事が終わり、ローブに着替えた私とヒイロは早速食べ歩きを開始した。なんとあの堅物のアリサ直々に許可が出たのだ。これをやらないという手はない!
「それな! あ、でも焼きそばはあるぜ?」
「ヤキ……ソバ?」
「焼いたラーメン。日本の祭りの定番麺類はラーメンじゃなくて焼きそばなんだよ。うめーぞ?」
「焼いたラーメン!! 食べにいくのだわ!! 今すぐ!!」
聞いたことはあるけれど、焼いたソバ? 麺類といえばラーメンばかりで気にしたことがなかった。せっかくのお祭りだ。一〇〇パーセント楽しまなきゃ損よね。
……もちろん、ちゃんと巡回もするのだわ。
「フィーラさん」
舞い上がっている私を現実に引き戻す声が鳴りはためく。たおやかであり、ねっとりとした言葉の響き……間違いない。
「アヤメ……どうしてここにいるの?」
りんご飴を口にする和装の女がそこにいた。隣にはスーツ姿の女——キリエもいる。
「やっぱり祭りはいいでありんすねぇ」
「なにしにきたんだよ。お前も学祭壊しにきたのか?」
一向に返答する様子を見せないアヤメ。ヒイロの言う通り、この学校を襲いにきたということも考えられる。
「そんな怖い顔しないでも大丈夫でありんす。楽しい楽しい祭りを台なしにするなんて野暮なマネはしんせん。祭りは楽しんでこそ。そうでありんしょう?」
「すごく不本意だけどその意見には同意するのだわ。で、本当の目的は?」
私はアヤメを睨みつけるのをやめない。表向きの意見ではなく、心の内の真意を覗きこむために。
「桐生睦月さん。ここにきんしょう? それを阻止するためでありんす」
「あなたたちが? どうして?」
「雇い主の意向です」
代わりに答えたのはキリエだった。まるで余計な話になる前に先手を打ったかのよう。乱戦にならないようにするために前もって私に告げにきたってことか。
「あなたたちらしくないわね。誰かに従ってるなんて。もっと自由奔放だと思っていたのだわ」
「そ、自由奔放。わっちは気まぐれでありんすぇ。だからこの祭りを守ろうとするのも気まぐれ。なにより……この光景を、賑わいを見ていると遊郭を思い出しんす」
周りの声に耳を傾ける。誰も彼もが楽しげなトーンで会話をしている。同性の友達同士だったり男女混じったグループだったり……カップルだったり。誰も彼もが幸せを謳歌しているようだった。
「これが……ユウカク……?」
聞いたことは少しある。日本独特の風俗だったはずだ。けど私はわずかな知識しか持ち合わせていない。この状況と似ているのかもわからず、おうむ返ししてしまう。
「夢の都。とだけ言っておきんしょう」
それだけ言うとアヤメは近くのベンチに腰掛け、空を見上げる。なにかを思い返して、私に喋ろうとしている雰囲気が漂っていた。
このまま彼女の気の向くままに喋らせる方が安全か。襲う気がないと口で言っていても信じられるような相手じゃない。気まぐれで癇癪を起こして、生徒を襲い出したらたまったもんじゃない。
「ごめん、ヒイロ。席外してもらえる?」
「大丈夫なのか?」
「うん、多分。アヤメに同情する気は微塵もないけど、聞かなきゃいけない気がするのだわ。聞けば……私と彼女は違うってわかるはずだから」
「わかった」
ヒイロが納得して、その場から離れる。それを見たキリエも空気を読んで、姿を消した。
おもむろにアヤメの前に立つ。隣には座らない。私はあなたと相対するんだ。
「話したいなら聞かせなさいよ。あなたの過去について。ユウカクっていうのと関係あるんでしょ?」
「ええ。わっちの魔術式は遊郭で受け継がれてきたものでありんす。『もう充分この世を味わった』となった時に別のお人に永遠の美しさを与える。遊郭で一番美しい
「待って。それじゃあ、あなたが魔術式を継承したのはまるで——」
「そう、美しさを
血族ではない人間に継承する家系があるのは知っていた。ブルームもそういう一族だ。それは魔法をより高次のものへと進化させるために、血族以外から魔術に秀でた人間を見出したからだ。
「それはおかしいのだわ! 象徴としての美しさのためなんて! いくら夢の都とはいえ不老不死を隠し通すことはできない!」
アヤメの継承はまるで違う。魔法は付属品で、重視されたのは不老不死の方。そんなことのために魔術式を継承するなんて普通はありえない。
「そんなのは些末ごとでありんす。俗世を忘れ、悦や快楽を求めるために遊郭にやってくるんでありんすから。そこは見た目、所作、言動……その美しさが全ての世界。でありんすから、一番美しい遊女が不老であっても誰も気に留めんせん」
「そんな美しさを振り撒くために継承したら身を滅ぼすだけなのだわ! 迫害されるのも時間の問題でしょう!?」
「フィーラさんの言う通りでありんす。わっちは虐げられた魔女でありんすぇ」
「え……?」
この魔女が迫害されていた……? にわかには信じられない事実だった。
アヤメの人格が壊れているかはわからない。最初から他人を弄ぶために生きているような人間だとすら思っていた。彼女は自分の欲に素直なだけなんだと。
「わっちが継承したのはまだ幕府がありんした頃。時代の流れが変わろうとしていた時でありんした。幕府は倒れ、新しく政府なるものが栄える。盛者必衰。それは夢の都である遊郭も同じ。
「あなたは崇められる偶像ではなくなり……異質な者と化した。そういうことね?」
コクリとアヤメが頷く。糸目で笑っているはずなのに、その顔は楽しそうに見えなかった。
「あの時に投げかけられた言葉……忘れられんせん。『なぜあの者は老けず、美しいままなのか?』。今までだぁれも気に留めんせんかったのに。わっちは皆に快楽を与えるために美しくなりんしたのに。酷い手のひら返しでありんしょう? わっちはその時、生きる意味を奪われたのでありんす」
どんな時も笑うことしかできないアヤメ。壊れた反動なのか、それとも……
アヤメは「美しい」ことが生きる意味だった。そして「美しい」という理由だけで迫害された。今まで都合よく美しさを求めてきた人たちが全て敵に回った。散々自分に癒しと快楽を求めてきたのに、自分は求められるがまま与えてきたのに……世界が彼女に与えたのは理不尽だった。
誰も自分に悦や快楽を与えてくれない。生きる意味が迫害される理由と化した。そんな世界に……彼女は絶望した。彼女の言葉にはそんな背景が滲んでいる。
「わっちは迫害の手から逃げて逃げて……逃げ続けたでありんす。けれどわっちの居場所はこの世界のどこにもない。だからわっちは逃げるのをやめんした。降りかかる火の粉は……払えばいい」
「殺したのね……」
「ええ、そうでありんす! その刹那、わっちの中の憎しみが紛れていくのがわかりんした。人の命を奪うのはこんなにも心地よかったのかと……惚けてしまいんした。けれどまだ足りない。わっちはもっと悦で満たされたい。満たされない人生なんて……生きてないのと一緒でありんす」
「生きる意味を奪われたあなたは人を殺すことに快楽を見出した。しかもそれだけでは飽き足らず、自身の命の危機というスリルを味わうことで生きている実感を得ようとした。今になっても魔術式が手放せないのは……満足してないから」
「そうでありんす」
現実に快楽を求めてももう与えてくれない。満たされなきゃ生きている実感がなくなる。
なら……自分で自分を満たすしかない。『殺し合い』という命のやり取りは代替手段といったところだろう。生きる意味や楽しみを殺し合うことで見出していたんだ、彼女は。
「結局あなたは自分を満たすためなら手段はなんでもいいのね」
「わっちは悦と楽を与え続けんした。与え続けた分、わっち自身を満たす身勝手を行う権利はありんしょう? それがどんな行いであろうと」
返す言葉が浮かばなかった。身勝手に虐げられたから今度は自分が身勝手に振る舞う。やられたらやり返す。自分が満たしてあげたのだから、今度は自分が満たされなきゃいけないと信じこんでいる。なんて自己中心的な考えだろうか。
「その後はぬしさんたちが知っての通りでありんす。宗教団体を作って勝手気ままに人を嬲り続けんした」
ようやく彼女について理解できた。やっぱり私が最初に感じた、直感通りの解釈で間違いはなかったんだ。
私は噤んでいた口を再び動かし始める。
「確かに身勝手だと思うのだわ。求められたことに応えた報酬が迫害なんて……とても酷い仕打ちよ。けどね……だからといってなにしてもいい理由にはならないの。あなたが魔女でありながら表に立つことを選んだ時点でそうなることは必然だったのよ」
「魔女は日陰者……そう割り切れと言いたいんでありんすか? 表には出るなと?」
「その通りよ。魔女は所詮陰の世界の生き物なのだわ。民衆からは理解されないし、異質な者として迫害もされるでしょう。でも……それでも挫けず折れず、陰で誰かのために戦えるのが正しい魔女なんだと思う。それが選ばれた人間である私たちの役目。日向で民衆から注目を浴びようとしたあなたは人間であることを捨てられなかった半端者よ。アヤメ、覚悟のないあなたは魔女になるべきじゃなかった」
アヤメは壊れた魔女なんかじゃなかったんだ。最初から……変わってない。魔術式を継承する前からも継承してからも……迫害されてからも彼女の行動原理は一貫している。彼女は自分を満たしたいだけなんだ。
手段は問わない。楽しければなんでもいい。愛を一身に受けることも殺し合うことも、手段の一つに過ぎない。あなたは人間としての根本的な欲を捨てられなかったんだ。
欲を満たそうとするのは人として正しい。人として正しいが故に魔女としては間違っている。力ある人間だからこそ、魔女は自分の欲を制御しなきゃいけないんだと……私は知っている。
突然、アヤメがくつくつと笑い出す。
「ハハハハハ! わっちはぬしさんのように割り切れんせん。一生誰からも見向きもされず、理解もされずに生きることを受け入れろと? 自分の欲を殺して? それはそれで人間として壊れた生き方でありんす」
「かもね。でも私にはその覚悟があるのだわ。魔女としてこれが正しいと思うし、同意してくれる相棒がいる。誰彼から理解されなくてもわかってくれる仲間がいる。居場所がある。人間としての幸福はそれだけで充分よ」
あなたからしたら私は人間として壊れているように映るもかもしれない。けど、あなたは私の幸せを知らないからそう言えるんだ。
友達となにげない日々を送り、美味しいものに舌鼓を打ち、誰かに恋をする。多くを求めない……そんな最低限度のものでも魔女は幸せになれるんだ。
アヤメ、あなたは最初からそれを知らないから多くを求めるのよ。満たされていることに気づかぬままね。
「どうやら平行線ね。やっぱり私とあなたは違うのだわ」
「そうみたいでありんすね」
お互いに静かに睨み合う。アヤメの目には失意の色が宿っていた。対する私の目はきっと自信に満ち溢れたものだろう。
彼女の根本を理解できても、同情はできない。むしろ呆れる一方だった。
だからこそ確信できた。自分はこいつと同じような身勝手な魔女にはならないって。
「綾芽様」
突如、キリエが戻ってくる。なにやら慌ただしい様子だった。
「どうやらおでましのようでありんすね」
「はあ。こんなやつと一緒にムツキを倒さなきゃいけないなんて……気が進まないのだわ」
と、呆れを口にしてみるが私の心は晴れやかなものだった。迷いはない。アヤメはいつか絶対に倒さなきゃいけない敵だとわかった。それで充分だ。
「いくわよ、ヒイロ!」
「おう!」
私はその場から駆け出した。欲に負けた弱い自分はもういない。私は選ばれし者として、その責務を果たすだけ。どんな状況でも絶対に。
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